沿史
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1962年7月2日:三共が扇薬品の営業権を譲受。3000万円を全額出資して設立。 1981年4月:阪東薬品の営業権を譲受。 1999年10月1日:シンエー(神戸市)及び協進(大阪市)と合併。ケーエスケーに商号変更する。
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沿史
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1953年(昭和28年)6月 - 大島屋として設立。 1961年(昭和36年)1月 - 兵庫血液銀行販売株式会社を合併。 1962年(昭和37年)2月 - 兵東薬販株式会社へ商号を変更。 1970年(昭和45年)4月 - 大村薬品の卸部門を合併。 1972年(昭和47年)4月 - 共栄薬品の卸部門を合併。 1986年(昭和61年)4月 - 大協と合併し、株式会社シンエーを設立。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 13:38 UTC 版)
1870年(明治3年) - 小林忠兵衛が名古屋市の「万信商店」に奉公にあがる。 1886年(明治19年) - 小林忠兵衛が愛知県名古屋市中区門前町に雑貨・化粧品・洋酒の店「小林盛大堂」創業 1888年(明治21年) - 医薬品卸部門を分離 1902年(明治35年) - 「合名会社小林大薬房」設立 1912年(明治45年) - 大阪市東区平野町に「合資会社大阪小林大薬房」設立 1919年(大正8年)「合資会社名古屋小林盛大堂」「合資会社大阪小林大薬房」を合併し「株式会社小林大薬房」に商号変更 「大阪店」を本社として「名古屋店」を「株式会社小林大薬房・名古屋支店」とする 1930年(昭和5年) - 商圏が関西一円、京都、神戸、奈良から大阪を基点とする私鉄・国鉄沿線、近畿一円、山陽、山陰、四国、九州に拡大する 1939年(昭和14年) - 龍角散の社長である藤井米次郎の援助を受け「小林大薬房・東京支店」開設 1940年(昭和15年)医薬品製造部門を分離し連結子会社として「(旧)小林製薬株式会社」設立 「小林大薬房・東京支店」閉鎖 1941年(昭和16年) - 中国の北京に「北京小林大薬房」開設 1946年(昭和21年) - 「株式会社小林大薬房・名古屋支店」が、「株式会社小林大薬房(大阪本社)」と分離独立して「株式会社名古屋小林大薬房」設立 1947年(昭和22年)再度東京へ進出「株式会社東京小林大薬房」開設 「株式会社大阪小林大薬房・神戸店」(兵庫県神戸市)開設 1950年(昭和25年)「株式会社東京小林大薬房・横浜店」(神奈川県横浜市)開設 「株式会社大阪小林大薬房・京都店」(京都府京都市)開設 「株式会社名古屋小林大薬房」が、中部地区での「キッセイ薬品」の販売委託を受ける(荒川長太郎合名会社と共同で中部地区での販売拡大をはかる。関西地区は田辺製薬・関東地区は東京田辺と鳥居薬品・北海道地区は武田薬品札幌支店が販売委託をうける)。 1951年(昭和26年)「株式会社名古屋小林大薬房・静岡店」(静岡県静岡市)に設立 「株式会社東京小林大薬房・新宿店」(東京都新宿区)開設 「株式会社大阪小林大薬房・広島店」(広島県広島市)開設 1954年(昭和29年)「株式会社名古屋小林大薬房」の本社を名古屋市中区大津町に移転 「株式会社大阪小林大薬房」「株式会社東京小林大薬房」が合併し本社を大阪として「株式会社小林大薬房」と商号変更し「株式会社東京小林大薬房」は、「株式会社小林大薬房・東京支店」として発足 1955年(昭和30年)「株式会社名古屋小林大薬房・沼津店」(静岡県沼津市)に設立 「株式会社小林大薬房・大井店」(東京都品川区)開設 1956年(昭和31年)「株式会社小林大薬房」は、製薬部門の「(旧)小林製薬株式会社」を吸収し「小林製薬株式会社」と商号変更(ここからは小林製薬を参考) 東京支店・大阪支店の医薬品卸業エリアは全て「小林製薬株式会社」の子会社「小林商事」(後のコバショウ、2008年に解散)が継承した。 1960年(昭和35年) - 「株式会社名古屋小林大薬房」を「株式会社小林大薬房」商号変更 1962年(昭和37年) - 「株式会社小林大薬房・四日市店」(三重県四日市市)に設立 1964年(昭和39年) - 「株式会社小林大薬房・浜松店」(静岡県浜松市)に設立 1965年(昭和40年) - 「株式会社小林大薬房・甲府店」(山梨県甲府市)に設立 1966年(昭和41年) - 「株式会社小林大薬房・豊橋店」(愛知県豊橋市)に設立 1967年(昭和42年) - 「株式会社小林大薬房・一宮店」(愛知県一宮市)に設立 1969年(昭和44年) - 「株式会社小林大薬房・松阪店」(三重県松阪市)に設立 1970年(昭和45年)「株式会社小林大薬房・松本店」(長野県塩尻市)に設立 「株式会社小林大薬房・長野店」(長野県長野市)に設立 1971年(昭和46年) - 「株式会社小林大薬房・飯田店」(長野県飯田市)に設立 1975年(昭和50年) - 「株式会社小林大薬房・岡崎店」(愛知県岡崎市)に設立その後「岐阜店」(岐阜県岐阜市)・「岡谷店」(長野県岡谷市)「金沢店」(石川県金沢市)を設立 2002年(平成14年)2月 - 「シーエス薬品株式会社」に営業権を譲渡 7月 - 自己破産を申請して倒産。負債総額約108億円
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 09:00 UTC 版)
1933年(昭和8年) - 香川県の岡内勧弘堂が徳島県美馬郡や三好郡に配置売薬を始める。 1934年(昭和9年) - 香川県の岡内勧弘堂が徳島県板野郡に配置売薬を始める。 1935年(昭和10年) - 香川県の岡内勧弘堂が徳島市に配置売薬を始める。 1942年(昭和17年)3月 - 岡内勧弘堂徳島出張所を開設。 1948年(昭和23年) - 岡内勧弘堂徳島支店に昇格。 1960年(昭和35年)10月 - 三好郡池田町に連絡開所。 1962年(昭和37年)11月 - 海部郡牟岐町に連絡所開所。 1958年(昭和43年)7月 - 勧弘堂薬品株式会社を設立(岡内勧弘堂が岡内勧弘堂徳島支店と株式会社竹重勧弘堂の業務を引き継ぐ)。 1961年(昭和46年)4月 - セトヤ薬品と勧弘堂薬品が合併して「弘和薬品株式会社」を設立。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:34 UTC 版)
天保3年(1832年) - 中澤復治が香美郡岸本村で創業。 1942年(昭和17年) - 「中澤寅吉薬輔」高知市に進出し営業開始。 1947年(昭和22年) - 「中澤寅吉薬業」本社を高知市本町5丁目に移転。 1949年(昭和24年) - 資本金1,500万円で「株式会社中澤薬業株式会社」に 商号変更。 1957年(昭和32年)5月 - 「株式会社中沢巌商店」(高知市蓮池町10)を資本金150万円で設立。 1962年(昭和37年) - 「中澤薬業」高知市本町に本社を新築。 1977年(昭和52年) - 「中澤薬業」高知市大津に本社を移転新築。 1995年(平成7年) - 香川県の「氏家薬品株式会社」と合併し「中澤氏家薬業株式会社」と商号変更。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 04:00 UTC 版)
1936年(昭和11年)7月 山尾一二が、京都府京都市南区に「山尾薬局」創業 1941年(昭和16年) 「京都医薬品配給統制株式会社」発足 1948年(昭和23年)12月資本金50万円で「株式会社山尾一二商店」設立 1949年(昭和24年)6月 京都市下京区河原町五条上ルに本社を新築移転 1963年(昭和38年)6月東京都に「大鵬薬品工業株式会社」(大塚製薬と全国の主要卸業者が出資して設立された企業である)を設立。滋賀地区独占販売契約を締結。大鵬薬品は1県1社代理店制度を採用する 1964年(昭和39年)3月 京都市下京区東堀川通高辻下ル五軒町385に本社新築移転 11月 奈良営業所を開設 1966年(昭和41年)2月 資本金2,100万円に増資 6月 滋賀営業所を開設 1967年(昭和42年)5月 高槻営業所、綾部営業所を開設 1968年(昭和43年)1月「山尾薬品株式会社」に商号変更 1971年(昭和46年)2月 資本金4,500万円に増資 5月 東大阪営業所を開設 1972年(昭和47年)12月 「共和薬品株式会社」を吸収合併し「東滋賀営業所」として発足 1977年(昭和52年)2月 資本金8,000万円に増資 6月 西滋賀営業所を開設 1984年(昭和59年)3月 豊中営業所を開設 1987年(昭和62年)4月 舞鶴営業所を開設 1988年(平成1年)12月 京都南営業所を開設 1994年(平成6年)4月1日「日本商事株式会社」に吸収合併される
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/01/01 14:39 UTC 版)
1942年(昭和17年)4月 - 中国の満州白城子において「興和薬房」を開業。 1946年(昭和21年)8月 - 終戦で日本に帰国。 1946年(昭和21年)10月 - 香川県の岡内勧弘堂に入社。 1951年(昭和26年)11月 - 「有限会社竹重勧弘堂」設立。 1966年(昭和41年)9月 - 「株式会社竹重勧弘堂」に商号変更・本社を徳島県徳島市西大工町に新築移転。 1968年(昭和43年)7月 - 勧弘堂薬品株式会社に業務を引き継ぐ。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/13 19:48 UTC 版)
明治39年1月創業者中川盛長が「半井万紹商店」(後の「半井株式会社)から暖簾別けを許され京都府京都市二条通車屋町東入北側にて「中川安七商店」創業 明治39年11月京都府京都市車屋町二条上ル西側にあった「三品」が廃業しそのあとに移転 明治39年創業時から「半井万紹商店」の取り計らいにより「武田長兵衛商店」(現在・武田薬品工業)と直接取引開始し、すぐに「塩野義」「田辺」の大阪御三家ら大阪の大手商店全部との直接取引開始。市内は「半井」との商業圏域が重なる為、市内は小売専門とし京都北部から滋賀県・福井県方面に出張した 明治41年嶋路源太郎(後の嶋路株式会社の創業者)が入店 明治41年「中川安商店」と商号変更 大正10年嶋路源太郎(後の嶋路株式会社の創業者)が暖簾わけで「嶋路源太郎商店」設立 昭和18年「日本売薬配給統制会社」に吸収合併 昭和19年1月「京都府医薬品統制会社」に統合 昭和20年11月「中川安商店」再開 昭和22年3月「東レ株式会社」のペニシリンを京都・滋賀の総代理販売店となる 昭和25年3月15日 資本金150万円で「中川安商店株式会社」を設立 昭和28年4月資本金400万円で子会社として「株式会社滋賀中川安」設立 昭和30年「ちどり会」結成 昭和33年「ALS会」結成 昭和33年5月首都圏進出の足がかりとして子会社「永和薬品商会」(東京都大田区中央2-23)設立 昭和33年9月「株式会社滋賀中川安」を統合 昭和35年4月「株式会社永和薬品商会」設立 昭和36年5月 子会社「株式会社永和薬品商会」を合併し「中川安・東京店」として発足 昭和37年5月「東京店・横浜営業所」設立 昭和38年1月 「中川安株式会社」に商号変更 昭和38年6月「東京店・世田谷営業所」「東京店・大田営業所」開設 昭和39年5月本社を「東京店」に移転 昭和40年5月「東京店・練馬営業所」開設 昭和41年2月「京都店・彦根営業所」開設 昭和41年5月「京都店・舞鶴営業所」開設 昭和41年6月「東京店・荒川営業所」開設 昭和42年4月「京都店・草津連絡所」開設 昭和42年4月「東京店・物流センター」設立 昭和42年7月「東京店・藤沢連絡所」開設 昭和42年8月「東京店・厚木連絡所」開設 昭和42年10月「東京店・調布連絡所」開設 昭和43年2月「東京店・横浜物流センター」開設 昭和43年4月「東京店・川崎出張所」開設 昭和43年4月「京都店・長浜連絡所」開設 昭和44年3月「京都店・物流センター」開設 昭和44年4月「東京店・多摩営業所」開設 昭和44年4月「東京店・小岩連絡所」開設 昭和44年7月「京都店・福知山連絡所」開設 昭和45年4月本社を東京都渋谷区神宮前に移転 昭和45年4月「東京店・千葉営業所」開設 昭和45年5月「東京店・埼玉営業所」開設 昭和45年7月「JMF」設立 昭和46年4月「大阪店」開設 昭和46年5月「大阪店・吹田営業所」開設 昭和46年6月「大阪店・寝屋川営業所」開設 昭和57年9月「東都圏支社・港営業所」開設 昭和58年11月「東都圏支社・港南営業所」開設 昭和59年12月「東都圏支社・平塚営業所」開設 平成12年10月 アズウェルに吸収合弁。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/27 01:44 UTC 版)
1832年:香美郡岸本村(現・香南市)で中澤薬業を創業。 1942年:高知市で営業開始。 1947年:本社を高知市に移転。 1949年:中澤薬業株式会社に商号変更。 1950年:香川県丸亀市で氏家薬品株式会社を設立。 1995年:氏家薬品と合併。現商号に変更。同時に高知・香川の2本社制になる。 2004年2月:愛媛県のよんやくと業務提携。 2004年10月:持株会社の四国薬業株式会社を設立。 2005年10月:メディセオ・パルタックホールディングス(現・メディパルホールディングス)の傘下となる。 2010年6月:建物の賃貸契約を結んでいる薬局に製品の購入を強要したことが独占禁止法違反(不公正な取引方法)にあたる恐れがあるとして、公正取引委員会から警告を受ける。 2017年5月8日:本社を南国市に移転。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 23:22 UTC 版)
1998年10月 「日本商事株式会社」と「昭和薬品株式会社」が合併し「株式会社アズウェル」に商号変更 1998年10月 「名古屋証券取引所第一部」に上場 2000年4月 アズウェルと神奈川県横浜市の高木薬品が合併、三共系卸の再編、首都圏攻略、物流に利点。 1999年2月 愛知県名古屋市に「健康文化館」設立 2000年9月 兵庫県神戸市に「兵庫物流センター」開設 2000年10月「中川安株式会社・資本金5000万円」と「中央興医会株式会社・資本金8000万円」を合併 2000年12月 「東京証券取引所第一部」に上場 2002年5月 埼玉県新座市に「首都圏物流センター」設立 2002年6月 連結子会社の調剤薬局として「永光薬品」を分離独立 2002年6月 連結子会社の「大商薬品産業」と名古屋市の「サム」が合併し「エーエムエス」を設立 2003年1月 連結子会社の「ネオーラ」解散 2003年2月 「福神株式会社」と「株式会社アズウェル」を中心に「アルフレッサ」・「アルフレッサ日建産業」・安藤(株)・岩渕薬品(株)・(株)小田島・(株)ケーエスケー・(株)恒和薬品・シーエス薬品(株)・四国アルフレッサ(株)・成和産業(株)・常盤薬品(株)・明祥(株)・(株)モロオ・(株)琉薬で「株式会社SAFE」を設立 2004年10月 「株式会社アズウェル」と「福神株式会社」が共同持株会社「アルフレッサ ホールディングス株式会社」を設立 2007年4月 武田薬品工業が、旧日本商事の商業圏で商品供給開始
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:55 UTC 版)
1892年(明治25年)2月 - 玉井武次郎は愛媛県温泉郡浮穴村大字森松で玉井冨平とヒデの3男として生誕 1912年(明治45年)7月 - 伊予郡上灘村の松本家の婿養子となり松本武次郎となる 1914年(大正3年) - 明治薬学専門学校に入学 1915年(大正4年) - 明治薬学専門学校を卒業 1917年(大正6年)12月 - 薬剤師免許を取得 1918年(大正7年)6月 - 愛媛県伊予郡郡中町灘町に松本武次郎商店を開業 1923年(大正12年) - 名古屋の「小林大薬房」と特約店契約締結 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦にて会社は消失 1946年(昭和21年)5月 - 「株式会社松本商店」を設立 1947年(昭和22年)12月 - 「松本薬品株式会社」と社名変更 1949年(昭和24年)3月 - 「松本薬品株式会社」から松本武次郎・松本紀一が退社 1949年(昭和24年)4月 - 「松本薬品株式会社」から「厚生薬品株式会社」(代表取締役社長 梶野賢太郎)と社名変更し松山市萱町3に移転新築 (松本薬品株式会社) 1949年(昭和24年)6月 - 資本金100万円で愛媛県松山市大街道1丁目に「松本薬品(株)」(代表取締役社長 松本紀一)を設立 武田薬品・三共等のメーカーと取引開始 1953年(昭和28年)6月 - 「今治連絡所」(後の今治支店)開設 1955年(昭和30年)8月 - 「八幡浜出張所」(後の八幡浜支店)開設 1955年(昭和30年)12月 - 「宇和島出張所」(後の宇和島支店)開設 1962年(昭和37年) - 「大洲出張所」(後の大洲支店)開設 1962年(昭和37年)5月 - 「愛媛給食資材株式会社」を合併 1963年(昭和38年) - 「新居浜出張所」(後の新居浜支店)開設 1963年(昭和38年)6月 - 東京都に「大鵬薬品工業株式会社」(大塚製薬と全国の主要卸業者が出資して設立された企業である)設立。愛媛地区独占販売契約を締結。大鵬薬品は1県1社代理店制度を採用する 1965年(昭和40年)7月 - 「水無月会」発足 1965年(昭和40年)11月 - 「愛媛タケダ会」組織 1966年(昭和41年)4月 - 「高知・中村連絡所」開設 1967年(昭和42年)6月 - 「宇和連絡所」開設 1967年(昭和42年)7月 - 特殊薬品部を分離して「松本食産株式会社」を設立 1968年(昭和43年)4月 - 「川之江連絡所」開設 1970年(昭和45年)6月 - 香川県観音寺市の「矢野薬品」卸部門を吸収合併し「香川松本薬品」設立 1971年(昭和46年)1月 - 新居浜市の「荒木薬品」(代表取締役取締役 荒木三樹雄)と合併 1972年(昭和47年) - 「NHI(株式会社日本ヘルス・インダストリー)」設立 1973年(昭和48年)1月 - 「西讃連絡所」開設 1973年(昭和48年)10月 - 「有限会社トキワ薬局」(徳島県徳島市寺島本町)の卸部門と共同出資し「常磐薬品株式会社」設立 1975年(昭和50年)10月 - 「愛媛大学医学部附属病院」開院 1976年(昭和51年)4月 - 「松本畜産」と「隼英医療器」合併し「株式会社コーワシステム」設立 1978年(昭和53年)4月 - 「武田薬品」「山之内製薬」より取締役派遣 1981年(昭和56年) - 香川県高松市の「香川松本薬品」を合併し「高松支店」に併合 1998年(平成10年) - 「椿会のメンバー・武田薬品・山之内製薬・エーザイ・大日本製薬・大塚製薬・大鵬薬品・住友製薬・吉富製薬・日本ロシュ・バイエル薬品・日本シエーリング・ゼリア新薬・ノバルティスファーマ」 1999年(平成11年) - 松本薬品(株)とサンエイ薬品(株)が合併し(株)よんやくとして発足
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:15 UTC 版)
1986年(昭和61年)4月 - 株式会社大協と兵東薬販株式会社が合併し、株式会社シンエーを設立。 1994年(平成6年)2月 - 新宮薬品株式会社を合併。 4月1日 - 上羽商事株式会社と合併。 1997年(平成9年)- 武村商事と合併。 1998年(平成10年)2月 - サンワ薬品株式会社を合併。 1999年(平成11年)10月1日 - 錦城薬品株式会社及び株式会社協進と合併し、株式会社ケーエスケーとなる。
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沿史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:27 UTC 版)
1906年 - 中国の上海にて「重松薬房」を開設 1945年 - 終戦にて帰国 1948年4月 - 株式会社重松薬房の大阪市内の3店舗を統合、資本金200万円で大阪府大阪市豊後町に株式会社重松本店を設立。 1988年6月 ‐ キンキ薬品株式会社、明快薬品株式会社、京薬株式会社と合併し、株式会社協進に商号変更。 1999年10月 - 錦城薬品株式会社、株式会社シンエーと合併し、株式会社ケーエスケーに商号変更。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:23 UTC 版)
1948年(昭和23年)4月 - 株式会社重松薬房の大阪市内の3店舗を統合し、資本金200万円で株式会社重松本店設立。 1968年(昭和43年)6月 - 千成宏精薬品商会を合併。 1988年(昭和63年)6月 - キンキ薬品株式会社、明快薬品株式会社、京薬株式会社が合併し、株式会社協進に商号変更。 1990年(平成2年)2月 - 株式会社ダイゴより医薬品卸部門を譲受。 1994年(平成6年)2月1日 - 新宮薬品株式会社を合併。 1999年(平成11年)10月1日 - 錦城薬品株式会社及び株式会社シンエーと合併し、株式会社ケーエスケーとなる。
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