1960年 - 1990年代に死刑確定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:52 UTC 版)
「少年死刑囚」の記事における「1960年 - 1990年代に死刑確定」の解説
戦後日本の少年死刑囚(1960年 - 1990年代に死刑確定 / 昭和時代の事件)事件氏名事件発生日事件当時の年齢罪状殺害された被害者数事件概要判決宣告日(太字は死刑確定日)備考参考文献26 稚内牧場主夫婦殺害事件 U 1958年2月18日 18歳7か月 強姦致死・殺人・強盗殺人 2人 被害者方で住み込み農夫として働いていたが、以下のような事件を起こした。留守番中の次女(16歳)の姿を見て劣情を催し、強姦しようとしたが、抵抗されたため手拭いで首を絞めた。すると失神したことに驚き、次女を殺害して強姦し、犯行を隠蔽しようと決意し、手拭いで絞殺した。 次いで金品を窃取して逃走しようと企て、手提げ金庫を開けようとしていたところ、帰宅した主人の銘(26歳)に発見されたため、犯行の発覚を恐れて殺害し、金品を強取しようと決意。その場にあった鉈・薪割り鉞で頭部を強打して殺害し、現金1,500円・カメラ・腕時計など22点を強取した。 1958年9月3日 旭川地裁・死刑 1959年3月24日 札幌高裁・控訴棄却 1960年3月15日 最高裁第三小法廷・上告棄却 死刑執行日は不明。 27 郁恵ちゃん誘拐殺人事件 OことK 1957年12月17日 19歳1か月 営利誘拐・殺人など 1人 飲食費に窮したことから子供を誘拐し、両親から身代金を獲得しようと考え、通学途中の小学生女児(11歳)に住所・氏名・学校名などを訪ねて脅迫状を作成し、小学校へ赴いて担任教諭に「母親が急病で入院した」などと嘘を言い、被害者女児を学校から市内の雑木林へ連れ出して誘拐。しかし被害者が疑念を抱いて大声で助けを求めたため、殺意を持って頸部を両手で絞め、ビニール製細紐などで頸部を緊縛して窒息死させた。その後、幼児を使って被害者宅に脅迫状を届けさせたが、警察に届け出されたと思いその場から逃走し、金員喝取の目的を遂げなかった。ほかに詐欺4件・窃盗8件(および同未遂1件)の余罪あり。 1959年6月30日 福岡地裁飯塚支部・死刑 1959年10月6日 福岡高裁・控訴棄却 1960年6月9日 最高裁第三小法廷・上告棄却 1962年2月21日に死刑執行。 28 小松川事件 李珍宇(金子鎮宇) 1958年 18歳1か月 強姦致死・殺人など 2人 かねてから女性に接したいという願望を抱いていたところ、以下の事件を起こした。1958年4月20日、自転車で進行中の女性を認めて劣情を催し、強姦しようと企て、その女性(23歳)を道路わきの田んぼの中に転落させ、手で咽喉部・頸部を絞めるなど暴行を加えて強姦。女性を窒息死させた。 1958年8月17日、小松川高校屋上で同じ定時制2年の女子高生(16歳/読書中)を認めて劣情を催し、強姦しようと企てて女子生徒にナイフを突きつけ、屋上時計台近くまで連行したが、被害者が抵抗しながら大声を上げた。そのため犯行の発覚を恐れ、殺害して姦淫しようと決意し、被害者の頸部を所携の手拭いで絞めて窒息死させた上で強姦した。同年9月1日に逮捕。 1959年2月27日 東京地裁・死刑 1959年12月28日 東京高裁・控訴棄却 1961年(昭和36年)8月17日 最高裁第一小法廷・上告棄却事件番号:昭和35年(あ)第242号 1940年(昭和15年)2月28日・東京都江東区亀戸生まれ。在日朝鮮人2世。事件当時は東京都立小松川高等学校(夜間部)に在学中だった。少年および在日2世の犯罪として注目され、減軽運動が展開された。1962年(昭和37年)8月30日に東京拘置所から宮城刑務所へ移送され、同年11月16日に死刑執行(22歳没) 29 熊本警官ら2人殺害事件 T 1961年5月31日 19歳8か月 強盗殺人・殺人 2人 以下の事件を起こした。事件当日、借金を抱えて苦慮した結果、警察官を毒殺して制服・拳銃を奪取し、金作りの手段に利用しようと企て、小豆ドリンクス2缶を購入し、あらかじめ用意していた青酸カリをうち1缶に混入。熊本北警察署(熊本県警察)の「花園巡査派出所」(熊本県熊本市花園町)にて事件当日の0時30分ごろ、勤務中の巡査(23歳)に身の上相談をする如く装って話しかけ、信用させた上で青酸カリの入ったドリンクスを飲ませ、昏睡状態に陥らせた(その後中毒死)。そしてS・W拳銃、実弾、警察官の制服など官給品に加え、現金などを強取した。 1. の犯行後、奪った警察官制服を着用してタクシーに乗車し、逃走したが、運転手(24歳)が犯行を知ったものと思い込み、犯跡隠蔽のため殺害を決意。1. から約30分後、熊本市新堀町の道路上で運転手の頸部を拳銃で2発撃ち殺害した。 1961年9月28日 熊本地裁・死刑 1962年6月7日 福岡高裁・控訴棄却 1963年5月10日 最高裁第二小法廷・上告棄却 1969年(昭和44年)1月18日に福岡拘置支所(現:福岡拘置所)で死刑執行。 30 西宮雇い主一家殺害事件 K 1958年8月7日 19歳8か月 強盗殺人 3人 自動車工作所に修理見習工として勤務していたが、借金がかさみ金銭に窮した結果、雇い主の妻(36歳)を脅して金品を強取することを企て、事件当日に海軍士官用短剣を持ち、雇い主夫妻の居間に行った。しかし外出中と思っていた雇い主(39歳)が在宅していたため、夫妻の頭部・胸部などを短剣で突き刺して殺害。さらに物音で目覚め、別室から出てきた雇い主の母親(64歳)も胸部・腹部などを突き刺して殺害し、現金約16,650円およびズボンなど4点を強取した。ほかに窃盗10件の余罪あり。 1961年3月27日 神戸地裁・死刑 1962年5月28日 大阪高裁・控訴棄却 1963年(昭和38年)2月8日 最高裁第二小法廷・上告棄却 死刑執行日は不明。 31 釧路市雑貨商夫婦殺害事件 M 1963年11月6日 19歳11か月 強盗殺人など 2人 遊興費に窮し、かつ冬季を控え、防寒用衣類の購入に迫られ、金銭を渇望。かつて掛買をしたことのある雑貨店に現金があると見当をつけて侵入し、奥座敷で就寝中の夫妻(主人73歳・妻58歳)を見つけたため、「窃盗目的で物色中、夫妻が目を覚ましたら殺して金品を奪うこともやむを得ない」と決意し、手斧を紙袋から取り出して座敷に忍び寄った。すると主人が寝返りを打ったため、手斧で彼の頭部を数回殴打し、さらに妻も同様に頭部を数回殴打して殺害。現金18,000円と預金通帳(305,397円預入)など2点を強取した。このほか窃盗1件(および同未遂1件)の余罪あり。 1964年4月27日 釧路地裁・無期懲役 1965年(昭和40年)4月22日 札幌高裁・死刑(破棄自判) 1966年(昭和41年)2月4日 最高裁第二小法廷・上告棄却 1967年(昭和42年)に死刑執行。[要出典] 32 厚木建築業者一家4人殺害事件 EことH 1962年10月25日1964年10月25日 18歳0か月20歳 強盗殺人 4人 神奈川県厚木市厚木で発生。建築業者に大工見習として住み込み稼働していたが、雇主からの叱責が積み重なり、憤懣が極度に高まり、雇い主一家を皆殺しにして恨みを晴らすと同時に金品を強取することを決意。事件当日、2階で就寝中の長男(9歳)・長女(7歳)をそれぞれ玄翁で数回頭部を殴打して殺害し、さらに戸締りのため2回に上ってきた妻(33歳)を待ち伏せ、同様に頭部を玄翁で数回強打して殺害。そして雇主(34歳)の帰宅を待ち受け、彼の背後から頭部を玄翁で強打し、玄関へ逃げる雇主の頭部を巻き割りで数回殴打して殺害。屋内を物色し、現金210,000円および郵便貯金通帳類18冊などを強取した。 1965年6月28日 横浜地裁第4刑事部・死刑 1966年5月24日 東京高裁第6刑事部・控訴棄却 1966年12月1日 最高裁第一小法廷・上告棄却 1944年(昭和19年)10月3日生まれ(犯行時は成年済み)。1969年に死刑執行。『刑事裁判資料』第189号およびそれを参考にした最高裁の資料 (1983) では事件当時18歳とされているが、これは事件発生日を「1962年(昭和37年)10月25日」と誤記したためである(正しくは「1964年」)。 33 少年ライフル魔事件 K 1965年7月29日 18歳3か月 強盗殺人・同未遂など 1人 銃に対する執着心から、自己のライフル銃で警察官を襲撃して拳銃を強取することを決意し、以下の事件を起こした。神奈川県高座郡座間町(現:座間市)で事件当日、虚偽の110番通報をして出動した巡査(21歳)から職務質問を受けるや、隠し持っていたライフル銃で巡査を射殺し、拳銃1丁などを強取した。 1. の犯行後、警察官に変装して現場を去ろうとしたところ、パトカーで駆け付けた巡査2人に出会う。2人に拳銃を突き付け脅迫したが、うち1人が発砲して抵抗したため、殺意を持って拳銃3発を発射して逃走したため、拳銃強取の目的を遂げなかった。 さらに自動車に乗車して逃走中、停止を命じた警察官2人を脅迫して公務の執行を妨害し、次いで通過する自動車3台を次々に強取し、運転手らを車内に監禁した。 3. の逃走中、今後の逃走に備えるため銃や銃弾を強取しようとし、渋谷の銃砲店に押し入り、拳銃を突き付けて店員らを脅迫。店員を人質に取り、ライフル銃3丁・銃弾517発を強取し、約1時間20分にわたり、包囲した多数の警察官・一般人らに対し、合計100発以上を発射して16人を負傷させたが、殺害には至らなかった。 1967年4月13日 横浜地裁・無期懲役 1968年(昭和43年)11月12日 東京高裁・死刑(破棄自判) 1969年(昭和44年)10月2日 最高裁第一小法廷・上告棄却 1972年7月21日に東京拘置所で死刑執行。 34 結婚詐欺殺人事件 S 1967年1月26日 19歳11か月 強盗殺人など 1人 女性(当時28歳)に結婚すると偽って情交を重ね、彼女から相当多くの金を貢がせていたが、強く結婚を希望されたため彼女を殺害し、金品を奪って飲食店の営業資金にすることを画策。事件当日、被害者女性を「結婚を母に承諾させるから会いに行こう」と栃木県矢板市まで連れ出し、人里離れた道路に停車した自動車内にて被害者の首を手で絞め、さらにハンドルカバーを首に二重に巻き付けて緊縛し、窒息死させた。そして現金約13,350円および腕時計・指輪在中のハンドバッグ1個を強取し、死体をトランクへ押し込み、玉川上水路に遺棄した。 1968年2月7日 東京地裁八王子支部・無期懲役 1969年5月13日 東京高裁・死刑(破棄自判) 1970年8月20日 最高裁第一小法廷・上告棄却 第一審判決後の1968年4月8日に収監先・八王子医療刑務所八王子拘置所から脱走し、約1日後に確保。加重逃走罪で懲役2年の判決を受け控訴したが、東京高裁で1969年5月13日(強盗殺人罪などで死刑判決を受けた日と同日)に控訴棄却判決を受けた。死刑執行日は不明。 35 栃木県烏山町呉服店一家殺害事件 M 1968年12月28日 19歳4か月 強盗殺人 3人 母らと会うために来ていく服装類・土産などを購入する金員に窮したため、客として出入りしたことのある呉服店に入り、家人を殺害して金員を強取することを決意。事件当日、裁鋏を片刃に分解したものを持ち、客を装って呉服店に赴き、応対に出た店主の妻(31歳)の背後から頸部・頭部などを五十数回にわたり突き刺して殺害。次いで同店2階に上がり、主人(39歳)の顔面・頸部などを同様に片刃鋏で数回突き刺して殺害。さらにそれを見て泣き叫んだ店主夫妻の娘(3歳)の後頭部などを突き刺して殺害し、現金5,000円およびネクタイピンセットを強取した。 1970年11月11日 宇都宮地裁・死刑 1971年(昭和46年)6月14日 東京高裁・控訴棄却 1970年8月17日 上告取り下げ 死刑執行日は不明。 36 東北大学女子職員殺害事件 K 1969年9月1日 19歳6か月 殺人・強姦致死 1人 被害者は東北大学農学研究科職員の女性(20歳)。事件当日夜、宮城県亘理郡山元町の町道で帰宅途中の被害者に出会い、自己の欲望を満足させるために女性を殺害した上で姦淫しようと決意。背後から左手を首に巻き付けて後方に引き寄せ、所携の小刀を背中に数回突き刺すなどして強姦し、女性を失血死させた。 1971年1月28日 仙台地裁・無期懲役 1971年8月2日 仙台高裁・死刑(破棄自判) 1972年(昭和47年)6月27日 最高裁第三小法廷・上告棄却 1976年に宮城刑務所で死刑執行。 37 正寿ちゃん誘拐殺人事件 K 1969年9月10日 19歳0か月 身代金目的略取殺人など 1人 男児(6歳・質店経営者の長男)を誘拐して近親者から身代金を交付させようと企て、通学途中の男児を誘拐し、騒いだ場合は殺害することもやむを得ないと考えた。その上で事件当日、くり小刀を用意して通学路で男児を待ち受け、男児を付近の公衆便所に拉致して略取し、口にテープを貼り付けたりした。しかし男児が泣き叫んで暴れたため、くり小刀で心臓を突き刺して殺害し、死体をオープンケースに入れて搬出。駅構内の携帯品一時預かり所にケースを預けて死体を遺棄したほか、男児宅に電話を掛け、彼の父親に対し「500万円用意しろ」などと身代金を交付するよう要求した。同年9月11日(事件翌日)に逮捕。 1972年4月8日 東京地裁・死刑 1976年(昭和51年)7月20日 東京高裁・控訴棄却 1977年(昭和52年)12月2日 最高裁第三小法廷・上告棄却 正式な死刑確定は1978年(昭和53年)1月。1979年に東京拘置所で死刑執行。 38 男娼等連続強盗殺人事件 W・K 1967年 - 1973年 19歳 - 25歳 強盗殺人 4人 以下の事件を起こした(一部は成人後の犯行 / 被害者は売春婦3人・男娼1人)。1967年(昭和42年)4月24日朝(当時19歳)、愛知県名古屋市中区葉場町の旅館で同宿した女性(当時36歳)を絞殺し、現金35,000円を奪った。 1967年4月10日(当時19歳)、大阪府大阪市西成区のホテルで女性(当時39歳)を絞殺し、現金2,000円を奪った。 1972年(昭和47年)8月5日未明(当時24歳)、大阪市天王寺区茶臼山町で客引きしていた男性(当時26歳)を絞殺し、現金2,000円などを奪った。 1973年(昭和48年)3月20日(当時25歳)、大阪市浪速区のホテルで女性(当時40歳)を絞殺し、がま口(現金640円入り)・腕時計などを奪った。 1975年(昭和50年)8月29日 大阪地裁・無期懲役 1978年(昭和53年)5月30日 大阪高裁・死刑(破棄自判) 1988年(昭和63年)6月2日 最高裁第一小法廷・上告棄却 1948年(昭和23年)3月17日、埼玉県北葛飾郡庄和町生まれ。2019年10月1日時点で大阪拘置所に収監中(現在74歳)。上告中に4件中2件(男性1人・女性1人の殺害)について無実を主張し、最高裁の調査官が「4件の殺人を認定した控訴審判決を破棄すべきだ」と報告書をまとめたが、その調査官は後に転勤。別の調査官が改めて「上告棄却」の報告書を提出した。 39 永山則夫連続射殺事件 永山則夫 1968年10月11日 - 11月5日 19歳3か月 - 4か月(最後の殺人を犯した時点) 殺人・強盗殺人など 4人 在日アメリカ海軍・横須賀海軍施設から盗んだ拳銃を使い、東京都港区(東京プリンスホテル)・京都市東山区(八坂神社)で警備員の男性2人を相次いで射殺。さらに北海道亀田郡七飯町・愛知県名古屋市港区でもタクシー運転手の男性2人を相次いで射殺した。 1979年(昭和54年)4月8日 東京地裁・死刑 1981年(昭和56年)8月21日 東京高裁・無期懲役(破棄自判) 1983年(昭和58年)7月8日 最高裁第二小法廷・破棄差戻 1987年(昭和63年)3月18日 (差戻後)東京高裁・控訴棄却(第一審の死刑を支持) 1990年(平成2年)4月17日 最高裁第三小法廷・上告棄却 1949年(昭和24年)6月27日生まれ。警察庁広域重要指定108号事件。最高裁は1983年7月8日の上告審判決で、戦後の刑事裁判史上初めて量刑不当を理由に、被告人にとって不利益な方向で控訴審判決を破棄し、高裁への差し戻し(控訴審のやり直し)を命じた。また同判決で、初めて詳細な死刑適用基準(「永山基準」)を判示した。1997年(平成9年)8月1日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
※この「1960年 - 1990年代に死刑確定」の解説は、「少年死刑囚」の解説の一部です。
「1960年 - 1990年代に死刑確定」を含む「少年死刑囚」の記事については、「少年死刑囚」の概要を参照ください。
- 1960年 - 1990年代に死刑確定のページへのリンク