水俣病などの臨床研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/07 06:20 UTC 版)
弟子の清田一民、宮川太平、原田正純らを指導しつつ研究した。立津は水俣病への関心が高く、水俣へは足繁く現地に患者を診てまわった。ある年は大晦日の紅白歌合戦の時間まで水俣の患者を診たという。個性がつよい医局員が多かったが、臨床は熱心に行った。宮川は週に1度の臨床討論会は午後1時に始まり、遅い時は夜の10時ごろまで延々と続くこともしばしばであったと記述している。清田は「立津先生は大学における研究と医療の在り方については、終始批判的で、精神科入院医療の理想に向かって精進された、と書いている。
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