水俣病問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:04 UTC 版)
現代日本においては水俣病の例が嚆矢である。1959年(昭和34年)7月22日、熊本大学医学部の水俣病研究班は、武内忠男や徳臣晴比古らの研究に基づいて、「水俣病の原因は有機水銀であることがほぼ確定的になった」という発表を行った。これにより、新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場の排液に含まれる水銀が原因との見方が深まるが、同年11月12日、厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌13日に同部会を突如解散させた。1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とするいわゆる「田宮委員会」(水俣病研究懇談会)を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。同年4月12日、有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表。彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた。
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