開発と運用の経緯とは? わかりやすく解説

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開発と運用の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:32 UTC 版)

フォッケウルフ Fw190」の記事における「開発と運用の経緯」の解説

ナチス・ドイツ政権大軍政策によって、ドイツ空軍戦闘機近代化強力に推し進めた。ところが、主力戦闘機Bf 109高性能ではあったものの、狭いコックピット新任搭乗員にとって操縦難しくさせ、また主脚外側引き込む方式のため、脚間のスパン短く構造脆弱着陸事故多かった。また搭載エンジンであるDB 601生産性に難があり供給数量限界があった。 その事故率の高さと生産性問題に不安を感じたドイツ空軍上層部は、1938年フォッケウルフ社に対し補助戦闘機開発依頼した次に想定される戦争は必ずしも長期戦想定されていたわけでもなく、当時ドイツ補助戦闘機にまでリソース回せ国力があるとも限らなかったことから、実際に採用されるかはよくわからない状況であったとも言われるが、フォッケウルフ社ではこれを受けてクルト・タンク技師およびブラーザー主任技師中心したわず12名のチーム開発進め1939年6月1日初飛行成功したタンク技師は、第一次世界大戦では歩兵および騎兵として従軍していた。大学では第一志望航空力学講義禁止されたため電気工学専攻在学中グライダー研究会グライダー設計、製作、飛行までを行いその後飛行機操縦ライセンス取得した大学卒業後は教授推薦により入社した飛行艇専門メーカーであるロールバッハ金属飛行機において、エンジニアテストパイロット務めるという異色の経歴持っていた。 タンク技師Fw 190開発にあたり軍務パイロット経験から、Bf 109のような速いだけが取り柄ひ弱なサラブレッドではなく過酷な戦場での使用耐える騎兵の馬(ディーンストプフェルト"Dienstpferd")」をコンセプトとして開発進めた完成したFw 190強力な武装良好な空戦性能持ち操縦しやすく、最前線でも容易に修理が可能、さらに大量生産しやすい構造という、実用的な兵器となった当時戦闘機使用するエンジンとして液冷エンジンが有利とされていた。液冷エンジン前面投影面積小さく空気抵抗少なくなるからである。しかしFw 190当時使用可能だった唯一の1,500馬力空冷星形エンジンBMW 139(離昇出力1,550馬力)を使って開発された。これは液冷DB 601エンジン(離昇出力1,075馬力)がBf 109その他の機体採用され工場側の生産と供給能力手一杯であることから、別のエンジン使用するよう空軍当局指示したともされ、また同時にJumo 211系も主に爆撃機供給されていたため選択余地がなかった、または不本意な選択だったともされる。しかし別の説ではエンジン指定その他の要求はほとんど無かったともされタンク自身は後に、その馬力大きさ被弾への強さから敢えて空冷エンジン選んだとしている。 これによりFw 190液冷王国ドイツにおける唯一の空冷エンジン単座戦闘機となったのであるが、エンジン出力が高いほか、カウリング直径ぎりぎりまで絞った上にオイルクーラーオイルタンクエンジン前面搭載して投影面積減少させるだけでなく、単排気管推力速度を稼ぐと言うタンク先進的な設計もあり、試作段階より既にBf 109 E凌駕する速度発揮していた。量産型ではのちに搭載エンジンを、BMW社が開発成功した、より高出力BMW 801シリーズへと換装した。なお開発時および実戦配備初期には空冷エンジン冷却不良過熱や、エンジン自動制御装置不良などが問題視されていた。 本機は、Bf 109ヨーロッパ最強誇っていた第二次世界大戦緒戦ではあまり注目浴びなかったが、スピットファイアMk. V等、連合国新型戦闘機対抗する高性能機として1941年から実戦配備始まった最初配備型Fw190Aは英国スピットファイアMk. V実戦圧倒し強力な新型戦闘機登場という混乱連合国与えた本機活躍によりドーバー海峡上の制空権ドイツ空軍の手中に収められ、この状況半年後のイギリス空軍スピットファイアMk. IX出現まで継続したFw 190 Aは搭載するBMW 801エンジン特性上、高度おおよそ6,000m - 7000m以上で急激に出力落ちるため高高度性能不足していたが(後述)、しかし大戦前半ではそれは問題とならず中低高度で高性能遺憾なく発揮しその後改良続けられBf 109と共にドイツ空軍支えたFw 190は低高度での高性能加えて広く安定した車輪間隔余裕ある設計頑丈な機体という特長があったため、これを活かし戦闘爆撃機仕様偵察仕様など様々な改修キット作られた。これは工場での改修型のU仕様戦地改修キットのR仕様があり、「Fw 190 A-3/U2」などと表記された。後には戦闘機としてのA型のほかに戦闘爆撃機型F型長距離戦闘爆撃機型G型など多様な種類作られた。青木 (1995) では、爆撃任務を行うF、G型にはBf 109護衛がつく事があったが、爆弾積まない状態ではFw 190 Fの方が低空性能優れていたため、護衛を行うBf 109パイロットらは馬鹿らしい任務であると考えていたとの逸話紹介されている。また、Fw 190 FがFw 190 Fの護衛行なったような例もある。実際に東部戦線では地上攻撃航空団撃墜戦果挙げることは希ではなくクリミア方面では第2地上攻撃航空団II飛行隊半年247撃墜もの戦果をあげている。 その一方でFw 190は、高々度より進入する連合軍重爆撃機や、その護衛戦闘機との戦い必要な高々度性能不足しており、またBMW 801エンジンでは高々度性能の向上が難しかったため、これを液冷エンジンJumo 213換装した改良型Fw 190 D-9型が設計配備された(詳しく後述)。だがD-9型が配備され始めた1944年晩夏の頃にはすでにドイツ軍全体燃料欠乏悩まされていた。加えてベテラン喪失によるパイロット全体質の低下、さらに数的劣勢加わりドイツ空軍にはD-9型を有効に駆使し、その高い機体性能見合った戦果を得るだけの能力残っていなかった。D-9型は約700機が生産された。もうひとつタンク技師本命であり最終開発タイプとなったTa 152機体個人イニシャル冠する栄誉得たであったが、こちらは60機強の生産過ぎず本格的な配備には到らなかった。Fw 190シリーズは、最終的に20,000機あまり(修理再生も含む)が生産された。坂本 (2002) によればそのうち戦闘機型13,369機、戦闘爆撃機型は6,634機(合計20,003機)とされている。 枢軸国各国及び一部中立国連合国でも多く使用されBf 109違いFw 190主としてドイツ空軍運用された。また、日本参考のためにA-5型をドイツより有償供与され1943年海軍潜水艦輸送された。この機は陸軍航空総監部で、技術的な分析ののち飛行テストなされたその結果メーカー技術者参照でき、五式戦闘機エンジン排気空力理などの参考にされた。その他の飛行テストなどについては#エピソード詳述する第二次大戦後、Fw 190性能調査した連合軍側は、「第二次世界大戦におけるドイツ最良戦闘機」という評価与えている。

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開発と運用の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 15:33 UTC 版)

フォード・インディアナポリスエンジン」の記事における「開発と運用の経緯」の解説

1962年チーム・ロータスコーリン・チャップマンインディアナポリス500視察して成功への確信を得ると、翌年の同レース参加に向け、フォードエンジン製作での共同参画打診したフォード3月市場投入していたチャレンジャー260V8エンジン (V型8気筒) の排気量 (4.27 L) と、同レースを含む選手権規定されている自然吸気特殊エンジン排気量上限 (4.20 L) の近似性に着目しチャレンジャーV8と同じV型8気筒とすることで高い販売促進効果見込める考えこれに合意した開発研究部門であるアドヴァンスド・エンジン課 (Advanced Engine Department, 以下、AE課) が担当し、AX-227の開発呼称付与してチャレンジャー260V8設計基礎進められた。1961年11月市場投入され新型フォード・フェアレーン (四代目、および初代マーキュリー・ミティア) と共に開発されチャレンジャーV8シリーズは、当時最新設計概念製造技術投入され軽量小型かつ高性能新世代エンジンであり、販売促進目論見とは異なる意味でも開発基礎として好適であった当初AE課はAX-227の吸排気バルブ制御DOHC式を予定していたが、市販乗用車との共通性深めて販売促進効果高めんとするフォード上層部意向によりプッシュロッド式が選択され開発呼称新たにAX-230が付与された。 当時選手権では最有力であったオッフェンハウザー・エンジンの購入機を試験しながら開発目標定められた。オッフェンハウザーは排気量4.13 L、重量458ポンド (208キログラム (kg)) で、燃料メタノール用い14.95:1の圧縮比から401英馬力 (299キロワット (kW))の最高出力得ていたが、チャップマンメタノール多大な必要量とそれに伴う搭載重量増加、または頻繁な給油回数を嫌い、航空ガソリン用いて出力低くなるものの軽量かつ長い航続距離選択したまた、燃料噴射ではなくウェーバー・キャブレター選択したのもチャップマン意向であった。この「ガソリンキャブレター」は市販乗用車共通することから、上層部目論見にも合致していた。キャブレター統合作業はファブリカ・イタリアーナ・カルブラトーリ・ウェーバー (Fabbrica Italiana Carburatori Weber) から出向してきた技術者が、大量ジェットニードル持ち込んで行った完成したAX-230=プッシュロッド「インディアナポリス」エンジン排気量4.18 Lで、最高出力はオッフェンハウザーに25英馬力 (19 kW) 及ばない376英馬力 (280 kW) であるが、重量100ポンド (45 kg) 軽く500マイル (805キロメートル (km)) レースなら3回から4回の給油必要なオッフェンハウザーに対し、それが1回で済むため十勝機があるとみられた。開発出発点であったチャレンジャーV8とはシリンダーブロック基本形状ボアピッチなど多く基礎寸度に名残を残すものの、汎用品除き共通部は一切なくなっていたが、フォード広告にあえてそこには触れず巧妙に市販エンジンとの深い関りを消費者印象付けた開発主旨であった1963年インディアナポリス500には、ロータス・パワードバイ・フォード (Lotus powered by Ford, 以下、LPF) からジム・クラーク (ロータス) とダン・ガーニー (ロータス) の2名体制参加したが、パーネリ・ジョーンズ (ワトソン・オッフェンハウザー) が優勝しクラーク2位ガーニーが7位となった。これは走路へのオイル滴下によって罰則停止命じられるべき先頭ジョーンズ競技役員黙認した結果である。チャップマンは不満であったLPF最終的にこれを受け入れ、さらに強力なエンジン開発してオッフェンハウザーを圧倒し、完全勝利する道を選んだプッシュロッドインディアナポリス」はこの後選手権で当季中に2戦、翌季初頭に1戦運用された (全て舗装トラック)。4戦での勝率25パーセント (%)、予選一位獲得率は50 %であったプッシュロッドインディアナポリス」はプッシュロッド式としては究極の域に達しており、さらなる出力上策として再びDOHC式が選択され開発呼称凍結されていたAX-227が復活した。新エンジン引き続き航空ガソリン燃料とし、できるだけキャブレター用いることで、性能目標重量400ポンド (181 kg) 以下、最高出力425英馬力 (317 kW) に定めた基本的な開発方針としてプッシュロッドインディアナポリス」の部品極力引き継いだ当初ウェーバー・キャブレター開発進んでいたが、試験結果ヒルボーン (Hilborn) 燃料噴射装置燃料消費率僅かに勝ったため、途中からこれ変更された。比較順調に開発進んだプッシュロッドインディアナポリス」とは異なり、AX-227は吸排気系配置思い切って変更したり、点火プラグ気筒当たり本数最大3本まで試して1本に落ち着くなど紆余曲折経た1964年インディアナポリス500前にAX-227=DOHCコンペティションエンジン目標通り完成し、7名体制で同レース参加した予選クラーク (ロータス) がそれまで速度記録を7.675マイル毎時 (12.352キロメートル毎時) 更新して1位を得るも、決勝では3周目にデイブ・マクドナルド (トンプソン) とエディー・サックス (ハリブランド) が火災を伴う事故起こし (どちらも死亡) 、フォード勢は早々に2名を失った。再スタートから6周まで先頭クラーク守り、7周目からボビー・マーシュマン (ロータス) が先頭に立つも40周目にギアボックスのドレンプラグを破損して脱落した替わってクラーク先頭復帰する48周目にサスペンション故障脱落した優勝A.J.フォイト (ワトソン・オッフェンハウザー) で、フォード勢は2位のロジャー・ワード (ワトソン) のみフィニッシュでき、17位のガーニー (ロータス)、24位のクラーク25位のマーシュマン26位のエディー・ジョンソン (トンプソン) は途中棄権となった。なお、ワードは本来なら1回で済む給油頻繁に行っていたことから、フォード無断メタノール燃料使っていたことがレース明らかになった。これにはデトネーション対す信頼性と、より高出力求め意図があったが、返って競争力下げただけであった。当季選手権ではこれ以降の未舗装トラックを除く全戦でも運用され、全6戦の勝率33 %、予選1位獲得率は83 %であった1965年回転数上げて高出力化を図る改良なされた。そして合衆国自動車クラブ (United States Auto Club, USAC全米選手権主催者) が前年死亡事故教訓から技術規定改定したため燃料メタノール変更したこともあり、最高出力505から515英馬力 (377 - 384 kW) となった。またこの年は1機2万5000ドル50機が販売され多くチームシーズン通して車両2台と予備エンジン1機の体制運用できた。 1965年インディアナポリス500フォード勢は16名が参加した予選結果フォイト (ロータス)、クラーク (ロータス)、ガーニー (ロータス)、マリオ・アンドレッティ (ホーク)、ジョーンズ (ロータス) の順で5位までをフォード勢で占められた。決勝フォイト先頭11守り12周目から先頭立ったクラークその後一度先頭明け渡すことなく優勝した2位以下にはジョーンズアンドレッティ、アル・ミラー (予選7位、ロータス) が入り、4位までをフォード勢が占めたまた、予選における速度記録決勝平均速度記録どちらも更新しており、フォードにとっては2年来の雪辱を果たす完全勝であった。当季選手権は未舗装トラックを除く全13戦で運用され勝率62 %、予選1位獲得率は85 %であったフォード目標であったインディアナポリス500優勝したことで、当季選手権を以て製造販売終了した1966年からはマイヤー&ドレイク・エンジニアリング (Meyer & Drake Engineering, オッフェンハウザー・エンジンの製造者) の共同経営者であるルイス・マイヤーへ製造販売権利譲渡するが、フォード非公式に開発関わり続け以降オッフェンハウザーに替わって選手権舗装トラックロードコース常勝エンジンとなる。1966年は未舗装トラックを除く全11戦で運用され勝率予選1位獲得率共に91 %、1967年舗装トラックロードコースでは全16戦で勝率94 %、予選1位獲得88 %であった。また1967年後半から未舗装トラックでの運用始まり、3戦でそれぞれ0 %と67 %であった1968年ロードコースでは依然常勝であったが、インディアナポリス500を含む舗装トラックでは出力に勝るターボ過給仕様のオッフェンハウザーに圧倒された。これに対抗してフォード排気量を2.75 Lに縮小したターボ過給仕様開発し最高出力750英馬力 (559 kW) を発生したが、終盤に1勝できたのみであった。当季選手権舗装トラック13戦で勝率23 %、予選1位獲得31 %、ロードコース9戦ではどちらも100 %、未舗装トラック5戦ではどちらも0 %、初運用されヒルクライムの1戦パイクスピーク自動車ヒルクライム (Pikes Peak Auto Hill Climb) ではアンドレッティが最高4位であった1969年には選手権技術規定改定に伴いターボ過給仕様排気量を更に2.61 Lへ縮小するも、最高出力850英馬力 (634 kW) まで開発進み、オッフェンハウザーから覇権奪還した以降1970年まで舗装トラックではターボ過給仕様、未舗装トラックロードコースでは自然吸気仕様それぞれ多用され1971年から選手権競技場舗装トラックのみとなったに伴いターボ過給仕様一本化された。 1972年からフォイト所有するAJフォイト・エンタープライズ (A. J. Foyt Enterprise) が全権利を取得しメイクは「フォイト」に変わった1977年インディアナポリス500ではフォイト自身フォード新世代エンジンであるコスワースDFXを退け優勝している。最後に運用されたのは1979年クアーズ200 (Coors 200) で、このときもフォイト自身優勝している。

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