プリローダ (ミール)
(プリローダ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 05:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年12月) |
![]()
クリスタルの図
|
|
モジュールの詳細 | |
---|---|
所属 | ソビエト連邦 |
状態 | 運用終了 |
打ち上げ機 | プロトン8K82K |
ドッキング対象 | コアモジュール |
機能 | 地球観測 |
打ち上げ日時 | 1996年4月23日 |
ドッキング日 | 1996年4月26日 |
大気圏再突入日 | 2001年3月23日 |
形式 | TKS型 |
物理的特徴 | |
長さ | 9.7 m |
直径 | 4.35 m |
打ち上げ質量 | 19,700 kg |
与圧区画容積 | 66 m3 |
電力 |
プリローダ(ロシア語: Природа)(TsM-I, 77KSI, 11F77I)はロシアのミール宇宙ステーションの7番目のモジュールで、最後のモジュール。主目的はリモートセンシングを通じての地球資源に関する実験、リモートセンシング方法の開発と実証であった。制御システムはウクライナのハートロンによって開発された[1]。
設備
プリローダはもともと展開式の太陽電池アレイを乗せる前提で設計されていた。しかし完成が遅れたことと、実際には太陽電池アレイの追加は他のモジュールですでに計画が立てられていたことから、太陽電池アレイは打上げ時のコンフィギュレーションには含まれなかった。太陽電池アレイがない代わりにミールまでの飛行の間に使うために、プリローダには2重冗長構成のバッテリー合計168個から電力供給を受けた。プリローダには与圧されていない観測機器区画と与圧された観測機器/ペイロード区画で構成されていた。非与圧部には推進システム機器やEVA用の手すり、科学機器が取り付けられており、与圧部は外部観測機器区画と内部居住・作業用空間の2つの部分に分かれていた。プリローダの実験装置は12ヶ国から提供された。これらの実験装置は受動・能動両方の観測方式を使ってマイクロ波、可視光、近赤外線、赤外線スペクトル領域をカバーした。
装置
AlissaLIDAR | 雲の高度、構造、光学特製の測定。垂直解像度150m、水平解像度1km |
Centaur400MHz受信機 | 海洋ブイデータの収集。 |
DOPI干渉計 | ガス・エアロゾルの研究。 2.4-20マイクロメートル |
Greben海洋高度計 | 解像度10cm、13.76GHz、観測幅2.5km、直下視点 |
Ikar N nadir マイクロ波放射計 | 波長0.3、0.8、1.35、2.25および6.0cm、観測幅60km、解像度60km、0.15 K |
Ikar デルタスキャンマイクロ波放射計システム | 40°オフトラックしてスキャン、観測幅400km、波長4.0、0.3、0.8および1.35cm、解像度8 – 50km、0.15 - 0.5 K |
Ikar P パノラママイクロ波放射計 | 波長2.25cmと6.0cm 観測幅750km 解像度75km、0.15 K |
Istok 1 赤外線分光放射計 | 波長4.0-16.0マイクロメートル、観測幅7km、解像度0.7 x 2.8km |
MOS-Obzor スペクトロメータ | エアロゾルの特性と海洋反射率の測定。0.750-1.01マイクロメートルで17チャンネル、観測幅80km、解像度700m |
MOMS 02P 地球撮像装置 | 0.440-0.810マイクロメートルで4チャンネル、マルチスペクトル、ステレオあるいは高解像度データ、解像度6km。ドイツの装置であり、最初はシャトルのスペースラブD2ミッションで飛行している。 |
MSU-E2 高解像度光学スキャナ | 解像度10m、0.5 - 0.9マイクロメートルで3チャンネル、直下視点、観測幅2 x 24.5km |
Ozon M スペクトロメータ | オゾン・エアロゾルの特性観測。 0.257-1.155マイクロメートルで160チャンネル、1kmの高度方向の解像度 |
トラバース合成開口レーダー | 1.28/3.28GHz、観測幅50km、観測用傾斜角度38°、解像度50m |
打ち上げ・ドッキング
プリローダは1996年4月23日にプロトンロケットで打ち上げられたが、軌道到達後に電気コネクターが故障し、利用可能な電力が半分になってしまった。この電力の問題のため、プリローダは電力を喪失するまでにドッキングのチャンスが1回しか余裕なかったが、他のモジュールの多くが最初の試みではドッキングに失敗していたために地上側ではドッキングできないのではないかという懸念を持たせた。しかし、プリローダは4月26日に無事ドッキングを終えた。コア・モジュールの+Z軸のドッキングポートに移設されて恒久結合された後、ステーションの電力システムに接続され、他のモジュールの太陽電池パネルから電力を得ることとなった。プリローダのバッテリーはクルーによってはずされて、プログレスM-31に載せられた後、再突入・廃棄された。
2000年の最終滞在の間、電力負荷が非常に高かったとされ、このためクルーはプリローダの装置を起動させることができなかった。2001年の3月にプリローダはミールとともに再突入し、破壊された。
断面図
ギャラリー
-
プリローダ、STS-91で撮影
外部リンク
- Russian Space Web
- Encyclopedia Astronautica
- Gunter's Space Page - information on Priroda
- Priroda[リンク切れ] web page
- Priroda project description
脚注
|
プリローダ (1996)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
「シャトル・ミール計画」の記事における「プリローダ (1996)」の解説
3月22日にSTS-76でアトランティス打ち上げが行われ、3回目のドッキングが行われた。このミッションでは2人目のインクリメント飛行士としてシャノン・ルシッドがEO-21(英語版)のクルーとしてミールに到着し、これ以降はアメリカ人も継続的にミールに滞在している。ミッションでは、スペースハブモジュールの開発を通した補給能力の証明と、ミールのドッキングモジュールに乗せられる実験パッケージが配置が行われた。また、実験パッケージによってミールの周辺で初となるの宇宙遊泳が達成された。宇宙遊泳はアトランティスのクルーキャビンから行われ、組み立てミッションに備えての様々な経験が積まれた。 ルシッドは、アメリカ人で初めてステーションに滞在した女性になり、シャトルの固体燃料ブースターの問題が発生したためにインクリメント期間が6週間延長され188日間となり、アメリカの単独宇宙飛行の記録を打ち立てた。ルシッドのミール滞在中にはアメリカの科学ハードウェアを積んだプリローダモジュールがミールに増設された。ルシッドは28の科学実験を行うためにプリローダとスペクトルの両方を使用し、プリローダはリビングとしても利用するようになった。 9月16日にSTS-79でアトランティスの打ち上げが行われ、4回目のドッキングが行われた。このミッションではジョン・ブラハがインクリメントとしてミールに到着し、ルシッドと交代となった。また2台のスペースハブモジュールを運ぶ初のシャトルミッションとなった。また、アトランティスの燃料電池から発生した水や、超伝導、人工軟骨開発、その他の生物学等での研究調査をふくむ実験用品を含めて1,800kgを超える物資がミールに輸送され、910kgほどの実験試料と機材がミールからアトランティスへ移し変えられた。これは現在に至るまでで最も大規模な輸送となっている。ブラハはドッキングしたスペースシャトルのための移動手順、長期滞在アメリカ人クルーとHAMアマチュア無線通信の引渡し手順など、いくつかの分野のステーション改良作業のために滞在した。 彼のミール滞在中には基礎ブロックに取り付けられてから12年間使われた太陽電池アレイから電力コネクターを取り外し、より効率的で新しい太陽電池アレイに再度接続することを目的として2回の宇宙遊泳が行われた。ブラハはミール-22のクルーと合計で4ヶ月118日間ミールに滞在し、物質科学、流体力学、生命科学などの研究を行った。彼は翌年STS-81で地球に帰還した。
※この「プリローダ (1996)」の解説は、「シャトル・ミール計画」の解説の一部です。
「プリローダ (1996)」を含む「シャトル・ミール計画」の記事については、「シャトル・ミール計画」の概要を参照ください。
- プリローダのページへのリンク