代表的な落語家とは? わかりやすく解説

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代表的な落語家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 01:19 UTC 版)

落語家」の記事における「代表的な落語家」の解説

その他の落語家については落語家一覧Category:落語家参照落語四天王(らくごしてんのう人物詳細は各リンク先参照の事。初代三遊亭圓朝弟子初代三遊亭圓馬3代目三遊亭圓生4代目三遊亭圓生2代目三遊亭圓橘総称(「圓朝四天王」)。 上方落語明治活躍した初代桂文之助桂文左衛門2代目月亭文都初代桂文團治総称(「明治の上四天王」) 落語睦会所属していた6代目春風亭柳橋・8代目桂文楽2代目桂小文治3代目春風亭柳好総称(「睦の四天王」)。 当時消えかかっていた上方落語復興尽力した3代目桂米朝3代目桂春團治6代目笑福亭松鶴5代目桂文枝総称(「上方落語四天王」)。 1960年代テレビ中心にして起こった演芸ブーム台頭した東京当時若手落語家であった7代目立川談志5代目三遊亭圓楽3代目古今亭志ん朝5代目春風亭柳朝総称(「東京落語四天王」。落語評論家川戸貞吉5代目春風亭柳朝排して8代目橘家圓蔵加えていた)。 初代三遊亭圓朝さんゆうていえんちょう江戸末期から明治にかけて活躍した落語家落語筆記寄席近代化新作落語など、落語近代化尽くしたため「落語中興の祖」として仰がれ、現在も「圓朝忌」や「圓朝まつり」として法要イベントに名を遺す講談的な人情噺怪談噺を得意とした。人情噺では『塩原多助一代記』『文七元結ぶんしちもっとい)』など、怪談噺では『牡丹燈籠ぼたんどうろう)』『真景累ヶ淵しんけいかさねがふち)』『乳房榎(ちぶさえのき)』などが代表作である。後述林家彦六後年桂歌丸圓朝作の怪談噺を得意としていた。 明治期名士であり、夏目漱石小説などにも描かれた。墓は谷中にある。父は初代橘家圓太郎5代目古今亭志ん生ここんていしんしょう) 旧旗本美濃部家息子だが、遊び過ぎて勘当され、芸を志す当初落語だけでなく講談もやっていたが、一向に出ず赤貧生活が続いた当時の様子は『なめくじ艦隊』に詳しい。講談含め芸名15変えたことでも有名。 戦争中6代目三遊亭圓生と共に満州巡業に出かけ、そのまま行方不明戦後引揚げてから人気落語家になる。十八番に『火焔太鼓』、『唐茄子屋』など。6代目三遊亭圓生をして「道場なら勝てるが、真剣で立会ったら私が斬られる」と言わしめた。 高座酔って寝込むなどエピソードも多い。長男10代目金原亭馬生次男3代目古今亭志ん朝、孫は女優池波志乃3代目三遊亭金馬さんゆうていきんば) 大正から昭和にかけて活躍禿げ頭特徴で「やかんの先生」とも呼ばれた26歳若さ真打昇進し古典中心に持ちネタ多く博識万人向けわかりやすい落語人気集めた一方で評論家からの受けはよくなく、久保田万太郎やその弟子である安藤鶴夫からは評価されず、敵対関係となっている。代表的なネタは『居酒屋』など。 東宝名人会専属であったため、定席寄席出演する機会はなく、実質的にフリー活動している。 趣味釣りで、そのことが元で晩年列車事故遭い左足失ったが、それでも釈台で足を隠しながら高座務めている。 1964年11月肝硬変により70歳死去弟子には人気者となった三遊亭小金馬(後の4代目金馬、現:2代目金翁)がおり、また、東京大空襲戦災孤児となった知人中根香葉子(海老名香葉子、のちの初代林家三平夫人)を養女として引き取っている。 8代目桂文楽かつらぶんらく8代目桂文楽5代目古今亭志ん生並んで昭和落語界支えた8代目桂文楽の芸は緻密で、演目少なかった絶品とされた。芸に対して自分にも他人に厳しかった。本来は桂文楽の「六代目」に当たるが、八は末広がり縁起がいいということで、勝手に八代目名乗った代表的な演目は『明烏あけがらす)』、『鰻の幇間(うなぎのたいこ)』など。 その芸は一点狂いもなく行われるのが特徴だったが、1971年昭和46年国立小劇場で『大仏餅』を口演中に登場人物の「神谷右衛門」の名前が出てなくなり、「もう一度勉強し直して参ります」と客席詫びて高座降りたその後高座上ることなく同年12月没した上野西黒門町現東京都台東区上野1丁目)に住まいがあったため、「黒門町」とも呼ばれた8代目桂文楽会長であった落語協会も旧西黒門町にある。 初代林家三平(はやしやさんぺい) 「よしこさーん」などの歌謡フレーズギャグ駄洒落取り入れたスタイルで、高度成長期一世を風靡した落語家客いじり絶妙で、彼の寄席は常に爆笑の渦であった落語バラエティ番組接点切り開いたタレントとして知られる。 父(7代目林家正蔵)に落語の手ほどきを受けるが、父の死後はかつて父の弟子であった4代目月の家圓鏡(後の7代目橘家圓蔵)に師事する若いころは芸が未熟指摘もあったが、大衆人気絶大であった大病から復帰する間もなく1980年9月肝臓がんにより54歳若さ死去正蔵襲名遂にかなわず柳家小三治月の家圓鏡などの襲名のすすめも辞退し生涯一つ名で通した代表的な演目『源平盛衰記』弟子として惣領弟子林家こん平2020年12月死去)のほか、ギター漫談林家ペーなどの色物芸人タレント多く抱えており、死後三平一門落語協会でも一大勢力となっている。長男9代目林家正蔵(前名:こぶ平)は存命中に三平に(三平死後こん平門下に移る)、次男2代目三平(前名:いっ平)は三平死後こん平それぞれ弟子入りした。娘は元女海老名美どり俳優峰竜太夫人)、泰葉春風亭小朝元夫人)。孫に林家たま平正蔵長男)、林家ぽん平正蔵次男)がおり、たま平、ぽん平兄弟何れも二人の父である9代目正蔵弟子入りしている。 6代目三遊亭圓生さんゆうていえんしょう昭和落語界代表する人物一人で、通称柏木師匠」。 元は子供義太夫出身で、継父5代目三遊亭圓生を持つ。5代目圓生師匠である4代目橘家圓蔵門下となり、師匠継父優遇されるも、同名跡を襲名するまでなかなかが出なかった。戦後ラジオ東京専属契約を結ぶと、人気落語家一人となる。 主に活動舞台としたのはホール落語で、独演会多く開くなど、古典落語中心とした本格的な落語家となる。また、メディアへの出演も多い一方で、『圓生百席』などLPレコード収録積極的に行った。 その反面、非常に圭角のある人物でもあり、芸に対して姿勢自身古典落語至上主義などもあり、8代目林家正蔵4代目鈴々舎馬風など終生そりが合わなかった人物多く落語協会会長在籍時には自身真打対すポリシーから真打昇進を殆ど行わなかった。このため二つ目大量に滞留する結果となり、落語協会分裂騒動伏線になったとされる晩年1978年大量真打昇進巡って5代目柳家小さん執行部対立し5代目三遊亭圓楽一門引き連れ落語協会離脱し落語三遊協会」を設立した(「落語協会分裂騒動」)。しかし「三遊協会」は江戸すべての寄席から締め出しを喰らい、ホール落語中心として活動することとなった。翌1979年9月3日自身79歳の誕生日高座小噺口演後に心筋梗塞倒れ死去前述騒動影響もあり、これ以降圓生名跡事実上封印態となっている。 林家彦六(はやしやひころく)(8代目林家正蔵通称稲荷町師匠」。また「彦六正蔵」とも言われる海老名家より一代限り約束で「林家正蔵」の名跡借りて8代目」として襲名三平没後正蔵名跡返上し林家彦六」を襲名した古典落語、特に怪談噺芝居噺知られ芝居噺特化した独演会岩波ホール定期的に開いたり、記録映画多数残している。 曲がったこと大嫌いな性格から「トンガリ」とも言われ前出6代目圓生とは終生そりが合わなかった。また、自身まつわる様々なエピソード残しており、弟子である林家木久扇初代林家木久蔵)によりエピソード元にした新作落語彦六伝』でネタにされている。 1982年1月86歳で死去弟子には前出木久扇5代目春風亭柳朝5代目圓楽門下へ移籍前の三遊亭好楽当時林家九蔵)らがおり、このほか「落語協会分裂騒動」で圓生から破門され春風亭一柳元・三遊亭好生)を客分格の弟子として預かっている。 5代目柳家小さんやなぎやこさん滑稽噺を得意とし昭和中・後期中心に活躍。特に蕎麦をすする芸が有名。落語界初の重要無形文化財保持者人間国宝)に認定されたことでも知られる落語協会会長として1976年から24年間にわたり在職し真打制度の改革取り組む一方前述の「落語協会分裂騒動」や弟子であった立川談志一門離脱落語立川流設立)を引き起こしている。 メディアテレビCM出演多く永谷園即席味噌汁「あさげ」や須藤石材CM長く務めた2002年5月87歳死去面倒見良さから直弟子数は30名以上、孫弟子曾孫弟子含めると落語協会では100名以上の勢力を誇る系譜となっている。また、5代目鈴々舎馬風10代目柳家小三治後述)、4代目柳亭市馬と、一門から3人が落語協会会長となっている。 3代目三遊亭圓歌さんゆうていえんか) 主に新作落語を得意とし、初代林家三平とともに爆笑落語」の分野第一人者として活躍。前名の「歌奴」としても知られるメディア出演多かったが、圓歌襲名後は高座への出演比率高くなる一方で1985年には日蓮宗僧侶として得度している。 自ら吃音者であったことを逆手取り新作落語授業中通称:山のあな)』で人気博したまた、浪曲好きが高じて木村若衛入門し自作の『浪曲社長』などに導入している。『宮戸川』などの古典落語演じ一方で晩年自叙伝的なネタである『中沢家の人々』を演じ機会多かった以前落語界常識覆し眼鏡姿での高座出演江戸落語では初め女性弟子三遊亭歌る多)を真打育て上げている。2017年4月88歳で死去4代目圓歌名跡弟子三遊亭歌之介2019年3月襲名した5代目春風亭柳昇しゅんぷうていりゅうしょう) 主に新作落語を得意とし、4代目桂米丸とともに新作の芸協」と呼ばれる基礎築いた桂歌丸昇の落語聞き落語家になるきっかけとなった太平洋戦争従軍経験があり、手の指を数本負傷した。このことから手を使った表現が多い古典落語より新作落語比重置いて活動し人気落語家となったメディア出演多くフジテレビお笑いタッグマッチ』の司会人気集め自身ネタでもある『与太郎戦記』は書籍映画化された。ゆうきまさみ漫画究極超人あ〜る』の春風高校校長昇(やなぎのぼる)のモデルであり、同作ドラマCDでは本人が声を当てている。 2003年6月82歳で死去弟子師匠と同じ新作落語中心に活動する3代目昔昔亭桃太郎対照的に古典落語中心に活動する瀧川鯉昇新作古典ともに熟しメディアで活躍見せ、芸協の会長となった春風亭昇太らがいる。 桂歌丸(かつらうたまる) 立川談志5代目三遊亭圓楽とともに日本テレビ笑点』の放送開始時からの出演者で、5代目司会務めた積極的なメディア出演一方で高座では古典落語中心に演じ後年初代三遊亭圓朝作の怪談噺などの演目廃れた噺の発掘積極的に行った入門時5代目古今亭今輔門下であったが、新作中心師匠との芸風乖離香盤に不満を持ったこともあり、一時落語家廃業その後、同じ今輔門下兄弟子である4代目桂米丸門下として復帰し米丸一門惣領弟子となった落語芸術協会会長として2004年から2018年死去まで在職し出身地である横浜市にある横浜にぎわい座2代目館長務めた晩年度重なる病気との戦いで、「笑点司会者勇退してからは高座での活動メインとなったが、慢性閉塞性肺疾患影響酸素吸入欠かせない態となっていた。2018年7月81歳で死去弟子桂歌春他4名いる。 10代目柳家小三治やなぎやこさんじ5代目柳家小さん門下で、落語家として師匠譲り滑稽噺中心とした古典落語加え多くネタを持つ落語家として活躍2004年10月には落語家では師の5代目小さん桂米朝に続く3人目重要無形文化財保持者人間国宝)に認定された。 都立青山高校在学中から素人参加演芸番組出演し高校卒業後に5代目小さん入門1969年17抜きで真打昇進し10代目小三治襲名した以降は師の死去後柳派止め名である小さん襲名せず、小三治のまま通した2010年から4年落語協会会長務めており、在任中は数名抜擢真打行っている。 高座ではマクラにも定評があり「マクラ小三治」とも称されエッセイ風の噺や全編マクラだけの高座さらには高座グランドピアノ入れて自身歌唱する演目もかけたことがある。またバイク俳句草野球オーディオ鑑賞など多趣味でも知られた。 2021年10月81歳で死去リウマチ抱えながらも最晩年まで現役として活動し亡くなる5日前まで高座上がっていた。弟子柳家喜多八2016年5月死去)、柳家三三などがいる。 2代目桂枝雀かつらしじゃく) 上方落語立役者神戸出身。元々は実弟(後のマジカルたけし)と素人漫才ならしたが、大学時落語転向し3代目桂米朝入門師匠譲り古典落語演じる。しかし古典美学究めるより、笑い求めて精進結果、「爆笑王」の異名を取る。その一方で貧乏神』『雨乞い源兵衛』『茶漬えんま』『ロボットしずかちゃん』など小佐田定雄作の新作落語演じることも多く、英語のレッスン受けて英語落語にも挑戦している。また、本業落語のほか、タレント・俳優として活躍自身持論として「緊張緩和」によって笑いが起こるとした。弟子妻子にも恵まれたが、晩年は芸に悩んでうつ病になった円熟期迎え直前1999年4月自宅首吊り自殺図り59歳若さ死去弟子3代目桂南光3代目桂雀三郎らがおり、長子桂りょうば雀の弟弟子である2代目桂ざこば入門している。 3代目笑福亭仁鶴しょうふくていにかく) 上方落語支えた一人で、吉本興業所属テレビタレントとして活躍したアマチュア時代から数多く素人参加演芸番組出演しその後6代目笑福亭松鶴入門したが、一門松竹芸能所属であったのに対し仁鶴師匠勧めもあり吉本興業所属し亡くなるまで同社所属タレント2005年以降吉本興業特別顧問にも就任)として活動した。このことから「吉本中興の祖」とも評される。『ABCヤングリクエスト』『ヤングおー!おー!』『バラエティー生活笑百科』『大阪ほんわかテレビ』など多くメディア出演抱え、「どんなんかな~」「四角仁鶴まぁーるくおさめまっせぇ」といったフレーズ人気呼んだ。妻は吉本新喜劇でも活動した永隆子2017年6月死別)。 本業落語では師匠教えもあり、バリトンボイスで的確な描写力持ってじっくりと聴かせる正統派噺家として上方落語界の重鎮としても活躍した2017年以降体調不良続きメディア高座から遠ざかっていたが、2021年8月骨髄異形成症候群のため84歳死去弟子上方落語協会会長新作中心に活動する笑福亭仁智らがいる。

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