HIMR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:56 UTC 版)
「日野オートプラザ」および「栃木県立日光自然博物館」も参照 1991年に本格的な電気ディーゼルハイブリッドバス(パラレルマイルドハイブリッド)として、HIMR(ハイエムアール)が試作され、公営交通などで試験運行が行われた。 設計思想は回生ブレーキの原理で制動時のエネルギーを回収して効率を高め、加速時のディーゼルエンジンの負荷を下げることで排気ガス中の有害排出物の低減を目的とするものである。日野自動車の鈴木孝によれば、源流は高過給小型エンジンのエンジンブレーキ不足対策にフライホイールにコアを取付け電気ブレーキとする研究からで、これはモーターになるのではないかという発想から始まったとし、当初から低公害車としてハイブリッドにしようという高邁な発想ではなかったとしている。 実際のアイデアおよび開発は、日野自動車の鈴木孝幸グループによって行われたが、鈴木孝幸によれば発想は日毎かかわっていたエンジン動力計の一種、ワードレオナード方式の電気動力計から得たとしており、応用する事で補助動力およびエンジンブレーキ時の回生に使えるのでは、また燃費改善にも繋がるのではないかというものだったとしている。 1991年に開発に着手した当時は鉛蓄電池を使用しており、まだパワーエレクトロニクスが開発途上の段階で、大電力半導体素子の開発には半導体メーカーの協力が不可欠であった。日野自動車は1973年に名古屋市営バスに日野BT900を1台納入して1979年まで運行した実績はあったものの、まだ電気関係の経験が浅かったため、電気式ハイブリッドシステムの開発には困難が伴い、HIMRは開発が難航した。 コアとなる技術は、フライホイール部分に収まる薄型モーター/ジェネレーターおよび電力の往復を制御するインバーターである。薄型モーター/ジェネレーターは澤藤電機の協力のもと開発が進んだが、インバーターの開発は極めて難渋し、最終的に東芝の協力を得て完成した。当初は運行しているバス会社で故障が頻発したが、開発者たちの尽力により徐々に解決された。 そして1994年に正式発売された。エンジンは通常のHT/HU2M系と同じM10U型を用いていた。当初は改造扱いのため型式がU-HT2MLAA改だったが、型式指定を受けた後はU-HT2MLAHとなった。 1995年にHIMRは平成6年排出ガス規制適合に併せ第二世代へ移行し、中型用エンジンを用いたバスに変更された。従来の大型車と共通のM10U型エンジンから、中型車用のJ08C型 (240ps) に過給器を取り付け使用している。そのため、エンジンは垂直シリンダー型となり、型式もKC-RU1JLCH(ホイールベース4.8m)/KC-RU1JMCH(同5.2m)/KC-RU1JPCH(同5.67m。足利工業大学のスクールバス用として1999年に1台のみ納入)となった。 なお、関東バスでは全国で唯一、富士重工製の7E車体を架装したHIMRを2台所有していた(2008年7月までに除籍、1台が岩手県交通に移籍後2010年12月廃車済)。また阪急バスでは全国で唯一、HIMRに西日本車体工業製の車体(58MCおよび96MC)を架装している。 日光交通「わたすげ号」HIMR U-HU2MMA 日野オートプラザ保存車HIMR U-HU2MMA元・日光交通「わたすげ号」 東京都交通局HIMR U-HU2MLA改 東京都交通局HIMR U-HT2MLAH 京都市交通局HIMR KC-RU1JLCH 東京都交通局HIMR KC-RU1JLCHデンソービルトインクーラー搭載車 運転席(日野オートプラザ保存車) HIMR付きM10U型エンジン(日野オートプラザ展示品)
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