各巻での活動とは? わかりやすく解説

各巻での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/03 02:44 UTC 版)

左近の少将」の記事における「各巻での活動」の解説

当初浮舟婚約者として登場するしかしながら浮舟との婚約浮舟義父である常陸介後ろ盾求めてのことであり、浮舟その実の娘でなく常陸介から好かれてもいないと知って仲人責めて婚約破棄し常陸守浮舟の母の間に出来た常陸介実の娘と婚約し直した。(第50東屋常陸介実の娘を妻として常陸守の婿になっている。(第51浮舟) 妻(常陸介実の娘)が出産し盛大に祝い行っている。(第52蜻蛉

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各巻での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 15:20 UTC 版)

藤原惟光」の記事における「各巻での活動」の解説

光源氏乳母惟光の母)が病であることを知って見舞った際、約束無しでの突然の訪問であったため門が開かず門の前でしばらく待っているうちに隣家様子が気になったという形で、光源氏夕顔結ばれる切っ掛け作ることになったその後夕顔素性調べ夕顔屋敷使用人親しくなり、光源氏から夕顔への文を届けるなど、光源氏のために働いている。光源氏夕顔訪れる際には常に同行しており、夕顔急死した際には兄の阿闍梨協力得て夕顔亡骸処理している。(第04夕顔光源氏若紫(=紫上)を見いだした際にもその保護者である北山の尼君やりとりした手紙持参している。尼君死去して紫上が父である式部卿宮引き取られそうになったことを主である源氏知らせ先回りして源氏自邸引き取る切っ掛け作る。(第05若紫何者とも分からないまま宴の場で光源氏出会った朧月夜について、源氏命じられ源良清とともにその素性探っている。(第08花宴光源氏のもとに引き取られ紫上身の回り世話をし、源氏紫上賀茂の祭り見物をした際にもその準備整えている。源氏紫上新婚三日目の儀が行われた際の用意行っている。(第09光源氏花散里との関係についても花散里様子探り花散里訪れ光源氏同行している。(第11花散里光源氏失脚し周囲のほとんどの人物光源氏のもとを離れた際にも光源氏のもとを離れると無く光源氏須磨退去にも帯同している。(第12須磨須磨明石でも光源氏に従って活動しており、須磨では源氏和歌唱和している。また光源氏明石の方への訪問にも同行している。(第13明石源氏住吉参詣帯同し、明石の方源氏様子をひっそりと見守っているのを見つけそのこと源氏報告する。(第14澪標帰京した源氏末摘花屋敷のそばを通った際に源氏末摘花のことを語り源氏忘れていた末摘花のことを思い出させる。(第15蓬生明石の方上京することになった際、もともと明石縁者屋敷であったため明石の方が住むことになる大堰山荘源氏の命で整える。(第18松風摂津兼修理大になっており、五節の舞姫として自分の娘(のちの藤典侍)を献ずる。(第21少女参議になっており、息子源氏の家人となっている。(第32梅枝) 娘藤典侍夕霧の妻となる。(第33藤裏葉本人動向不明ながら娘の藤典侍夕霧との間に多くの子もうけていることが記されている。(第39夕霧

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各巻での活動

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横川の僧都」の記事における「各巻での活動」の解説

初瀬詣で帰り病気の母尼を宇治出迎えた折に身投げした死にきれず宇治院のの下に倒れていた浮舟を見つける。弟子たちが、「変化の者ではないか」・「すでに死んでおり、死体触れると汚れる」などとして反対していたのを押し切って助ける。観音からの授かり物考えた妹尼のために浮舟小野草庵に連れ帰る。さらにいつまで経って浮舟正気戻らないため修行山籠もり中断して浮舟為に修法行い蘇生させる意識戻った浮舟懇願負けて授戒する。その後一品の宮病気回復祈願のため宮中赴いた明石の中宮に「素性不明な女性助けた」と浮舟うわさ話をする。(「第53手習」) 明石の中宮から「素性不明な女性」の話を聞いた薫が浮舟のことではないか考えて横川訪ねたことにより僧都初め浮舟素性を知ることになる。その後薫に頼まれる形で浮舟手紙書いて小君託している。(「第54夢浮橋」)

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藤典侍」の記事における「各巻での活動」の解説

藤原惟光は、源氏の命により娘を五節の舞姫として差し出すことを命じられ気が進まないもののしぶしぶ出仕応じた光源氏御前での舞の前稽古初め夕霧出会う夕霧から和歌詠みかけられるが、このときには夕霧素性知らなかったの無視して返事をしなかった。のち五節の舞姫として舞を披露した改め夕霧見初められ、文のやりとりをするようになった(第21少女)。 このとき五節の舞姫勤めた娘は典侍となって宮中にあがることがあらかじめ決められていた。惟光の娘も当初の予定通り宮中にあがって典侍となり「藤典侍」と呼ばれるようになったこのころから夕霧とつきあうようになった始め忍ぶ仲で、夕霧仕えていた弟の兵衛尉が夕霧藤典侍間の手紙のやりとり手伝った(第33藤裏葉)。 女二の宮落葉の宮)のところに通うようになった夕霧怒って子供たち連れて実家帰ってしまった雲居の雁消息文贈って夕霧との仲をとりなす夕霧側室となって多くの子産んだ子供たちのうち三の君次郎君は花散里引き取って養育することになった(第39夕霧)。 さらに末娘六の君器量が特に優れているということ女二の宮落葉の宮)のもとで育てられた(第42匂宮)。

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近江の君」の記事における「各巻での活動」の解説

頭中将内大臣)が、光源氏評判の娘である玉鬘(実は自分の娘)がいるのを羨んでいたところ夢見により自分にも娘がいるのを知り(これも実は玉鬘こととされる)、手を尽くして探したところ内大臣長男柏木によって近江の国見出された。父親期待反して早口であるなど姫君としての教養無くあまりに姫君らしくない近江の君処遇思い悩む。そこで長女弘徽殿女御元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御贈られた文も和歌支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。(第26常夏近江の君よろしくない噂は人々へと広がってゆく。(第27篝火) 父の内大臣近江の君悪評について母の大宮愚痴をこぼす(第28野分近江の君悪評を耳にした玉鬘は、光源氏引き取られ自身の幸福をしみじみと感じ光源氏心を開いてゆく。それに対して近江の君玉鬘ばかりが誰からも大切にされるの羨んで、ますます周囲からかわれた(第29行幸夕霧懸想の歌を贈るが、それがまたとんちんかんな内容であったために余計に笑いものになる。(第31真木柱双六明石の尼君幸運にあやかろうとして「明石の尼君明石の尼君」と呪文のような言葉唱えている。(第35若菜下

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弁の尼」の記事における「各巻での活動」の解説

母が柏木乳母であったため、若い頃には母と共に柏木仕えており、薫の出生の秘密を知ることとなったその後結婚して夫に伴って筑紫赴いたが、夫は「よからぬ人」と表記されるような夫としてはあまり望ましくないであった。その夫は筑紫死去してしまい、その後八の宮北の方のいとこであるという縁を頼って宇治八の宮家の女房となっていた。(第二部以前宇治八の宮屋敷訪ねて来た薫に出生の秘密語り柏木遺品伝える。(第45橋姫) 薫と宇治の大君の間をとりもとうとし、双方意向伝える。(第46椎本匂宮を薫と思いこんで中の君寝所案内したため匂宮中の君結ばれる。(第47総角宇治の大君の死を機に出家し、妹の中の君二条院迎えられた後も宇治残り宇治宮邸留守を守る。(第48早蕨) 薫が浮舟三条小家から宇治に連れ出すのを手伝う。(第50東屋) 薫が訪ねて来たが顔をだすのを控える。(第52蜻蛉大君偲ぶ薫の話し相手となる。中将の君(浮舟の母)の話し相手となる。(第53手習

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明石尼君」の記事における「各巻での活動」の解説

歴代播磨守から求婚される評判明石の方母として語られる(第05若紫) 娘(明石の方)の養育心を砕いている。(第12須磨明石の入道が娘と光源氏結ばれるよう働くのに対して身分違い結ばれて幸せにはならない」ことを理由反対する。(第13明石) 娘が孫(後の明石の中宮)を連れて京に上る際には夫と別れて娘や孫と共に上京する。(第18松風) 孫の明石の姫君紫の上のもとで育てられることになったときは、「子供幸せのためだ」と悲しむ明石の方諭している。(第19薄雲) 孫が中宮となって皇子産んだことで人々羨望対象になっており、近江の君などは双六の場で呪文のように「明石の尼君明石の尼君」と唱えている。(第35若菜上

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右大臣の四の君」の記事における「各巻での活動」の解説

政略結婚によって父右大臣ライバルである左大臣長男である頭中将の妻となる。(第01桐壺柏木紅梅弘徽殿女御冷泉帝弘徽殿女御)ら数名の子をなしたものの、その後夫はあまり通ってこない。その原因だと思われ夕顔脅迫状送り夕顔が姿を隠す原因作った。(第02帚木年を経過して美貌衰えみられる。(第08花宴) 娘を弘徽殿女御として入内させる。(第14澪標入内させようとした父の意に反して思い遂げて夕霧結ばれた雲居の雁妬ましく思う。(第33藤裏葉長男柏木溺愛する柏木のために女三宮降嫁はかろうとする。(第34若菜上病気になった息子柏木自宅引き取って看病し逢いたい望んだ妻の落葉の宮にも合わせない。(第35若菜下看病かいもなく息子柏木死んでしまう。(第36柏木夕霧亡き柏木法要ねんごろに営んだことを喜ぶ。(第37横笛

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六の君」の記事における「各巻での活動」の解説

夕霧の六女(末娘)として生まれる。(第39夕霧美しく賢明であるとの噂から懸想する貴公子多く宮中上げるために落葉の宮養女として育てられる。(第42匂宮匂宮行状を心配した今上帝明石の中宮によって匂宮六の君結婚急がれる。その噂を聞いた宇治の大君病み、とうとう死にまで到る原因になる。(第47総角匂宮正妻となる。乗り気でなかった匂宮であった実際に会ってみるとその美しさ賢明さに気に入ることになり、宇治中の君嘆き悲しむ。(第49宿木

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浮舟の母」の記事における「各巻での活動」の解説

宇治八の宮北の方亡くなったと後、八の宮情けかけられ浮舟を産む。しかし八の宮は世をはかなんで俗聖となったため、浮舟子供として認知してもらうことが出来ず自身八の宮の妻(側室)といった地位を得ることもなかった。自身陸奥守(後の常陸介)の後妻となってと共に陸奥国下り小君の子をもうける。継父常陸介は、実際血筋高貴ではあるものの実父から認知されていないため公に宮家血筋であると主張できない自分からみると厄介者しかない浮舟のことを疎んじていた。そのために母はいっそう浮舟将来を心配するようになっていった。そのような中で継父常陸介近づくことを望んだ中流貴族左近少将との婚約成立するが、左近少将浮舟継子であることを知ったために婚約破棄されてしまい、いたたまれなくなった浮舟中の君託す。(第49宿木浮舟長谷詣で行った際に薫に見初められ、薫から弁の尼を介して浮舟自分元に迎えたい」との申し出があった際には、自分身分違い辛い思いをしたことや、薫が他に多く女性求愛していることからいずれ自分と同じよう見捨てられてしまうのではないかという心配もあって反対する。しかし、実際に二条院匂宮や薫の姿を見て気が変わり中の君説得もあり浮舟を薫の許にやることにする。(第50東屋) 薫の許にやったはずの浮舟忍び込んできた匂宮結ばれてしまう。事情知らないまま、中将の君は心躍らせ浮舟の上京の準備進めるが、弁の尼との会話図らずも浮舟追い詰める別の子供世話等に忙しくしている間に、浮舟失踪してしまう。(第51浮舟失踪した浮舟身投げして死んだものと思い悲しみ暮れながらも遺体の無いままで葬儀を行う。(第52蜻蛉

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常陸介 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説

常陸守任期終えて家族連れて上京する。(第49宿木当初浮舟婚約した左近の少将が、浮舟常陸介実子ではなくあまりかわいがられてもいないと知って常陸介実の娘に乗り換えたその際左近の少将に対して支援約束するその後妻が浮舟世話を頼むために宇治の中君ところへ行くことが気に入らず怒って迎え遣る。(第50東屋浮舟の死を知り悲しむ。その後浮舟四十九日法要が行われた際には主人顔で列席する。(第52蜻蛉浮舟生きていることを知らないでいる。(山路の露

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/16 09:57 UTC 版)

髭黒の北の方」の記事における「各巻での活動」の解説

髭黒年上正妻として登場する。(第30藤袴) 母「式部卿宮の北の方」は娘が幸せでないのを心配している。(第10賢木) 夫との仲はあまり良くない。(第24胡蝶) 夫が玉鬘熱中するのを嘆く。ここ数年来物の怪取り付かれている。夫が玉鬘結ばれたのを切っ掛け癇癪起こしの日に玉鬘のもとに出かけようとする夫に火取の灰を浴びせかける加持をしても直ることなく夫婦仲決定的に破局してしまい、父宮が引き取る形で娘の真木柱連れて実家帰る。(第31真木柱) 夫との仲はほぼ完全に切れている。普段は心を病んだままだが正気時には真木柱が夫蛍兵部卿宮との仲がよくないのを心配している。(第35若菜下

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/16 09:58 UTC 版)

小侍従 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説

柏木から女三宮への文を託され女三宮に渡すが返事はない。柏木頼み断り切れず柏木女三宮のもとへ導く。女三宮懐妊知って不安に思う。柏木から女三宮への文を光源氏見られてしまったことを柏木告げる。(第35若菜下臨終間近柏木の文を女三宮届ける。(第36柏木) 薫が5・6歳のころ胸の病で死去する。(第45橋姫

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 15:15 UTC 版)

王命婦」の記事における「各巻での活動」の解説

光源氏執拗な頼み負けて藤壺中宮のもとへと、光源氏手引きしてしまい中宮世間的に桐壺帝の子として実は光源氏の子である皇子(後の冷泉帝)を産むことになる原因作ってしまう。(第05若紫藤壺中宮のもとへ再度忍び込んだ光源氏手引きすることは断ったものの、光源氏が見つからないように寝所に隠す。後、藤壺に伴い出家する。(第10賢木冷泉帝光源氏譲位申し出たことにより、冷泉帝自身出生の秘密知ったことに気づいた光源氏王命婦秘密漏らしたのか問い詰めたが、王命婦には心当たり無かった。この時は御匣殿である。(第19薄雲

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/10 21:43 UTC 版)

左大臣 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説

光源氏最初正妻である葵の上頭中将らの父である。藤原左大臣家統領桐壺帝源氏とは公私共に親しい。桐壺帝頼みによって源氏烏帽子親となり、また舅となったことで、若き日源氏後見人となった。(第01桐壺源氏失脚して須磨退去した際には右大臣専横抗議して公職退いた。(第12須磨冷泉帝即位時には源氏要請を受け太政大臣就いた63歳。(「第14澪標」) 死去享年66。(「第19薄雲」)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 03:44 UTC 版)

軒端荻」の記事における「各巻での活動」の解説

空蝉と碁を打つところを光源氏垣間見られる。光源氏空蝉のところへ忍び込もう明かり落ちた部屋入っていったが空蝉いち早く逃げてしまっており、間違って軒端荻ところへ入ってしまう。光源氏人違いと気づいたがそのまま関係を持ってしまう。その後軒端荻側から求愛するうになる光源氏空蝉のことを思って受けない。(第03空蝉蔵人少将結婚するが、その一方で光源氏和歌やりとりをする。(第04夕顔その後光源氏和歌やりとりをしている。(第06末摘花

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各巻での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/16 01:44 UTC 版)

右大臣 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説

桐壺帝東宮(後の朱雀帝)の外祖父であることから勢威誇っているが、桐壺帝寵愛桐壺更衣にあることや、高麗人占い師による「この子供は帝王でもなく臣下でもない」という謎の予言などから皇位桐壺更衣の子光源氏)のものになることを恐れて皇位につくことが無いように臣籍降下させる。臣籍降下した際に光源氏烏帽子親となり、また舅となった左大臣との関係を良好なものにするため自分四の君左大臣嫡男である頭中将結婚させる。(第01桐壺宮中上げるつもりであった娘の朧月夜光源氏情を通じたことを知り初め朧月夜光源氏元に嫁がせようとする弘徽殿大后の強い反対によりとりやめる。(第09宮中上がった朧月夜がなおも光源氏通じているのを知って弘徽殿大后知らせて騒ぎ立て光源氏須磨退去原因作る。(第10賢木太政大臣になるがその後まもなく死去する死去した時点かなりの高齢だったとされる。(第13明石

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各巻での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 10:18 UTC 版)

宮の御方」の記事における「各巻での活動」の解説

母の蛍兵部卿宮との死別紅梅との再婚伴って紅梅の家(左大臣家邸宅)に移り住む。非常な内気義父となった紅梅にも姿を見せないほどであるが義理の姉となった紅梅中の君とは一緒に寝たりするほど仲がよい。紅梅自身の子である中の君匂宮のもとに嫁がせようとするが、匂宮中の君よりもこの宮の御方関心寄せて文をよこすようになる内気な性格から宮の御方自身匂宮からの文に返事出そうともしない。母の真木柱手紙返事代筆などをしながら匂宮多情な性格を思うと積極的にはなれず、娘は結婚生活には向かない性格だから生涯独身で過ごさせようかと考えたりしている。(第43紅梅匂宮は「按察大納言紅梅御方」に文を送るが、この「按察大納言紅梅御方」については花鳥余情湖月抄すみれ草のように紅梅実の娘であるとする説と、細流抄のようにこの「宮の御方」であるとする説とがある。(第49宿木) なお、宮の御方の姪にあたる「巣守三位」など、現行の54からなる源氏物語には含まれない巣守」なる巻にあった考えられるいくつかの記述含んでいることで知られる国文研本源氏物語系図では、この「宮の御方」は「匂兵部卿上」として立項されており、最終的に匂宮の妻となったとされていることから同系図が元にした「源氏物語」にはそのような記述があったと考えられる。なお、巣守関連記述を含む古系図は現在までに十数存在することが明らかになっているが、この「宮の御方」が匂宮の妻となったとする記述のあるのはこの国文研本古系図のみである。

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各巻での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/04 05:50 UTC 版)

髭黒」の記事における「各巻での活動」の解説

登場32歳から33歳程度初登場時点の官位左大将玉鬘心寄せ公達一人として登場する生真面目一途な性格だが、複数の妻を平等に扱うことが出来ないなど、平安貴族としては欠点多く持つ人物とされることや、すでに兵部卿宮長女紫の上異母姉にあたる)とは長年連れ添い、子(真木柱)ももうけていた。このようないくつかの問題があり、玉鬘本人養父光源氏玉鬘結婚相手としては乗り気ではなかった(第24胡蝶そのような立場にあったにもかかわらず玉鬘女房味方にして玉鬘寝所入り込み強引に妻にしてしまう。同人最初の妻(「鬚黒北の方」と通称される)は「物の怪憑き」であり発作起こすことがある。その心の病にも耐え続けてきたが、玉鬘見初め強引に関係を持ち妻に迎えてしまったために最初の妻との亀裂決定的なものとなり、この妻は娘の真木柱と共に実家戻ってしまった。(第31真木柱真木柱蛍兵部卿宮結婚させる。(第35若菜下今上帝即位すると、すでに死去していた今上帝外祖父髭黒の父)に代わり今上帝後見として太政大臣まで出世した。 後に玉鬘との間にも大君など3人の男子2人女子もうけたが、本人光源氏頭中将などとともに幻巻と匂宮巻の間で死去している。(第44竹河

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