天皇時代とは? わかりやすく解説

天皇時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 17:35 UTC 版)

後桜町天皇」の記事における「天皇時代」の解説

宝暦12年1762年)、異母弟桃園天皇遺詔受けて践祚。だが、実際に桃園天皇皇子英仁親王(のちの後桃園天皇)が5歳幼さであったこと、桃園天皇治世末期生じた宝暦事件では、天皇幼い頃から自分付き従っていた側近たちを擁護して側近追放要請した摂関家との対立関係陥ったことから、英仁親王即位した場合に同じ事態繰り返されることが憂慮された。このため五摂家当主らが秘かに宮中会議開き英仁親王将来における皇位継承前提に、中継ぎとしての新天皇を擁立することを決定し天皇異母姉である智子内親王英仁親王血縁近く政治的に中立であるということで、桃園天皇遺詔があったということにして即位要請したのである。ただし、英仁親王即位回避され背景について研究者の間でも意見多少違いがあり、幼帝即位によって新たな側近衆の台頭警戒したという説、英仁親王への直系継承支え仙洞太上天皇)の存在が必要とされたからだという説、英仁親王養育生母である一条富子関与求めた当時慣例では天皇母后同居しないことになっており、英仁即位すると富子が養育に関われなくなる)からだという説が出されている。 この決定は、皇位継承のような重大事事前に江戸幕府諮るとした禁中並公家諸法度規定にも拘らず、「非常事態」を理由幕府に対して事後報告の形で進められた。また、明正天皇以来119年ぶりの女帝誕生となった即位および大嘗祭は男帝同様に挙行された。女帝礼服即位用の正装)と束帯通常の正装・男帝の黄櫨染に相当)は明正天皇の例に従って白の無地用いた礼服はほぼ男子礼服準じた形式で(纐纈裳が加わる)、束帯は裳唐衣五衣いわゆる十二単であった明正天皇時にはまだ復興していなかった大嘗祭新嘗祭装束としては、御斎服・帛御服があるが、前者男子同様の仕立て髪型大垂髪であることだけが異なり後者は白平絹の裳唐衣五衣である。普段大腰袴姿であった。 代初め小朝拝にも出御在位中は正月諸礼などの対面儀礼にも出御することが多かった。しかし例年節会出御少なく新嘗祭出御譲位直前1度だけであった。また庭上降りる四方拝も、御座設けるものの出御及ばないであった基本的には男帝と同じ儀礼をこなしながらも、種々の便宜上出御見合わせることも多かったようである。なお、譲位後色物装束着用しており、その控え裂が國學院大學所蔵されている。

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天皇時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:09 UTC 版)

徳仁」の記事における「天皇時代」の解説

2019年平成31年4月30日午後12時天皇の退位等に関する皇室典範特例法に従って第125代天皇明仁退位し2019年令和元年5月1日午前0時皇太子徳仁親王第126代天皇即位した先帝明仁同日上皇となった仁孝天皇以来およそ202年ぶり、かつ、一世一元の制となった明治以降初めて、先帝からの譲位に伴い即位した天皇となったまた、59歳数え60歳)での即位は、光仁天皇61歳数え62歳)に次ぐ、歴代2番目となる高齢での即位である。 天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日休日とする法律により、2019年5月1日は「天皇の即位の日」、同年10月22日は「即位礼正殿の儀が行われる日」とされ、共に同年限り祝日扱い休日となる。 なお皇太子徳仁親王天皇即位に伴い、「皇太子」は、1926年大正15年/昭和元年12月25日大正天皇崩御による昭和天皇即位から1933年昭和8年12月23日の父の上皇(継宮明仁親王)の誕生するまで以来86年ぶりで、現行の皇室典範の下では初めて「空位となった。代わって、皇弟秋篠宮文仁親王皇嗣皇位継承順位第1位となった即位の日、天皇赤坂御所から皇居宮殿向かい即位の礼最初儀式である「剣璽等承継の儀」に臨んだ。これには、皇位継承資格有する成年男性皇族皇弟秋篠宮文仁親王と皇叔父常陸宮正仁親王、その他三権の長内閣総理大臣安倍晋三衆議院議長大島理森参議院議長伊達忠一最高裁判所長官大谷直人)や閣僚らが参列その後に、皇后雅子をはじめ、皇嗣となった文仁親王妃紀子ら、成年女性皇族らも参列加わって行われた即位後朝見の儀」において、天皇として初めて「おことば」を述べた5月4日には新天皇の即位奉祝する一般参賀皇居行われ、「おことば」を述べた。 「明仁から徳仁への皇位継承」も参照 5月9日第198回国会常会衆議院は、即位祝意を示す「賀詞」を全会一致議決した5月15日参議院同様の賀詞」を全会一致決議し日本共産党も、衆議院では条件付きで、参議院では異論なしに賛成した5月9日離任する駐日中華人民共和国大使程永華即位後初の外国賓客引見行い国際親善公務開始した5月10日財務省は、天皇陛下御即位記念貨幣一万円金貨幣および五百円バイカラー・クラッド貨幣)の発行発表した5月25日から28日日程で、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ及び夫人メラニア・トランプアメリカ合衆国のファーストレディ)が、令和時代初の国賓として訪日した天皇徳仁5月1日即位後初の国賓として接遇した。5月27日に、徳仁ドナルド・トランプ雅子メラニア・トランプ15分ほどの会見行い、主に父帝退位自身即位日米交流26日大統領夫妻相撲観戦など日本文化3つ話題になった一方雅子メラニアとの間では、子供教育スポーツ大統領夫人取り組んでいる青少年育成活動に関することなどが話題上り外国滞在外交官としての勤務経験有する皇后雅子は、通訳介さず会話した会見では贈り物の「御贈進品」の交換行われた天皇徳仁皇后雅子大統領に濃い青色円すい形飾り鉢を、メラニア夫人へは金細工施した飾り箱を、それぞれ贈呈した大統領夫妻からは徳仁にはアメリカウェストヴァージニア州楽器職人1938年製作したビオラが、雅子にはハーバード大学伐採した樹木創作されペンが、それぞれ贈呈された。贈呈されビオラについて、雅子が「陛下今夜お弾きなられたら」と話すと、徳仁笑顔見せ場面もあった。また同日皇居宮殿行われた、「アメリカ合衆国大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐」にて「おことば」を述べた2019年令和元年10月22日皇居宮殿正殿松の間にて即位の礼中心儀式である即位礼正殿の儀執り行われた。 同年11月9日皇居前広場にて開催された「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」に際し皇后雅子とともに二重橋に姿を見せ、「おことば」を述べた同年11月10日皇居から赤坂御用地までオープンカーによるパレードを行う「祝賀御列の儀」が執り行われた。 同年11月14日及び15日に、一世一度宮中祭祀である大嘗祭中心儀式大嘗宮の儀」を実施同年12月4日天皇徳仁皇后雅子皇居宮中三殿賢所で、皇位継承に伴う一連の国事行為即位の礼」と、一世一度の重要祭祀大嘗祭」を終え皇祖神天照大神感謝込めて神楽演奏する賢所御神楽の儀」に臨んだ同年5月から続いていた即位関連儀式締めくくりとして行われ皇嗣秋篠宮文仁親王、同妃紀子はじめとする皇族参列した儀式では神楽演奏前に16時半頃、黄櫨染御袍に身を包んだ天皇徳仁賢所にて、三種の神器のうち剣璽(剣と勾玉)を捧げ持つ侍従と共にゆっくりと回廊進み拝礼した。続いて十二単装束着用した皇后雅子拝礼参列皇族賢所の前で拝礼した。これに先立ち天皇・皇后同日午前即位の礼大嘗祭終了したことを奉告する「親謁の儀」で宮中三殿拝礼した。同年5月1日天皇皇位継承の証として三種の神器一部引き継ぐ剣璽等承継の儀」から始まった一連の即位関連儀式はこれで全て終了した天皇徳仁皇后雅子即位前の2018年撮影2019年令和元年5月1日即位日に、御料車赤坂御所皇居間を移動する天皇と皇后 新天即位を祝う一般参賀皇居宮殿長和殿2019年5月4日訪日中の米国大統領ドナルド・トランプと同夫人メラニア招いて宮中晩餐会2019年5月27日即位礼正殿の儀2019年10月22日饗宴の儀2019年10月31日祝賀御列の儀2019年11月10日祝賀御列の儀集まった観衆 即位後の1年間で、両親の上皇明仁・上皇后美智子から公務引き継ぎ皇后同伴での日本各地への行幸啓式典等含む)をした。2019年令和元年)は、「第70回全国植樹祭」(6月2日愛知県森林公園)、「地球科学リモートセンシング国際シンポジウム2019開会式」(7月29日パシフィコ横浜)、「全国戦没者追悼式」(8月15日日本武道館)、「第39回全国豊かな海づくり大会」(9月8日秋田県立武道館)、「第34回国民文化祭第19回全国障害者芸術・文化祭」(9月16日朱鷺メッセ)、「第74回国民体育大会」(9月28日笠松運動公園陸上競技場)、「第60回海外日系人大会記念式典」(10月1日憲政記念館)、「更生保護制度施行70周年記念全国大会」(10月7日東京国際フォーラム)、2020年令和2年)は、「国立障害者リハビリテーションセンター及び国立職業リハビリテーションセンター創立40周年記念式典」(1月22日国立障害者リハビリテーションセンター)への臨席にて、「おことば」を述べた(「地球科学リモートセンシング国際シンポジウム2019開会式」のみ、英語による)。 2019年令和元年12月26日同年10月発生令和元年台風第19号などの被災地見舞うため、皇后同伴宮城県福島県日帰り訪問した天皇・皇后被災地訪問同年5月徳仁即位後、初の機会となった10人が犠牲となった宮城県伊具郡丸森町にて、阿武隈川支流氾濫し流木土砂が残る地区視察した仮設住宅集会所では被災者に声をかけ、災害対応尽力した関係者ねぎらう福島県本宮市では、決壊した安達太良川堤防復旧状況視察した後、台風19号発災後避難所として使用されていた保健福祉施設訪問し被災者気遣う言葉をかけた。 2020年令和2年1月1日即位後初の正月迎え重要な年始の宮中祭祀である四方拝歳旦祭の儀に臨む。その後皇后雅子とともに新年祝賀の儀に臨む。1月2日退位後初め公の場に姿を見せ両親の上皇・上皇后とともに新年一般参賀に臨む。1月3日元始祭の儀に臨む。1月14日講書始の儀1月16日歌会始の儀に他の皇族とともに臨む。 同年1月25日皇后雅子愛子内親王同伴両国国技館東京都墨田区)を訪問し大相撲初場所14日目の取組観戦した徳仁雅子大相撲観戦2017年平成29年5月以来で、天皇即位後初の天覧相撲となる。愛子内親王2007年平成19年9月以来観戦となった同年2月10日三の丸尚蔵館での御即位記念特別展令和御代迎えて」を皇后雅子同伴鑑賞同年2月23日即位後初の天皇誕生日60歳還暦)を迎える。同日実施予定皇居での令和時代最初天皇誕生日一般参賀は、新型コロナウイルス感染拡大の影響のため中止となる。その2日前2月21日赤坂御所での記者会見に臨む。 同年4月6日宮内庁は、天皇即位に伴う社会福祉事業への寄付について、政府創設した子供の未来応援基金」と、国やボランティア団体調整役などを担うNPO法人特定非営利活動法人)「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク」に、それぞれ5千万円ずつ行うことを発表した寄付金天皇私的なお手元金」から拠出され、それぞれ子供の貧困問題関連事業と、被災者支援関連事業充てられるという。宮内庁池田憲治次長同日定例会見で「天皇皇后陛下は、子供の貧困問題と、平成時に数多く発生した災害契機役割高まっているボランティアによる被災者支援対す国民理解が深まることを願われている」と述べた日本国憲法第8条では皇室寄付をする場合国会の議決が必要と規定寄付額が年間1800万円超える場合適用される同年3月第201回国会常会参議院本会議で、天皇4月30日までの間、社会福祉事業1億以内寄付をすることを可能とする議決案を可決した父帝即位の際にも、児童福祉障害者支援の2団体に5千万円ずつ計1億円が寄付された。 4月10日天皇・皇后住居赤坂御所政府新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長尾身茂招き尾身による進講として約1時間半にわたり国内外感染状況などについて説明受けた徳仁冒頭医療関係者らに感謝示した上で、「私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症抑え込み現在の難し状況乗り越えていくことを心から願っています」と述べた徳仁雅子メモ取りながら、「どうすれば医療崩壊防げるか」などについて積極的に質問し、「国民一丸となって乗り越えなければならないですね」などと話した新型コロナウイルスCOVID-19感染拡大巡っては、天皇徳仁皇后雅子同年3月愛子内親王学習院女子高等科卒業に際して公表した文書でも「我が国国民、そして世界多く人々直面している様々な困難や苦労深く思い致しています」と憂慮していた。 2021年令和3年1月2日実施予定であった恒例行事である皇居での新年一般参賀新型コロナウイルス感染拡大により、中止となったその代わり1月1日に、国民向けて天皇徳仁皇后雅子新年ビデオメッセージを送った2021年令和3年6月24日に、西村泰彦宮内庁長官より(2週間1度行われる定例記者会見で、「自身今上天皇)が名誉総裁開催宣言をする五輪開催が、新型コロナウイルス感染拡大つながらないかと心配・懸念していると拝察する」旨の発言があった。 2021年令和3年7月23日オリンピック・スタジアム国立競技場)で行われた2020年東京オリンピックの開会式臨席し、開催国国家元首として「私はここに第32回近代オリンピアード記念する東京大会開会宣言します。」と開会宣言行った。これには、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言にあって、「祝う」といった祝祭感を表現する文言避けられた。天皇による近代オリンピック開会式での開会宣言は、1964年東京オリンピック1972年札幌オリンピックでの祖父昭和天皇1998年長野オリンピックでの父・明仁上皇)に続いて4回目となった2021年令和3年9月20日皇后雅子長女愛子内親王一家引っ越しに伴う荷物搬送作業終了したため、一時滞在していた皇居内の宮殿出て御所入居した一連の引っ越し終了となり、今上天皇一家御所居住し始めた御所2020年令和2年3月両親の上皇明上皇后美智子夫妻仙洞仮御所東京都港区)に引っ越しした後、2021年6月まで改修工事が行われた。今上天皇一家9月6日に旧赤坂御所出発皇位とともに受け継がれる剣と璽が御所納められた後、荷物搬送作業中は宮殿滞在していた。宮殿には宿泊設備がないため、寝具などは事前に運び込まれた。側近によると、今上天皇皇后雅子愛子内親王滞在中、御所訪れて作業に当たる職員らをねぎらったという。旧赤坂御所今後改修工事経て上皇夫妻移り住む

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