冲中重雄とは? わかりやすく解説

冲中重雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 09:24 UTC 版)

おきなか しげお
冲中 重雄
1955年
生誕太田重雄
(1902-10-08) 1902年10月8日
石川県金沢市
死没 (1992-04-20) 1992年4月20日(89歳没)
東京都港区
墓地大善寺 (八王子市)
国籍 日本
出身校東京帝国大学
職業大日本帝国海軍軍医少尉
東京帝国大学第三内科教授
虎の門病院院長
宮内庁内廷医事参与
日本学士院会員
代表作自律神経系の研究
影響を受けたもの呉建
前任者坂口康蔵
受賞日本学士院恩賜賞
文化勲章
勲一等瑞宝章
従三位

冲中 重雄(おきなか しげお[注釈 1]1902年明治35年〉10月8日 - 1992年平成4年〉4月20日)は、日本内科学者。東京大学名誉教授、元日本学士院会員。日本学士院恩賜賞受賞。文化勲章受章。勲等勲一等瑞宝章位階従三位石川県金沢市生まれ。

略歴・人物

金沢市大日本帝国陸軍の軍人の太田米丸(田中義一の同期でのちに陸軍大佐)の家に生まれる。兄に大日本帝国陸軍中将の太田米雄がいる。伊予松山藩藩士で国学者の太田満穂は曽祖父。

1909年岡山県立師範学校附属小学校(現岡山大学教育学部附属小学校)入学。その後、東京府北豊島郡王子尋常高等小学校(現北区立王子小学校)に転校。

1921年に父が亡くなったため、父のいとこで医師の冲中磐根と養子縁組をする[1]

第二横浜中学一高理科乙類を経て、東京帝国大学医学部卒業。卒業後内科学第二講座医局に入り副手に就任。呉建教授に師事。講師を経て、1943年から第二内科助教授。1945年8月15日に志願し、大日本帝国海軍軍医少尉に任官。海軍衛生学校で雑巾がけをしていたところで終戦を迎えた。

1946年、坂口康蔵の後任として、44歳で東京帝国大学医学部(後の東京大学医学部)医学科内科学第三講座教授に就任した。第二内科出身者が、第三内科の教授に就任することは異例であった。自律神経系の研究で知られ、内科学の専門分科を主張して神経内科を確立した。また、日本神経学会の設立に尽力した。1961年に日本学士院恩賜賞受賞。1962年には日本で初めて老年病学講座を開設し、同講座教授を兼務した。

1963年の東京大学退官時の最終講義にて、自身の教授在任中の誤診率14.2%の発表は有名である。患者はその誤診率の高いのに驚いたが、一般の医師はその低いのに感嘆した[2]東京大学名誉教授称号を受けた。 後任の老年病学講座教授は吉川政己

虎の門病院設立に参画し、1958年の設立時から顧問を務めていたが、退官後は、虎の門病院院長を10年間務めたその後、冲中記念成人病研究所理事長に就任した。また1963年から68年まで宮内庁内廷医事参与を務めた。1965年日本学士院会員、1970年文化勲章受章、文化功労者1975年勲一等瑞宝章受章。1992年従三位叙位[3]

前川孫二郎の紹介で、高血圧に苦しんだ谷崎潤一郎の主治医となったこともある[4]。また、日本内科学会総会出席のため福岡行きの便に乗った際、よど号ハイジャック事件に巻き込まれて人質になったこともある(冲中は福岡の福岡空港で解放された)[5]

著書

  • 『自律神経系』、呉建共著、訂4版、日本医書出版、1944
  • 『自律神経機能の検査法』、学術書院、1947
  • 『内科学 造血器系循環器系疾患』、学術書院、1948
  • 『自律神経系と臨牀』、吐鳳堂、1948
  • 『自律神経系研究と其の臨床的応用の一面』、医学書院、1950
  • 『内科診断学』、高橋忠雄・大島研三共著、3版、医学書院、1954
  • 『冲中教授臨床講義集』、第1-5巻、診断と治療社、1955-63
  • 『内科臨床と剖検 冲中内科17年のあゆみ』、南江堂、1963
  • 『臨床酵素学』、赤堀四郎共著、朝倉書店、1964
  • 『医師と患者』、東京大学出版会、1965
  • 『視床下部』、小林隆時実利彦共著、文光堂、1966
  • 『医師の心』、東京大学出版会UP選書、1978
  • 『冲中重雄-医の道』、冲中重雄先生を偲ぶ会、1992

博士論文

「脳脊髓性 -錐體路外導路性-筋緊張の末梢径路に関する研究」昭和7年3月29日学位授与[6]

脚注

注釈

  1. ^ 「おき」の字はではなく、

出典

  1. ^ 2. 私の履歴書|小・中学校時代 ― 冲中家に養子入り 私の履歴書、公益財団法人 冲中記念成人病研究所、1971年
  2. ^ 10. 臨床教育を強化 ― あえて誤診率を発表 私の履歴書、公益財団法人 冲中記念成人病研究所、1971年
  3. ^ 日本電気泳動学会総会 歴代総会長
  4. ^ 谷崎潤一郎「高血圧症の思ひ出」『谷崎潤一郎全集』第十八巻、中央公論社、1968年、144頁。 
  5. ^ 11. 虎の門病院院長に就任 ― 文化勲章受章 私の履歴書、公益財団法人 冲中記念成人病研究所、1971年
  6. ^ 国立国会図書館NDL-OPAC




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