旗揚げ前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:23 UTC 版)
新日本プロレスで現場監督を務めていた長州力は、2002年2月、武藤敬司らが全日本プロレスに事実上引き抜かれたことで監督の任から降ろされ、これと前後して企画宣伝部長で長州の盟友であった永島勝司も退社した。永島は他団体のアングルなどを企画する永島企画を立ち上げたが、この永島企画に2002年5月に新日本の体制を批判して退社した長州が合流し、社名をリキ・ナガシマ企画へ名称変更した。 永島と長州は、新団体設立のためにスポンサーを探し、長州のタニマチである北海道を中心に活動する企業家の福田政二の協力が得られることとなり、2002年11月にファイティング・オブ・ワールド・ジャパン(WJプロレス)を設立し、福田が代表取締役社長、永島が専務取締役、長州が取締役に就任した。WJ設立により、リキ・ナガシマ企画は凍結した。 旗揚げ興行前から2億円の資本金、道場の開設、巡業バスや社長専用車の購入、著名人を招いての忘年会などが話題となった。また所属選手についても、前年10月に新日本退団を表明していた佐々木健介、鈴木健想、プロレスリング・ノアの大森隆男を引き抜いたほか、谷津嘉章、越中詩郎らフリーのベテラン勢、またインディー団体のレスラーを対象に入団者を募り、旗揚げの体制を整えた。 長州はWJを旗揚げするにあたり、マスコミを通じて「プロレス界のど真ん中を行く」と発言していた。「プロレス界のど真ん中を行く」の意味について、長州の弟子で旗揚げ戦への参加が決定していた衆議院議員の馳浩は、自身のインターネットサイトで「福田社長が、どんぶり勘定の世界を企業会計の通用する社会にすることであり、また中国へと事業展開するための契機」としてWJプロレスを設立したと推測した上で、「WJの企業目標が、プロレス界の構造改革(猪木世界の排除)と社会貢献、アジアへの事業展開のとっかかりと考えると、なるほどど真ン中を行くという意味が理解できる」と解説した。
※この「旗揚げ前」の解説は、「WJプロレス」の解説の一部です。
「旗揚げ前」を含む「WJプロレス」の記事については、「WJプロレス」の概要を参照ください。
- 旗揚げ前のページへのリンク