木造不動明王坐像とは? わかりやすく解説

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木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1778
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉

主名称: 木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉
指定番号 239
枝番 00
指定年月日 1921.04.30(大正10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像(護摩堂安置)

主名称: 木造不動明王坐像(護摩堂安置
指定番号 247
枝番 00
指定年月日 1906.09.06(明治39.09.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 441
枝番 00
指定年月日 1938.08.26(昭和13.08.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に長和三年正月七日仏師僧盛忠等の銘がある
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 478
枝番 00
指定年月日 1900.04.07(明治33.04.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈/(護摩堂安置)〉

主名称: 木造不動明王坐像〈/(護摩堂安置)〉
指定番号 535
枝番 00
指定年月日 1909.04.05(明治42.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 597
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 778
枝番 00
指定年月日 1901.08.02(明治34.08.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 835
枝番 00
指定年月日 1909.04.05(明治42.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 862
枝番 00
指定年月日 1941.11.06(昭和16.11.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内ニ建仁三年五月四日巧匠安阿弥陀仏ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1203
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 875
枝番 00
指定年月日 1907.05.27(明治40.05.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈康助作/〉

主名称: 木造不動明王坐像〈康助作/〉
指定番号 3501
枝番 0
指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  巻髪に左目を眇めて牙上下出するいわゆる不動十九観様の面相をなし、右足踏み下げて坐す半丈六不動明王像である。後補の頂の下に七莎髻があり、頭頂がやや盛り上がる点などの特徴がある。右足踏み下げ不動明王平安鎌倉時代遡る彫像は現在知られておらず、画像では和歌山明王院本(重文)や新潟法光院本(重文)、仁和寺密教図像重文)中の不動明王童子像などがあるが、巻髪に莎髻を結い右足踏み下げにする形勢仁和寺本に一致する
 彫り浅く襞の数少ない衣文表現幾分穏やかな肉身表現等平安時代後期特徴あらわれているが、いっぽうで重量感ある像容現実感ある玉眼みられる力強い激し忿怒表現には、すでに鎌倉前期慶派仏師写実通じ表現うかがえる
 本像は安楽寿院不動堂後身伝え北向山不動院本堂安置される。この不動堂は、久寿二年(一一五五)、藤原忠実鳥羽安鎮のため、鳥羽安楽寿院建立した。『兵範記』等によれば同時に本像の他に二童子五部夜叉虚空蔵などの眷属像も製作されたという。中尊以外は現在失われているが、特殊な形勢不動図像とともに尊像構成のうえからも興味深く、さらに同書裏書等には仏舎利不動明王真言などの経巻類などが納入されていたことが知られるが、仏舎利はこの時期としては特異なもので、次世代にみる納入品が先駆的行われていたことがわかる。
 構造は、ヒノキかと思われる針葉樹材寄木造で、頭体別材製(内刳)のうえ、さらに頭部体幹部はそれぞれ上下二部構成される頭部では耳上で上下に、体幹部では胸・腹部の間で上下に各分かれ頭部それぞれ正中両耳後、体幹部も正中・両躰側の各四材矧ぎのうえ、体部背面背板風の左右二材を矧ぎ、さらに適宜各部材間にマチ材を挟むという複雑な構造をなす。両手肩・上半ば・肘・手首で各矧ぎ右手首先甲半ば縦に矧ぐ両足部は前後二材製(内刳)とする。また頭体幹部の接合を〓差しとはせず、頸部の辺り木口矧ぎにするのは、中尊寺一字金輪像重文)や奈良長岳寺阿弥陀三尊像仁平元年一一五一重文)の両脇侍にもみられるが、本像のような巨像には類例がない。玉眼嵌入する目の左方分は現在後補にかわっているものの、右方分の眼球を表す水晶当初なので、製作時より玉眼嵌めていたもの考えられる
 作者とされる康助文献史料の上から細かな材を矧ぎ合わせる寄せ法を行ったことが知られるが、本像の構造はそれに類するものといえよう。玉眼嵌入もこの時期としてはきわめて古例で、製作時期のわかるものでは長岳寺像に次ぐ二例目となる。
 康助定朝以後三代目正統派仏師であるが、鳥羽院政期という平安後期にあってこのような技法用い、かつ斬新な作風生み出していることはこの時期における奈良仏師先取性を示すもので、鎌倉様式確立考えるうえで誠に貴重な一作である。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 876
枝番 00
指定年月日 1907.05.27(明治40.05.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 878
枝番 00
指定年月日 1922.07.15(大正11.07.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 912
枝番 00
指定年月日 1900.04.07(明治33.04.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 935
枝番 00
指定年月日 1917.04.05(大正6.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 976
枝番 00
指定年月日 1917.04.05(大正6.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 999
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1060
枝番 00
指定年月日 1913.04.14(大正2.04.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈(伝運慶作)/〉

主名称: 木造不動明王坐像〈(伝運慶作)/〉
指定番号 1147
枝番 00
指定年月日 1899.08.01(明治32.08.01)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1156
枝番 00
指定年月日 1897.12.28(明治30.12.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1195
枝番 00
指定年月日 1914.08.25(大正3.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3511
枝番 0
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  頂八方二段)を戴き両目見開き歯牙下出する不動明王等身像である。巻髪毛筋あらわさない)にし、弁髪べんぱつ】が左耳後ろより捻れ垂れ面部両端より炎髪(三条)が天冠(列弁、紐二条正面花飾付)にかかる。眉根寄せ眉間に瘤をあらわし上歯牙で下唇を噛む。条帛、裙、腰布(折返一段、帯で結ぶ)を着け、臂釧(紐一条、列弁)、腕釧(連珠文帯の上下に紐一条、列弁。中央花飾付)を付ける。両腕は臂を屈し左手は胸の高さで掌を仰げて持物羂索)を執り右手膝上持物宝剣)を執る正面向き右足を上にして結跏趺坐する。
 頭体幹部をヒノキの一材(木心を背面中央やや右より籠める)、体部〓の造り出し造り両足部(横木一材製)に矧ぎ付け構造になる。両足部は地付から約一〇センチメートルの高さに内刳るが、体幹部には背刳り等を行わない両腕上膊外側、肘、手首で各矧ぐ
 弁髪左側頭部から左耳後ろ通って垂らすのは珍しく彫像には類例少ない。『不動図巻所収の玄朝【げんちょう】様不動御頭并二使者像(醍醐寺重文)に同様な図像認められ共通する時代的特徴うかがえる側頭部で炎髪が天冠にかかる形式奈良玄賓庵像(重文)や岡山勇山寺像(重文)等、一〇世紀末から一一世紀ころの類例見られる表現である。多様な図像存在した平安後期にあって新様の図像積極的に用いている。
 大きめ頭部図像的な特徴集中的にあらわし体部穏やかに仕上げられる。肩腕等は太く量感ある体躯京都同聚院像(寛弘三年一〇〇六、重文)、滋賀園城寺像(長和三年一〇一四重文)などに見る一一世紀前半ころにその製作が求められよう。
 神泉苑しんせんえん】は、平安京大内裏東南接して離宮として造営され遷都後まもなく桓武天皇が行幸して以来歴代天皇がしばしば行幸す天皇遊覧の場所であったその後弘仁のころに請雨修法が行われ、雨乞い修法の場として著名となった神泉苑における密教僧の祈雨修法盛んに行われなかでも小野流始祖とされる仁海にんがい】(九五一~一〇四六)はたびたび神泉苑において修法行っている。しかし祈雨本尊善女龍王とされるので、不動明王本尊となることはない。元慶四年(八八〇)には同地において止修法が行われており、『覚禅鈔』等によれば不動明王が止法の本尊になることがあるので、本像は止本尊として製作されたと考え余地はあろう。
 本像の製作は一一世紀前半位置づけられ、玄朝様図像による斬新な図像表現採用により製作された本像は、その先取性を示すものである図像特異性強調され頭部に対して体部歪み破綻がなく、安定感あるなかにも衣文穏やかな表現洗練された作行がうかがえ一一世紀ころの不動明王様式考えるうえで貴重な一作となろう

木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉

主名称: 木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉
指定番号 1211
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1257
枝番 00
指定年月日 1916.05.24(大正5.05.24)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈湛海作/〉

主名称: 木造不動明王坐像〈湛海作/〉
指定番号 1443
枝番 00
指定年月日 1915.08.10(大正4.08.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 江戸時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1664
枝番 00
指定年月日 1908.04.23(明治41.04.23)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉

主名称: 木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉
指定番号 1666
枝番 00
指定年月日 1908.04.23(明治41.04.23)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1673
枝番 00
指定年月日 1910.04.20(明治43.04.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1738
枝番 00
指定年月日 1926.04.19(大正15.04.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉

主名称: 木造不動明王坐像〈/(不動堂安置)〉
指定番号 1772
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1782
枝番 00
指定年月日 1897.12.28(明治30.12.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1790
枝番 00
指定年月日 1925.08.25(大正14.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3512
枝番 0
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  両眼見開き上歯牙で下唇を噛む形相になる等身不動明王坐像である。針葉樹材ヒノキか)の割矧造になる。頭体幹部を通して木心を後方去った一材より彫出し両耳半を通る線で前後に割矧ぎ内刳施し、割首を行う。像内で材前面を像心束として彫り残す(現状切り落とされる)。腕部両肩、臂、手首矧ぐ両足部は横一材、内刳両膝奥に各一材(内刳)を矧ぐ。裙先を矧ぐ。像内は荒目浚い両足部では表面起伏沿って肉厚一定残して刳り、すべて素地とする。
 額に花飾付け弁髪結節つくらずにねじれつつ垂下する形式から、智証大師円珍ちしょうだいしえんちん】の請来図像に基づくことがわかる。円珍請来様の不動明王像は、現存作例では京都同聚院像(重文旧法性寺五大堂像、寛弘三年一〇〇六)を初例とし、以後平安時代通じて盛んに造られているが、その中で本像と同大になる福井常禅寺像(重文)は、頭飾や臂釧・腕釧の形式衣文線の一本一本に至るまで、本像とほぼ完全に一致することが注目される
 その作風は、小づくりの目鼻立ちによる穏やかな忿怒相など、仏師定朝じょうちょう】によって完成されいわゆる和様彫刻特色顕著にうかがえる上体わずかに後傾させ、両膝伸びやかに張り出した構えによるゆったりとした空間構成や、なだらかななかにも適度な抑揚保った各部の肉付は、天喜元年一〇五三定朝作の京都平等院阿弥陀如来坐像国宝)に通じるものがあり、作者定朝に近い仏師求めることも不当なかろう製作年代一一世紀半ばから後半早い時期想定すべきと思われる
 平安後期の製作になる不動明王像決し少なくないが、本像の如く定朝周辺の製作と思われるものは稀少であり、本像は不動明王像における和様完成を示す作例として重要である。表面仕上げが後補となるものの木部の状態は健全とみられ、後補部少なく総じて保存良好であることも賞される。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1890
枝番 00
指定年月日 1901.08.02(明治34.08.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 1993
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 2127
枝番 00
指定年月日 1949.05.30(昭和24.05.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像(本堂安置)

主名称: 木造不動明王坐像(本堂安置
指定番号 3079
枝番 00
指定年月日 1959.06.27(昭和34.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3123
枝番 00
指定年月日 1962.06.21(昭和37.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3355
枝番 00
指定年月日 1980.06.06(昭和55.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  本像は、建仁三年一二〇三)快慶かいけい】作の京都醍醐寺だいごじ不動明王像重文)と法量像容共にほぼ等しく、頭体根幹部をの一材から木取りし、前後に割矧ぎ、更に体部のみ背板風に板材当て、割首【わりくび】として玉眼嵌入する構造丁寧な内刳りも同巧である。しかし、本像のふっくらとして弾むような肉取りは彼に較べて若々しく衣文はより変化富み、しかも太く働きがあるなど、作風には若干相違認められるちなみに光背台座寛正三年一四六二)の補作であるが、古記録によって記したという台座修造銘には、快慶の作とある。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3374
枝番 00
指定年月日 1983.06.06(昭和58.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  両眼を瞋らせ上歯牙で下唇を噛む等身大不動明王像である。頭・体部の一材から木取りして体側前後に割放して内刳りを行う構造で、天冠花形飾り弁髪や釧など細部まで本体材から彫出している。大きく結ばれた莎髻や胸脇に垂れた弁髪などには優美な趣があり、瞋怒の表情穏健にとめられている。丸味を帯びた面相部や体躯ふくよか肉取りなど典雅な作風示し手際よくまとめられ衣文過不足のない体躯象形をみると、平安時代後期、都での造像考えられる保存比較的完好で、当代温雅な作風を示す不動明王像好例である。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3404
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  天台系の山岳修験道場として栄えた瑠璃寺伝来した平安前期不動明王像である。像容空海によって造られ高雄曼茶羅東寺講堂不動明王像共通するところが多いが、髪の毛筋を表わさず、顔をほぼ正面に向け、口の両端円珍感得した黄不動のように上向きの牙を出すことなどが異なる。同形遺品きわめて稀で、この像に先行するものとしては京都広隆寺像(重文)が知られるのみである。
 構造は、木中央にこめた一材から頭部、躰躯とともに左上膊部のすべて、右上膊部を内外にほぼ二等分する縦の線の内側までを彫出し両脚部の横一材を矧寄せるもので、内刳り頭部背面、躰部の地付に至る背面両脚部材合わせた像底から施し、これによる頭躰各背面開口部に、それぞれ一材を矧足す。両前膊部、両手先は各臂、手首で太い雇〓ないしはチギリ用いて矧ぐ背面の二材は、他は思われる堅緻な材で、現状はやや厚手の錆下地施し彩色した当初表面少なからず残るが、色や文様判然としない
 像は全体太造りであるが、大きな頭部と厚みのあるに対して腰はつよく引締まり両膝広く前方張出しており、しかもそれらが深い奥行のうちに有機的なつながりをもって構成されている。その全体観にはゆったりとした落ち着き感じられよう。目鼻立ちや胸のくくりを表わす彫口はなお深く鋭いが、総じて穏やかに整えられた肉どりや衣文表現は、量感材質感を強調した九世紀のそれにも増して重厚な趣を示す。製作は十世中頃考えられ均衡のとれた破綻のない造形には中央作を思わせるものがある。
 頭頂蓮華、裳先、底板持物は後補である。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3405
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  桜井市外山【とび】の不動院本尊として祀られる等身坐像である。本躰に施され彩色切金文様までよく残り光背台座も、その彩色含めて大略当初のものと認められる
 本躰は材を用いた寄木造で、頭躰幹部正中線左方で矧合わせた二材に背中から腰半ばまでの板材を矧足し、これに両脚部の横一材、両腰脇の各一材を矧付け構造である。内刳り施し三道下で割首とする。左手は肩、臂と手首で、右手は肩と手首前方矧ぐほか、左手前膊半ば右手の臂上方で矧いでそこに厚三センチ程のマチ材を挿む表面は矧目を布貼とし、錆下地黒漆の上白色下地彩色を施す。肉身部の色は不明であるが、衣部は条帛、裳、腰布の各表裏および縁取り、丹、群青緑青淡褐色にみえる色などに塗分けており、切金による二つ巴散らし丸文菊花入り丸文唐草文彩色による花丸文などをあしらい縁取り除いて切金による網目七宝繋などの地文様でその間埋める。光背左右に寄せ板材三枚台座の各段は概ね背面の二材の間に両側の各一材を挾む四材を基本とする構造で、いずれも材を用いる。表面黒漆の上に、光背漆箔および白色下地彩、台座見付輪郭四段繧繝からなる白色下地彩色を施す。
 像は、幅のある肩を軽くいからせ、細い腕の臂と薄い膝の張りをともに大きくとった、のびやか正面観を示す。左目をすがめ、ゆがめた口の両端小さな牙をみせる相貌優しく、胸や腹の肉どりは穏やかな球面を形づくる。浅く刻まれた衣褶の表現洗練されている。その作風は、和歌山金剛峯寺不動堂本尊重文)にやや先行するかに思われ繊細な切金文様、本躰に較べていくぶん簡略なつくりの火焔光背瑟々座とともに平安十二世紀特色をよくうかがわせるものといえよう。
 左手第二指先第五指とそれに続く掌の一部、裳先、胸飾および腕、臂釧と持物のほか、光背台座一部は後補である。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3412
枝番 00
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  醍醐寺理性院本堂壇上左脇に安置されている不動明王等身坐像である。頭髪には並行する束目を表わし、宝相華菊花付いた二条巻き、七莎髻を頭頂に結ぶ。両目見開き上歯牙をあらわして下唇を噛む。
 頭躰幹部とともに左臂、右上膊の内側両脚部とその後方の両腰脇までも含めて、木心を後寄りにこめたカヤの一材から彫出し内刳は、頸部達するうろを利用して像底から刳り拡げている。右の上外側か手首までとそれより先は、いずれも縦の一材から彫出して付ける。弁髪半ばより先、左手の臂より先、裳先のほか、表面施され漆塗り別製の胸飾、腕・臂釧、持物光背台座は後補である。
 像は、忿怒相貌穏やかに整えられ肉付け要所軽く引き締めて幼児思わせるやわらかな膨らみもたせている。裳には軽やかな褶襞浅く刻む。こうした表現は、いわゆる定朝様からの一展開を示すものであるが、十一世半ば頃の作例比較すると、肉取りの自然さや衣の質感こだわらず定型化すすめている。製作は十一世後半に降ると考えられよう。いずれにせよ、この時期における等身程度忿怒天部形像遺品少なく、しかも寄木造技法定着していた当代にあって、この像が丸彫りに近い構造とともに、これに応じた豊かな量感表現や一のびやか姿態構成を示すことは注目に値する

木造不動明王坐像(御影堂安置)

主名称: 木造不動明王坐像(御影堂安置
指定番号 92
枝番 01
指定年月日 1955.06.22(昭和30.06.22)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3441
枝番 00
指定年月日 1993.06.10(平成5.06.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  両眼見開き上歯牙を露わし、辮髪【べんばつ】の七か所を括るいわゆる弘法大師請来様の不動明王坐像である。辮髪交互に編み込む形式珍しく、他に園城寺像(長和三年一〇一四)銘、重要文化財 昭和一三・八・二六)にみられるのみである。
 材の一木造、頭躰幹部辮髪遊離部を含み木心を像内中央に籠めた一材より彫出し、躰部背面より内刳うちぐり】(像底に抜ける)、背板【せいた】を矧【は】ぐ。両膝奥の大略各一材、両足部一材(各内刳)、裳先を矧付ける。両腕は肩、肘、手首矧ぐ表面上半身胸部他に布貼り、錆下地の上白地彩色を施すが、現状では大半が泥地に覆われる。臂釧【ひせん】および腕釧【わんせん】は漆箔
 まことに頭躰の均衡がよく、安定感満ちた姿で、頬を引き締めた忿怒相も迫力に富むとともに端正な品格感じさせる穏やかな丸味をもった肉取りや翻波式のなごりをとどめながらも浅く整えられ衣文表現みられるその作風宝相華ほうそうげ】をあしらった臂釧の形式等は藤原時代初期特色をよく示しており、製作の時期はおよそ十世後半思われる。その洗練された出来栄えからみて、当代一流仏師による造立であろう
 光背材製で、周縁迦楼羅焔【かるらえん】を除く二重円相部と光脚が当初のものである二重円相部は身光を五材矧の身光前面に二材矧の頭光取り付け、光脚(大略横一材製)の上面の溝に身光挿込む。文様頭光圏帯の対たいよう】文、身光外圏帯の流雲文、光脚の対文を彫出で表し身光部内圏帯や光脚の宝相華文等は彩色で表す。保存状態良好で、彫出と彩色をまじえた文様織りなす製作当初華麗な趣致がよくうかがえる
 なお本像は大正九年仁和寺真乗院より移座された。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 3464
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  髪際八尺測る丈六不動明王坐像である。両眼見開いて上歯牙をむき、頭頂には沙髻を戴き、左耳前を弁髪がねじれつつ垂下するなどの特徴彫像では京都同聚院像(重文)などに先例のある、基本的に円珍請来図像基づいた不動明王の一形式みなされる
 カツラ材の寄木造で、頭・体幹部を通して正中および前後矧ぎ合わせる四材より彫成する構造になる。両腕は肩・臂・手首それぞれ矧ぎ上膊前膊ともに二材矧ぎとする(右上後半材のみケヤキ材製)。両足部は右足第二指を通る線で前後二材矧ぎで、両膝奥はそれぞれ側面上下二材、上面に一材の計三材を矧ぐ。像内は材の厚みを均等に残して平滑浚っている。
 表面は布貼、錆下地黒漆塗のうえ、白下彩色施されるが、一部当初とみられる布貼が認められるほかは後補である。
 全身なだらかな肉取りや浅く整えられ衣文など、その作風には平安後期特色顕著にうかがえる童子思わせる温雅な像容は、たとえば同じ図像による京都・大覚寺像(重文安元三年一一七七ころ)などを想起させるこうした中央作例比べれば多少表現洗練みを欠くことは否めず、また東北地方造像に多いカツラ材を用いることからみて当地仏師による製作と思われるが、四肢つながり自然に、大像をまとめあげた技量には注目すべきものがある。その造法も躯幹部材の前面下端より三本両側下端より各一本の像心束それぞれ像内に下し上半身重み支え両腕手先まで刳り入れて矧ぎ目にかかる荷重軽減を図るなど、巨像製作に習熟した作者の手腕をうかがわせる
 十二世紀前半藤原基衡による平泉への王朝文化移植をひとつの契機として、定朝様による仏像様式東北地方もたらされた。その影響奥州藤原氏勢力にあった東北諸地域広く及んでいる。当寺のある本吉の地にはかつて摂関家五ヶ庄の一、本良庄があり、同庄は奥州藤原氏による実質的支配受けていたとみられる。本像の造立にもなんらかのかたちで藤原氏関与があった可能性があろう。保元年間一一五六-五九)に百済国より将来されたという伝承があるが、この時期製作年代のひとつの目安とすることもできよう
 表面を後補の彩色覆われ、また一部に材の朽損著しく補修施されているが、両手指のほとんどに至るまで製作時の像容とどめており、右手に握る三鈷剣(ヒノキ材(か)製、布貼漆箔)が当初のものとみられることも貴重である。

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 79
枝番 00
指定年月日 1936.05.06(昭和11.05.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 155
枝番 00
指定年月日 1919.04.12(大正8.04.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像

主名称: 木造不動明王坐像
指定番号 193
枝番 00
指定年月日 1933.01.23(昭和8.01.23)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王坐像〈/(護摩堂安置)〉

主名称: 木造不動明王坐像〈/(護摩堂安置)〉
指定番号 222
枝番 00
指定年月日 1924.08.16(大正13.08.16)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
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