マーキュリー・ミティアとは? わかりやすく解説

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マーキュリー・ミティア (1961年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:28 UTC 版)

エドセル」の記事における「マーキュリー・ミティア (1961年)」の解説

1961年エドセル部門閉鎖終えたフォード・モーター販売低落気味であったマーキュリーにも予算削減の手伸ばした。高級価格帯のモントクレアとパークレーンを廃止し全てのマーキュリー車のホイールベース120インチ統一したその際最上位モデル昇格したモンテレーと、最低価格帯に設定された(無印の)コメットの間を埋める、「実質的な1961年エドセル」の地位を担う車種として投入されたのが、1961年式フェアレーンをベースにした廉価版フルサイズ車のマーキュリー・ミティア(英語版)である。ミティアにはミティア800ミティア600というトリムレベル異なる二種類モデル設定され8001956年フォードにおけるマーキュリー・メダリスト、600はマーキュリー・カスタム(ドイツ語版)に相当する地位であった外見上は600長方形テールランプ800丸目三連テールランプ特色とした。 1961年ミティアエドセルの本来のコンセプト体現したモデルとなり、600800各型合計5万3千台余り売り上げた。この成功手応え得たマーキュリーは、翌1962年には同年式フェアレーンの中級車(英語版)への移行同調してミティア中級車相当の大きさ縮小した第二世代へ移行した。しかし、1962年式及び1963年ミティア堅調販売記録したものの、下位コメット上位モンテレー販売台数下回り中級市場全体では不人気な車種となってしまい、結局1963年最後にミティア販売終了した1961年ミティア開発にはコメット同様にエドセル計画立案したアーネスト・ブリーチが深く関わっており、商品コンセプト共通性からエドセル関連性が深い車種として言及される事があり、エドセル商品上の系譜はこの61年ミティア廃止をもって完全に終わったと言われる事もある。 一般的に、この時期マーキュリー部門エドセル部門同様にマクナマラによる予算削減と、車体小型化要求影響を受け、ブランドとしての力が低下し続けていた時期であったマーキュリーが本来のリンカーン直下モデルとしての地位回復するのは、(マクナマラ遺産でもある)コンパクトカーとしてのコメット廃止されミティアと同じフルサイズエントリーモデル昇格する1966年の事である。

※この「マーキュリー・ミティア (1961年)」の解説は、「エドセル」の解説の一部です。
「マーキュリー・ミティア (1961年)」を含む「エドセル」の記事については、「エドセル」の概要を参照ください。

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