ブラン計画とは? わかりやすく解説

ブラン計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 02:27 UTC 版)

ブラン計画
1989年のパリ航空ショーで展示されたブラン
目標 オービタ技術の確立
用途 、目的 人工衛星の打ち上げ、宇宙ステーションとの接続
終了 1991年
その他 ソビエトで最初の航空機型再使用型往還機
船で輸送されている途中のブランOK-GLI

ブラン計画(ブランけいかく)は、ソビエト連邦によって進められた再使用型宇宙往還機計画である。

開発は1970年代からスタートし、1980年代から本格化して1988年11月15日に初飛行した。その後ソビエト連邦の崩壊により中止された。

開発経緯

ソビエトは超大国としての力の均衡を保つためにアメリカ合衆国スペースシャトルに対抗する再使用型宇宙往還機を必要としていた。 エネルギア再使用型宇宙往還機"ブラン"を打ち上げるために設計され[1]その特性上、他の機種がロケットの上にペイロードを搭載するのに対し、側面にペイロードを搭載するように設計された。エネルギア-ブランシステムの設計後、それは同様に補助ロケットを重量物打上げロケットとしてブランを載せずに使用する事が検討された。この仕様は"ブラン-T"という名称が与えられた。[2] この仕様では軌道へ到達する為に上段ロケットが必要とされた。[2] 実際にはエネルギアの最初の打上げでは大型の軍用衛星をペイロードとして搭載した重量物打上げ仕様で打ち上げられた。

打ち上げ実績

エネルギアは1987年5月15日21時30分にポリウスを搭載して打ち上げられた。打ち上げ2秒後に大きく揺れたものの、エネルギア自体は問題なく打ち上がった。しかし、公式見解では2段目(ポリウス)のエンジン不良により同部位の軌道投入に失敗した(ゴルバチョフ大統領による打ち上げ直前の運用中止命令で投入しなかったとする説もある)。

ブランは1988年11月15日午前3時(協定世界時)にバイコヌール宇宙基地から無人で打ち上げられ、206分間にわたり地球軌道を周回し、発射場所であるバイコヌール宇宙基地の滑走路に自動着陸を成功させた。

その後

予定では1992年有人宇宙飛行を行うはずだったが、計画の遂行に多額の費用がかかることや、往還したブランの損傷が想像以上に大きく、修復にも時間と費用がかかる事が判明した上、1991年12月25日ソビエト連邦の崩壊により、ブラン計画は消滅した。1号機はカザフスタンのバイコヌール宇宙基地にそのまま保管されていたが、2002年5月12日に暴風に遭い、全壊した[3]。また、2号機「プチーチュカ」、3号機「バイカル」など、いくつものブラン型派生モデル開発・製造途中だったが、これらも全て中止となった。現在は、バイコヌール宇宙基地内に設置されている博物館の園庭に試験モデルが展示されている。コックピットは当時のまま保存。その他はミュージアムになっている[4]

ブランの試験機であるOK-GLIは、2000年オーストラリアで展示されたあと2002年バーレーンに引き取られ、しばらくの間放置されていた。2004年にバーレーンからドイツのシュパイアーにあるシュパイアー技術博物館ドイツ語: Technik-Museum Speyer)に引き取られることが決定し、2008年3月6日から同年4月12日にかけて船で輸送された[5]

ブランには、O・K・アントーノフ記念航空科学技術複合が設計・製造したAn-225ムリーヤという世界最大の航空機が専用機として輸送の任にあたっていた。こちらは世界最大の貨物機として知られる。

また、一時は放置状態だったAn-225が現役復帰する際にブランを商用衛星打ち上げ用として復帰させる計画もあった。実際には実現しなかったが、ロシア政府はプロトンロケットの限界を超える要求が今後増加した場合に備えてブランを現役に復帰させる計画を持っており、計画も「現時点で凍結」に改められている。

2013年9月にはドミトリー・ロゴージン副首相がロシア南部で開かれた武器の展示会に出席した際、高度1万メートル以上を飛ぶ航空機は将来的に成層圏を飛行する可能性を指摘し、「遅かれ早かれ時代を先取りしたブランのような計画に立ち戻らざるを得ない」と述べ、旅客機としての開発再開もありうることを示唆した。

関連項目

脚注

  1. ^ Bart Hendrickx and Bert Vis, Energiya-Buran: The Soviet Space Shuttle (Springer Praxis Books, 2007) Link
  2. ^ a b B. Hendrickx, "The Origins and Evolution of the Energiya Rocket Family," J. British Interplanetary Soc., Vol. 55, pp. 242-278 (2002).
  3. ^ ロシア連邦宇宙局長、「ブランの復活はありえない」”. sorae.jp (2009年12月28日). 2011年3月17日閲覧。
  4. ^ EnglishRussia.com英語版 Buran, The First Russian ShuttleWhere is Buran Now?Buran. The Soviet Space Shuttle
  5. ^ ブラン試験機、ドイツの博物館へ”. sorae.jp (2008年4月9日). 2011年3月17日閲覧。

参考文献

外部リンク


ブラン計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:34 UTC 版)

有人宇宙飛行」の記事における「ブラン計画」の解説

詳細は「ブラン (オービタ)」を参照 ブランソ連開発した有人宇宙往還機で、ソ連版スペースシャトルとも呼ばれる打ち上げには超大型ロケットブースターエネルギア」を使用し推進器としては本体には軌道上での姿勢制御装置のみを搭載している。無人テスト飛行のみ実施多額開発費行き詰まりソ連崩壊によって計画凍結した専用輸送機として開発された「ムリーヤ」が近年世界最大搭載能力を持つ輸送機として脚光を浴びている。

※この「ブラン計画」の解説は、「有人宇宙飛行」の解説の一部です。
「ブラン計画」を含む「有人宇宙飛行」の記事については、「有人宇宙飛行」の概要を参照ください。

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