他団体との交流
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のちにプロ格闘技の興行とは一定の距離を置いた大道塾ではあるが、1990年代にはサブミッションアーツレスリングと交流し、そののちも中国の武術太極拳散打や合気道S.A.、パラエストラ、覇天会などの団体などとは技術的な交流もあり、大道塾所属の選手がキックボクシング(R.I.S.E.等)や総合格闘技に挑戦しているケースもあり、他団体との技術交流は盛んである。 さらに北斗旗選手権には日本拳法やフルコンタクト空手等の他流派・団体からの挑戦者も多い。過去にはボクシング、武術太極拳散打、テコンドー等の選手が出場したこともある。
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他団体との交流
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過去に全日本空道連盟大道塾の総本部にて、覇天会のフルコンタクト合気道クラスが開かれていた。
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他団体との交流
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「JWP女子プロレス」の記事における「他団体との交流」の解説
JWPは団体対抗戦ブームより活動を続ける数少ない女子プロレス団体の1つであるため他団体との交流は比較的多く現在は国内で活動するほとんどの女子プロレス団体と何らかの交流を持っている。JWPの自主興行への参戦は所属が再び増加した現在は後楽園ホール大会を除けば減少傾向にあるがJWP所属選手の他団体参戦については主にOZアカデミーなど所属選手の少ない女子プロレス団体やアイスリボンのような興行数の多い女子プロレス団体へ積極的に参戦させている。
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他団体との交流
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diana(ディアーナ)が誕生する前は、トリコロール・ランサーズが横浜戦のチアリーディングを行なっていた。その関係で結成当初からチア交流が続いている。 2007年よりチア・ドラゴンズ、M☆Splash!!との3球団合同リハーサルをきっかけにチア交流が続いている。この3チームは「Dream Park 野球場へ行こう」を同じ振付で共有している。ただし、2015年以降チア・ドラゴンズとの交流はない。2019年は交流が復活する模様。 マツダオールスターゲーム2011では、主催者以外の多くが3名なのに対して、えみな、梨紗、いつみ、美穂の4名が派遣された。さらにラッキー(阪神タイガースのマスコットキャラクター)のバックダンサーにも参加した。 2011年には、Passionとの相互訪問によるチア交流が実現した。 2012年のセパ交流戦期間では、新マスコット「DB.スターマン」の紹介を目的にパリーグ6球団の主催試合にチア数名が派遣された。 2012年7月7日、かねてから交流の深かったチア・ドラゴンズとのナゴヤドームでの相互交流が実現した。 マツダオールスターゲーム2012では、えみな、梨紗、彩花の3名が派遣された。 マツダオールスターゲーム2013では、Natsuki、Reikaの2名が派遣された。 マツダオールスターゲーム2014の第1戦では、Saria、Shioriの2名が派遣された。 2015年から4年間は相互交流は関東圏球団のみだったが、2019年にはチアドラゴンズとの相互交流が再び行われるようになった。
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他団体との交流
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「DRAGON GATE」の記事における「他団体との交流」の解説
他団体との交流には慎重で、あくまでも提供試合や選手派遣に留めていることがほとんどで、互いのアングルに干渉するような大規模な団体対抗戦は行っていない。追求しているものがあくまでもプロレスの「面白さ」や「格好よさ」であり、メジャー団体のような「強さ」ではないためである。2006年11月24日、開国宣言して積極的に他団体と交流することを発表。 新日本プロレス 望月成晃とB×Bハルクが新日本の別ブランド「LOCK UP」に参戦したことをキッカケに本格的に交流を見せた。DRAGON GATEからは望月やハルクの他、ドン・フジイや神田裕之、CIMAも新日本のリングに上がり、ハルクはBEST OF THE SUPER Jr.にもエントリーされた。逆に新日本からは獣神サンダー・ライガーを始めとする元C.T.Uのメンバーの邪道と外道、スポット参戦として金本浩二や永田裕志などがDRAGONGATEに参戦。2009年にYAMATOがBEST OF THE SUPER Jr.とSUPER J-CUPに出場。2011年にG1 TAG LEAGUEにフジイが石井智宏とタッグを結成して出場。2012年のWORLD TAG LEAGUEに望月が永田とのアンチエイジングタッグで出場。逆に12月2日の名古屋国際会議場大会で帰ってきたベテラン軍にサプライズで永田が参戦している。2016年のSUPER J-CUPにEitaが出場して1回戦で獣神サンダー・ライガーと対戦して敗れはしたが、大きなインパクトを残した。 全日本プロレス 長らく交流のないプロレス団体であり、TARUや近藤修司など出身者、元所属選手が居るため(元所属選手で他団体で活躍の選手と交流、タッグは日本では同じテレビ画面に映ることはなかったためである)交流はないものと思われたが、2011年1月24日にJCBホールで「GAORA開局20周年記念 スーパーファイト2011〜全日本プロレス・ドラゴンゲート 夢の競演〜」の開催を発表。ZERO1で望月と元所属選手の菅原拓也が顔を合わせたとき同様、土井成樹と元所属選手の近藤がタッグマッチではあるが対決することになった。2014年に全日本が開催するJr. BATTLE OF GLORYに望月がエントリーして、その後も新井健一郎、K-ness.が参戦している。2018年には鷹木信悟がチャンピオン・カーニバルにエントリーし、開幕戦から三冠ヘビー級王者であった宮原健斗からスリーカウントを奪い大きな爪跡を残した。また、望月成晃とシュン・スカイウォーカーがJr. TAG BATTLE OF GLORYにエントリー。交わることの無かった近藤修司との対戦も実現している。2019年には吉田隆司がチャンピオン・カーニバルへ出場、同年のJr. TAG BATTLE OF GLORYにエントリーしたKagetora&ヨースケ♡サンタマリア組は予選リーグをトップで決勝に進むも、決勝戦で敗退し準優勝という成績を残している。2020年1月には横須賀ススムが世界ジュニアヘビー級王座を獲得している。 プロレスリング・ノア ディファカップなどでの絡みはあった。2007年にCIMA、横須賀享、ドラゴン・キッド、土井、堀口元気、新井、岩佐拓などが参戦した。特にCIMAと丸藤正道、土井とKENTAの抗争も生まれた。一方のノアからもムシキング・テリーやリッキー・マルビン、さらにはKENTA、ストーカー市川の対戦相手Xとして秋山準もDRAGON GATEに参戦。その後は疎遠となっていたが、2019年には望月成晃が3月のノア後楽園ホール大会で初参戦している。望月はその後もノアの試合に継続的に参戦し、9月にはN-1 VICTORYにも出場、2020年1月には丸藤正道とのタッグでGHCタッグ王座を獲得している。2021年6月13日の無観客大会ではEitaがPERROS DEL MAL DE JAPONに加入。そして、2021年10月にはEitaが、GHCジュニアヘビー級タッグ王座を、そして望月が2021年11月に、GHCナショナル王座獲得するなど、話題が続いている。そして2022年3月には、EitaがGHCジュニアヘビー級王座を取る等、益々話題が続いている。さらに、3月23日後楽園ホール大会で、Z-Bratsのシュン・スカイウォーカー、H・Y・O、SB KENToが、姿を現し、4月29日に行われる両国国技館大会に、参戦表明した。そして、5月5日の愛知県体育館大会で、PERROS DEL MAL JAPONが、オープン・ザ・トライアングルゲート王座に挑戦し、GOLD CLASSを破り、新王者組となった。6月7日の後楽園ホール大会で、小川、吉岡、進組のSTINGERと初防衛戦を行うも、敗れ初の他団体にベルト流出となってしまった。試合後、新王者組となったSTINGERにNOAHJr.正規軍の原田、小峠、YO-HEY組が挑戦表明し、翌日6月8日の後楽園ホール大会で、初防衛戦が行われ、NOAHJr.正規軍が、STINGERを一日天下で終わらせ、新王者組となった。試合後、PERROS DEL MAL JAPONが現れ、挑戦表明し、6月23日の新宿FACE大会で、初防衛戦が行われる予定だったが、王者組の一人の原田が、発熱の為、王座は返上され、代打としてエクストリーム・タイガーが加わり、改めて王座決定戦が行われ、PERROS DEL MAL JAPONが新王者組となった。 プロレスリングZERO1 ディファカップにエントリーされたスペル・シーサーがいち早く参戦して、その後は望月と格闘探偵団バトラーツからの友人同士でもある日高郁人の繋がりから2007年の夏から望月が本格的に参戦している。インターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得した他に天下一Jr.や火祭りにも参加している。ちなみに元DRAGON GATE所属選手の菅原と6人タッグマッチながら望月は対戦している。ドラゴン・ゲートと元DRAGONGATE所属選手がリングで顔を合わせるのは望月と菅原が初であった。またストーカー市川も大森隆男と対戦している。その後は望月と鷹木信悟が参戦し、大谷晋二郎も望月の自主興行「武勇伝」に参戦して武勇伝に至っては橋本大地も参戦(パートナーは横山佳和)していた。2011年、横須賀享が天下一Jr.に出場。準決勝で澤宗紀に敗れ、決勝進出を逃した。2012年、NWAインターナショナルライトタッグ王座決定戦の3WAYマッチにてジミー・ススム&ジミー・カゲトラ組が第12代王者組となり、2度の防衛に成功している。 WRESTLE-1 2013年9月8日のWRESTLE-1東京ドームシティホール大会に望月が、2016年12月9日の後楽園ホール大会に鷹木が参戦。 大日本プロレス 望月の自主興行「武勇伝」に関本大介やMEN'Sテイオーなどが数回参戦したが、デスマッチが主軸の大日本とルチャリブレが主軸のDRAGONGATEが交わることは無かった(大日本の社長の登坂栄児が、DRAGONGATEで頻繁に行われているコントラマッチを好まないことも影響している)。ところが2012年に新井が佐々木貴と組んで有刺鉄線デスマッチに参戦して谷嵜なおき(フリーとしての参戦契約解除の後、ダブプロレスに入団)が過去に継続で参戦していた。大日本のストロングBJが確立された2013年以降は、関本と岡林裕二がタッグで散発的ながらDRAGON GATEに年に1回から2回のペースでゲスト参戦し続けている。団体名をDRAGONGATEに改名時に袂を分けた元闘龍門X所属選手(バラモン・シュウ、バラモン・ケイ、ヘラクレス千賀、ツトム・オースギ)が大日本にレギュラー参戦している。現在、鷹木信悟が不定期ながら参戦しており、2017年には岡林裕二とのタッグで大日本最侠タッグリーグ戦に出場している。 DDTプロレスリング 2007年4月18日に新宿FACEでDDTとの合同興行「DDG」を開催。2008年4月6日に後楽園ホールでDDTとの合同興行「DDG」を開催。望月の自主興行「武勇伝」などでも交流があり、戸澤アキラ対男色ディーノ戦はある意味話題に上がった。一時期、飯伏幸太の参戦もあった。その後、交流が一時途絶えた。しかし、2012年にCIMAのTwitterが縁で高木三四郎が初参戦している。2012年6月5日に東成区民センターでDDTとの合同興行「DDG」を開催。その後は諸事情により、交流が一時途絶えたがDDTにレギュラー参戦している、大鷲透の計らいより2021年10月10日の長野大会に神田裕之が、12月18日の名古屋大会には、横須賀ススムが参戦した。。 みちのくプロレス 闘龍門JAPANの旗揚げ戦の前にメキシコから逆上陸して初参戦したプロレス団体が、みちのくプロレスである。DRAGON GATEに名称を変更した後も2017年10月には、CIMAとドン・フジイのデビュー20周年記念大会にザ・グレート・サスケや新崎人生がゲスト参戦し、花を添えた。2018年9月には、椎葉おうじ、箕浦康太が神戸大会に参戦している。 大阪プロレス 同じ関西に地盤を持つ大阪プロレスとは闘龍門JAPAN時代から犬猿の仲と言われており、初めて接点を持ったのは2004年の大阪プロレス主催のSUPER J-CUPだったがギリギリまで参戦を渋っていた。元所属選手のマグニチュード岸和田とGammaが参戦していることから繋がりを持つ可能性は低いと思われていたがスペル・デルフィンが大阪プロレスから離れたことにより状況は一変。VKFプロレスでシーサーズが大阪プロレスの選手と対戦。2008年11月にはストーカー市川がデルフィン・アリーナに乗り込み、闘龍門出身の松山勘十郎とタイトルマッチを行った。その後、望月やフジイも参戦して秀吉の正体とされる人物が過去に旧闘龍門JAPANに参戦していたことを明かした。また、CIMAはレフェリーのテッド・タナベの追悼興行に単発で参戦した。2010年にCIMAが週刊プロレスのコラム上で大阪プロレスを批判する内容を記載したことからDRAGON GATEの大阪大会にタイガースマスクとブラックバファローが乱入し抗争が勃発して2010年4月18日にスペル・シーサーがタイガースマスクに敗北してオープン・ザ・ブレイブゲート王座が流出。6月18日に両団体のエースであるCIMAとビリーケン・キッドのシングルマッチを含む全面対抗戦の開催が決定。6月にはスタジオマッチにタイガースマスク、ブラックバファロー、The Bodyguardの新生LOVが乱入して、その後は両プロレス団体の王座が、それぞれの場所に戻り、抗争は終了している。2012年9月にウィンドウズMGの助っ人として政宗が参戦し、ドラゴン・キッドの持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦した。その後、2014年4月29日の興行より、大阪プロレスが新体制に移行したため、プロレス団体同士としては表立った交流は行わないものの、岸和田やGammaら元所属選手を中心に所属選手の派遣交流が行われている。 2AW(旧:KAIENTAI DOJO) K-DOJOの旗揚げ戦と闘龍門2000プロジェクトの旗揚げ戦がほぼ同時期で、両団体とも小柄な選手が多く、2005年の半ばから交流を持ち、主に旭志織と大石真翔が定期的に参戦していた。旭と大石以外もPSYCHO、アップルみゆき、SUPER-X、火野裕士、TAKAみちのくが数回参戦していた。DRAGONGATEから参戦した選手は望月、フロリダ・ブラザーズ、鷹木信悟である。特に鷹木と火野の抗争もあったが、大きな対抗戦には発展していない。その後は「武勇伝」や年末のインディーサミットで顔を合わせる程度になり、しだいに疎遠になってしまった。しかし、2008年にTAKAが久しぶりに参戦し、円華もK-DOJOを離れる前にWORLD-1の助っ人やKING OF GATEに出場している。時折TAKAが本体の興行に参戦する場合もあった。2016年、K-DOJO大阪大会にK-ness.が参戦している。2017年10月にTAKAがCIMAとドン・フジイのデビュー20周年記念大会に参戦している。 沖縄プロレス 大阪プロレス同様、ほぼ交流はないと思われているが、元DRAGONGATE所属選手のカツオが覆面レスラー「ウルトラマンゴー」として約1年ほどリングに上がっていたり、HUBが帰ってきたベテラン軍に関西大会限定参戦ながら加入。 琉球ドラゴンプロレスリング 琉球ドラゴンの協力の下、2014年から開催されている沖縄大会。その大会において毎年提供試合が行われている。2021年に団体としての業務提携を開始し、2021年の九州シリーズにグルクンマスクと首里ジョーが参戦した。2022年には我栄トーナメントで吉田隆司が優勝している。 ダイヤモンド・リング 健介オフィスの旗揚げ戦の前に佐々木健介、中嶋勝彦、北斗晶が頻繁に参戦して佐々木はフロリダ・ブラザーズのサポートメンバーにケンスキー佐々木として参戦。中嶋はFinal M2Kの助っ人として北斗は佐々木のセコンドやストーカー市川とのコメディマッチが定番だった。2009年には望月成晃とのタッグでSummer Adventure Tag Leagueに中嶋が参戦して準優勝を果たした。健介オフィスを設立してからは特に関わっていなかったが、武勇伝で再び急接近して交流が再開している。ちなみに、現在は引退しているが、元DRAGON GATE所属選手の三島来夢は退団後に健介オフィスに所属。健介オフィス自主興行の際には単発ではあるが、K-ness.、横須賀享、新井健一郎などが参戦していた。 九州プロレス 2020年7月の大会で、横須賀ススム&堀口元気が九州プロレスタッグ王座を獲得し、(その以前にも新井健一郎が、参戦している。)2021年10月大会のグローカル・タッグトーナメントでは、斎藤了&神田裕之が参戦した。 ROH CIMAが最初にROHに参戦して大成功を収めたことから交流を持ち始め、ROHのリングには鷹木、斎藤了、キッド、堀口、土井、吉野正人など数多く参戦。逆にROHからもマット・サイダル、ジャック・エバンスがDRAGONGATEにレギュラー参戦しており、その他にオースチン・エイリース、ロデリック・ストロング、デリリアス、ジミー・レイブなどが続々参戦して、さらにDRAGON GATEとノアの全面協力のもとROH日本興行を成功させた。その後、金銭トラブルによって関係が悪化したため、業務提携を破棄している。 PWG 2006年からバトル・オブ・ロサンゼルスとダイナミック・ダムヴィレート・タッグ・チーム・タイトル・トーナメントに多くの所属選手が出場し、バトル・オブ・ロサンゼルスではCIMAは準優勝、2007年にはバトル・オブ・ロサンゼルスでCIMAが優勝している。 MLW 2020年2月3日、パートナーシップ契約を締結したことを発表。
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他団体との交流
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「プロレスリング・ノア」の記事における「他団体との交流」の解説
新日本プロレス かつては、秋山と永田の会合を皮切りに新日本プロレスとは三沢-蝶野正洋ラインを中心に行われ、GHCジュニアヘビー級王者になっていた獣神サンダー・ライガーが参戦した2004年7月のノア東京ドーム大会まで本格的な交流が続いた。 2005年5月14日、新日本東京ドーム大会に三沢が参戦し、約10か月ぶりの交流が実現した。同年7月のノア東京ドーム大会には、棚橋弘至が出場した。 2008年8月26日に行われた新日本プロレスの主催によるレッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行において、三沢・仲田両名がお祝いVTRで登場した。興行後の海野レフェリーの会見で、ノア勢の参戦も予定されていたことが明かされている。同年9月6日、日本武道館大会の会場を高橋裕二郎と内藤哲也のNO LIMITが視察した。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し、同年9月14日のROHディファ有明大会のダーク・マッチに出場し勝利を収め、同年9月27日のノア大阪大会でタイトルに挑戦したが敗北した。 2009年1月4日、新日本東京ドーム大会に三沢・杉浦・秋山・佐野が出場した。その後のノア興行に中邑・ミラノコレクションA.T.・天山広吉・金本浩二・ライガーが参戦した。同年に開催されたBEST OF THE SUPER Jr.にノアの所属選手として菊地・青木の2名が初参加している。同年10月12日、蝶野のデビュー25周年記念試合で蝶野・武藤・小橋がトリオを結成し、中西学・小島聡・秋山と対戦した。 2011年に入り、新弟子の養成について実質的な提携を行う方針が明らかにされた(詳細については後述。)。2013年以降は矢野通&飯塚高史がGHCタッグ王者に、ライガー&タイガーがGHCジュニアタッグ王者となり、2012年・2013年にはグローバル・リーグ戦に永田が参戦、2013年には優勝している。 2013年5月の小橋の引退試合では、永田・小島・棚橋が、同年8月の丸藤正道15周年試合ではタイガー・ライガーに加え中邑真輔とエース級の選手が参戦している。それ以降も中堅、ベテラン選手を中心に頻繁にノアのリングに上がり、ノアの選手も新日本の興行に出場していた。 2015年1月から鈴木軍がノアへ参戦した。鈴木軍の選手は、新日本所属または新日本がブッキングした選手であるが、新日本には参戦せずノアの興行に参戦していた。 2016年11月のノアの経営譲渡に伴い、鈴木軍や邪道&外道、矢野など新日本の選手が同年をもって撤退した。 その後、暫く両団体の接点はなかったが、2022年1月8日、新日本プロレスが主催する横浜アリーナで開催された「WRESTLE KINGDOM 16 in横浜アリーナ」で団体同士の対抗戦が行われた。 全日本プロレス そもそも交流はあり得ないと考えられていた全日本プロレスとは、三沢らの全日本プロレス離脱の一因となった馬場元子が全日本の経営から離れて武藤が社長になったこともあり、2004年7月10日のノア東京ドーム大会で三沢と武藤のタッグ対決が実現した。その後、同月18日の全日本両国国技館大会に三沢が4年ぶりに古巣参戦を果たし、小島と対戦した。同年10月には、武藤のデビュー20周年記念興行で三沢が武藤とタッグを結成している。 以後はVOODOO-MURDERSや佐々木健介・中嶋勝彦・曙・NOSAWA論外・MAZADAなどといった全日本系フリーのユニットや選手が、ノアマットに次々と上陸している。中には、全日認定の王座を保持したままノアの大会へ出場したこともあった。鈴木みのる/三冠王者=2006年12月10日・日本武道館、近藤修司/世界ジュニアヘビー級王者=2006年11月1日・後楽園ホールなど。後述のディファカップといった単発興行での接触もあった。 2008年9月28日の全日本横浜文化体育館大会で、丸藤が土方隆司の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦してタイトルを奪取した。 2009年8月30日、全日本両国大会に小橋と菊地が2000年6月の全日退団以来、9年ぶりに参戦した。小橋、菊地、伊藤旭彦 vs 小島、KAI、大和ヒロシの6人タッグが行われた。同年9月27日、日本武道館で行われた三沢追悼興行に武藤が参戦し、田上と社長タッグを組み高山善廣とタッグを組んだ小橋と初遭遇した。 2010年に入ると、新日本・全日本・ノアの3団体で調整が進められていた共通ライセンス構想から全日本が一方的に離脱したこと(詳細は、プロレスラー#共通ライセンス構想を参照されたい。)などから、一時交流が断絶した。 しかし、2011年の東日本大震災を契機に関係が徐々に改善しつつあり、同年4月に開催された全日本のチャンピオン・カーニバルに秋山が参戦するなど、一部で交流が再開。その後秋山が三冠王者となった事から、定期的に全日本のリングに上がった。 2012年には、近藤修司や大和ヒロシ、カズ・ハヤシに加えて普段は他団体の試合への参戦経験が殆ど無い諏訪魔が単発ではあるものの、ノアに参戦している。 2013年以降、ノアを離脱した秋山・潮崎・金丸・鼓太郎・青木の5人がフリーとして(後に正式に入団。後に潮崎、金丸、鼓太郎は離脱)全日本を主戦場としていることや、全日本のオーナーとなった白石伸生氏が他団体との交流を凍結し鎖国すると発言するなどし疎遠となった。 その後は団体運営が変更され、秋山が社長となって以降も直接的な交流はない状況が続いていたが、2018年のチャンピオンカーニバルに丸藤が出場。同年9月の丸藤デビュー20周年記念興行に秋山・大森・青木の3人が参戦した。 2019年8月の青木篤志追悼興行にノアから丸藤・杉浦・谷口・熊野の4選手が参戦し、同年9月のノア大阪大会には秋山が出場した。 プロレスリングZERO1(旧:ZERO-ONE)(旧:ZERO1-MAX) ヘビー級はプロレスリングZERO-ONE時代に橋本真也や大谷晋二郎、田中将斗らが参加した。ジュニアヘビー級は、プロレスリングZERO1-MAXの親会社であるファースト・オン・ステージとノアの共催で行われたディファカップでの繋がりから、日高郁人と藤田ミノルが参戦するようになった。KENTAや杉浦貴、菊地毅らがZERO1-MAXに度々参戦していた。FOSの中村祥之代表とノア首脳(仲田)とのパイプは、FOSがグローバル・レスリング連盟設立案をノアに持ち込むなどかなり強く、プロレスリング・セムの興行に日高を送り込んだり、GPWA興行で若手の混成タッグを結成したり、大谷が小橋欠場で空位になったGHCタッグ王座決定トーナメントに村上和成(当時ビッグマウス・ラウド)とのコンビで出場していた。 2007年に齋藤彰俊が火祭りに参戦して以降は交流が途絶えていたが、2012年、グローバルタッグリーグに大谷と橋本大地が出場し、同年5月には丸藤がZERO1に参戦した。2014年に合同興行を開催し、2017年の火祭りには拳王が出場し、2021年の火祭りには、稲村愛輝が出場した。 大日本プロレス 以前は、デスマッチ路線を主体としていたため直接な交流がなかった。 2011年3月、ドイツのwXwへ潮崎と鼓太郎が遠征した際、当時大日本プロレスのレフェリーだった李日韓が、潮崎と鼓太郎の試合をレフェリングした。 2013年、石川晋也が大日本所属として初めてノア興行に参戦。その後、石川と義人がGHCタッグ王座へ挑戦し、関本がグローバル・リーグ戦に出場。 2014年、大日本の興行にノアから丸藤や杉浦らが参戦した。 2015年のグローバル・リーグ戦に関本大介&橋本和樹が参戦し、2017年のグローバル・リーグ戦に野村卓矢が参戦した。 DDTプロレスリング ディファカップなどでの単発的な接触はあったが、それ以外ではプロレスリング・セムの興行に飯伏幸太が、ノアの選手会興行に男色ディーノが秋山のセコンドとして出場した。 2007年4月1日のDDTプロレスリングの大会に丸藤が男色ディーノと組んで、KUDO&マッスル坂井組と対戦し所属選手初のDDTマット参戦を果たした。同年5月6日に開催された「ディファフェスタ」のDDT主催興行「Cruiser's Game」にKENTAが出場し、KUDOとシングルマッチを行った。同年6月-7月のシリーズには、飯伏がノアに限定ながら参戦を果たし、丸藤とのタッグで日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に参加している。その後も選手派遣などの交流が続き、同年12月9日のDDT新潟フェイズさよなら興行には三沢がシークレット扱いで、鼓太郎と共に初参戦を果たした。 2014年8月12日のセムに、当時ユニオンプロレスの木髙イサミが参戦し、その後もノアの興行に出場している。 2015年9月には、KUDOと梅田公太が日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に出場した。 2017年、DDTのブランドであるDNAに潮崎が参戦し、同年8月の両国国技館大会には丸藤が出場、HARASHIMAと組みKO-Dタッグ王座を獲得した。それ以降、ガンバレ☆プロレスの石井慧介や岩崎孝樹が定期的に参戦する等、交流が行われている。 2020年1月29日、ノアが株式会社サイバーエージェントの連結子会社となり、DDTの高木三四郎がノアの代表取締役社長に就任した。 経営統合後、DDTとは同じグループの連結子会社の関係ではあるが、基本的には『CyberFight Festival』のようなイベント色の強い興行以外では、積極的な交流を行わない方針をとっている。 みちのくプロレス 丸藤がザ・グレート・サスケと対戦したが、その後は両団体の交流はなかった。しかし2007年7月には、単発ながら同団体所属の気仙沼二郎がノアの気仙沼大会に出場している。2010年にはジュニアヘビー級タッグリーグ戦にサスケと剣舞が参戦し、2011年には拳王と剣舞が参戦。2013年には石森太二が保持するGHCジュニアヘビー級王座に野橋太郎が挑戦するなど、単発的ではあるが交流している。 2014年より拳王がみちのくプロレス所属のままノアの全試合に参戦し、2015年には正式に所属となった。 2019年には新崎人生が、2020年にはディック東郷が参戦している。 大阪プロレス 初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座決定トーナメントに村浜武洋が参戦。2010年には、小峠篤司と原田大輔が日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦へ参戦。以後、単発的にノアへ参戦し、GHCジュニアヘビー級タッグ王座にも挑戦している。このため関西地区の興行を中心に、他の大阪プロレス所属選手が単発的に参戦する機会も増えていた。 2012年に小峠が、2013年に原田がノアに移籍している。 2014年、経営方針が変更され所属選手を持たない興行体制に変わったが、ノアの興行に元大阪プロレスの選手が参戦し、大阪プロレスの興行にノアの選手が参戦するなど交流は続いている。 道頓堀プロレス 選手の交互派遣を行っていた。 DRAGON GATE ディファカップなどで単発的な接触はあったが、共に業務提携しているROHの日本ツアーにおいてノアが東京大会、DRAGON GATEが大阪大会をサポートした。2007年にはGHCジュニアタッグ王者の鼓太郎&マルビン組に土井&吉野組、新井&岩佐組、堀口&土井組が連続して挑戦し、その後再挑戦した土井&吉野組がタイトルを奪取した。またタイトルマッチとは関係なくCIMAやドラゴン・キッドなども参戦し丸藤らと対戦しているが、ROHとDRAGON GATEの業務提携解消もあり、関係が途絶えていたが2019年に望月成晃、2021年にはEitaが参戦し、暫定的ではあるが交流が再開している。そして2021年大阪大会に、拳王と覇王(当時・金剛)が、オープン・ザ・ツインゲート王座に挑戦している。2022年3月23日後楽園ホール大会に、シュン・スカイウォーカー、SB KENTo、H・Y・Oが、NOAHJr正規軍を襲撃し参戦を発表し、更には7月21日の後楽園ホール大会には、YAMATO、Kagetora、そして1月5日の後楽園大会以来の参戦を果たす、ドラゴン・キッドが参戦する予定である。 2AW(旧:KAIENTAI DOJO) KAIENTAI DOJO時代は、2004年10月にTAKAみちのくが金丸のGHCジュニアヘビー級王座へ挑戦、2007年4月に丸藤がK-DOJOの興行に出場、2011年7月に開催された日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に負傷欠場となった石森の代わりに、滝澤大志がザック・セイバー・ジュニアと組み出場した程度であったが、2012年から同タッグリーグに旭志織とヒロ・トウナイのタッグが3年連続で出場し、単発的ではあるが他の興行にも出場してGHCジュニアタッグ王座にも挑戦している。他にも梶トマトや本田アユムがノアの興行に出場し、逆にK-DOJOの興行にノアの選手が出場するなど交流が行われている。 2016年まで社長のTAKAが鈴木軍の一員としてノアに継続参戦していたが、鈴木軍撤退以降はTAKAの参戦はなくなった。代わりに、リッキー・フジ・洞口義浩・吉野コータロー・柏大五郎・稲松三郎・マリーンズマスク・滝澤大志などの所属選手がノアの興行に出場した。 ダブプロレス 所属選手のHAYATAとYO-HEYが定期参戦し2017年9月にノアへ移籍したが、一時はノアとタブプロレスとの兼任所属となっていた。 ビッグマウス・ラウド 2005年11月の日本武道館大会に柴田勝頼が出場し、KENTAのパートナーとしてGHCタッグ選手権に挑戦した。同年12月のBML第2回興行には、齋藤彰俊が出場している。 2006年6月のBML第6回興行には、丸藤と森嶋が出場した。しかし、同年8月に柴田がビッグマウス・ラウドを退団。ノアでKENTAとのタッグ再開を予定していたがその後、柴田は総合格闘技に活動の中心をシフトした。同年10月には、村上和成・臼田勝美・原学がノアに参戦し、村上は三沢とシングルマッチで対戦している。そのことを裏付けるかのように、村上らは同じGPWAの主幹団体であるZERO1-MAX(現:ZERO1)にもほぼ同じ時期からレギュラー参戦しており、村上は同年11月のGHCタッグ王座決定トーナメントにもZERO1の大谷とのコンビでノアに再上陸、更に同じくZERO1の高岩も含めたトリオで12月の横浜大会にも引き続き参戦した。 2006年12月、もう一方の上井が興した興行UWAI STATIONの旗揚げ戦に、ノアの常連フリー選手の高山・鈴木・SUWAがタッグを組んで出場し、さらには直前に行われたノアのシリーズに参戦した外国人選手のブライアン・ダニエルソンも同じく出場している。 2007年、村上は丸藤の呼びかけに対して乱入という形で参戦を果たし、同年6月の横浜大会では暴走の果てに丸藤に勝利したが、その後、怪我をきっかけに出場が途絶えた。 2010年、村上と臼田が再度ノアに参戦したが、試合中に乱闘騒ぎを起こしノーコンテストとなった。その1週間後、力皇とモハメド・ヨネが保持していたGHCタッグ王座に挑戦したが敗れた。 キングスロード 三沢たちがかつて所属していた全日本プロレスが掲げていた「王道」をその名に冠する団体であることなどから、交流の可能性は皆無と見られていた。しかし、2006年4月の同団体の興行に三沢を含め4選手が参加することとなった。その後、キングスロード自体がZERO1-MAX(現:ZERO1)に吸収されるような形となった。 ダイヤモンド・リング 2005年の東京ドーム大会に健介と中嶋勝彦が初参戦した。以降もスポット参戦していたが、2008年からはプロレスリング・セムの共同開催を始め、グローバル・タッグリーグ戦への参戦やシリーズ継続参戦など、本格的な交流を開始していた。2008年9月に健介がGHCヘビー級王者に君臨したり、その後も頻繁に門下生をノアへ派遣するなど、自主興行数が少ない所属選手の主戦場となっていた。2014年に健介の引退に伴い団体として活動休止となったため、元所属であった北宮光洋がノア所属となり、中嶋も2015年7月にダイヤモンド・リングを退団しフリーとして引き続きノアに参戦した後、2016年1月に北宮と同様にノア所属となった。 WNC 選手の交互派遣が行われていた。 ドラディション(旧:無我) 藤波辰爾が三沢とタッグを結成したり、西村修や吉江豊がスポット参戦したことはあったが、3選手とも新日本プロレス所属時代であったため無我旗揚げ以降は接触が無かった。 2007年9月9日の日本武道館大会で三沢&潮崎組と藤波&西村組の特別試合が行われ、三沢と藤波は2005年5月14日の新日本プロレス東京ドーム大会でのタッグ結成以来、同じリングに上がった。 2013年12月7日に行われた田上の引退試合には、田上本人の希望で藤波が参戦した。以降、ドラディションの興行にノアの選手が出場するなど交流が再開され、長井満也やLEONAがノアの興行に定期参戦している。 フーテン プロモーション 代表の池田大輔はノアの旗揚げメンバーであり、定期的にノアへの参戦を続けている。 I.W.A.JAPAN 浅野起州オーナーは元全日本プロレスのプロモーターであり、その縁もありノア旗揚げ直後は頻繁に選手を派遣していた。 2010年10月にIWA側がUMA軍とノアの対抗戦を申し込み、ノア側では新ブランド「HONA」による選手派遣という形でこれに応じることとなり、久々に交流が復活しSEMにUMA軍団が参戦した。また、小峠が浅野オーナーの経営する花膳の看板息子にされている。 暗黒プロレス組織666 2004年に行われた666ディファ有明大会の試合中、当時の社長であるザ・クレイジーSKBが備品の破壊やノアの事務所に乱入したことにより、以降ディファ出入り禁止となっていた。 2014年8月12日のセムに宮本裕向が参戦し、以降もノアの興行に出場している。 スポルティーバエンターテイメント ヒデ久保田とヤス久保田がスポルディーバに所属していた際は、頻繁に参戦していた。 パンクラス 2015年からパンクラスMISSION所属の鈴木が鈴木軍の一員として参戦していたが、2016年12月に撤退している。 2019年からパンクラスイズム横浜所属のロッキー川村が継続的に参戦している。 WRESTLE-1 2019年12月31日の大阪大会に清宮と中嶋が参戦。また中嶋はWRESTLE-1チャンピオンシップの戴冠経験がある。 2020年の活動停止後は武藤敬司、征矢学、吉岡世起、稲葉大樹、藤村加偉らが定期参戦。武藤、征矢、吉岡は後に正式にノア所属となった。 プロレスリングFREEDOMS 2020年、進祐哉がマスクマン「サルバへ・デ・オリエンテ」として参戦し、その後素顔となり定期参戦中。 GLEAT プレ旗揚げ戦に拳王、杉浦、谷口が出場した。運営会社のリデット・エンターテインメントはかつて、ノアの親会社であった。 WWE 副社長を務めているジョニー・エースがノアの関係者とは旧知の仲とあって、2008年に潮崎がWWEのダークマッチに出場した。直後に正式オファーが来ていたが、3年間の長期契約となるため断ったと語っている。 2014年4月にノアを退団したKENTAが、同年7月に公開契約という破格の扱いで入団している。 インパクト・レスリング(旧:TNA) 2017年2月7日に業務提携を結んでいる。TNA時代の2007年10月にサモア・ジョーが参戦し、GHCヘビーに挑戦した。 2012年7月に開催された両国国技館大会では、サモア・ジョー&マグナスがGHCタッグ王座を獲得した。 2017年8月にはエディ・エドワーズがGHCヘビー級王座を獲得した。 ROH 合同興行の開催や所属選手の相互派遣等も行われていた。 WLW WLWはノア設立時の後見人であり、第2代GHCタイトル管理委員長のハーリー・レイスが主催していることから良好な関係にある。また、選手の相互派遣や留学生の受け入れ、合同レスリングキャンプを開催した。 MLW 所属選手のアレックス・ハマーストーンが、2019年のN-1 VICTORYに出場した。 IPW:UK 2019年1月に行われた初代IPWジュニア・ヘビー級王者決定トーナメントに原田大輔・HAYATA・タダスケ・YO-HEYの4選手が出場し、優勝した原田大輔が初代王者となった。 PWI 2002年、ノアの常連外国人選手だったマイケル・モデストが設立。 AAA 2010年3月19日、森嶋猛&石森太二がAAA世界タッグ王座を獲得している。同年5月23日、潮崎豪&青木篤志がAAA世界タッグ王座を獲得している。 IWRG 2019年12月5日、業務提携を結んだことを発表。
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