旗揚げ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:23 UTC 版)
7月20日に、団体のフラッグシップタイトルとしてWMGヘビー級王座が制定され、両国国技館でWJ最強決定トーナメントが行われ、優勝者が初代王者に認定されるルールとされていたが、当日までにチャンピオンベルトの完成が間に合わず、ベルト無しの王座お披露目となった。 7月28日、プロレス転向を希望してWJでトレーニングしていた、総合格闘家のジャイアント落合が、WJ道場での練習中に意識を失い、急性硬膜下血腫により死去した。練習に立ち会っていた長州は、日刊スポーツのインタビューに「前方回転の受け身を取ったあと、足元がふらついて倒れた」と証言しているが、落合の師匠格にあたる佐竹雅昭は「受け身でそんな大きな事故にはならない」と格闘技通信にコメントした。これに対して永島は自身の著書の中で「(落合は徹夜のアルバイトを終えてから道場にやってきて)『気分が悪い』と言っていたので見学させていて、ほとんど練習はしていない。このことは警察の実況検分でもこちらの言い分がすべて認められている」「佐竹のマネージャーに経緯を説明し、佐竹にもちゃんと伝えるように頼んでおいたのに、ある時を境に向こうからの連絡が一切来なくなり、挙句の果てに一方的にWJに責任を押し付けようとした」と反論をしている。
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