第二世代へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/19 05:27 UTC 版)
1988年、創業者アフマド・バクリが死去し長男のアブリザル・バクリが会長に就任した。バクリグループは1992年までに持ち株会社3社とその傘下の子会社というピラミッド構造にグループ内を整理し、アフマドの息子3人が持ち株会社を1社ずつ継承した。長男のアブリザル・バクリは「バクリ・アンド・ブラザーズ」を継承し、その傘下には鉄鋼などの製造業、通信、農園、商業などの中核部門18社がおかれた。次男のニルワン・バクリは「バクリ・キャピタル・インドネシア」を継承し、金融、銀行、保険、警備部門などの21社を傘下に収めた。三男のインドラ・バクリは「バクリ・インベスティンド」を継承し、メディア、不動産、鉱物などの新規部門8社を統括することになった。また、創業者一族は監査役会を押さえることでグループを管理し、「バクリ・アンド・ブラザーズ」の監査役会長はアブリザルが、「バクリ・キャピタル・インドネシア」と「バクリ・インベスティンド」監査役会長はニルワンが就いた。 1989年8月、バクリグループはジャカルタ証券取引所に上場した。株価は急上昇し、それに伴い自己資本の増加と負債総額の急減により負債・資本比率は9:1から1:1まで改善した。1990年には農園部門のユニロイヤル社も「バクリ・スマトラ・プランテーション」に改名して上場した。 1996年時点のグループ売上は2.4兆ルピアと国内第17位であり、プリブミ系グループとしてはスハルト系の2グループに次ぐ第3位につけた。また、収益と資産でもスハルト系を除くプリブミ系グループの中では最上位であった。
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