meal
「meal」とは・「meal」の意味
「meal」は、食事を意味する英単語であり、可算名詞として使用される。また、動詞としては使用されない。主に朝食、昼食、夕食など、一定の時間に摂取される食事を指す。「meal」の複数形
「meal」の複数形は「meals」である。例えば、一日に摂取する3回の食事を指す場合、「three meals」と表現される。「meal」のスラングとしての意味
「meal」にはスラングとしての意味は存在しない。あくまで食事を意味する一般的な英単語である。「meal」の発音・読み方
「meal」の発音は、/miːl/である。日本語表記では「ミール」と読む。「meal」の語源・由来
「meal」の語源は、古英語の「mæl」であり、時間や機会を意味する言葉から派生している。その後、食事を摂取する機会や時間を指す言葉として定着した。「meal」と「meals」と「food」の違い
「meal」は一定の時間に摂取される食事を指すのに対し、「meals」は複数の食事を指す。一方、「food」は食べ物全般を意味し、特定の時間帯や食事に限定されない。「meal」を含む英熟語・英語表現
「in the meal」とは
「in the meal」とは、「食事中に」という意味である。食事の途中で何かが起こったり、食事中に話すことを表現する際に使用される。「meal」の使い方・例文
1. I had a delicious meal at the restaurant.(レストランで美味しい食事をした。)2. She prepared a meal for her family.(彼女は家族のために食事を準備した。)
3. We usually eat three meals a day.(私たちは通常1日に3回の食事を摂取する。)
4. He skipped a meal to finish his work.(彼は仕事を終わらせるために食事を抜いた。)
5. The meal was served with a salad and a dessert.(その食事はサラダとデザートが付いて提供された。)
6. I'm planning a meal for my friend's birthday party.(友達の誕生日パーティーのために食事を計画している。)
7. The meal took a long time to cook.(その食事は調理に時間がかかった。)
8. She enjoys trying new meals from different countries.(彼女は異なる国々の新しい食事を試すのが好きだ。)
9. The meal was very satisfying and filling.(その食事はとても満足できるもので、お腹もいっぱいになった。)
10. He shared his meal with a homeless person.(彼はホームレスの人と食事を分け合った。)
ミール【meal】
ミール【(ロシア)mir】
ミール【Mir/Мір】
ミール(みーる)
旧ソ連のソユーズ計画から発展したもので、1986年 2月20日にプロトン・ロケットを使って打ち上げられた。その後、ミールは、地球の周回軌道をまわる有人の宇宙ステーションとして、現在に至る。ミールとは、ロシア語で「平和」を意味する言葉だ。
周回軌道上のミールには、宇宙船「ソユーズ」を使って乗組員を送り込む。また、数カ月おきに、宇宙貨物船「プログレス」が食糧や資材を持ち込む。このようなシステムによって、宇宙での有人飛行の滞在時間を1年以上にまで延ばした。
ミールは、宇宙科学ステーションとして、植物栽培、物性、医薬品開発などのモジュールをドッキングさせ、宇宙実験を行っていた。
さらに、1995年には、それまで宇宙開発で熾烈な競争を繰り広げてきたアメリカのスペースシャトルとのドッキングに成功し、1998年には国際宇宙ステーションの建設が始められるなど、国際協力の時代となった。
しかし、プログレスとのドッキングが失敗し、1997年には本体の一部が破損した。そのほか、コンピュータが故障するなどのトラブルが相次ぎ、老朽化が進んでいる。しかも、ロシア政府の財源不足により手を打つことができず、宇宙空間に漂う「粗大ゴミ」となっている。
廃棄処分されることが決まったが、日本上空を通過した後に太平洋に落下させるとあって、心配の種は尽かない。
(2001.02.25更新)
ミール
名称:ミール(MIR)
開発機関・会社:ソ連科学アカデミー/ロシア宇宙庁(RKA)(現 ロシア航空宇宙庁/Rosaviakosmos)
運用機関・会社:ソ連科学アカデミー/ロシア宇宙庁(RKA)(現 ロシア航空宇宙庁/Rosaviakosmos)
打ち上げ年月日:1986年2月20日ミール本体打ち上げ(有人運用1986年3月13日~)/1987年4月5日クバント1、ドッキング(本格運用1987年4月12日~)/1989年12月6日クバント2、ドッキング/1990年7月10日クリスタル、ドッキング/1995年6月1日スペクトル、ドッキング/1995年11月15日シャトル・ミール用ドッキング・モジュール/1996年4月26日プリローダ、ドッキング
運用終了年月日:2001年3月23日
打ち上げ国名・機:ロシア(CIS)・旧ソ連/ソ連科学アカデミー/ロシア宇宙庁(RKA)(現 ロシア航空宇宙庁/Rosaviakosmos)
打ち上げロケット:プロトンK/スペースシャトル
ミールは、国内の政変の影響を受けて、その存在もあぶなくなったソ連の宇宙開発機構が、最後に残した、未来への希望でした。
もっとも、中心部となるミール・モジュールそのものは、先行するサリュート6号やサリュート7号と構造的にあまり変わっていません。大きな違いは、サリュート6号、サリュート7号と同様の前後2つ、軸方向のドッキング・ポートに加えて、前方部から側面4方向にさらに4つの増設用ポートが加わったことです。あわせて5方向での結合が可能な、この球形区画のおかげで、サリュート本体(コア部)は、こけしのような特徴的な形状となっています。
この性能を利用することにより、有人の往還宇宙船や補給無人船とのドッキングに加え、ミールでは、さまざまな恒久的モジュールの増設が可能となりました。
ミール本体には、有人宇宙船(ソユーズTM)や無人補給船(プログレスM)をのぞいても6つのモジュールが結合しており、コア部の打ち上げ当時とは見違えるほどの外見と大きさになりました。
1995年2月のランデブー飛行につづき、6月にはスペースシャトル、アトランティスとのドッキングに成功。1995年11月には、同じくアトランティスにより、シャトル・ミールドッキング用のモジュールが運ばれ、来るべき国際宇宙ステーション計画の予行演習としての、スペースシャトルとの長期的な共同ミッションの態勢が整いました。
1998年6月までの間に、スペースシャトルとのドッキングは8回を数え、その後も宇宙飛行士の長期滞在が続けられました。これまで姿勢制御システム不調によるドッキング失敗、中央コンピューター故障などのトラブルに見舞われましたが、幸い人的被害はありませんでした。1999年8月にミールは無人となりました。その後、2001年 3月23日午後 3時00分(モスクワ時間2001年 3月23日午前 9時00分)に南緯40度、西経160度を中心とした海域に落下し、15年に渡る運用を終了しました。
1.スペースシャトルはどんな形をして、どんな性能を持っているの?
ミールは、帰還船となるソユーズTMや輸送船プログレスをのぞけば、本体コアを含めて7つのモジュールから構成されています。
それぞれのモジュールは、補給船との独自のドッキング・ポートを備えたクバントがコア部の後方に、前方側面方向には、時計回りにプリローダ、スペクトル、クリスタル、クバント2の各モジュールが接続され、クリスタルの先端にはさらに、シャトルとのドッキング用モジュールがつけ加えられています。本体前方、軸方向のポートはソユーズ有人宇宙船やプログレス無人輸送(補給)船とのドッキング用に確保されています。
本体のコア・モジュールは単体でも宇宙ステーションとして機能できるように、独自の居住空間、生命維持システム、それに太陽発電パネルを用いた動力システムを備えています。最大直径4.15m、全長13.13m、総重量20.4t、居住可能な与圧部の容積は90m3、3基、76m2の太陽発電パネルを備えています。
クバント(クバント1)は、1987年、コア部後方に増設された天体物理学研究のための望遠鏡など各種の観測機器と、姿勢制御システム、それに独自の生命維持システムを装備しています。内部は与圧された実験室区画と真空の機器区画とにわかれ、実験区画は作業用と居住用に使われています。コア部と反対側には、ソユーズやプログレスとのドッキング・ポートが設けられています。最大直径4.15m、全長5.8m、総重量11.5t。与圧部容積40m3で、2基の太陽発電パネルをそなえています。
クバント2は、1989年12月6日、まず、軸部にドッキング、2日後の12月8日に側面方向に移され、固定されました。クバント2には船外活動(EVA)用の機器やシステム、エアロックが装備され、ミールの運用能力を大きく高めました。また、生物学的研究や地球観測用の科学機器とともに、シャワーや洗濯帰飲み水の供給装置などが搭載されていました。最大直径4.35m、全長12.4m、総重量18.5tで、与圧部容積は61.3m3。2基、53m2の太陽電池パネルをそなえています。
クリスタルは、1990年にまず軸部前方にドッキング、翌日には、ミールの前方側面方向、クバントの反対側に固定されました。クリスタルは、科学研究用の機器や太陽電池パネルと発電システムに加えて、100tにも及ぶ重量との結合が可能なドッキング装置をそなえています。これはソ連版スペースシャトル−ブランとのドッキング用に開発されたものですが、1995年6月27日にはスペースシャトルとの初ドッキングに使われました。この時、クリスタルは、スペクトルの増設にともない、クバントと直角位置のポートに移動されていました。
ところが、そのままの位置ではスペースシャトルとミールがぶつかってしまうため、船外活動によって、クリスタルを一時的に軸部のドッキング・ポートに移す作業がおこなわれました。スペースシャトルとのドッキング後、クリスタルは、ソユーズやプログレスとのドッキング・スペースを確保するため、また、もとの位置にもどされました。この問題を解決するために増設されたのが、あとで解説するスペースシャトル・ミール用ドッキング・モジュールでした。クリスタルは最大直径4.35m、全長11.9m、総重量19.64トンで、与圧部容積60,8m3。2基、70m2の太陽発電パネルをそなえています。
スペクトルは1995年6月1日、まず軸部にドッキング後、側面方向、クバント1の反対側に固定されました。モジュールとしての主な用途は地球観測ミッションです。最大直径4.35m、全長12m、総重量19.64t、与圧部容積61.9m3。4基、35m2の太陽発電パネルをそなえています。
スペースシャトル・ミール用ドッキング・モジュールは、クリスタルを移動することなくスペースシャトルとドッキングできるようにするための、仲介役の延長装置で、ロシアで製造され、1997年11月、スペースシャトル・ミール2度目のドッキング・ミッションの際にスペースシャトルで運ばれ、クリスタルと結合、固定されました。ドッキング装置の向きを360度近く回転させることによって、スペースシャトルとの安全かつ信頼性の高いドッキングが可能となっています。直径2.2m、全長4.7m、総重量4.09tで、側面に2基の太陽電池が装備されています。
プリローダは、1996年4月、ミール本体最後の増設用ポートに固定されました。地球観測用のリモート・センシング機器が搭載され、最大直径4.35m、全長12m、総重量19tで、与圧部容積は66m3となっています。
プリローダの結合により、ミールに可能な基礎構造の増設は完了しましたが、以後も、太陽発電パネルの増設など、改良はさらにつづけられました。
2.宇宙でどんなことをして、今はどうなっているの?
コア部の軌道投入から13年以上の間、ミールはソ連崩壊に前後する政変にもかかわらず、国際的な協力のもと、本当の意味で恒久的なものとしては人類初の宇宙ステーションへと成長しました。来るべき国際宇宙ステーション計画実現へ向けての第1段階(フェイズ1)として、スペースシャトルを含む国際的な協力のもとでの運用がおこなわれています。
1999年8月28日、最後の3人の飛行士が帰還しミールは無人となりました。
3.この宇宙ステーションにのりこんだ宇宙飛行士は?
L・キジム、V・ソロビヨフ、Y・ロマネンコ、A・ラベイキン、A・ビクトレンコ、A・アレクサンドロフ、M・ファリス、V・チトフ、M・マナロフ、A・レフチェンコ、A・ソロビヨフ、V・サビヌイフ、V・リャホフ、V・ポリヤコフ、A・モフマンド、A・ウォルコフ、S・クリカレフ、J・クレチアン、A・セレブロフ、A・バランディン、G・マナコフ、G・ストレカロフ、V・アファナシェフ、M・マナロフ、秋山豊寛、A・アルツェバルスキ、H・シャーマン、T・アウバキロフ、F・フィーボック、A・カレリ、K・フレード、S・アブデエフ、M・トニーニ、A・ポリショック、V・スビリエフ、J・ピエール・ハグネア、Y・ウサチョフ、Y・マレンチェンコ、T・ムサバイエフ、E・コンダコワ、W・メルボルト、V・デジュロフ、N・サガード、R・ギブソン、チャールズ・プレコート、E・ベーカー、G・ハーバー、B・ダンバー、N・ダブリン、Y・ギゼンコ、S・アブデエフ、T・ライテル、K・キャメロン、ジェームズ・ハルセル、クリス・ハドフィールド、J・ロス、W・マッカーサー、Y・オヌフリエンコ、K・チルトン、リチャード・シーアフォス、R・セガ、M・クリフォード、L・ガットウィン、S・ルシッド、V・コルザン、C・デエー、ウィリアム・レディ、テレンス・ウィルカット、T・エーカーズ、J・ブラハ、J・アプト、C・ウォルツ、マイケル・ベーカー、B・ジェット、J・グランスフェルド、M・アイビンズ、P・ウィッソフ、J・リネンジャー、A・ラズートキン、V・ツィブリエフ、R・エワルト、アイリーン・コリンズ、J-F・クレルボア、E・ルー、C・ノリエガ、E・コンダコワ、M・フォーレ、P・ビノグラドフ、ジェームズ・ウエザビー、M・ブルームフィールド、S・バラジンスキー、J-L・クレティアン、D・ウルフ、T・ムサバイエフ、N・ブダーリン、L・エイハート、G・パダルカ、Y・バトューリンです。
4.どのように地球を回るの?
打ち上げ直後の軌道は、近地点高度387km、遠地点高度395km、軌道傾斜51.6度、公転周期92.4分で、大気の抵抗による高度低下を打ち消すため、搭載の小型ロケットやドッキング状態の無人宇宙船プログレスを使っての軌道修正が繰り返しおこなわれました。
ミール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 23:25 UTC 版)
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ディスカバリーから見たミール(1998年6月12日)
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ミールの記章
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詳細 | |
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COSPAR ID | 1986-017A |
SATCAT番号 | 16609![]() |
コールサイン | Mir |
乗員数 | 3名 |
打上げ日時 | 1986–1996年 |
発射台 | バイコヌール宇宙基地・LC-200/39およびLC-81/23 ケネディ宇宙センター・LC-39A |
再突入 | 2001-03-23 05:50:00 UTC |
質量 | 124,340 kg (274,123 lbs) |
居住空間 | 350 m3 |
近地点 | 354 km (189海里) |
遠地点 | 374 km (216海里) |
軌道傾斜角 | 51.6 度 |
公転周期 | 88.15分 |
日周回数 | 16.34 |
周回日数 | 5,519日 |
滞在日数 | 4,592日 |
総周回数 | 86,331 |
2001年3月23日 04:57:10 UTC現在 脚注: [1] |
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詳細図 | |
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スペースシャトルを除く、ミールの最終構成
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ミール(露: Мир)は、ソビエト連邦によって1986年2月19日に打ち上げられ、2001年3月23日まで使われた宇宙ステーションである[2]。ミールという名前は、ロシア語で「平和」「世界」を意味する。サリュートの後継機。
概要
コアモジュールはサリュート6・7号とほぼ同じ構造を使用しているが、新たに5個のドッキングポートを有する球状のドッキング区画を装備した。サリュート6, 7号が2箇所のドッキングポートしかなかったのに対して、ミールのコアモジュールは計6箇所のドッキングポートを利用できた。これを利用して1996年までの10年間に5つの大型モジュールが打ち上げられ、それらを結合することによって規模を拡大させた。残りの1箇所とクバント1のドッキングポートには、ソユーズ宇宙船とプログレス補給船のドッキングに使用された。
1990年代にアメリカ合衆国主導の国際宇宙ステーション計画へロシア連邦が参加することが決定し、1997年のプログレス補給船衝突事故以降、施設の老朽化と陳腐化が関係者の間で問題となり、またロシア側が新たな基本モジュール(名称:ズヴェズダ。ミールのコアモジュールの改良型)の打ち上げに意欲を示したことから、国際宇宙ステーションに飛行士が滞在するのに合わせて廃棄する事となり、2001年3月23日に大気圏に突入した[3][4][5][6][7][8]。15年もの間、旧東側諸国を中心にアメリカやヨーロッパからも100人以上の宇宙飛行士が訪れた[2]。
宇宙飛行士の往復には主に有人宇宙船ソユーズ(ソユーズT、ソユーズTM)が使用され、補給品の輸送には無人貨物宇宙船プログレス(初代およびプログレスM、プログレスM1)も使用された[9][10]。またスペースシャトルも8回のドッキングを行った。
歴史
- 1986年2月19日協定世界時21時28分23秒(モスクワ時間2月20日0時28分23秒)、コアモジュールの打ち上げ[5]。
- 1990年12月にはTBSの秋山豊寛が宇宙特派員として日本人初の宇宙飛行を達成、ミールから9日間に渡る宇宙リポート『日本人初!宇宙へ』を行った[5]。
- 1994年1月から1995年3月までワレリー・ポリャコフがミールに滞在し、437日間の連続宇宙滞在記録を樹立[5]。
- 1995年6月30日、アメリカ合衆国のスペースシャトル「アトランティス (STS-71)」がドッキングした。米露のドッキングは1975年のアポロ・ソユーズテスト計画以来であり、これ以降、STS-74、STS-76、STS-79、STS-81、STS-84、STS-86、STS-89がドッキングした。
- 1997年2月23日、交代のためクルー6人が滞在していた時に、クバント1に装備していたバックアップ用の酸素発生キャニスター(SFOG)を使用した際に炎が噴き出し、一時、船内は煙で充満した[5]。クルーは酸素マスクを装着して消火器を使って鎮火し、その後空気浄化装置を使って有害なガスを除去した[11]。
- 1997年6月25日に無人宇宙輸送船プログレスM-34のミールからのTORUシステムを使用した手動ドッキングテスト時に、スペクトルモジュールに衝突する事故が発生し、空気漏れが生じたため、スペクトルモジュールを閉鎖した[5]。この際、ハッチを緊急に閉鎖するにあたり電力ケーブルなどを切断したため電力不足にも陥った。その後、3回の船外活動でスペクトルモジュールからの電力供給をほぼ回復させる事はできたが、空気漏れの箇所の特定・修理は2000年4月までできず、スペクトルモジュールは使用できなくなった[12]。
- 1998年8月13日のソユーズTM-28に乗り込んだ日本のガチャピンが、ポンキッキーズ の「ガチャピン宇宙へ」企画で8月15日から8月20日までの5日間滞在。定期的にP-kiesワンダーランド会場(臨海副都心青海Q地区)と中継する計画であったが、通信事情が劣悪でほとんど映像を伝送できず、帰還後の8月30日に予定していた特別番組の放送が中止された。
- 1999年8月28日にソユーズTM-29が分離し、ミールは2000年4月6日まで無人となった。
- 2000年4月6日にソユーズTM-30がドッキング。アメリカのMirCorp.が資金提供し、ミールの修理を行い、今後の商業利用の準備を整えた。2000年6月16日に帰還すると再び無人状態となった[5]。
- 2001年3月23日に南太平洋上の大気圏に再突入、廃棄処分された[2]。燃え尽きなかった部分は、到達不能極(ポイント・ネモ)付近に落下した[2]。
モジュール
ミールは、別々に打ち上げられた7つのモジュールを接続することで建設された。スペースシャトルで打ち上げられたドッキングモジュール以外は、すべてプロトンロケットで打ち上げられた。
モジュール | 打ち上げ日・ ドッキング日 |
打ち上げ機 | 質量 | 結合時のソユーズミッション | 用途 | 単独画像 | 全体画像 |
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コアモジュール Core Module |
1986年2月19日 - |
プロトン 8K82K | 20,100 kg | - | 主要な居住区であり、全モジュールの中核となる。 | ![]() |
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クバント1 Kvant-1 |
1987年3月31日 1987年4月12日 |
10,000 kg | ソユーズTM-2 | コアモジュール後部に結合。X線と紫外線天体観測。姿勢制御用のジャイロダインを装備。後に姿勢制御スラスタパッケージを追加設置。 | ![]() |
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クバント2 Kvant-2 |
1989年11月26日 1989年12月6日 |
19,640 kg | ソユーズTM-8 | 新しく、より高度な生命維持装置、予備の科学実験設備、エアロック。 | ![]() |
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クリスタル Kristall |
1990年5月31日 1990年6月10日 |
ソユーズTM-9 | 工学、材料処理、地球物理学、天文学の研究。端にドッキングポートを2基装備。 | ![]() |
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スペクトル Spektr |
1995年5月20日 1995年6月1日 |
ソユーズTM-21 | 地球観測用の実験モジュール。 | ![]() |
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ドッキングモジュール Docking Module |
1995年11月12日 1995年11月15日 |
スペースシャトル・アトランティス (STS-74) | 6,134 kg | ソユーズTM-22 | クリスタルに結合。スペースシャトルとのドッキング。 | ![]() |
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プリローダ Priroda |
1996年4月23日 1996年4月26日 |
プロトン 8K82K | 19,000 kg | ソユーズTM-23 | リモートセンシング | ![]() |
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ミール予備機
ミールのコアモジュールとクバント1は予備機が製作され[13]、緊急時の対策として保管する傍ら宇宙飛行士の地上訓練や国外での展示などに使用された。
1989年、名古屋の世界デザイン博覧会に出展された予備機を堀江企画が購入、1990年に岩倉建設に転売された後[14]、1992年には札幌市で開催されたコミュニケーションワールド'92 北海道2000にも展示され[15]、1998年に北海道苫小牧市へ寄贈された[16](なお、元・苫小牧市長の岩倉博文は岩倉建設の役員であった)。10月12日から展示され直後の16日には本機に188日間滞在したシャノン・ルシッド宇宙飛行士も来訪した[14]。
当初は苫小牧市科学センターの脇で屋外展示され金網で囲み外部のみを公開する形で冬季は非公開としていたが地元マスコミや宇宙工学家から批判が生じたことも有り、1.1億円の工費をかけ内3分の2を産業再配置促進施設整備費補助金で賄い[13]、1999年に「ミール展示館」が建設され12月12日に完成[17]。また室内展示化に合わせ内部公開も開始された[13]。2001年の本機の廃棄時には専門家が訪れ危険性調査のための分析にも用いられた[13]。
搭載機器にまつわる話

- 画像編集などの用途でSonyのHB-G900 (MSX2) が使用されていた(経緯に関してはMSXと冷戦を参照)。MSX愛好家の間では愛着を込めて「MSXを使用している宇宙船」として認識されていた。1990年12月、日本のTV局であるTBSの宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』にて撮影されたビデオの編集に使用されていたことが、スポンサーであるソニーの技術情報誌の特集記事として掲載された。
- 宇宙という場所にありながら、宇宙飛行士が数ヶ月単位で長期滞在するために、ゲーム、音楽の入ったCDやテープ、さらには酒やアダルトビデオも持ち込まれたといわれる。
脚注
- ^ “Mir-Orbit Data”. Heavens-Above.com (2001年3月23日). 2009年6月30日閲覧。
- ^ a b c d 「ミール:ニュージーランド東方海域に落下、廃棄計画成功と総括」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月24日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール:最新の廃棄計画をロシアが発表 落下は21日前後に」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月14日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール:落下時間を日本時間23日午後3時半ごろと正式決定」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月21日。オリジナルの2001年10月4日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「ミール落下:関係各省24時間待機、“万が一”にピリピリ」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月22日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール:23日落下 ロシアが落下の準備作業完了」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月23日。オリジナルの2002年2月3日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール落下:軌道離脱作業を開始 23日午後3時過ぎ落下へ」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月23日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール落下:予定通り太平洋上に落下 破片落下には安全宣言」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月23日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール:3月6日に南太平洋に落下 露航空宇宙局が発表」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年1月16日。オリジナルの2001年5月31日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ 「ミール:露の宇宙貨物船「プログレス」とのドッキングに成功」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年1月28日。オリジナルの2002年2月3日時点におけるアーカイブ。2025年6月7日閲覧。
- ^ “Historical Incidents: The Mir Fire (クルーの証言映像あり)”. Space Safety Magazine 2011年12月11日閲覧。
- ^ “Progress M-34 collides with Mir (クルーの証言映像あり)” 2011年12月11日閲覧。
- ^ a b c d 新五感紀行 宇宙船ミール人気展示最初は野ざらし - 北海道新聞2025年6月1日朝刊日曜版1-2面
- ^ a b ミール展示館について - 苫小牧市科学センター
- ^ コム博から 記念撮影人気背景は月面や銀河系 - 北海道新聞1992年7月23日朝刊
- ^ 科学する心を育てる 苫小牧市科学センターミール展示館 - 苫小牧市
- ^ ミール展示館 - 苫小牧市史 追補編(苫小牧市)859頁
関連文献
- 若居亘『宇宙で食べるレタスの味 ソ連宇宙ステーションミールの秘密』同文書院、1987年。OCLC 673001477。国立国会図書館書誌ID: 000001896407
- ブライアン・バロウ『ドラゴンフライ ミール宇宙ステーション・悪夢の真実〈上〉〈下〉』北村道雄(上巻翻訳)、小林等(下巻翻訳)、寺門和夫(監修)、筑摩書房、2000年。 ISBN 4-480-86057-6, 4-480-86058-4
外部リンク
日本語サイト
国家機関 / 公共施設
- ミール宇宙ステーションステータス情報(1997年7〜月2001年3月)JAXA HP - 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)
- 宇宙ステーション「ミール」の情報収集の現状について - 文部科学省
- 苫小牧市科学センター ミール展示館 公式HP
- 宇宙の方船に乗って・・・未来を探る旅へ - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分) 苫小牧市科学センター、科学センターパンフレットより抜粋
- ミールステーションの記録 - ウェイバックマシン(2003年10月20日アーカイブ分) はまぎんこども宇宙科学館 / (財)横浜市青少年育成協会
企業 / TV番組
- ダイニングテーブルを囲んで 三菱電機 DSPACE/1月コラムVol.3[ISSの食事スタイル:林公代]
- 宇宙ステーション落下を食い止めろ!地球を救った3人の男達! - ウェイバックマシン(2006年6月16日アーカイブ分) 特命リサーチ200X 2003年7月20日付
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ミール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 03:54 UTC 版)
ノールの弟で、兄とは逆に前向きな性格。九の村で暮らしている。機械病に侵されているが、死ぬことはないうえに足がジェットエンジンのようになっていて空を飛べるため、ノールの不安とは裏腹に快活で、村の子供達からは羨望の眼差しで見られていた。
※この「ミール」の解説は、「ワークワーク」の解説の一部です。
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「ミール」の例文・使い方・用例・文例
- 私はオートミールを作るの手こずっています。
- 朝食には卵がいいが、姉はオートミールがいいという。
- オートミールの朝食.
- オートミールが焦げている.
- 世界の屋根 《本来はパミール高原 (the Pamirs); のちにチベット (Tibet) やヒマラヤ山脈 (the Himalayas) もさすようになった》.
- ウラジミール・ホロヴィッツはピアノの名手として世にもてはやされた.
- 1920年代と1930年代に人気があったエイミール・クーエによって開発された自己改善のためのシステム
- カシミールとジャンムの政局は一触即発の不安定な状態だ
- 薄くまずいオートミールの粥
- 私たちはカシミールで夏を過ごした
- エミール・ゾラ風の
- カシミールまたはその人々またはその文化の、それらに関する、あるいはそれらに特徴的なさま
- カシミールの山脈
- カシミール人愛の詩
- カシミール、東アフガニスタン、および北パキスタンで話されている、インド語派の言語グループ
- 北カシミールで話されるダルド語言語
- カシミール州の公用語
- タミール語によく似たドラビダ語でインド南西部の丘陵地帯で使われる
- インド南西部で使われている(タミール語に近い)ドラビダ語族
- スペイン版の濃いオートミール
ミールと同じ種類の言葉
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