他格闘技、他団体との交流・試合・技術の吸収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 07:08 UTC 版)
「極真会館」の記事における「他格闘技、他団体との交流・試合・技術の吸収」の解説
大山倍達自らボクシング、柔道、合気道を学んでいたことから、道場には進取の精神があった。大山道場から極真会館へ組織変更した1964年にはタイへ遠征し、黒崎健時・中村忠・藤平昭雄がムエタイルールで、ムエタイと試合をした。 1969年4月にNETは「ワールドキックボクシング」を開催し始めたが、2か月前から各方面より選手を集め、ムエタイ選手や日本拳法空手道らに出場要請をし、極真会館へもオファーがあった。大山は高弟の山崎照朝・添野義二・及川宏を選りすぐり、極真ジム所属として参戦。キックボクシングはNET他、TBS、日本テレビ、東京12チャンネルの4局で放映され、「キック戦国時代」と呼ばれるほど、4局が視聴率争いにしのぎを削るブームで、新興スポーツとして注目されていた。参戦した山崎や添野がKO勝ちして強さをアピールしたことにより、結果的には後に開催されるオープントーナメント全日本空手道選手権大会の宣伝にもなった。
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