儒教 東アジア周辺諸国の儒教

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儒教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 02:36 UTC 版)

東アジア周辺諸国の儒教

朝鮮

朝鮮の儒学者

朝鮮は本家中国以上に儒教文化が深く浸透した儒教文化圏であり、現在でもその遺風が朝鮮の文化の中に深く残っている。それだけに、恩師に対する「礼」は深く、先生を敬う等儒教文化が良い意味で深く浸透しているという意見もある。李氏朝鮮の統治階層であった両班は自らを儒教の継承人と見做し、儒教の浸透に深く関わった。

ベトナム

19世紀末の科挙の風景

漢王朝(北属期)の時代に儒教が伝播したが、当地から著名な儒家を輩出することはなかった。10世紀に李朝が成立すると儒教制度が本格的に導入され、政治領域をはじめ教育、学術、文芸、文化風俗などにおける影響力が強くなった。しかしながら、仏教や道教と比較して絶対的優位とはならなかった。15世紀に後黎朝が成立すると、仏教・道教に対する儒教の優位性が確立され社会の各階層に浸透した。これに伴いベトナムは東南アジア的な性質を徐々に失い、中国文化圏としての色彩を強めるに至った[22]。18世紀から19世紀にかけては儒教の影響が最も強くなった。17世紀から19世紀にかけて馮克寛・黎貴惇・呉時任・阮文超・嗣徳帝などの著名な儒家を輩出した。

日本における儒教

日本では儒教は学問(儒学)として受容され、国家統治の経世済民思想や帝王学的な受容をされたため、神道仏教に比べても、宗教として意識されることは少ない(次節を参照)。ただし、年賀状のような儀礼がほぼ「儒教文化圏」に限られるように、自覚されない文化的行為の中に儒教的な考え方(価値観・社会規範などの広義の宗教)が東アジア共通のものとして基底的にあると考えられる。

儒学の伝来

日本に儒教が伝来したのは、5世紀の五経博士によってである。朱子学は漢籍に紛れて輸入され、僧侶に学ばれた(五山文学)。藤原惺窩林羅山は仏教から朱子学に転じ、徳川幕府に仕えた。近世の代表的な朱子学者として、谷時中南村梅軒野中兼山新井白石室鳩巣雨森芳洲などがいる。新井白石や荻生徂徠は政治にも深く関与した。朱子学は寛政異学の禁により官学化された。朱子学は庶民にも広く学ばれ、大坂では町人により懐徳堂が開かれた。

朱子学批判

山崎闇斎貝原益軒は朱子学を学びながらもそれに疑問を呈するようになっていった。中江藤樹は陽明学に転じ、道学を教え近江聖人と呼ばれた。弟子の熊沢蕃山は農本思想を説いた。山鹿素行は聖学を創始し、孔子本来の教えに立ち戻ることを主張した。伊藤仁斎は道徳とは性即理(本然の性)によるのではないとし、日常的生活実践としての忠恕を重視した。荻生徂徠は礼楽刑政の道とは聖人が制作したものであり、その制度を現在の政治に実現することを説いた。徂徠の弟子には文人の服部南郭や、『経済録』の太宰春台がおり、後世には本居宣長や、海保青陵らの経世家に影響を与えていった。懐徳堂では中井竹山らが朱子学を教えたが、中井履軒など朱子学に疑念を呈するものや、富永仲基山片蟠桃など、儒学を始めとする宗教を否定する合理主義者が現れた。

幕末の儒学

昌平坂学問所佐藤一斎は朱子学のほかに陽明学を修め、渡辺崋山佐久間象山横井小楠ら幕藩体制秩序の破壊を試みた弟子を輩出した。陽明学者の大塩平八郎は、大塩平八郎の乱を起こして、幕府に挑戦した。

尊王思想は古学派にも萌芽が見られ、本居宣長・平田篤胤頼山陽蒲生君平高山彦九郎林子平らによって展開されていった。朱舜水を招いて朱子学を研究していた水戸徳川家では、『大日本史』編纂の過程から水戸学が形成され、藤田東湖藤田幽谷らが尊王思想を展開した。会沢正志斎は『新論』で尊皇攘夷思想を体系化し、幕末の志士に伝えていった。吉田松陰はその一人であり、孟子・水戸学・陽明学松下村塾で教え、弟子からは高杉晋作ら倒幕の志士が現れた。

近代の儒学

明治維新の志士たちは水戸学や陽明学を信奉しており、明治以後にも研究が行われた。並行して廃仏毀釈運動が大規模に行われた。井上哲次郎は朱子学、陽明学、古学を研究した。漢学者の元田永孚教育勅語を起草したが、天皇の教えという形を取りながら、実質的には儒教道徳を説いた。天皇制国家と国家神道が作られ、政府中枢にも漢学者がおり、たとえば安岡正篤終戦の詔勅に関与した。民間右翼の中に儒学を元に尊王思想を説くものもあった。村岡典嗣津田左右吉和辻哲郎らは日本の儒教を研究した。

戦後の儒学

戦後は、江戸時代近代化に反対した人々の思想[23]国家神道の構成イデオロギー[24]という位置づけがなされ、丸山真男らによって批判的に研究されたほか[25]、マルクスの「アジア的停滞性論」も広く受け入れられた[26]。そのため、歴史的な存在として儒教が学ばれたり、ビジネスマンの処世術・教養として『論語』が読まれるに留まる。

儒教に関する研究と論点

東アジアの近代化と儒教

ヘーゲル易学を高く評価した一方で、儒教を批判し、アジアでは自由を知るのは専制君主ただ一人であるとした[27]

宗教社会学者のマックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で西欧の近代化の原因はプロテスタンティズムにあるとしたが、その他の地域でも同様の研究を行っている。アジアについては、『儒教と道教』で「儒教は合理主義的だったが、プロテスタンティズムのような厳格さを持たなかったため、東アジアは近代化しなかった」という趣旨のことを述べている[28]

また、マルクス主義では、「アジア的生産様式」によって中国では「アジア的停滞」が引き起こされ、近代化は起こらなかったなかったという。カール・ウィットフォーゲルは、それが「アジア的専制」を産み出したという[28]

1990年代後半からの日韓は、高い自殺率、財閥や富裕層への富の集中、苛烈な受験戦争、薄い社会保障、来るべき少子高齢化社会など兵役を除けば多くの共通点があり、ネオリベラリズムと儒教がミックスした社会になっているという意見がある[29]

一方で、1990年代以降、中国の改革開放の成功やアジア四小竜の台頭を迎えると、リー・クアンユー李登輝などは儒教が近代化の原因だと述べた[28]

儒教は宗教か

儒教の長い歴史の間には、古文・今文の争い、喪に服する期間、仏教との思想的関係、の捉え方など様々な論争がある。現在の学術研究、特に日本における論争のひとつに“儒教は宗教か否か”というものがある。現在、“儒教は倫理であり哲学である”とする考えが一般的[30] だが、孟子以降天意によって総てが決まるとも説かれており、これが唯物論と反する考えになっているという指摘もある。加地伸行などは、宗教を「死生観に係わる思想」と定義した上で、祖先崇拝を基本とする儒教を宗教とみなしている[31]。 しかし何れにせよ、その唱える処は宗教に酷似している為、広義の宗教と結論づける事も可能なのである。

儒教が宗教かが法廷で問われた例として至聖廟を巡る裁判があり、日本の最高裁は至聖廟を宗教的施設との判断を示した[32]


注釈

  1. ^ なお儒教を宗教として信仰せずに儒教を研究する学者は、「儒学者」といわずに、「儒教研究者」と呼ぶべきとする見方もある[要出典]。ただし京都大学教授の吉川幸次郎や、評論家の呉智英は、自らを儒者であると主張し、儒教の立場からさまざまな立論を行っている。

出典

  1. ^ 『礼記・中庸』
  2. ^ 荘子天運篇
  3. ^ 朱子・語類巻14より。これは即ち、四書の読み順まで記している。(儒教の世界観においては)天から与えられた至徳を明らかにする事、知を致し物に格る。中こそは天下の大本であり、和こそは天下の達道である。中と和を極致に達せしめた時、天地の秩序は定まり、万物は生成発展する。儒教の目的とその目的達成への目標が掲げられたのが「三綱領」・「八条目」であり、朱熹は道統論を唱え自らの「学」の正当性を主張した。堯舜孔孟に「御目にはかかわらずとも、あの道理が心へ来れば道統、朱子の理与心と云はるるが大切の事なり。孟子の後あとの賑かな漢の経術に斯く云は見て取たるに極まる。偖、文章は下卑たこと。孟子と文選幷べたときに、文の上では腕押しなり(=孟子を文選の上位に置く事は愚かしき事)。韓氏が見て、孟子の後道を得たもの無し、と。そこで程子のみ来て、非是蹈襲前人云々なり。道統は中庸の心法、それは大学の事。其致知がすま子ば道統は得られぬ。」
  4. ^ 土田健次郎『儒教入門』(新)東京大学出版会、2011年12月19日、29頁。ISBN 978-4-13-013150-6 
  5. ^ 孔祥林『図説孔子』(新)科学出版社〈国書刊行会〉、2014年12月22日、113頁。ISBN 978-4-336-05848-5 
  6. ^ 高畑常信『中国思想の理想と現実』(新)木耳社、2014年10月6日、31頁。ISBN 978-4-8393-7187-6 
  7. ^ 『周礼・春官宗伯』
  8. ^ 論語 衛霊公第十五 10
  9. ^ 『論語』の泰伯篇
  10. ^ 『易経 下繫辭傳』 Archived 2012年3月13日, at the Wayback Machine.
  11. ^ 胡適論文「説儒」(1924年
  12. ^ 白川「孔子伝」
  13. ^ 史記』孔子世家
  14. ^ a b 『世界哲学史2』(ちくま新書、2020年)119-121ページ
  15. ^ a b 『世界哲学史2』121-123ページ
  16. ^ 湯浅邦弘『概説中国思想史』(新)ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ書房〉、2010年、87頁。ISBN 978-4-623-05820-4 
  17. ^ 吾妻重二『宋代思想の研究』(新)関西大学出版部〈遊文舎〉、2009年3月18日、72頁。ISBN 978-4-87354-468-7 
  18. ^ 湯浅邦弘『概説中国思想史』(新)ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ書房〉、2010年10月25日、116頁。ISBN 978-4-623-05820-4 
  19. ^ 湯浅邦弘『概説中国思想史』(新)ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ書房〉、2010年10月25日、264頁。ISBN 978-4-623-05820-4 
  20. ^ 園田茂人 『不平等国家 中国--自己否定した社会主義のゆくえ』 中央公論新社、2008年5月25日、177-178頁。ISBN 9784121019509
  21. ^ What can we learn from Confucianism? Daniel A Bell guardian.co.uk, Sunday 26 July 2009]。 2006年の記事
  22. ^ 黄俊傑; 阮金山 (2009). “〈越南儒學資料簡介〉” (中国語). 《台灣東亞文明研究學刊》 12: 221-226. オリジナルの2014-10-21時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141021124223/http://www.eastasia.ntu.edu.tw/member/eastasia/temp/6-2/6-2-9.pdf 2019年3月3日閲覧。. 
  23. ^ 朱子学の伝統は現代社会の危機を救える | ハフポスト LIFE
  24. ^ 子安室邦 1993「儒教にとっての近代J 『季刊 日本思想史』 41号
  25. ^ 奥谷 浩一「丸山眞男の日本思想史論の問題点」『札幌学院大学総合研究所紀要』p.63
  26. ^ 永井 和「戦後マルクス主義のアジア認識
  27. ^ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞 〈アジア的〉ということ
  28. ^ a b c 大橋松行「東アジアにおける近代化と儒教倫理」『佛教大学総合研究所紀要』第6号、佛教大学総合研究所、1999年3月、79-89頁、ISSN 1340-5942NAID 120007022442 
  29. ^ 「中世ジャップランド」と「ヘル朝鮮」──SMAPとJYJで繋がった日韓のネットスラングの共通性(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
  30. ^ 湯浅赳男『面白いほどよくわかる 世界の哲学・思想のすべて』日本文芸社、平成17年2月1日改訂第1版、ISBN 4-537-11501-7、p72
  31. ^ 加地伸行 『沈黙の宗教-儒教』 筑摩書房〈ちくまライブラリー〉/ 改訂版・ちくま学芸文庫、2011年
  32. ^ 孔子まつる那覇の施設 使用料免除は憲法違反 最高裁大法廷 | 憲法 | NHKニュース






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