内地とは? わかりやすく解説

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ない‐ち【内地】

読み方:ないち

一国領土内の土地国内

もと樺太(からふと)・千島列島朝鮮琉球台湾などに対して日本の本来の領土である本州四国九州北海道本土。「—へ引き揚げる」⇔外地

北海道沖縄本州をさしていう。

海岸から遠く入った内部土地内陸

「内地」に似た言葉

ないち

いち【内地】[名] 本州または本州四国九州のこと。〈中(全)〉 →がいち ~市販されている北海道産米の包装に「内地米」と記されているのを見て怪訝(けげん)感じる人が少なくない或いは,「『内地米と書いてあるけどあてになんないよ。」と思っている人がいる。

内地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 10:01 UTC 版)

日本における内地(ないち)とは、憲法が定める通常の法律が行われる区域を指し、旧憲法下においては千島列島南樺太北海道本州四国九州伊豆諸島小笠原諸島南西諸島及び前記の付属島嶼がこれに該当した[1]。本土とも呼ばれた[1]

これらは行政及び法律共通法第1条)上日本の本土(本国)とされていた地域だった。内地に対義する地域は一般に外地と称されたが、「内地」が共通法に基づく法的用語だったのに対し、「外地」は法律に規定された用語では無かった[注釈 1]

共通法による扱い

「内地」という地域概念は、明治維新以降、日本の領土が拡大する過程で生み出された。なお、共通法制定以前にも、蝦夷地を北海道として1869年に編入、琉球処分琉球王国沖縄県として[注釈 2]1879年に併合している。

1895年、日本は台湾領土に編入したが、その際に台湾の統治機構として台湾総督府を設置した。その為、日本の領土は施行される法令の形式・内容が台湾とその他日本政府の直轄地域とで異なる事態となった。その後、適用法令の異なる地域が更に増えたことで統一的に法令を運用するための法規範が必要となり、法令の適用範囲・適用関係の確定及び各地域間の連絡統一を目的として、1918年共通法大正7年法律第39号)が制定(同年4月17日施行)された。

その際、日本の統治権が及ぶ地域は同法第1条によって下記の通りに分類され、初めて法的に内地の定義が為された。

  • 大正7年法律第39号版[2]
本法ニ於テ地域ト稱スルハ内地、朝鮮、臺灣又ハ關東州ヲ謂フ
前項ノ内地ニハ樺太ヲ包含ス
  • 大正12年法律第25号版[3]
本法ニ於テ地域ト稱スルハ内地、朝鮮、臺灣、關東州又ハ南洋群島ヲ謂フ
前項ノ内地ニハ樺太ヲ包含ス

なお、共通法は2025年現在に至るまで廃止の措置を採られていないが、日本国との平和条約1952年4月28日発効)で日本は外地における全ての権利権原及び請求権を放棄したため、国際法上はもとより、国内法解釈の上でも外国条約尊重義務の観点から(日本国憲法98条2項)事実上失効の扱いを受けているとするのが通説である。

内地の範囲

共通法による範囲

共通法上の内地に該当する範囲は、法律が施行された1918年4月17日時点で下記の通りである[要出典]。この範囲は、日本国との平和条約発効によって日本から外地が正式に消失した1952年(昭和27年)4月28日までは、法律上は一度も変更されることが無かった。

GHQによる範囲

1945年日本が連合国に降伏すると、GHQポツダム宣言に基づいて1946年SCAPIN(SCAPIN-677)を発令し、日本政府行政権が及ぶ範囲を制限した。その際、共通法上の内地は基本的に「日本の範囲に含まれる地域」か「日本の範囲から除かれる地域」のいずれかに分類されたが、下記の点が共通法と異なっていた。[要出典]

共通法による内地の特徴

共通法上の内地には以下の特徴が見られる。

内地の戦後

共通法に規定する内地とされていた地域は、日本国との平和条約により放棄した外地を除き、戦後も基本的に日本の国土を構成し続けている。しかし、放棄した外地以外の内地の領域についても、平和条約に基づき、または日本が降伏した影響から、実効支配を喪失していた、またはしている地域がある。

占領 - 降伏 - SCAPINまで

日本本土の戦いからポツダム宣言受諾を経て降伏文書調印(1945年(昭和20年)9月2日)より以前に、連合国軍軍事占領された内地は以下の領域である。降伏文書調印により内地全体が占領下に入った。

占領統治を担うGHQ1946年から幾つかのSCAPINを発令したことで、日本の行政権が及ぶ内地は下記の範囲に制限された。

SCAPIN - 平和条約まで

SCAPIN677以降、内地のうち日本が行政権を喪失した地域は、日本国との平和条約の発効(1952年(昭和27年)4月28日)以降に下記のような変遷を辿った。

領土問題

これら地域のうち、千島列島ではその範囲に北方地域を含むか否か[注釈 3]北方領土問題が発生している。

また、竹島は平和条約上日本政府が主権を放棄する領土に最終的に含まれていない(とするのが米国および日本国の立場である[4])が、平和条約発効直前の1952年4月20日に、朝鮮戦争中(休戦前)の韓国軍事占領し、そのまま領土として占有し続けている(詳細は竹島問題参照)。竹島は連合国軍以外の勢力が武力で日本の主権を侵害した唯一の島である。

また、占領から平和条約締結までの流れとは無関係に、先島諸島のうち尖閣諸島について中華人民共和国台湾が領土権を主張している。なおこの実効支配については、沖縄戦以降本土復帰までは米国が、復帰以降は日本が維持している(とするのが米国および日本国の立場である)。

法律以外の用法

日本国との平和条約発効(1952年4月28日)によって外地を喪失したため、日本は全ての国土が共通法上の内地となり、法的な意味での「内地」・「外地」区分は無意味なものとなった。だが、「内地」という用語は共通法とは異なる意味合いで戦後も使われ続けた。

引き揚げ

ポツダム宣言により、日本の主権本州北海道九州四国ならびに連合国の決定する諸小島に限定され、それ以外の地域に居る在留邦人は引き揚げされることになった。その際に、日本の主権が及ばなくなった樺太千島列島朝鮮琉球北緯29度以南の南西諸島)、台湾等の地域との対比で、引き続き日本の主権が及ぶ地域を指して「内地」または「本土」と称した[5]

北海道・沖縄・奄美など

北海道沖縄県奄美群島伊豆諸島[6]小笠原諸島[7]などの一部地方で若干の意識の差異が認められるも、「内地」という言葉が民間でかつて使用され、あるいは現在でも通常一般に使用されている。これらの用法は、使用される地域が法的な意味の「外地」であったことが無く、本土復帰まで連合国占領されていた一時期を除いて、戦前より行政的にもその他「内地」と同様に扱われていたため、公には用いられない俗語的用法である。

北海道

北海道は中世以降、和人の入植が本格化し、江戸時代には、和人豪族の棟梁に起源をもつ松前藩が、渡島半島の和人地を拠点に、アイヌの居住地である蝦夷地(和人地以外の北海道・千島列島及び樺太)に交易による間接統治を行っていた。江戸時代後期に蝦夷地全体が江戸幕府の直接支配下に置かれ(1798年)、明治維新以後、1869年には太政官布告により北海道11国86郡を設置、日本に編入され、入植者が本格的に北海道を開拓した。

編入間もない時期には本州以南が「内地」と呼ばれていたが、北海道開拓使明治6年(1873年)6月に公文書上で「内地」という用語の使用を禁じ、「府県」の使用を通達し、中央政府の影響力が強い札幌とその周辺では「本州」という言い方が普及した[8]。この場合の「本州」については、北海道に隣接する本州島にだけ意識が働き、四国九州や当時の琉球は意識外であったと考えられる。一方、札幌周辺以外の地域ではその後も広く「内地」が広く使われ続けた歴史がある。

沖縄・奄美

沖縄は14世紀三山時代を経て琉球王国が成立、奄美は15世紀以降徐々に琉球王国の支配下に入った。1609年薩摩藩による琉球侵攻により、琉球王国は薩摩藩の間接統治下となり、日本(大和)の幕藩体制下に入った。奄美は薩摩藩の直轄統治となったが、名目上は琉球の領域とされた。明治維新後の琉球処分1879年)により琉球王国は日本へ併合され沖縄県が設置、奄美は鹿児島県に編入された。戦後、鹿児島県のトカラ列島(下七島)、奄美群島と沖縄県はアメリカの統治地域となり日本から施政権が一時的に分離された。平和条約発効と前後してトカラ列島(1952年)、奄美諸島(1953年)が本土復帰、沖縄県も1972年に日本へ復帰し今に至っている。

沖縄県では、「内地」の用法は青年層により顕著であり、沖縄方言等の「やまとぅ」と呼ぶ概念にほぼ相当する。より直接的にナイチャーという表現もある(ウチナーヤマトグチの項を参照)。しかし、報道や官公庁などでは「県外」という表現(例:県外移転など)が用いられている。

同様に奄美群島でも住民は九州島以北を「本土」や「内地」と表現することが多く、また奄美における「鹿児島」は鹿児島県の九州島部分或いは鹿児島市を暗に指す[9]。ただし、奄美群島は九州地方及び鹿児島県に属することから、この場合の「本土」については、離島と本土との対比における「本土」と考えられる[要出典]。なお、奄美や小笠原の返還は、公的にも「本土復帰」である。

その他

国内留学を「内地留学」と呼ぶ例がある[10]

脚注

注釈

  1. ^ 共通法では、「外地」に当たる地域をそれぞれ朝鮮台湾関東州又は南洋群島」と個別に表記していた。
  2. ^ 奄美群島の領域の鹿児島県への(正式な)編入も同時と解される
  3. ^ 条約では千島列島の範囲について言及されておらず、日本樺太・千島交換条約を根拠に得撫島から占守島にかけての千島列島を指すと主張する一方、ロシア大クリル列島国後島から占守島にかけての千島列島)に小クリル列島色丹島及び歯舞群島)を併せた範囲を指すと主張している。

出典

  1. ^ a b 精選版 日本国語大辞典「内地」
  2. ^ 共通法”. ウィキソース. 2019年12月23日閲覧。
  3. ^ 共通法中改正 (大正12年法律第25号)”. ウィキソース. 2019年12月23日閲覧。
  4. ^ サンフランシスコ平和条約起草過程における竹島の扱い”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2020年9月26日閲覧。
  5. ^ goo辞書「内地」[1]
  6. ^ https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/hokeniryo/ts8
  7. ^ https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/07ogasawara/fish/kouyouindex/saiyou/ogasawara
  8. ^ 明治34年『殖民広報』1号掲載の「内地と云ふ用語」に記述。桑原真人「北海道の経営」『岩波講座日本通史第16巻 近代I』岩波書店、356頁。
  9. ^ 蔵満逸司、「本土、離島、内地、鹿児島……」『奄美まるごと小百科: 奄美をもっと楽しむ146項目』、pp186-187、2003年、鹿児島、南方新社
  10. ^ 平成一四年度特殊教育内地留学生の派遣申請について

関連項目

外部リンク


内地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 09:20 UTC 版)

Clear -クリア-」の記事における「内地」の解説

本土側の島での呼称作中では特に渡った先にある商店街周辺地域を指す。一地方都市に過ぎない島よりは便利で、深夜営業コンビニなど島には無い施設もあるため、この街まで買い出しに出る島民少なくはない。

※この「内地」の解説は、「Clear -クリア-」の解説の一部です。
「内地」を含む「Clear -クリア-」の記事については、「Clear -クリア-」の概要を参照ください。

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