東京工業大学教授
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1992年には教授に昇進。1994年には助手の米田完が助教授に昇進し、広瀬・米田研究室として研究室運営を行っていく。教育関係では、機械宇宙学科3年次のロボット創造、日本機械学会のロボットグランプリにも尽力した。 研究では、生物規範型のロボットのみならずホロノミック(en)な全方向移動車両も開発し、科学研究費補助金重点領域研究「知能ロボット」プロジェクトの一環として、普及型の四足歩行ロボット、及びそのためのモータードライバーを開発する。モータードライバーは『TITECH Driver』として市販された。 このころ、古田勝久教授がリーダーで、COE形成基礎研究として「スーパーメカノシステム」の研究グループが発足する。古田教授は定年退官し東京電機大学へ異動したため、広瀬がリーダーとなった。この研究グループが発端となり、21世紀COEプログラムに採択され、スーパーメカノシステム創造開発センターが設立される。 また、2004年4月には客員研究員の滝田謙介を代表取締役として、大学発ベンチャー株式会社ハイボットを創業する。2005年の愛・地球博では水陸両用の蛇型ロボットを出展し、完成度の高い動きを披露した。また、四足歩行ロボットの集大成の一つとして四足法面作業ロボットが実用化している。 2006年には米田完が教授として千葉工業大学未来ロボティクス学科に移籍し、研究室は広瀬・福島研究室となる。21世紀COEプログラムの支援やハイボットとの連携をもとに、地雷探査ロボットの実地投入や架線検査ロボットなどで実績を上げる。2011年には東日本大震災が発生。水中探査ロボットを投入する。
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