水俣病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 06:10 UTC 版)
水俣病(みなまたびょう)とは、熊本県水俣湾周辺の化学工場などから海や河川に排出されたメチル水銀化合物(有機水銀)により汚染された海産物を住民が長期に渡り日常的に食べたことで水銀中毒が集団発生した公害病である[1][2]。
注釈
- ^ 工業災害では世界で死者数が2番目の被害規模 Industrial disasters 参照。
- ^ 後年の研究で、排出されるメチル水銀の75%除去と判明。極めて大きな効果があった[37]。
- ^ 同じ年の「泥・廃水プール」実施とあわせて、排出されるメチル水銀の9割削減という効果がのちに立証されている[41][42]
- ^ 劇症型患者の場合、直接の死因としては、大人では食物の誤嚥によって引き起こされる肺炎(嚥下性肺炎)が多く、幼児及び胎児性患者では痙攣によるショック死、食物をのどに詰まらせたことによる窒息死が多く見られた。
- ^ 1957年から1960年まで水俣工場長だった西田栄一は当初、アセトアルデヒドを疑ったが、戦後の生産量が戦前のピーク期(1940年頃)に達していなかったことから、工場排水が原因ではありえないと結論付けた。
- ^ 工場ではこの残渣プールに排水を送り、沈殿物を除去してから水俣川河口に放出するようにしていた[要出典]。しかしプールは露天だったため、降雨によりプールから排水が溢れ出て、直接不知火海に流出していった。工場側の見解では、排水が疑われる原因は色(赤茶色。主に鉄分によるもの)にあり、見た目を良くすれば漁民たちの非難をかわせるものと考えていた。
- ^ この実施によってメチル水銀を9割削減と激減させていたことが、近年、科学的に立証されている[74]。水俣病の発生については、メチル水銀の排出が原因なのではなく(世界の同業他社も排出していた)、爆発的に大量に放出したこと(量的問題)が原因と『水俣病の科学』(日本評論社)は唱える。メチル水銀が9割削減されていた1960年より後の廃水で水俣病が発生したとは考えにくいとし、発生には、排水から数年の遅行があり、その遅行も条件の違いで様々であることを考慮して被害データを読み取らなければならないと述べている[75]。
- ^ チッソ株式会社は同社ウェブサイトの「水俣病問題への取り組みについて」と題するページにおいて、新救済策受入拒否の理由を説明していた。「1. これまでの経緯について 1)補償協定の成立」の項では、1973年7月に患者各派との間に締結された協定について「その成立過程においては、一部の派との間に極めて苛烈な交渉が行われました。それは、多数の暴力的支援者の座り込みによる会場封鎖の下で、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、果ては社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、交渉と言うにはほど遠いものでありました。そればかりか、多くの社員が警備中や出勤途上でしばしば暴行を受け、けが人が絶えない有様でした。」と述べるなど[89]、これまでの補償すら同社にとっては不当あるいは過大なものであったかのような説明となっていた。なお上記の記述は、2010年3月時点「この補償協定の成立過程におきましては、大半の会派とは話し合いでの決着を図りましたが、一部の派との交渉は、多数の過激な支援者の座り込みのもとで、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、一時は社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、極めて苛烈なものとなり、さらには従業員が暴行を受けることもありました。」と変更されている[90]。
出典
- ^ a b 環境省 水俣病センター「水俣病のあらまし(水俣病の発生およびその概要)」
- ^ "水俣病". 日本大百科全書(ニッポニカ) ほか. コトバンクより2023年8月12日閲覧。
- ^ “水俣病 「公害の原点」に祈り 公式確認61年慰霊式”. 毎日新聞. (2017年5月1日) 2021年9月16日閲覧。
- ^ “水俣病確認65年 「公害の原点」世界も注視”. 西日本新聞. (2021年5月1日) 2021年9月16日閲覧。
- ^ a b https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/229550.pdf
- ^ a b c d e 池田光穂. “研究史 で追いかける水俣病事件”. 熊本大学附属国際人文社会科学研究センター. 2021年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月20日閲覧。
- ^ “水俣病の発生・症候”. 熊本県ホームページ (2021年1月15日). 2021年9月16日閲覧。
- ^ “水俣病「改称」なぜ今 チッソ子会社近く、有志が看板設置”. 西日本新聞. (2019年6月4日) 2021年9月16日閲覧。
- ^ “熊本日日新聞1958年8月22日「援護対策の立法化を 水俣病、国会へ働きかけ」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月21日閲覧。
- ^ a b c d “熊本日日新聞1968年9月26日「水俣病の原因は廃液、厚生省の見解原文 企業の責任を明示/救済制度を早急に確立」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ a b c “水俣病 国が公害病と認定”. NHK放送史. 2021年9月17日閲覧。
- ^ 水銀と水俣湾環境省水俣病情報センター
- ^ a b c d e f g h 水俣病関係年表 水俣市立水俣病資料館
- ^ a b c 『熊本医学会雑誌 第31巻・補冊第1』熊本医学会、1957年1月25日。
- ^ a b c 宮北隆志. “いまだに解決することのない水俣病事件 その「責任」と「償い」は?〜失敗の経験を将来に活かす〜”. 熊本学園大学水俣学現地研究センター. 2021年9月14日閲覧。
- ^ a b c 水俣病の悲劇を繰り返さないために −水俣病の経験から学ぶもの−国立水俣病総合研究センター
- ^ “水俣病のあらまし(アセトアルデヒド製造工程)”. 環境省水俣病情報センター. 2019年9月1日閲覧。
- ^ 寺床幸雄, 梶田真「地方都市の現在とこれから:―水俣市から考える―」『地學雜誌』第125巻第4号、東京地学協会、2016年、607-626頁、doi:10.5026/jgeography.125.607、ISSN 0022-135X、NAID 130006776683、2021年11月1日閲覧。
- ^ 土井陸雄, 大野秀樹「水銀汚染」『臨床化学』第31巻第3号、日本臨床化学会、2002年、139-146頁、doi:10.14921/jscc1971b.31.3_139、ISSN 0370-5633、NAID 130003357020、2021年10月30日閲覧。
- ^ a b c d 水俣病の悲劇を繰り返さないために -水俣病の経験から学ぶもの-(環境省国立水俣病総合研究センター)
- ^ カナダ先住民の水俣病と水銀汚染 (PDF) (熊本学園大学水俣学研究センター 水俣病公式確認60年国際シンポジウム 2017年2月18日-19日)
- ^ 聖バーソロミュー病院1865年の症候群 入口紀男、2016年
- ^ 喜園尚史 (2020年12月19日). “「母は差別する側」と思ってた娘 数十年後に知った事情”. 朝日新聞. 2023年11月20日閲覧。
- ^ a b 朝日新聞2009年12月14日、夕刊、8頁。
- ^ "吉岡 喜一". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2023年8月12日閲覧。
- ^ a b 『新潟水俣病のあらまし』 2020, p. 56.
- ^ a b c “熊本日日新聞1959年7月23日「有機水銀の中毒、水俣病の原因 尿や魚介から検出、熊大研究班、全員一致して発表」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ a b c d 田㞍雅美 (2015年10月15日). “第14期 水俣学講義4回目 「胎児性・小児性水俣病患者 放置された人々」”. 熊本学園大学 水俣学研究センター. 2021年9月15日閲覧。
- ^ a b c d e f 第3章 水俣病の原因究明及び発生源確定の過程(その2)国立水俣病総合研究センター
- ^ a b c 『朝日新聞』1994年3月25日第3社会面(33頁)
- ^ a b 第2章 水俣病の発生とその原因 水俣市立水俣病資料館
- ^ “熊本日日新聞1959年11月3日「漁民、またも暴力沙汰、水俣/工場内に再度乱入/警官と衝突、百余人が負傷」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月24日閲覧。
- ^ 新装版 苦海浄土 2004, pp. 98–137.
- ^ a b “熊本日日新聞1959年12月31日「水俣病補償金、一ヶ月ぶりに調印/物価変動にもクギ/一時金、千三百万円受け取る」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月24日閲覧。
- ^ a b “見舞金契約”. 西日本新聞. (2012年10月5日) 2021年9月25日閲覧。
- ^ 『水俣病の科学』(日本評論社)第3章
- ^ 『水俣病の科学』305p
- ^ a b c d 『新潟水俣病のあらまし』 2020, p. 57.
- ^ a b c 【判例ID】27422554 損害賠償請求併合事件 新潟地方裁判所 昭和46年9月29日判決。
- ^ a b “熊本日日新聞1960年4月13日「アミン系毒物の中毒 水俣病、清浦教授(東工大)が新説」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ 『水俣病の科学』318p
- ^ 『水俣病の科学』第3章16
- ^ “水俣病問題関係略年表等”. 環境省. 2021年9月16日閲覧。
- ^ “熊本日日新聞1963年2月17日「熊大研究班 水俣病の原因で発表“製造工程中に有機化 入鹿山教授、有害物質を検出”」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ リンク先:「水俣病:民主主義と正義への困難な道のり」[1] P8下段参照)。[リンク切れ]
- ^ “熊本日日新聞1963年2月22日「水俣病の究明大詰めに」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ 『新潟水俣病のあらまし』 2020, p. 58.
- ^ 新潟水俣病 20の疑問新潟県ホームページ
- ^ a b “新潟水俣病 企業の責任認める判決”. NHK放送史. 2021年9月17日閲覧。
- ^ 原田正純編著『水俣学講義』日本評論社、2004年3月31日、239-240頁。
- ^ 第16期 水俣学講義「胎児性・小児性水俣病患者~被害を訴え続ける~」熊本学園大学水俣学研究センター
- ^ 徳山喜雄 (2017年12月26日). “「写真はときには物を言う」――水俣を世界に伝えた米写真家の軌跡”. 個人 - Yahoo!ニュース. Yahoo Japan. 2022年8月12日閲覧。
- ^ 水銀に関する水俣条約の概要 環境省
- ^ 今村建二 (2024年3月22日). “水俣病訴訟、熊本地裁は救済対象の拡大認めず 大阪地裁判決から後退”. 朝日新聞. 2024年3月22日閲覧。
- ^ 石原信夫「情報無視が続いた水俣病原因解明の歴史」『日本衛生学雑誌』2014年 69巻 1号 p.75-79, doi:10.1265/jjh.69.75
- ^ a b 水俣事件と桑原史成の略年表(1906-2013年)熊本学園大学水俣学研究センター
- ^ 『朝日新聞』1995年5月27日29頁(特設ニュース面)
- ^ 新・宇井純物語 盛大に告別式環っ波
- ^ 国会図書館のデータベースによる。
- ^ a b c 坂本峰至、赤木洋勝「水銀の毒性と健康影響」『廃棄物学会誌』第16巻第4号、一般社団法人 廃棄物資源循環学会、2005年、185-190頁、doi:10.3985/wmr.16.185。
- ^ 原田正純「有機水銀による精神薄弱 2症例からみた先天性水俣病の診断について」『脳と発達』第6巻第5号、日本小児小児神経学会、1974年、378-387頁、doi:10.11251/ojjscn1969.6.378。
- ^ 関礼子『新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域』(東信堂、2003年)などに詳しい。
- ^ 『水俣病の科学』日本評論社、2006年7月1日、[要ページ番号]頁。
- ^ 『水俣病事件四十年』pp.99-100。
- ^ 第2章 水俣病の原因究明及び発生源確定の過程(その1)国立水俣病総合研究センター
- ^ 国・熊本県の上告受理申し立て理由書に対する反論書(その2) 2003年12月18日
- ^ a b c d 首藤留夫 (1969年6月25日). “『生ける人形の告発―水俣病15年の記録』第5章”. 労働旬報社. 2021年9月15日閲覧。
- ^ “熊本日日新聞1959年8月30日「防波堤外側は正常 東工大の調査、水銀の濃度も低い」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ a b 廣野喜幸「水銀リスク認知の歴史的分析―日本における有機水銀中毒と水俣病に焦点を合わせて―」 東京大学教養学部哲学・科学史部会、2017年3月。
- ^ “熊本日日新聞1959年10月8日「新日窒、水俣病原因で反論 旧軍が沈めた爆薬? 毒物が流れている 水銀税、ここだけとは奇妙」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月21日閲覧。
- ^ “熊本日日新聞1959年10月24日「水俣病/旧軍爆薬説に反論/当らぬ工場側の結論/捨てた事実も聞かぬ」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月24日閲覧。
- ^ “熊本日日新聞1959年11月14日「水俣病 水産庁の漁民対策海洋調査を急ぐ 真珠養殖へ転換援助」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
- ^ 「水俣病問題に係る懇談会」提言書 2006年9月19日環境省
- ^ 『水俣病の科学』(日本評論社)第3章
- ^ 『水俣病の科学』(日本評論社)306~314p
- ^ Takashi Yorifuji; Toshihide Tsuda; Masazumi Harada (2013年1月30日). “Late lessons from early warnings: science, precaution, innovation” (英語). European Environment Agency. pp. 124-152. 2021年9月25日閲覧。
- ^ 島田久美子 (2015年). “科学情報過程論-サイエンス・コミュニケーションを超えて-”. 日本大学大学院 総合社会情報研究科. 2024年3月20日閲覧。
- ^ 吉原功「2018年、『民主主義のカナリア』―退職研究者のメモワール」 明治学院大学機関リポジトリ。
- ^ “『熊本日日新聞』1968年5月16日、「水俣病は叫ぶ(19)」”. 2024年3月20日閲覧。
- ^ “『いのちとくらし』第68号”. 非営利・協同総合研究所いのちとくらし (2019年9月). 2024年3月20日閲覧。
- ^ 全国公害研究集会 独立行政法人環境再生保全機構
- ^ a b c 水俣病関連 詳細年表一般財団法人水俣病センター相思社
- ^ “熊本日日新聞1970年11月28日「患者代表ら大阪入り/巡礼姿で決意を表明」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年10月21日閲覧。
- ^ 毎日新聞メディア編成本部『毎日新聞戦後の重大事件早見表』(1991年5月25日印刷 1991年6月10日発行)沢畠 毅 p.378 ISBN 4-620-30794-7
- ^ 是枝裕和『しかし…ある福祉高級官僚 死への軌跡』(1992年 あけび書房)ISBN 4900423661
- ^ 山内豊徳『福祉の国のアリス』(1992年 八重岳書房)ISBN 4841211500
- ^ 鎌田慧『家族が自殺に追い込まれるとき』(1999年、講談社)ISBN 4062097028
- ^ 是枝裕和『官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で』(2001年 日経ビジネス人文庫)ISBN 978-4-5321-9068-2
- ^ “水俣病問題への取り組みについて”. チッソ. 2009年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年2月25日閲覧。
- ^ “水俣病問題への取り組みについて”. チッソ. 2010年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月28日閲覧。
- ^ 水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法に関する意見書日本弁護士連合会
- ^ 「水俣病百世帯、生活保護停止…原則通りと厚労省」『読売新聞』2011年6月9日
- ^ 「水俣病:和解金で生活保護打ち切り 被害者4人が提訴」『毎日新聞 』2011年9月10日
- ^ 奥正光 (2021年9月16日). “すべての水俣病被害者の救済を 全国連がネットで署名活動”. 朝日新聞 2021年9月16日閲覧。
- ^ “水俣病被害者の救済求める“インターネット署名” 映画『MINAMATA』公開に合わせ開始【新潟】”. FNNプライムオンライン. (2021年9月15日) 2021年9月16日閲覧。
- ^ 【風紋】現在進行形の水俣病 映画公開、再認識求める『日本経済新聞』朝刊2021年9月20日社会面(2021年10月3日閲覧)
- ^ ※記事名不明※朝日新聞デジタル(2014年5月16日)
- ^ 厚生労働省医薬食品局食品安全部長通知(食安発0317第3号)
- ^ “熊本日日新聞1968年9月13日「きょう合同慰霊祭 42人の水俣病犠牲者」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月17日閲覧。
- ^ 水俣病犠牲者慰霊式 水俣市立水俣病資料館
- ^ 水俣病:語り部の会会長宅に中傷電話「いつまで騒ぐのか」『毎日新聞』2014年6月10日
- ^ “「水俣病触るな!」中学生がサッカーの試合で暴言 熊本”. MSN産経ニュース. 産経新聞社 (2010年7月16日). 2010年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月16日閲覧。
- ^ 「関川水俣病」から「第三水俣病」への視座『大分県立芸術文化短期大学研究紀要』33, pp.67-86, 1995年12月31日 NAID 110004680944
- ^ 福島菊次郎が撮った「水俣」 福島菊次郎が撮った「水俣」
- ^ 山本文子 (2021年7月18日). “水俣病の今描く映画「水俣曼荼羅」水俣市で完成試写会 市民ら60人鑑賞”. 熊本日日新聞 2021年9月16日閲覧。
- ^ “制作者研究〈 テレビ・ドキュメンタリーを創った人々〉”. 放送研究と調査 (2012年). 2019年7月5日閲覧。
- ^ 番組公開ライブラリーで試聴できる番組のご紹介 公害の記録 NHK環境アーカイブス
- ^ “特別番組 村野タマノの証言 水俣の17年”. NHK. 2021年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月30日閲覧。
- ^ “水俣 いのちの海のただなかで”. NHK. 2021年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月15日閲覧。
水俣病と同じ種類の言葉
Weblioに収録されているすべての辞書から水俣病を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から水俣病を検索
- 水俣病のページへのリンク