天皇時代
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宝暦12年(1762年)、異母弟桃園天皇の遺詔を受けて践祚。だが、実際には桃園天皇の皇子英仁親王(のちの後桃園天皇)が5歳の幼さであったこと、桃園天皇治世末期に生じた宝暦事件では、天皇が幼い頃から自分に付き従っていた側近たちを擁護して側近の追放を要請した摂関家との対立関係に陥ったことから、英仁親王が即位した場合に同じ事態が繰り返されることが憂慮された。このため、五摂家の当主らが秘かに宮中で会議を開き、英仁親王の将来における皇位継承を前提に、中継ぎとしての新天皇を擁立することを決定し、天皇の異母姉である智子内親王が英仁親王と血縁が近く、政治的にも中立であるということで、桃園天皇の遺詔があったということにして即位を要請したのである。ただし、英仁親王の即位が回避された背景については研究者の間でも意見に多少の違いがあり、幼帝の即位によって新たな側近衆の台頭を警戒したという説、英仁親王への直系継承を支える仙洞(太上天皇)の存在が必要とされたからだという説、英仁親王の養育に生母である一条富子の関与を求めた(当時の慣例では天皇と母后は同居しないことになっており、英仁が即位すると富子が養育に関われなくなる)からだという説が出されている。 この決定は、皇位継承のような重大事は事前に江戸幕府に諮るとした禁中並公家諸法度の規定にも拘らず、「非常事態」を理由に幕府に対しても事後報告の形で進められた。また、明正天皇以来119年ぶりの女帝誕生となった。 即位および大嘗祭は男帝同様に挙行された。女帝の礼服(即位用の正装)と束帯(通常の正装・男帝の黄櫨染に相当)は明正天皇の例に従って白の無地を用いた。礼服はほぼ男子の礼服に準じた形式で(纐纈裳が加わる)、束帯は裳唐衣五衣のいわゆる十二単であった。明正天皇の時にはまだ復興していなかった大嘗祭・新嘗祭の装束としては、御斎服・帛御服があるが、前者は男子同様の仕立てで髪型が大垂髪であることだけが異なり、後者は白平絹の裳唐衣五衣である。普段は大腰袴姿であった。 代初めの小朝拝にも出御、在位中は正月の諸礼などの対面儀礼にも出御することが多かった。しかし例年の節会の出御は少なく、新嘗祭の出御は譲位直前の1度だけであった。また庭上に降りる四方拝も、御座は設けるものの出御に及ばない例であった。基本的には男帝と同じ儀礼をこなしながらも、種々の便宜上出御を見合わせることも多かったようである。なお、譲位後は色物の装束を着用しており、その控え裂が國學院大學に所蔵されている。
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天皇時代
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2019年(平成31年)4月30日午後12時、天皇の退位等に関する皇室典範特例法に従って第125代天皇明仁が退位し、2019年(令和元年)5月1日午前0時、皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位した。先帝・明仁は同日、上皇となった。 仁孝天皇以来およそ202年ぶり、かつ、一世一元の制となった明治以降初めて、先帝からの譲位に伴い即位した天皇となった。また、59歳(数え60歳)での即位は、光仁天皇の61歳(数え62歳)に次ぐ、歴代で2番目となる高齢での即位である。 天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律により、2019年5月1日は「天皇の即位の日」、同年10月22日は「即位礼正殿の儀が行われる日」とされ、共に同年限りで祝日扱いの休日となる。 なお皇太子徳仁親王の天皇即位に伴い、「皇太子」は、1926年(大正15年/昭和元年)12月25日の大正天皇崩御による昭和天皇の即位から1933年(昭和8年)12月23日の父の上皇(継宮明仁親王)の誕生するまで以来86年ぶりで、現行の皇室典範の下では初めて「空位」となった。代わって、皇弟・秋篠宮文仁親王が皇嗣(皇位継承順位第1位)となった。 即位の日、天皇は赤坂御所から皇居宮殿に向かい、即位の礼最初の儀式である「剣璽等承継の儀」に臨んだ。これには、皇位継承資格を有する成年の男性皇族、皇弟の秋篠宮文仁親王と皇叔父の常陸宮正仁親王、その他三権の長(内閣総理大臣安倍晋三、衆議院議長大島理森、参議院議長伊達忠一、最高裁判所長官大谷直人)や閣僚らが参列。その後に、皇后雅子をはじめ、皇嗣妃となった文仁親王妃紀子ら、成年の女性皇族らも参列に加わって行われた「即位後朝見の儀」において、天皇として初めて「おことば」を述べた。5月4日には新天皇の即位を奉祝する一般参賀が皇居で行われ、「おことば」を述べた。 「明仁から徳仁への皇位継承」も参照 5月9日、第198回国会(常会)衆議院は、即位に祝意を示す「賀詞」を全会一致で議決した。5月15日、参議院も同様の「賀詞」を全会一致で決議し、日本共産党も、衆議院では条件付きで、参議院では異論なしに賛成した。 5月9日、離任する駐日中華人民共和国大使の程永華と即位後初の外国賓客の引見を行い、国際親善の公務を開始した。 5月10日、財務省は、天皇陛下御即位記念貨幣(一万円金貨幣および五百円バイカラー・クラッド貨幣)の発行を発表した。 5月25日から28日の日程で、アメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプ及び夫人メラニア・トランプ(アメリカ合衆国のファーストレディ)が、令和時代初の国賓として訪日した。天皇徳仁は5月1日の即位後初の国賓として接遇した。5月27日に、徳仁とドナルド・トランプ、雅子とメラニア・トランプが15分ほどの会見を行い、主に父帝の退位と自身の即位、日米の交流、26日の大統領夫妻の相撲観戦など日本文化の3つが話題になった。一方、雅子とメラニアとの間では、子供の教育やスポーツ、大統領夫人が取り組んでいる青少年育成活動に関することなどが話題に上り、外国滞在と外交官としての勤務経験を有する皇后雅子は、通訳を介さず会話した。会見では贈り物の「御贈進品」の交換も行われた。天皇徳仁・皇后雅子は大統領に濃い青色の円すい形の飾り鉢を、メラニア夫人へは金細工を施した飾り箱を、それぞれ贈呈した。大統領夫妻からは徳仁にはアメリカ、ウェストヴァージニア州の楽器職人が1938年に製作したビオラが、雅子にはハーバード大学で伐採した樹木で創作されたペンが、それぞれ贈呈された。贈呈されたビオラについて、雅子が「陛下、今夜お弾きになられたら」と話すと、徳仁が笑顔を見せる場面もあった。また同日に皇居宮殿で行われた、「アメリカ合衆国大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐」にて「おことば」を述べた。 2019年(令和元年)10月22日、皇居宮殿正殿・松の間にて即位の礼の中心儀式である即位礼正殿の儀が執り行われた。 同年11月9日、皇居前広場にて開催された「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」に際し、皇后雅子とともに二重橋に姿を見せ、「おことば」を述べた。 同年11月10日、皇居から赤坂御用地までオープンカーによるパレードを行う「祝賀御列の儀」が執り行われた。 同年11月14日及び15日に、一世一度の宮中祭祀である大嘗祭の中心儀式「大嘗宮の儀」を実施。 同年12月4日、天皇徳仁と皇后雅子は皇居宮中三殿の賢所で、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀「大嘗祭」を終え、皇祖神の天照大神に感謝を込めて神楽を演奏する「賢所御神楽の儀」に臨んだ。同年5月から続いていた即位関連儀式の締めくくりとして行われ、皇嗣秋篠宮文仁親王、同妃紀子をはじめとする皇族も参列した。儀式では神楽の演奏の前に、16時半頃、黄櫨染御袍に身を包んだ天皇徳仁が賢所にて、三種の神器のうち剣璽(剣と勾玉)を捧げ持つ侍従らと共にゆっくりと回廊を進み、拝礼した。続いて、十二単の装束を着用した皇后雅子も拝礼。参列の皇族も賢所の前で拝礼した。これに先立ち、天皇・皇后は同日午前、即位の礼と大嘗祭を終了したことを奉告する「親謁の儀」で宮中三殿に拝礼した。同年5月1日、天皇が皇位継承の証として三種の神器の一部を引き継ぐ「剣璽等承継の儀」から始まった一連の即位関連儀式はこれで全て終了した。 天皇徳仁と皇后雅子(即位前の2018年撮影) 2019年(令和元年)5月1日の即位日に、御料車で赤坂御所と皇居間を移動する天皇と皇后 新天皇即位を祝う一般参賀、皇居・宮殿長和殿(2019年5月4日) 訪日中の米国大統領ドナルド・トランプと同夫人メラニアを招いての宮中晩餐会(2019年5月27日) 即位礼正殿の儀(2019年10月22日) 饗宴の儀(2019年10月31日) 祝賀御列の儀(2019年11月10日) 祝賀御列の儀に集まった観衆 即位後の1年間で、両親の上皇明仁・上皇后美智子から公務を引き継ぎ、皇后同伴での日本各地への行幸啓(式典等含む)をした。2019年(令和元年)は、「第70回全国植樹祭」(6月2日:愛知県森林公園)、「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019開会式」(7月29日:パシフィコ横浜)、「全国戦没者追悼式」(8月15日:日本武道館)、「第39回全国豊かな海づくり大会」(9月8日:秋田県立武道館)、「第34回国民文化祭・第19回全国障害者芸術・文化祭」(9月16日:朱鷺メッセ)、「第74回国民体育大会」(9月28日:笠松運動公園陸上競技場)、「第60回海外日系人大会記念式典」(10月1日:憲政記念館)、「更生保護制度施行70周年記念全国大会」(10月7日:東京国際フォーラム)、2020年(令和2年)は、「国立障害者リハビリテーションセンター及び国立職業リハビリテーションセンター創立40周年記念式典」(1月22日:国立障害者リハビリテーションセンター)への臨席にて、「おことば」を述べた(「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019開会式」のみ、英語による)。 2019年(令和元年)12月26日、同年10月発生の令和元年台風第19号などの被災地を見舞うため、皇后同伴で宮城県と福島県を日帰りで訪問した。天皇・皇后の被災地訪問は同年5月の徳仁即位後、初の機会となった。10人が犠牲となった宮城県伊具郡丸森町にて、阿武隈川の支流が氾濫し、流木や土砂が残る地区を視察した。仮設住宅の集会所では被災者に声をかけ、災害対応に尽力した関係者もねぎらう。福島県本宮市では、決壊した安達太良川堤防の復旧状況を視察した後、台風19号の発災後に避難所として使用されていた保健・福祉施設を訪問し、被災者を気遣う言葉をかけた。 2020年(令和2年)1月1日、即位後初の正月を迎え、重要な年始の宮中祭祀である四方拝、歳旦祭の儀に臨む。その後、皇后雅子とともに新年祝賀の儀に臨む。1月2日、退位後初めて公の場に姿を見せる両親の上皇・上皇后とともに新年一般参賀に臨む。1月3日、元始祭の儀に臨む。1月14日に講書始の儀、1月16日に歌会始の儀に他の皇族らとともに臨む。 同年1月25日、皇后雅子と愛子内親王同伴で両国国技館(東京都墨田区)を訪問し、大相撲初場所14日目の取組を観戦した。徳仁と雅子の大相撲観戦は2017年(平成29年)5月以来で、天皇即位後初の天覧相撲となる。愛子内親王は2007年(平成19年)9月以来の観戦となった。 同年2月10日、三の丸尚蔵館での御即位記念特別展「令和の御代を迎えて」を皇后雅子同伴で鑑賞。 同年2月23日、即位後初の天皇誕生日で60歳(還暦)を迎える。同日実施予定の皇居での令和時代最初の天皇誕生日一般参賀は、新型コロナウイルス感染拡大の影響のため中止となる。その2日前の2月21日、赤坂御所での記者会見に臨む。 同年4月6日、宮内庁は、天皇即位に伴う社会福祉事業への寄付について、政府が創設した「子供の未来応援基金」と、国やボランティア団体の調整役などを担うNPO法人(特定非営利活動法人)「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク」に、それぞれ5千万円ずつ行うことを発表した。寄付金は天皇の私的な「お手元金」から拠出され、それぞれ子供の貧困問題関連事業と、被災者支援関連事業に充てられるという。宮内庁の池田憲治次長は同日の定例会見で「天皇、皇后両陛下は、子供の貧困問題と、平成時に数多く発生した災害を契機に役割が高まっているボランティアによる被災者支援に対する国民の理解が深まることを願われている」と述べた。日本国憲法第8条では皇室が寄付をする場合、国会の議決が必要と規定、寄付額が年間1800万円を超える場合に適用される。同年3月の第201回国会(常会)参議院本会議で、天皇が4月30日までの間、社会福祉事業へ1億円以内の寄付をすることを可能とする議決案を可決した。父帝の即位の際にも、児童福祉と障害者支援の2団体に5千万円ずつ計1億円が寄付された。 4月10日、天皇・皇后は住居の赤坂御所に政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長尾身茂を招き、尾身による進講として約1時間半にわたり国内外の感染状況などについて説明を受けた。徳仁は冒頭、医療関係者らに感謝を示した上で、「私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」と述べた。徳仁・雅子はメモを取りながら、「どうすれば医療崩壊を防げるか」などについて積極的に質問し、「国民が一丸となって乗り越えなければならないですね」などと話した。 新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大を巡っては、天皇徳仁と皇后雅子は同年3月、愛子内親王の学習院女子高等科卒業に際して公表した文書でも「我が国の国民、そして世界の多くの人々が直面している様々な困難や苦労に深く思いを致しています」と憂慮していた。 2021年(令和3年)1月2日に実施予定であった恒例行事である皇居での新年一般参賀は新型コロナウイルス感染拡大により、中止となった。その代わりに1月1日に、国民に向けて天皇徳仁と皇后雅子が新年ビデオメッセージを送った。 2021年(令和3年)6月24日に、西村泰彦宮内庁長官より(2週間に1度行われる)定例記者会見で、「自身(今上天皇)が名誉総裁で開催宣言をする五輪の開催が、新型コロナウイルス感染拡大につながらないかと心配・懸念していると拝察する」旨の発言があった。 2021年(令和3年)7月23日にオリンピック・スタジアム(国立競技場)で行われた2020年東京オリンピックの開会式に臨席し、開催国の国家元首として「私はここに第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します。」と開会宣言を行った。これには、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言下にあって、「祝う」といった祝祭感を表現する文言は避けられた。天皇による近代オリンピック開会式での開会宣言は、1964年東京オリンピック・1972年札幌オリンピックでの祖父・昭和天皇、1998年長野オリンピックでの父・明仁(上皇)に続いて4回目となった。 2021年(令和3年)9月20日、皇后雅子と長女の愛子内親王の一家で引っ越しに伴う荷物の搬送作業が終了したため、一時滞在していた皇居内の宮殿を出て、御所に入居した。一連の引っ越しは終了となり、今上天皇一家は御所に居住し始めた。御所は2020年(令和2年)3月、両親の上皇明仁上皇后美智子夫妻が仙洞仮御所(東京都港区)に引っ越しした後、2021年6月まで改修工事が行われた。今上天皇一家は9月6日に旧赤坂御所を出発。皇位とともに受け継がれる剣と璽が御所に納められた後、荷物の搬送作業中は宮殿に滞在していた。宮殿には宿泊設備がないため、寝具などは事前に運び込まれた。側近によると、今上天皇皇后雅子と愛子内親王は滞在中、御所を訪れて作業に当たる職員らをねぎらったという。旧赤坂御所は今後、改修工事を経て上皇夫妻が移り住む。
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