ジミー・ススム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 17:37 UTC 版)
しかし2012年3月にジミー・神田、斎藤"ジミー"了、堀口元気H.A.Gee.Mee!!、7月にはMr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィンが相次いで加入し、「ジミーズ」が存在感を発揮してきた。2013年末には斎藤・谷嵜とのタッグでオープン・ザ・トライアングルゲート王座を獲得した。 2014年2月には斎藤の負傷で一旦返上したものの、谷嵜・神田とのタッグで再び獲得。5月にはフラミータの保持するブレイブゲートに挑戦するも敗北。6月にKING OF GATE初優勝、さらに9月にはカゲトラと共にSummer Adventure Tag Leagueも制したが、優勝者として臨んだドリームゲート戦(YAMATO)、ツインゲート戦(T-hawk・Eita組)にはどちらも敗北し、ベルトを掴めなかった。 しかし10月には故障明けの斎藤が復帰祝いと称し、堀口・ススムとのタッグでトライアングルゲート戦を要求。CIMA・Gamma・フジイ組に勝利してトライアングルゲートを獲得した。 2015年2月5日、ハルクの持つドリームゲートに挑戦したが敗北。 8月6日、マッドブランキーとミレニアルズと解散マッチを行いミレニアルズが負けたことでとりあえずジミーズは守られたが、8月16日にもう一度マッドブランキーと解散マッチを行う事になる。 そして8月16日、YAMATOによりかなり追い詰められるが、K-ness.がYAMATOに塩攻撃をくらわせ、須賀ドラニーなども決め、最後はジャンボの勝ち!でフォールを奪い、ジミーズを守った。 9月27日、クネスカとして初のタッグリーグ優勝の座に輝き、10月4日、クネスカで土井とYAMATOの持つツインゲートに挑戦するが、獲得はできなかった。 2016年2月14日、鷹木の持つドリームゲートに挑戦し、約10年ぶりにドリームゲートのベルトを獲得した。 しかし3月6日、前ドリームゲート王者の鷹木との初防衛戦でパンピングボンバーで敗北。防衛回数0でドリームゲートを奪い返され、更に3週間天下とバカにされてしまった。 6月19日、京都大会でジミー・カゲトラとのタッグでツインゲート王座を奪取。 10月5日、東京後楽園ホールで「さよならジミーズゲート・ザ・ファイナル」が開催されてジミーズが解散。
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