法起院とは? わかりやすく解説

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法起院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/17 23:04 UTC 版)

法起院

本堂(開山堂)
所在地 奈良県桜井市初瀬776
位置 北緯34度31分58.15秒 東経135度54分35.49秒 / 北緯34.5328194度 東経135.9098583度 / 34.5328194; 135.9098583座標: 北緯34度31分58.15秒 東経135度54分35.49秒 / 北緯34.5328194度 東経135.9098583度 / 34.5328194; 135.9098583
宗派 真言宗豊山派
寺格 長谷寺塔頭
本尊 徳道上人像
創建年 伝・天平7年(735年
開山 伝・徳道
中興年 元禄8年(1695年
中興 英岳
正式名 長谷寺 開山坊 法起院
札所等 西国三十三所番外
公式サイト 長谷寺番外札所 長谷寺開山堂 法起院
法人番号 3150005004037
法起院
法起院 (奈良県)
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法起院(ほうきいん)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派寺院総本山長谷寺塔頭本尊徳道上人像。西国三十三所番外札所。

御詠歌:極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮(はちす)の へだてやはある[注 1]

歴史

寺伝によれば、奈良時代天平7年(735年)に西国三十三所観音霊場を創始したと伝えられている徳道によってこの地に草庵が建てられたことに始まるとされる。徳道は晩年に当院の境内にあるの木に登り法起菩薩となって遷化したといわれる。当院の名称はそれに由来する。境内には徳道の廟と伝えられる十三重石塔がある[1]

江戸時代前期の元禄8年(1695年)に長谷寺化主の英岳僧正が当院を再興し、長谷寺開山堂とした[1]

初瀬川を渡るとかつて長谷寺鎮守社であった與喜天満神社がある。

境内

  • 本堂(開山堂) - 本堂である開山堂は本尊を祀る堂としては珍しく北面を向いている。これは長谷寺本尊十一面観世音菩薩に対面するように位置づけられたからであるという。さらには、東側にある與喜天満神社に面している鬼瓦は隠されるような造りとなっている[2]
  • 徳道上人御廟 - 十三重石塔。徳道の墓。
  • 庚申
  • 弁財天
  • 上人沓脱ぎ石
  • 庫裏
  • 山門

前後の札所

西国三十三所
7 岡寺 - 番外 法起院 - 8 長谷寺

所在地

  • 奈良県桜井市初瀬776

アクセス

脚注

注釈

  1. ^ この御詠歌は徳道が詠んだ歌とされている。

出典

参考文献

  • 法起院配布パンフレット『西国巡拝開基・徳道上人御廟所 法起院』
  • 現地説明板

外部リンク




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