各巻での活動
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当初浮舟の婚約者として登場する。しかしながら浮舟との婚約は浮舟の義父である常陸介の後ろ盾を求めてのことであり、浮舟がその実の娘でなく常陸介から好かれてもいないと知って仲人を責めて婚約を破棄し、常陸守と浮舟の母の間に出来た常陸介の実の娘と婚約し直した。(第50帖 東屋) 常陸介の実の娘を妻として常陸守の婿になっている。(第51帖 浮舟) 妻(常陸介の実の娘)が出産し、盛大に祝いを行っている。(第52帖 蜻蛉)
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各巻での活動
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光源氏が乳母(惟光の母)が病であることを知って見舞った際、約束無しでの突然の訪問であったため門が開かず門の前でしばらく待っているうちに隣家の様子が気になったという形で、光源氏と夕顔が結ばれる切っ掛けを作ることになった。その後も夕顔の素性を調べ、夕顔の屋敷の使用人と親しくなり、光源氏から夕顔への文を届けるなど、光源氏のために働いている。光源氏が夕顔を訪れる際には常に同行しており、夕顔が急死した際には兄の阿闍梨の協力を得て夕顔の亡骸を処理している。(第04帖 夕顔) 光源氏が若紫(=紫上)を見いだした際にもその保護者である北山の尼君とやりとりした手紙を持参している。尼君が死去して紫上が父である式部卿宮に引き取られそうになったことを主である源氏に知らせ、先回りして源氏が自邸に引き取る切っ掛けを作る。(第05帖 若紫) 何者とも分からないまま宴の場で光源氏が出会った朧月夜について、源氏に命じられて源良清とともにその素性を探っている。(第08帖 花宴) 光源氏のもとに引き取られた紫上の身の回りの世話をし、源氏と紫上が賀茂の祭りの見物をした際にもその準備を整えている。源氏と紫上の新婚三日目の儀が行われた際の用意も行っている。(第09帖 葵) 光源氏と花散里との関係についても花散里の様子を探り、花散里を訪れる光源氏に同行している。(第11帖 花散里) 光源氏が失脚し周囲のほとんどの人物が光源氏のもとを離れた際にも光源氏のもとを離れること無く光源氏の須磨退去にも帯同している。(第12帖 須磨) 須磨や明石でも光源氏に従って活動しており、須磨では源氏と和歌を唱和している。また光源氏の明石の方への訪問にも同行している。(第13帖 明石) 源氏の住吉参詣に帯同し、明石の方が源氏の様子をひっそりと見守っているのを見つけそのことを源氏に報告する。(第14帖 澪標) 帰京した源氏が末摘花の屋敷のそばを通った際に源氏に末摘花のことを語り、源氏に忘れていた末摘花のことを思い出させる。(第15帖 蓬生) 明石の方が上京することになった際、もともと明石の縁者の屋敷であったため明石の方が住むことになる大堰の山荘を源氏の命で整える。(第18帖 松風) 摂津守兼修理大夫になっており、五節の舞姫として自分の娘(のちの藤典侍)を献ずる。(第21帖 少女) 参議になっており、息子は源氏の家人となっている。(第32帖 梅枝) 娘藤典侍が夕霧の妻となる。(第33帖 藤裏葉) 本人の動向は不明ながら娘の藤典侍が夕霧との間に多くの子をもうけていることが記されている。(第39帖 夕霧)
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各巻での活動
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初瀬詣での帰りに病気の母尼を宇治に出迎えた折に身投げしたが死にきれず宇治院の樹の下に倒れていた浮舟を見つける。弟子たちが、「変化の者ではないか」・「すでに死んでおり、死体に触れると汚れる」などとして反対していたのを押し切って助ける。観音からの授かり物と考えた妹尼のために浮舟を小野の草庵に連れ帰る。さらにいつまで経っても浮舟が正気に戻らないため修行の山籠もりを中断して浮舟の為に修法を行い蘇生させる。意識の戻った浮舟の懇願に負けて授戒する。その後一品の宮病気回復祈願のため宮中へ赴いた際明石の中宮に「素性の不明な女性を助けた」と浮舟のうわさ話をする。(「第53帖 手習」) 明石の中宮から「素性の不明な女性」の話を聞いた薫が浮舟のことではないかと考えて横川を訪ねたことにより僧都は初めて浮舟の素性を知ることになる。その後薫に頼まれる形で浮舟に手紙を書いて小君に託している。(「第54帖 夢浮橋」)
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各巻での活動
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父藤原惟光は、源氏の命により娘を五節の舞姫として差し出すことを命じられ、気が進まないもののしぶしぶ出仕に応じた。光源氏の御前での舞の前稽古で初めて夕霧と出会う。夕霧から和歌を詠みかけられるが、このときには夕霧の素性を知らなかったので無視して返事をしなかった。のち五節の舞姫として舞を披露した際改めて夕霧に見初められ、文のやりとりをするようになった(第21帖 少女)。 このとき五節の舞姫を勤めた娘は典侍となって宮中にあがることがあらかじめ決められていた。惟光の娘も当初の予定通り宮中にあがって典侍となり「藤典侍」と呼ばれるようになった。このころから夕霧とつきあうようになったが始めは忍ぶ仲で、夕霧に仕えていた弟の兵衛尉が夕霧と藤典侍の間の手紙のやりとりを手伝った(第33帖 藤裏葉)。 女二の宮(落葉の宮)のところに通うようになった夫夕霧に怒って子供たちを連れて実家に帰ってしまった雲居の雁に消息文を贈って夕霧との仲をとりなす。夕霧の側室となって多くの子を産んだ。子供たちのうち三の君と次郎君は花散里が引き取って養育することになった(第39帖 夕霧)。 さらに末娘の六の君は器量が特に優れているということで女二の宮(落葉の宮)のもとで育てられた(第42帖 匂宮)。
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各巻での活動
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頭中将(内大臣)が、光源氏に評判の娘である玉鬘(実は自分の娘)がいるのを羨んでいたところ夢見により自分にも娘がいるのを知り(これも実は玉鬘のこととされる)、手を尽くして探したところ内大臣の長男柏木によって近江の国で見出された。父親の期待に反して早口であるなど姫君としての教養が無くあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。そこで長女弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。(第26帖 常夏) 近江の君のよろしくない噂は人々へと広がってゆく。(第27帖 篝火) 父の内大臣は近江の君の悪評について母の大宮に愚痴をこぼす(第28帖 野分) 近江の君の悪評を耳にした玉鬘は、光源氏に引き取られた自身の幸福をしみじみと感じ、光源氏に心を開いてゆく。それに対して、近江の君は玉鬘ばかりが誰からも大切にされるのを羨んで、ますます周囲にからかわれた(第29帖 行幸) 夕霧に懸想の歌を贈るが、それがまたとんちんかんな内容であったために余計に笑いものになる。(第31帖 真木柱) 双六で明石の尼君の幸運にあやかろうとして「明石の尼君明石の尼君」と呪文のような言葉を唱えている。(第35帖 若菜下)
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母が柏木の乳母であったため、若い頃には母と共に柏木に仕えており、薫の出生の秘密を知ることとなった。その後結婚して夫に伴って筑紫に赴いたが、夫は「よからぬ人」と表記されるような夫としてはあまり望ましくない人であった。その夫は筑紫で死去してしまい、その後八の宮の北の方のいとこであるという縁を頼って宇治八の宮家の女房となっていた。(第二部以前) 宇治の八の宮の屋敷を訪ねて来た薫に出生の秘密を語り、柏木の遺品を伝える。(第45帖 橋姫) 薫と宇治の大君の間をとりもとうとし、双方の意向を伝える。(第46帖 椎本) 匂宮を薫と思いこんで中の君の寝所に案内したため匂宮と中の君が結ばれる。(第47帖 総角) 宇治の大君の死を機に出家し、妹の中の君が二条院に迎えられた後も宇治に残り宇治の宮邸の留守を守る。(第48帖 早蕨) 薫が浮舟を三条の小家から宇治に連れ出すのを手伝う。(第50帖 東屋) 薫が訪ねて来たが顔をだすのを控える。(第52帖 蜻蛉) 大君を偲ぶ薫の話し相手となる。中将の君(浮舟の母)の話し相手となる。(第53帖 手習)
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各巻での活動
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歴代の播磨守から求婚される評判の明石の方の母として語られる(第05帖 若紫) 娘(明石の方)の養育に心を砕いている。(第12帖 須磨) 明石の入道が娘と光源氏が結ばれるよう働くのに対して「身分違いで結ばれても幸せにはならない」ことを理由に反対する。(第13帖 明石) 娘が孫(後の明石の中宮)を連れて京に上る際には夫と別れて娘や孫と共に上京する。(第18帖 松風) 孫の明石の姫君が紫の上のもとで育てられることになったときは、「子供の幸せのためだ」と悲しむ明石の方に諭している。(第19帖 薄雲) 孫が中宮となって皇子を産んだことで人々の羨望の対象になっており、近江の君などは双六の場で呪文のように「明石の尼君明石の尼君」と唱えている。(第35帖 若菜上)
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各巻での活動
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政略結婚によって父右大臣のライバルである左大臣の長男である頭中将の妻となる。(第01帖 桐壺) 柏木、紅梅、弘徽殿女御(冷泉帝の弘徽殿女御)ら数名の子をなしたものの、その後夫はあまり通ってこない。その原因だと思われた夕顔に脅迫状を送り夕顔が姿を隠す原因を作った。(第02帖 帚木) 年を経過して美貌の衰えがみられる。(第08帖 花宴) 娘を弘徽殿女御として入内させる。(第14帖 澪標) 入内させようとした父の意に反して思いを遂げて夕霧と結ばれた雲居の雁を妬ましく思う。(第33帖 藤裏葉) 長男の柏木を溺愛する。柏木のために女三宮の降嫁をはかろうとする。(第34帖 若菜上) 病気になった息子の柏木を自宅に引き取って看病し、逢いたいと望んだ妻の落葉の宮にも合わせない。(第35帖 若菜下) 看病のかいもなく息子の柏木は死んでしまう。(第36帖 柏木) 夕霧が亡き柏木の法要をねんごろに営んだことを喜ぶ。(第37帖 横笛)
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各巻での活動
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夕霧の六女(末娘)として生まれる。(第39帖 夕霧) 美しく賢明であるとの噂から懸想する貴公子も多く、宮中へ上げるために落葉の宮の養女として育てられる。(第42帖 匂宮) 匂宮の行状を心配した今上帝や明石の中宮によって匂宮と六の君の結婚が急がれる。その噂を聞いた宇治の大君が病み、とうとう死にまで到る原因になる。(第47帖 総角) 匂宮の正妻となる。乗り気でなかった匂宮であったが実際に会ってみるとその美しさや賢明さに気に入ることになり、宇治の中の君は嘆き悲しむ。(第49帖 宿木)
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各巻での活動
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宇治八の宮が北の方を亡くなったと後、八の宮に情けをかけられて浮舟を産む。しかし八の宮は世をはかなんで俗聖となったため、浮舟を子供として認知してもらうことが出来ず、自身も八の宮の妻(側室)といった地位を得ることもなかった。自身は陸奥守(後の常陸介)の後妻となって夫と共に陸奥国に下り、小君らの子をもうける。継父の常陸介は、実際の血筋は高貴ではあるものの実父から認知されていないため公には宮家の血筋であると主張できない、自分からみると厄介者でしかない浮舟のことを疎んじていた。そのために母はいっそう浮舟の将来を心配するようになっていった。そのような中で継父の常陸介に近づくことを望んだ中流貴族の左近少将との婚約が成立するが、左近少将が浮舟が継子であることを知ったために婚約を破棄されてしまい、いたたまれなくなった娘浮舟を中の君に託す。(第49帖 宿木) 浮舟が長谷詣でを行った際に薫に見初められ、薫から弁の尼を介して「浮舟を自分の元に迎えたい」との申し出があった際には、自分が身分の違いで辛い思いをしたことや、薫が他に多くの女性に求愛していることからいずれ自分と同じように見捨てられてしまうのではないかという心配もあって反対する。しかし、実際に二条院で匂宮や薫の姿を見て気が変わり、中の君の説得もあり浮舟を薫の許にやることにする。(第50帖 東屋) 薫の許にやったはずの浮舟が忍び込んできた匂宮と結ばれてしまう。事情を知らないまま、中将の君は心躍らせて浮舟の上京の準備を進めるが、弁の尼との会話が図らずも浮舟を追い詰める。別の子供の世話等に忙しくしている間に、浮舟は失踪してしまう。(第51帖 浮舟) 失踪した浮舟を身投げして死んだものと思い、悲しみに暮れながらも遺体の無いままで葬儀を行う。(第52帖 蜻蛉)
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各巻での活動
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「常陸介 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説
常陸守の任期を終えて家族を連れて上京する。(第49帖 宿木) 当初浮舟と婚約した左近の少将が、浮舟が常陸介の実子ではなくあまりかわいがられてもいないと知って常陸介の実の娘に乗り換えた。その際に左近の少将に対しての支援を約束する。その後妻が浮舟の世話を頼むために宇治の中君のところへ行くことが気に入らず怒って迎えを遣る。(第50帖 東屋) 浮舟の死を知り悲しむ。その後浮舟の四十九日の法要が行われた際には主人顔で列席する。(第52帖 蜻蛉) 浮舟が生きていることを知らないでいる。(山路の露)
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各巻での活動
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髭黒の年上の正妻として登場する。(第30帖 藤袴) 母「式部卿宮の北の方」は娘が幸せでないのを心配している。(第10帖 賢木) 夫との仲はあまり良くない。(第24帖 胡蝶) 夫が玉鬘に熱中するのを嘆く。ここ数年来物の怪に取り付かれている。夫が玉鬘と結ばれたのを切っ掛けに癇癪を起こし、雪の日に玉鬘のもとに出かけようとする夫に火取の灰を浴びせかける。加持をしても直ることなく夫婦仲が決定的に破局してしまい、父宮が引き取る形で娘の真木柱を連れて実家に帰る。(第31帖 真木柱) 夫との仲はほぼ完全に切れている。普段は心を病んだままだが正気の時には娘真木柱が夫蛍兵部卿宮との仲がよくないのを心配している。(第35帖 若菜下)
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各巻での活動
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「小侍従 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説
柏木から女三宮への文を託され女三宮に渡すが返事はない。柏木の頼みを断り切れず柏木を女三宮のもとへ導く。女三宮の懐妊を知って不安に思う。柏木から女三宮への文を光源氏に見られてしまったことを柏木に告げる。(第35帖 若菜下) 臨終間近の柏木の文を女三宮に届ける。(第36帖 柏木) 薫が5・6歳のころ胸の病で死去する。(第45帖 橋姫)
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各巻での活動
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光源氏の執拗な頼みに負けて、藤壺中宮のもとへと、光源氏を手引きしてしまい、中宮が世間的には桐壺帝の子として実は光源氏の子である皇子(後の冷泉帝)を産むことになる原因を作ってしまう。(第05帖 若紫) 藤壺中宮のもとへ再度忍び込んだ光源氏を手引きすることは断ったものの、光源氏が見つからないように寝所に隠す。後、藤壺に伴い、出家する。(第10帖 賢木) 冷泉帝が光源氏に譲位を申し出たことにより、冷泉帝が自身の出生の秘密を知ったことに気づいた光源氏が王命婦に秘密を漏らしたのか問い詰めたが、王命婦には心当たりは無かった。この時は御匣殿である。(第19帖 薄雲)
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各巻での活動
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「左大臣 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説
光源氏の最初の正妻である葵の上や頭中将らの父である。藤原左大臣家の統領。桐壺帝や源氏とは公私共に親しい。桐壺帝の頼みによって源氏の烏帽子親となり、また舅となったことで、若き日の源氏の後見人となった。(第01帖 桐壺) 源氏が失脚して須磨に退去した際には右大臣の専横に抗議して公職を退いた。(第12帖 須磨) 冷泉帝即位時には源氏の要請を受け太政大臣に就いた。63歳。(「第14帖 澪標」) 死去。享年66。(「第19帖 薄雲」)
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各巻での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 03:44 UTC 版)
空蝉と碁を打つところを光源氏に垣間見られる。光源氏は空蝉のところへ忍び込もうと明かりの落ちた部屋へ入っていったが空蝉はいち早く逃げてしまっており、間違って軒端荻のところへ入ってしまう。光源氏は人違いと気づいたがそのまま関係を持ってしまう。その後は軒端荻の側から求愛するようになるが光源氏は空蝉のことを思って受けない。(第03帖 空蝉) 蔵人少将と結婚するが、その一方で光源氏と和歌のやりとりをする。(第04帖 夕顔) その後も光源氏と和歌のやりとりをしている。(第06帖 末摘花)
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各巻での活動
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「右大臣 (源氏物語)」の記事における「各巻での活動」の解説
桐壺帝の東宮(後の朱雀帝)の外祖父であることから勢威を誇っているが、桐壺帝の寵愛が桐壺更衣にあることや、高麗人の占い師による「この子供は帝王でもなく臣下でもない」という謎の予言などから皇位が桐壺更衣の子(光源氏)のものになることを恐れて皇位につくことが無いように臣籍降下させる。臣籍降下した際に光源氏の烏帽子親となり、また舅となった左大臣との関係を良好なものにするため自分の四の君を左大臣の嫡男である頭中将と結婚させる。(第01帖 桐壺) 宮中へ上げるつもりであった娘の朧月夜が光源氏と情を通じたことを知り、初めは朧月夜を光源氏の元に嫁がせようとするが弘徽殿大后の強い反対によりとりやめる。(第09帖 葵) 宮中へ上がった朧月夜がなおも光源氏と通じているのを知って弘徽殿大后に知らせて騒ぎ立て、光源氏の須磨退去の原因を作る。(第10帖 賢木) 太政大臣になるがその後まもなく死去する。死去した時点でかなりの高齢だったとされる。(第13帖 明石)
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各巻での活動
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母の蛍兵部卿宮との死別と紅梅との再婚に伴って紅梅の家(左大臣家の邸宅)に移り住む。非常な内気で義父となった紅梅にも姿を見せないほどであるが義理の姉妹となった紅梅の中の君とは一緒に寝たりするほど仲がよい。紅梅が自身の子である中の君を匂宮のもとに嫁がせようとするが、匂宮は中の君よりもこの宮の御方に関心を寄せて文をよこすようになる。内気な性格から宮の御方自身は匂宮からの文に返事を出そうともしない。母の真木柱は手紙の返事の代筆などをしながらも匂宮の多情な性格を思うと積極的にはなれず、娘は結婚生活には向かない性格だから生涯独身で過ごさせようかと考えたりしている。(第43帖 紅梅) 匂宮は「按察大納言の紅梅の御方」に文を送るが、この「按察大納言の紅梅の御方」については花鳥余情、湖月抄、すみれ草のように紅梅の実の娘であるとする説と、細流抄のようにこの「宮の御方」であるとする説とがある。(第49帖 宿木) なお、宮の御方の姪にあたる「巣守三位」など、現行の54帖からなる源氏物語には含まれない「巣守」なる巻にあったと考えられるいくつかの記述を含んでいることで知られる国文研本源氏物語系図では、この「宮の御方」は「匂兵部卿上」として立項されており、最終的には匂宮の妻となったとされていることから同系図が元にした「源氏物語」にはそのような記述があったと考えられる。なお、巣守関連の記述を含む古系図は現在までに十数本存在することが明らかになっているが、この「宮の御方」が匂宮の妻となったとする記述のあるのはこの国文研本古系図のみである。
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各巻での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/04 05:50 UTC 版)
登場時32歳から33歳程度。初登場時点の官位は左大将。玉鬘に心寄せる公達の一人として登場する。生真面目で一途な性格だが、複数の妻を平等に扱うことが出来ないなど、平安貴族としては欠点を多く持つ人物とされることや、すでに兵部卿宮の長女(紫の上の異母姉にあたる)とは長年連れ添い、子(真木柱)ももうけていた。このようないくつかの問題があり、玉鬘本人も養父の光源氏も玉鬘の結婚相手としては乗り気ではなかった(第24帖 胡蝶) そのような立場にあったにもかかわらず玉鬘の女房を味方にして玉鬘の寝所に入り込み強引に妻にしてしまう。同人の最初の妻(「鬚黒の北の方」と通称される)は「物の怪憑き」であり発作を起こすことがある。その心の病にも耐え続けてきたが、玉鬘を見初め強引に関係を持ち妻に迎えてしまったために最初の妻との亀裂が決定的なものとなり、この妻は娘の真木柱と共に実家に戻ってしまった。(第31帖 真木柱) 真木柱を蛍兵部卿宮と結婚させる。(第35帖 若菜下) 今上帝が即位すると、すでに死去していた今上帝の外祖父(髭黒の父)に代わり、今上帝の後見として太政大臣まで出世した。 後に玉鬘との間にも大君など3人の男子と2人の女子をもうけたが、本人は光源氏、頭中将などとともに幻巻と匂宮巻の間で死去している。(第44帖 竹河)
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