テレビタレントとして
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「ゾマホン・ルフィン」の記事における「テレビタレントとして」の解説
1998年、高円寺のラーメン屋にて稲川素子事務所のアメリカ人スカウトマンからスカウトを受け、特番『たけし×世界バトルII かなりヘンだよ日本人』に出演した。出演時の発言が「変なアフリカ人」キャラとして認知され、以降は同局で先述の特番がレギュラー化された『ここがヘンだよ日本人』に稲川素子事務所所属の外国人タレントとして出演した。 『ここがヘンだよ日本人』では独特の口調と、議論が白熱する際のエキセントリックなリアクションで瞬く間にお茶の間の人気を博し、様々な番組にコメンテーターとして出演。さらには小学校建設などの社会福祉的な活動をはじめ、自著を出版するに至る。ビートたけしを尊敬しており、オフィス北野への移籍後はたけし軍団に所属する。たけしの付き人をしているので、たけしの横で見切れる形でテレビ画面に映る事がある。また、たけしの協力を得て、母国ベナンに学校を作る計画を実現した。 しかし、こうした活動で著名になった為に、日本人による詐欺被害にあったり、マスメディアで様々な虚偽の内容の報道をされたり激しいバッシングを受けたりする事もあり、それが数度に渡り続いたせいで一時期日本人に対して人間不信状態に陥った事もあると、二冊目の自著「ゾマホン大いに泣く、みなさま心よりありがとう」(河出書房新社刊)にて告白している。 2007年2月26日付『東京スポーツ』紙上で、長年「そのまんま東」の芸名を使用していた東国原英夫・前宮崎県知事が今後は政治家として本名で活動を行っていく方針を表明している事に伴い、ゾマホンが「二代目そのまんま東」の名前を襲名することがたけしより発表された。しかし、「そのまんま東」の芸名に関しては東国原のイメージが強く定着していることや、本人も「ゾマホン」の名称で広く知られていることから、この襲名が一般に定着しているとは言い難い。また、たけし本人もバラエティー番組のトーク時にゾマホンの話題をごく稀に語る事があるが、その際にも基本的に「ゾマホン」と呼んでいる。 また、マダ村越と一緒に「ゾマホンズ」という名のお笑いコンビとしての活動も行っていた。米国大統領バラク・オバマの「Yes We Can.」の物真似の直後にノッチの「ノッチでーす」の物真似をするというのを持ちネタの一つにしていた。 駐日ベナン大使就任に伴い、オフィス北野から離れた。それに伴い「二代目そのまんま東」も返上することになり、「そのまんま東」の名跡は空位となった。
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