紀三井寺
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紀三井寺(きみいでら)は、和歌山県和歌山市紀三井寺[1]にある救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)[2]の総本山の寺院。山号は紀三井山。院号は護国院。本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)。寺号は金剛宝寺であるが、紀三井寺の名前で知られている。西国三十三所第2番札所。
- ^ 紀伊國名草郡紀州徳川領紀三井寺村(のちの和歌山県海草郡紀三井寺町大字紀三井寺)
- ^ 宗派読みは次のサイトによる。“救世観音宗”. 教団データベース. 宗教情報リサーチセンター(公益財団法人国際宗教研究所). 2020年10月7日閲覧。
- ^ a b 平凡社[1997: 222]
- ^ 平凡社[1997: 226]
- ^ a b “紀三井寺の三井水”. 環境省. 2018年3月18日閲覧。
- ^ “近畿”. 公益財団法人日本さくらの会. 2015年3月21日閲覧。
- ^ a b この段落、平凡社[1997: 223]による。
- ^ a b c d e f g 平凡社[1997: 224]
- ^ 吉井[1984: 54]
- ^ 穀屋寺は山門横にあるが、これは近世における本坊護国院との争論の結果である(吉井[1984: 67-68])。
- ^ ご詠歌については次のウェブサイトを参照。“紀三井寺の詠歌”. 紀三井寺. 2015年4月5日閲覧。
- ^ 平凡社[1997: 223]
- ^ 大高[2012: 216-217]
- ^ 吉井[1984: 65]
- ^ 吉井[1984: 65-66]
- ^ 大高[2012: 217]
- ^ 吉井[1984: 66-67]
- ^ 吉井[1984: 68]
- ^ “エレベーターが完成”. 紀三井寺公式サイト (2021年3月2日). 2022年3月2日閲覧。
- ^ “全国的にも珍しい…紀三井寺にケーブルカー設置、貫主「体力面で諦めていた人もご参拝を」”. 読売新聞 (読売新聞社). (2022年4月5日). オリジナルの2022年4月5日時点におけるアーカイブ。 2022年4月5日閲覧。
- ^ a b “護国院(紀三井寺)本堂/1棟”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2015年3月18日閲覧。
- ^ 2008年から2010年にかけて、花山法皇の一千年忌を記念して西国三十三所の全札所寺院の結縁開帳が実施されるのにあわせて、これらの像も特別開扉された。開扉期間は2008年(平成20年)10月10日 - 10月20日、2009年(平成21年)10月10日 - 10月20日、および2010年(平成22年)3月1日 - 3月10日。
- ^ 像高は久野健編『仏像巡礼事典』新訂版(山川出版社、1994)による。以下も同じ。
- ^ a b 平凡社[1997: 225]
- ^ “護国院(紀三井寺)多宝塔/1基”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2015年4月7日閲覧。
- ^ “護国院(紀三井寺)鐘楼/1棟”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2015年4月7日閲覧。
- ^ “紀三井寺の豆辞典1”. 紀三井寺. 2015年4月7日閲覧。
- ^ “護国院(紀三井寺)楼門/1棟”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2015年4月7日閲覧。
- ^ “紀三井寺三井水”. 紀三井寺. 2015年4月7日閲覧。
- ^ 護国院楼門(1908年〈明治41年〉4月23日指定、重要文化財)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2015年4月7日閲覧。
- ^ 護国院鐘楼(1908年〈明治41年〉4月23日指定、重要文化財)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2015年4月7日閲覧。
- ^ 護国院多宝塔(1908年〈明治41年〉4月23日指定、重要文化財)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2015年4月7日閲覧。
- ^ a b c d e 和歌山県教育委員会(県指定文化財・有形文化財・建造物)
- ^ 以下、和歌山市指定文化財について次のウェブサイトを参照。“和歌山市指定文化財一覧”. 和歌山市教育委員会. 2018年3月18日閲覧。
- ^ 石段210段を速駆けで詣ろう 紀三井寺で来年1月に初開催 - 産経ニュース(2017年12月5日付、2019年4月5日閲覧)
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