TBSテレビ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 20:20 UTC 版)
事業所
- 本社
- 〒107-8006 東京都港区赤坂五丁目3番6号 TBS放送センター(赤坂サカス)
- 関西支社
- 〒530-0001 大阪市北区梅田二丁目5番22号 ハービスOSAKA11階
- 名古屋支局
- 〒450-6312 名古屋市中村区名駅一丁目1番1号 JPタワー名古屋12階
沿革
テレビ放送参入までの歴史についてはこちらを参照
1950年代
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1月8日:テレビ局舎の落成式を挙行。[15]
- 1月17日:テレビ局舎完成(A~Cスタジオを含む)。[16]
- 1月24日:電波監理委員会より、テレビの呼出名称を「ラジオ東京テレビジョン」と指定される。[15]
- 1月28日 : 郵政省より、地上アナログテレビジョン放送の本放送の免許を取得(呼出符号:JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10kW、音声出力5kW。送信所も同所)。[14][12][17][18]
- 1月 前述の敷地内で、テレビ送信用のタワー(地上高177m)が完成。[19]
- 2月10日 : 試験電波の発射を開始。[注 3][20][18]
- 4月1日:開局。午前10時に本放送開始。 開局記念式典を、Aスタジオにて挙行。この日から、「東京テレニュース」を開始。更にテレビ開局記念番組として、東京都体育館から「グランド・テレビ・パレード」を公開生放送。[8][18][21][22]
- なお世間一般では、新聞のテレビ欄表記から「KRテレビ」(ケイアールテレビ、略称「KRT」)や「ラジオ東京テレビ」(ラジオとうきょうテレビ)と呼ばれていた。
- 4月13日:局としてはテレビ初のプロボクシング中継を行う。[注 4][22]
- 5月15日:テレビの大相撲中継を開始。[22]
- 6月1日:街頭テレビ第1期77箇所の設置を完了。[22]
- 7月2日:この日に大阪球場で行われた、第5回「プロ野球オールスター戦」第1戦にて、大阪から局初の遠距離中継を実施。[21][22]
- 8月20日:街頭テレビ第2期43箇所の設置を完了。[22]
- 12月31日
- 1956年(昭和31年)
- 1月1日:皇居参賀の、鳩山一郎首相(当時)以下閣僚の年頭挨拶を独占放送。[23]
- 4月2日:世界卓球選手権東京大会を、独占中継。[24]
- 10月13日:プロ野球 日本シリーズ中継「西鉄 対 巨人」に於いて、民放テレビ初の福岡からの中継を行う。[24]
- 11月15日:ラジオ東京テレビ、日本テレビ、そして翌月1日にテレビを開局する大阪テレビ放送と中部日本放送の4社で、「番組の交流に関する4社協定覚書」を締結する。[24]
- 12月1日:大阪テレビ放送と中部日本放送(CBC)テレビが共にこの日に開局したのに伴い、両局との番組交流を強化する。[25]
- 12月2日:単発ドラマ番組『東芝日曜劇場』放送開始。[注 5][24][26]
- 12月31日:「ゆく年くる年」を、日本テレビ、大阪テレビ放送、中部日本放送(CBC)テレビとの共同制作で放送。[24]
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1月20日 : 早朝放送を開始。画面に放送界初の時分テロップを入れる。[28][30]
- 1月29日 : カラーテレビの実験局の免許を申請。[28][30]
- 5月29日:在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTR(型番:VR-1000)が2台導入される(当時の金額で1台2500万円だった)。[31][32][33]
- 6月1日:北海道放送[注 6]、中部日本放送、大阪テレビ放送、九州放送(RKB)[注 7]と共に、「テレビニュースに関するネットワーク協定」を締結。[32]
- 6月8日:同局初のVTRを使った番組「ナショナル日曜観劇会『デン助の裏町人情』」が放送される[31][32][33][注 8]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[注 9]。
- 7月6日:大相撲名古屋場所のテレビ中継で、日本初のVTRによる取組の録画再生によるリプレーを開始。[33][34]
- 10月31日:同局のテレビドラマでは初のVTRを使った番組「サンヨーテレビ劇場『私は貝になりたい』」(橋本忍脚本、加藤哲太郎題名・遺書、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されており、同局に残された最古の番組ビデオ・アーカイブとされている)。[32][35][36]
- 11月16日:「東芝日曜劇場」にて、同番組初のVTRを使用したドラマ『マンモスタワー』を放送。この年の芸術祭奨励賞を受賞した(これも前述の「私は貝になりたい」に続き、番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。[32][37]
- 1959年(昭和34年)
- 1月31日:カラーテレビ実験局の本免許を取得(コールサイン:JOKR-TVX[14])。[32][38]
- 2月2日:カラーテレビ実験局開局。13時30分より、同実験放送を開始。[注 10][32][39][40][41][42]
- 4月10日:皇太子御成婚慶祝番組(ご成婚祝賀パレード生中継を含む)をこの日12時間、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国21局へ生中継する。[注 11][32][43]
- 4月14日:同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画「プリンス・アキヒト」を放送。[44][45]
- 5月13日: 水曜日と日曜日にて、プロ野球のナイター中継を開始。[32]
- 5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][46]
- 8月1日:前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって「ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)」を結成。[47][48]
- 8月6日:アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][49]
- 8月17日:「JNNニュース」が始まる。[48][50]
- 8月:米GE社よりカラーカメラを導入[48]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[51]
- 11月14日:Fスタジオの内装完成、番組「若者日本晴れ」から使用を開始。[48][51][52]
- 12月2日:カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][52]
- 12月13日:「兼高かおる世界飛び歩き(翌年の9月20日に「兼高かおる世界の旅」に改題)」放送開始。[48]
- 12月21日:プロ野球の、当時の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と、実況中継放送の独占契約を締結。[48]
- 12月22日:川崎球場と、テレビ放送独占契約を締結。[48]
- 12月30日:「第1回『日本レコード大賞』」を放送(3日前の12月27日、文京公会堂で実施)[48]。以後、毎年年末に同番組を放送する。
1960年代
- 1960年(昭和35年)
- 1月17日:テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力[注 12][48][52]。これに伴い、同タワーに設置した東芝製の送信機(TA-2141B型 終段管はGE製:GL-6251)と電気興業製のアンテナ(10段スーパーゲインアンテナ 高さ:275m 実効輻射電力:375kW)が共に同局2代目(同タワー初代)の設備として稼働開始[14]。この当時の赤坂送信所に使われていたアンテナの頂部エレメントは1995年3月2日に解体された後、正門前に記念碑として設置され、赤坂サカス完成後の現在は放送センター南側の南公園に移設されている。
- 2月8日:プロ野球の、当時の毎日大映オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)と、テレビでの実況中継放送の独占契約を締結。[48][52]
- 8月:Fスタジオのカラー化工事が完成[51][53]。更に同スタジオへ、東芝製のカラーカメラを3台導入。[54]
- 9月2日 : カラーテレビ本放送の免許を取得。[注 13][53][51]
- 9月10日:カラーテレビ本放送を開始(ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった)。開始記念番組として、Fスタジオから、小牧・橘・松山各バレー団出演による『カラー・ミュージカル「バレー・フェスティバル」』を放送。[注 14][53][55][56][注 15]
- 10月10日:ラジオ東京が東京証券取引所第1部に株式を上場。[53]
- 10月頃(期日不明):自社が所有するアンペックス社のモノクロVTRのカラー化の為に、カラー付加器(アタッチメント)を導入。[54]
- 11月29日:株式会社東京放送(とうきょうほうそう)と商号変更し、略称をTBSとする[53]。この頃、「東京テレビ」「東京ラジオ」という呼称を採用したものの、定着には至らなかった。
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F0%2F0a%2FTokyo_Broadcasting_System_cursive_logo.svg%2F200px-Tokyo_Broadcasting_System_cursive_logo.svg.png)
(1961年8月から1991年9月29日まで使用)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Fc%2Fca%2FTBS_%2528JOKR%2529_headquarters_1961.jpg%2F220px-TBS_%2528JOKR%2529_headquarters_1961.jpg)
(1961年)
- 1961年(昭和36年)
- 2月28日:初のカラーテレビ中継車が完成。同局の第5号のテレビ中継車として活躍。[57][58]
- 8月1日:業務用マーク制定[58](原案者:今道潤三、制作者:市川景)。電波をモチーフにした筆記体の「TBS」をアレンジしたもので、CI導入の1991年まで長く使用された。
- 9月:コーポレートカラー「光の3原色(青・赤・緑=能力・熱意・責任)」制定。車両の塗装や局名告知等に使用開始。
- 10月1日:「光の3原色」による社旗、社章(バッジ)制定。[58]
- 10月12日:赤坂のテレビスタジオ隣に、本館の本社社屋が完成。ラジオスタジオおよび本社機構が移転する。更に第3次テレビ増設工事も同時に完成。これに伴い、テレビのGスタも完成する。[58]
- 12月1日:社名呼称をTBSに統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。[58]
- 12月24日 - 創立10周年記念企画として、「TBSソング」(中村メイコ作詞・神津善行作曲)の放送を開始。[58][注 16]
- 1962年(昭和37年)10月1日:史上初の“キャスターニュース”かつネットワーク制作参加ニュース『JNNニュースコープ』スタート(初代キャスターは田英夫と戸川猪佐武)(1990年4月1日終了)[59]。夕方のニュース番組の草分けとなる。
- 1963年(昭和37年)
- 1964年(昭和39年)
- 1月6日:音声多重放送の実験局の免許を申請。[60]
- 2月:東京オリンピック開催に備え、VTR室を建設。[62]
- 4月12,19日:「東芝日曜劇場『愛と死を見つめて』」を、同番組初の2週に渡って放送。後に4回もアンコール放送をする程の大反響を得る。青山和子の歌による同名の主題歌もこの年(第6回)の日本レコード大賞の大賞を受賞した。[60][63]
- 4月20日:テレビ番組自動送出装置(APS)の送出を全番組に拡大する。[60]
- 6月16日
- 9月:VTR室に、芝電機製のオール・トランジスター型VTR(型番:7624)を新たに3台導入、稼働開始。この時点で既に、VTRのカラー対応も装備される。[注 17][62][54][64]
- 10月7日:音声多重放送の実験局の免許を取得。[65]
- 10月10日
- 1965年(昭和40年)10月5日:テレビ初のベストテン番組『TBS歌謡曲ベストテン』放送開始。[66]
- 1966年(昭和41年)
- 1月2日:円谷プロダクションの制作による、自局初の特撮による連続テレビドラマ第1弾『ウルトラQ』放送開始(モノクロ)。[66]
- 7月2日:カラー劇映画『土曜ロードショー』スタート[66]。この頃から、カラー番組が少しずつ増加していく。
- 7月10日:『兼高かおる世界の旅』、この日の放送分から一部の回にて、カラー制作による本格的な放映を開始(同番組の全面カラー化は翌年4月2日放送分から)。
- 7月17日:円谷プロダクションの制作による、特撮連続テレビドラマ『ウルトラマン』放送開始(カラー)[66](以後同シリーズは、全てカラーとなる)。
- 9月16日:オランダ・フィリップス社製の最新型プランビコン式カラーカメラ(型番:PC-60)4式を、日本で初めてGスタジオに導入。それまでのカラーカメラに比べ、大きさ、重さ共に約3分の1となり、かつ美しい自然な画質と安定した性能を持ったのが功を奏し、これを契機に、スタジオカラーカメラでの本格的な制作を開始する様になる。[67][68]
- 9月24日:東京タワーに、新たに東芝製の純国産の送信機(全空冷式TV-55A型 終段管は8F67R)が増設され、同局3代目(同タワー2代目かつ2号機)の送信機として稼働開始。[69]
- 10月3日:前述のカラーカメラを使ってGスタジオで制作された、この日放映の「ナショナル劇場 カラー・ミュージカル・バラエティー『トッポ・ジージョ・イン・ジャパン』」(3週連続放送)が、局の自主制作としては初の本格的なスタジオカラー制作番組(カラーVTR録画・再生)として放映。[67][68]
- 12月:アンペックス社製ハイバンドカラーVTR(型番:VR-2000)を導入(翌年6月には同型もう1台を追加導入)。[67][70]
- 1967年(昭和42年)
- 1月15日:「東芝日曜劇場10周年記念カラー放送『女と味噌汁 その6』」(1965年から始まった連続シリーズ)が局初のスタジオカラーテレビドラマ(カラーVTR録画・再生)として制作・放送。[67][68]
- 4月26日:初代6号中継車(カラー仕様)導入(カメラには、前年Gスタで導入されたフィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを4台使用。)。導入日当日に、この中継車を使い、川崎球場からのプロ野球ナイター中継「大洋 対 巨人」をカラーで放送。これを機に、自社でのカラー中継車を使った番組制作を、本格的に始める。[71][72][73]
- 9月:テレビHスタジオが誕生。[70]
- 12月31日:『オールスター大行進』(この年は『1967年ヒットソングスター大行進』(於歌舞伎座))、この年からカラー放送となる。[74]
- 1968年(昭和43年)
- この年、テレビ・スタジオのカラー化改修を進める。1月にCスタ、4月にはDスタ、7月にはEスタ、9月にはHスタと急ピッチで改修された。既にカラースタジオだったFスタも8月に再改修され、同年9月4日には、全てのテレビスタジオのカラー化が完了した。[70][75]
- 2月3日:大橋巨泉の司会による大喜利番組『お笑い頭の体操』放送開始(モノクロ。1970年1月3日よりカラー。1975年12月27日終了)。[75]
- 9月30日
- 12月31日:この年の『ゆく年くる年』(フジ系を除く全民放テレビ局同時ネット)の制作局を担当に当り、この年から同番組に於いての、カラー放送(一部中継部分を除く)を初めて実施。[77]
- 1969年(昭和44年)
- 6月30日:平日正午からのクイズ番組「ベルトクイズQ&Q」放送開始(モノクロ。翌年(1970年)12月28日からカラー化)。この番組に於いて、初めてテレビ番組にてコンピュータを使用する。[78]
- 7月21日:『アポロ11号月面着陸特番』を放送。13日間で述べ27時間52分放送した。[78]
- 8月4日:「ナショナル劇場 『水戸黄門』」放送開始(カラー)。[78]
- 10月4日:ザ・ドリフターズがメインのお笑い歌謡公開バラエティ番組『8時だョ!全員集合』放送開始(カラー)(一時中断時期を挟み、1985年9月28日まで)。[78]
- 12月31日:『輝く!日本レコード大賞』を、この年から大晦日の生中継にてカラーで放送。以後、2005年まで同局の大晦日の看板番組となり、2006年以降は12月30日の恒例番組になっている。
1970年代
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1月7日:第1次オイルショックによる原油の供給逼迫および原油価格の高騰により、電気事業法に基づく電力使用制限令が出されたことを受け、この日からテレビの深夜放送を自粛。24時(土曜は24時45分)で放送を打ち切る。[86]
- 1月16日:連続ドラマ『寺内貫太郎一家』が放送開始。[86]
- 4月1日:ニュース素材がテレビ・ラジオ共に毎日新聞社へ一本化する。[86]
- 11月19日:近畿地方の準キー局が、これまでの朝日放送テレビから毎日放送(MBS)にネットチェンジすることで基本合意。朝日放送テレビは、これまで毎日放送がネットを組んでいた日本教育テレビ(NET。現:テレビ朝日)とネットを組み、毎日放送に代わってANNに属することになった。[86]
- 1975年(昭和50年)
- 3月31日:テレビのTBS-毎日放送の新ネットワークがスタート。テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”が解消され、NETテレビ系列で放送されていた『アップダウンクイズ』や『真珠の小箱』、『皇室アルバム』、『八木治郎ショー』、『野生の王国』、『ヤングおー!おー![注 18]』、『仮面ライダーシリーズ[注 19]』、『生きものばんざい』などの毎日放送制作番組がJNNのネットワークに引き継がれた。[86]
- 5月24日:連続刑事ドラマ『Gメン'75』放送開始(1982年4月3日終了)。[87]
- 9月29日:朝のワイド情報番組の先駆けとなる『おはよう720』放送開始(後に『おはよう700』に改題を経て、1980年9月26日終了)。[87]
- 10月7日:スタジオ公開クイズ番組『ぴったし カン・カン』放送開始(1986年3月25日終了)。[87]
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 7月1日:連続テレビドラマ「赤い激流」の放送中に、東京タワーの送信所の主電給線の故障により、約20分間停波し、放送が中断する事故が発生(同時ネット回線を経由して放送している地方局には影響なし)。[90]
- 9月:報道局がENG取材システムを導入。[89]
- 8月29日:史上初の3時間ドラマ『海は甦える』(江藤淳・作、仲代達矢主演)を放送[89]。なお番組中、スポンサーの日立製作所も史上初の3分CMを4本放送。
- 9月:3/4インチVTR(Uマチック)によるENG取材を開始。[89]
- 10月3日:2インチVTRを使用したCMバンクが稼働開始。[89][91]
- 10月24日:ENG素材の録画・編集から送出までを行う「ENGセンター」が開設。1インチVTRと3/4インチVTR、及び編集システムが導入。[注 20][89][92]
- 1978年(昭和53年)
- 1月12日:生放送の音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』放送開始(1989年10月5日終了)。[89]
- 4月2日:関口宏司会のスタジオ公開クイズ番組『家族対抗クイズ合戦』放送開始(1979年3月25日終了。翌週から『クイズ100人に聞きました』に改題)。
- 6月2日:東京タワーのアンテナが更新(電気興業製 8段2ダイポールアンテナ)、稼働開始。[93]
- 9月22日:テレビ音声多重放送の実用化試験局の予備免許取得。[注 21][94][95]
- 11月18日:テレビ音声多重放送の実用化試験局の本免許を取得(呼出符号:JOKR-TAM)。[93]
- 11月20日:テレビ音声多重放送開始(実用化試験放送)[93][96]。最初の放送は『JNNニュースコープ』の2か国語放送[96][97]。
- 11月22日:ソニー製1インチVTR(型番:BVH-1000)を導入した、1インチVTRビデオ編集センターの第1期工事が完成、稼働開始。[97][98]
- 11月25日:1インチVTR編集・送出による同局初のステレオ放送番組が放送される(『クイズダービー』(第149回)。翌26日には『サウンド・イン"S"』が放送)。[98]
- この年、NHK総合テレビと並んで全日視聴率1位獲得(TBS史上唯一の全日1位獲得である)。
- 1979年(昭和54年)
1980年代
- 1980年(昭和55年)
- 1月1日:この日の『ゆく年くる年』の放送後、ライオン(旧ライオン歯磨・ライオン油脂)の一社提供による同社の発足記念特番として、『ライオンスペシャル・'80年未来をこの手に!』を制作、びわ湖放送を除く全民放テレビ各局で放送(びわ湖放送(独立局)は、同局の大株主である滋賀県の方針によりネットされなかった。)。
- 2月3日:この年の「別府大分毎日マラソン」の中継放送にて、同マラソン初の全コース完全中継を行う。その際、光ケーブルの初使用を行う。[99]
- 3月31日:この日の時代劇番組『江戸を斬るV』(第7話「御用金奪還!暁の追跡」)にて、同局ドラマ初のステレオ放送を行う(同番組のステレオ放送は、この回のみ)。[99][100]
- 4月4日:米ニューヨークの独立テレビ局WOR-TVにて、米東部時間のこの日と翌日(5日)の2夜に於いて延べ8時間に渡り、TBSの番組特集『JAPAN TONIGHT!』(ジャパン・トゥナイト)が放送される。[注 23][101]
- 10月4日:『JNN報道特集』放送開始。[99]
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 2月11日:連続ドラマ『金曜日の妻たちへ』放送開始。[104]
- 2月15日:連続ドラマ『積木くずし』放送開始。[104]
- 4月1日:福島テレビがJNNを脱退したため、同年12月4日のテレビユー福島開局まで放送対象地域外初の国内の支局である「TBS福島支局」を設置。
- 4月7日:毎日放送制作のクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』放送開始(1990年4月5日終了)。[104]
- 4月13日:クイズ番組『わくわく動物ランド』放送開始(1992年3月25日終了)。[104]
- 5月27日:連続ドラマ『ふぞろいの林檎たち』放送開始。[104]
- 6月21日:この日から1週間に渡り、小笠原からの衛星生中継をニュース・情報番組内にて行う。[104]
- 8月21日:ベニグノ・アキノ・ジュニア元フィリピン上院議員に単独密着取材中、マニラ国際空港で暗殺された場面を映像スクープ。同月28日の『JNN報道特集』内でも取り上げる。(後の1986年2月に「エドゥサ革命」が起こる大きなきっかけの事件となった。)[104][105]
- 10月24日: テレビ文字多重実験放送免許を取得。[106]
- 11月18日:テレビ音声多重本放送免許を取得。[106]
- 1984年(昭和59年)10月1日:夕方のニュース番組『JNNニュースコープ』が、終了を19時20分のゴールデンタイム枠にまで拡大する[107]。これに伴い、今まで平日19時又は19時半台の番組が5つとなり、19時20分から40分番組となる[注 25]。[108]
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1月11日:『8時だョ!全員集合』の後番組として、同番組に出演していたザ・ドリフターズのメンバー加藤茶と志村けんメインによるコントバラエティ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が放送開始(1992年3月28日終了)。[112]
- 3月31日: テレビ文字多重本放送免許取得(呼出符号:JOKR-TCM)。[113]
- 4月1日
- 4月19日:草野仁司会によるクイズ番組『日立 世界・ふしぎ発見!』放送開始(2024年3月30日終了)。[114]
- 5月2日:ビートたけし冠司会による視聴者参加型ゲームバラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』放送開始(1989年4月14日終了)。[114]
- 7月25日:明石家さんま主演の恋愛連続ドラマ「男女7人物語」の第1弾『男女7人夏物語』が放送開始(同年9月26日まで。1987年には第2作『男女7人秋物語』が制作・放送)。[114]
- 10月12日:過去のテレビ番組やCMを振り返るバラエティ番組『テレビ探偵団』放送開始(1992年3月29日終了)。[114][115]
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(昭和64年/平成元年)
- 1月7日:この日午前6時33分に昭和天皇の崩御に伴い、(平成元年)1月9日未明までCM抜きの報道特別番組を編成。[120]
- 2月11日:(10日深夜)深夜のバラエティ番組『平成名物TV』が放送開始。その第1部である、アマチュアバンドの勝ち抜きバンド合戦の音楽バラエティ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』も同時開始(1990年12月29日終了)[120]。この番組が、バンドブームの大きな引き金となる。[122]
- 7月8日:JNNが通信衛星を使った中継システム、「SNG (Satellite News Gathering) システム」の運用を開始。[120]
- 8月24日:テレビ・クリアビジョン(EDTV)の本放送を、この日の「ザ・ベストテン」から開始。[123][124]
- 10月1日:森本毅郎司会による情報娯楽番組『噂の!東京マガジン』が放送開始(2021年3月28日地上波での放送終了。2021年4月4日からBS-TBSに移行して継続中)。[125]
- 10月2日:平日23時からのニュースワイド番組『NEWS23』放送開始(当時の番組名は『筑紫哲也 NEWS23』。後に『NEWS23X』→『NEWS23』に改題し、現在も放送中)。[125]
- 10月5日:『ザ・ベストテン』がこの日放送された特番『さようならザ・ベストテン』をもって12年の歴史に幕。最終回は、歴代の司会者・登場歌手などが昔の映像を見返すという構成だった。
- 10月10日:大型エンターテインメントバラエティ『ギミア・ぶれいく』が放送開始[125]。総合司会は大橋巨泉が務め、関口宏、石坂浩二、ビートたけしといった面々のユニークな企画で構成され、番組内で放送された藤子不二雄Ⓐ原作のアニメ『笑ゥせぇるすまん』も人気を集めた(1992年9月29日放送終了)。[126]
1990年代
- 1990年(平成2年)
- 4月1日:1962年10月1日から続いた『JNNニュースコープ』(TBS系)がこの日に終了、27年半の歴史に幕。
- 4月2日:『JNNニュースの森』が、『JNNニュースコープ』に替わって放送開始。[125]
- 5月:テレビの視聴率が、開局以来の最下位を記録する。[125]
- 9月13日:アメリカ・CBSテレビとの間でニュース報道における独占包括契約の締結を発表(翌年4月に施行)。[127]
- 10月11日:連続テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』放送開始。[127]
- 12月2日:創立40周年事業として、宇宙特派員・秋山豊寛を乗せた宇宙船(ソユーズ)をソ連・カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げる(「TBS宇宙プロジェクト」)。[127]
- 1991年(平成3年)
- 4月8日:北方4島から初の衛星生中継を行う。[127]
- 4月13日:土曜ゴールデンタイムの報道ワイド番組『情熱ワイド! ブロードキャスター』放送開始(2008年9月20日終了)。[127]
- 9月11日:同局の緑山スタジオ内に、過去のラジオ・テレビ番組を納めた「TBS番組センター」が火入れ式、稼働開始。[128]
- 9月16日:CIを導入。一環として、平成初、新しいシンボルマーク「ミクロコスモスTBS」が決定。これに伴い、長年親しまれてきた業務用マーク(筆記体)を廃止[注 28]。また、「東京放送」と「TBS」の双方が使われていた対外向けの名称は、これを機に「TBS」を多用するようになる。[128]
- 10月5日:年に2回の番組改編期特番「オールスター感謝祭」放送開始(以後、毎年春と秋の番組改編期に放送)。[128]
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F8%2F88%2FTokyo_Broadcasting_System_logo_2007.svg%2F220px-Tokyo_Broadcasting_System_logo_2007.svg.png)
(1994年1月17日から2020年3月31日まで使用)
- 1994年(平成6年)
- 1月:新放送センター完成を前に、VI委員会が新しいステーションコピーとロゴの採用を決定。前年に路線転換されたCIの象徴であった「ミクロコスモス」によるシンボルマークは廃止された。新たなロゴはTBSビジョンデザイン部・小河原義一によるもので、同17日に実施された。[130]
- 4月9日:料理バラエティ番組『チューボーですよ!』放送開始。[130]
- 10月3日:現社屋「TBS放送センター」(愛称:ビッグハット)に移転。トータルデジタル化で放送を開始する[131]。旧テレビ局舎はすぐさま解体に入り、旧社屋は「赤坂メディアビル」に改称。この日は、朝5時25分から5時30分と10時30分から11時25分の2回に分けて関東向けに、21時からは全国ネットで約2時間、新社屋移転の特別番組がそれぞれ生放送された(朝5時25分からの特番では社長挨拶、10時30分からの特番では当時の報道・情報番組のキャスターが総出演し放送センター内の紹介、夜の特番では運用開始したA・Bスタジオからの生放送や、社屋移転で運用を終了したテレビ局舎・Gスタジオ内部の様子も放送された)。
- 1995年(平成7年)
- 1月17日:この日早朝に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で、当日午前6時50分(『ザ・フレッシュ!』)から、既存の報道・情報系番組はその枠内で、それ以外の時間帯は既存番組の枠大もしくは報道特番などの形を取りながら、1月19日未明までの間、地元局の毎日放送などと共に臨時特別編成を実施(なお毎日放送では当日午前8時30分から1月19日の放送終了まで、CMを全面カット。TBSや系列他局がCMを放送している時間帯を利用し毎日放送の放送エリアに向けて詳細な生活関連情報を伝え続けた。)。[131]
- 2月6日:テレビ開局時に建設された赤坂局舎の鉄塔の解体工事を開始。翌月(3月)2日に完了する。[131]
- 4月3日:TBSのインターネットのホームページが開設する。[131]
- 10月6日:ワイドクリアビジョン(EDTV-II)の放送開始。[132]
- 10月9日:「坂本堤弁護士一家殺害事件」のビデオテープ問題(通称「TBSビデオ問題」)が浮上したことにより、社内で調査チームを発足する(詳細及びその後の経過については、「TBSビデオ問題」の項を参照)。[132]
- 1996年(平成8年)
- 3月25日:前期のTBSビデオ問題にて、当時の磯崎洋三社長が「テープをオウム真理教の幹部に見せた」と謝罪、関係者の処分を発表(「TBSビデオ問題」の項も参照)。[132]
- 4月6日:土曜日の4時間半の生放送情報番組『王様のブランチ』が放送開始。[133]
- 4月14日:ユネスコ総会が採択した世界遺産を題材とする紀行・ドキュメンタリー番組『世界遺産』が放送開始。[133]
- 4月30日:「TBSビデオ問題」における第三者委員会の結果がまとまったことにより、磯崎社長(当時)が出演し自ら謝罪した特別番組『視聴者の皆様へ』ならびに同問題を検証する特別番組『証言・坂本弁護士テープ問題から6年半』を同局でこの日19時から23時までの4時間、CM抜きで放送。翌日、同社長、杉本専務、大川取締役、及び4人の常務が、この問題の責任を取って辞任。砂原幸雄が社長に就任する。[133]
- 5月17日:当時の日野市朗郵政大臣から、前述のTBSビデオ問題の不祥事に於いて、砂原社長に文書で厳重注意し、6点の行政指導が行われる。[133]
- 5月20日:この日から同月24日深夜まで、前述のTBSビデオ問題の不祥事を受け、テレビの深夜放送を自粛する。更に同月31日には、お昼の生ワイドショー番組『スーパーワイド』の放送を終了する。[133]
- 7月18日:東京タワーの1号送信機を更新(東芝製 全固体式 TV2443JBF型)、同局6代目(東京タワー5代目)の送信機として稼働開始。これにより、1973年に導入された同タワーの前1号機(同局4代目)は廃用となる。[134]
- 9月27日:前述のTBSビデオ問題の不祥事を受け、『スーパーワイド』に続き、朝の生ワイドショー番組『モーニングEye』の放送もこの日に終了する。
- 9月30日:『モーニングEye』の後釜として、女優の岡江久美子とタレントの薬丸裕英の司会による生活情報番組『はなまるマーケット』が放送開始(2014年3月28日終了)。[133]
- 12月18日:特別番組『放送を考える、テレビも改革の時』を放送。[133]
- 12月19日:「TBSビデオ問題」の不祥事を受け、再発防止策として、TBS改革推進本部を設置[133]。同月24日には、レビュー番組委員会を設置[133]、更に報道局が「報道倫理ガイドライン」を発行する(翌年12月には第2版を発行)[135]。
- 1997年(平成8年)
- 1月25日:テレビ放送批評番組『TBSレビュー』放送開始。[135]
- 4月1日:『報道特集』、番宣番組『倶楽部6』、ゲームアトラクションバラエティー番組『バリキン7 賢者の戦略』の各番組に、同局初のバーチャルセットを導入する。[135]
- 6月27日:テレビデータ多重放送の本免許を取得(呼出符号:JOKR-TDM)。[136]
- 7月1日:テレビデータ多重放送である「TBSデータパレード」サービス放送開始。[136]
- 7月15日:緑山のM3スタジオが更新、同局初のハイビジョン対応を含むマルチ・フォーマット対応のスタジオとなる。[135][137]
- 8月2日:(日本時間)ギリシャのアテネで開催された『第6回世界陸上選手権大会』の模様を独占中継(日本時間の同月12日まで)[135]。この大会より、『世界陸上』での独占中継を毎回行う。
- 10月1日
- 1998年(平成10年)
- 1月22日:従来の磁気テープからハードディスクに記憶媒体を替えた(テープレス化した)、新しいCMバンクが火入れ式を行う[138]。翌月2月2日に運用開始[139]。
- 4月1日
- 6月3日:前年の緑山のM3スタジオに続き、放送センターCスタジオと緑山のM1,M2の両スタジオが、ハイビジョン対応を含むマルチ・フォーマット対応のスタジオとなる。[137][139]
- 8月28日:前述のTBSビデオ問題の不祥事に対しての改善処置第10回(最終回)を、郵政省に報告する。[139]
- 9月28日:平日午後のワイド生活情報生番組『ジャスト』が放送開始(2005年3月25日終了)。[139]
- 11月19日:日本を訪問中のビル・クリントンアメリカ合衆国大統領が同局放送センターのスタジオで100人の市民とタウンミーティングを行い、この模様を『NEWS23スペシャル クリントン大統領があなたと直接対話』の特番で放送した。[140][141]
- 12月30日:年末年始30時間放送特別番組『テレビのちから』放送(『第40回日本レコード大賞』内包)。[140]
- 1999年(平成11年)
2000年代
- 2000年(平成12年)
- 2月29日:20世紀末の初、TBSグループ、JNN、TBSネットワークの共通新シンボルマークとして、漢字の“人”をモチーフにした「ジ〜ン」(一般公募)を制定。[142][143][144]
- 3月21日:東京放送は、テレビの娯楽番組制作を行う「株式会社TBSエンタテインメント(現:株式会社TBSテレビ)」、テレビのスポーツ番組制作を行う「株式会社TBSスポーツ(現:株式会社TBSテレビ)」、ラジオ現業部門を行う「株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ(現:株式会社TBSラジオ)」の3つの連結子会社を設立・分社化し、事業を分割。[142]
- 3月23日:新小型SNG車「TBS-24」が完成。[142]
- 4月1日:新しい前述のシンボルマーク「ジ〜ン」使用開始[142]。『JNNニュースの森』(当時)や『筑紫哲也 NEWS23』など全ての『JNNニュース』番組のサブタイトルや、MBSやCBCなど系列局制作も含めた全国ネット番組のクレジットタイトルなどで表示される[注 29]。また一部系列局でも、ローカルニュース番組のセットに使用されたことがある(後に廃止)。
- 4月10日:平日お昼の大型ニュース・情報生番組『ベストタイム』放送開始(2004年3月26日終了)。[142]
- 5月8日:放送センターのBスタジオがハイビジョン化される。[137][142]
- 6月14日:同局初のハイビジョン専用スタジオとして、緑山のM5スタジオが完成する。[137][142]
- 7月31日:放送センターにハイビジョンのEスタジオが、同年9月29日にはFスタジオが完成(2つのスタジオ共に、当初は同年12月1日開局のBSデジタル放送BS-i専用のスタジオとして稼働)。[137][145]
- 10月25日:ECサイト「TBS i-shop」をオープン。[146]
- 11月29日:ハイビジョンのSNG車「TBS-31」が運用開始。[137][145]
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)7月1日:CS放送局「TBSチャンネル」放送開始。
- 2003年(平成15年)
- 12月1日11時:地上デジタルテレビジョン放送(呼出符号:JORX-DTV、リモコンキーID:6、物理チャンネル:22)の本放送開始。
- 12月31日:『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』でのボブ・サップVS曙太郎戦時の視聴率が、裏番組『第54回NHK紅白歌合戦』(NHK総合テレビ)を4分間上回った。『NHK紅白歌合戦』開始時1分間の例外を除けば調査開始以来初めて瞬間視聴率で紅白を上回る格好となった。
- 2004年(平成16年)
- キャッチフレーズに“チャンネル・ロック”を採用。地上デジタル放送のリモコンキーIDもアナログ放送の送信チャンネルと同様6chであることを受け、固定(lock)や音楽(rock)の意味を込めた。
- 10月1日:東京放送はTBSエンタテインメントを存続会社として、TBSスポーツ、TBSライブのテレビ子会社3社を合併し、株式会社TBSテレビに商号変更。放送(送信)・経理以外のテレビジョン放送事業全般を1社に集約し、業務委託する。
- 2005年(平成17年)
- 2月7日:地上デジタルテレビジョン放送・アナログテレビジョン放送の送出を、簡易マスターから統合型マスター(NEC製アナログ・デジタル統合マスター)に移行。生番組の一部においてハイビジョン化を開始。同時に、論理チャンネル番号「063」を廃止した。
- 3月:TBS平日ワイド大改編「TBSの変」実施。
- 4月1日:開局50周年を迎える。
- 11月1日:PCおよびSTB利用によるブロードバンドテレビ向けの動画オンデマンド配信サービス「TBS BooBo BOX」を開始。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)3月下旬:生番組系で使用される字幕(テロップ)・CGシステムの更新を開始。4月22日をもって完全に新システムへ移行完了。
- 2008年(平成20年)9月1日:PCおよびSTB利用によるブロードバンドテレビ向けの動画オンデマンド配信サービス「TBS BooBo BOX」を「TBSオンデマンド」にリニューアル。
- 2009年(平成21年)
- 2月3日:3月28日までの期間限定トライアルとして「TBSオンデマンド無料見逃しサービス」と題し、地上波ゴールデン・プライムタイムで放送の『ラブシャッフル』と『ザ・イロモネア』をPC向けに広告付きで無料配信。
- 4月1日:東京放送は株式会社東京放送ホールディングスに商号変更して、認定放送持株会社に移行。同時にテレビ放送免許を含むテレビ放送事業を、株式会社TBSテレビに分割・承継。TBSテレビが一般放送事業者となり、同時に略称の「TBS」も継承した。
- 11月29日放送の『プロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ・内藤大助×亀田興毅』が視聴率43.1%を記録、これが年間視聴率1位となった(TBS番組の年間視聴率1位獲得は史上初)。
2010年代
- 2010年(平成22年)
- 3月11日:放送衛星(BS)のセーフティーネットによる、地上デジタル放送難視聴対策のサイマル補完放送を5年間限定で開局。チャンネルはBS296。
- 6月29日:2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の日本代表VSパラグアイ代表を、TBSテレビとJNN系列局、系列局のない県のテレビ局の秋田放送、福井放送、四国放送(いずれもNNS・NNN系列。福井放送はANNとのクロスネット)、サガテレビ(FNS・FNN系列)で地上波独占放送し、関東地方での平均視聴率がTBSテレビ史上最高の57.3%を記録した(これをもって2年連続でTBS番組が年間視聴率1位を獲得した)。なお、同試合中継後に放送された『JNNニュース』(26:00 - 26:15、『NEWS23X』休止による代替)は61.2%を記録した。同試合よりも高い視聴率であったが、公式にはカウントされていない。
- 7月5日:NHKと日本民間放送連盟の申し合わせにより、地上デジタルテレビジョン放送への完全移行を前提に、地上アナログテレビジョン放送においての全番組がレターボックス放送(画角サイズ16:9。CMは除く)に移行。
- 7月30日:ホワイトスペース特区として実験試験局の免許取得(赤坂、31ch、出力10mW)。同年8月7日より実証実験を開始[147]。
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:この日発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、地震発生から3月14日未明までの間、CM抜きで長時間の報道特別番組を放送。
- 6月30日:沖縄県大東諸島のデジタル放送中継局開局(同7月1日試験放送、7月23日正式開局)に伴い、アナログテレビ中継放送終了。デジタル放送移行後は本来の琉球放送の中継局が設置された。
- 7月24日:この日正午をもって地上アナログテレビジョン放送を終了(『アッコにおまかせ!』放送中に終了)。アナログ放送ではブルーバックによるお知らせ画面を流し続け、23時58分ごろ、通常のジャンクション(局名告知)を放映した後、ブラックバックにマスコットキャラクターの「BooBo」が登場して「アナログ放送は終了します」「ありがとうございました」と一礼し、23時59分00秒に停波。地上デジタルテレビジョン放送に完全移行。
- 2012年(平成24年)6月4日:赤坂サカスを業務区域とするエリア放送の地上一般放送局の免許取得。
- 2013年(平成25年)5月31日午前9時:テレビの送信所を東京タワーから東京スカイツリーに移転(東京タワーの送信設備は予備送信所として存続)。
- 2014年(平成26年)
- 7月22日:アニメ専門ECサイト「アニまるっ!」が「TBS i-shop」から独立オープン[148]。
- 12月31日:TBSテレビ開局60周年記念特別番組スペシャル『CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ 2014-2015』を生中継で放送。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年):C Channel へ出資を行うとともに、スマートフォン向けオンライン動画事業において業務提携を進める[149]。
- 2017年(平成29年)
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 3月25日:『月曜名作劇場』が終了。これをもって、地上波の2時間ドラマ(レギュラー枠)が一時的に消滅[151]。
- 6月29日:『新幹線変形ロボ シンカリオン』終了[注 33]。これをもって、子供向けアニメおよび全年齢層を対象としたファミリー・一般向けアニメの制作から撤退。
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F1%2F14%2FTokyo_Broadcasting_System_logo_2020.svg%2F220px-Tokyo_Broadcasting_System_logo_2020.svg.png)
(2020年4月1日から使用)
2020年代
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)4月1日:全番組の提供クレジットから黒い縁+白テロップ表記を撤廃(※一部企業を除く)し、各社提供・ネットセールス・ローカルセールスを含めてカラー表記に統一。系列局もカラー表記に統一させた。
- 2022年(令和4年)
- 4月11日:動画配信アプリ「TVer」にて、地上波ゴールデン・プライムタイムに放送されているTBSテレビ系列番組のインターネット同時配信サービス「TBS系リアルタイム配信」を開始[153]。
- 8月29日:この日から約1週間ほど、全ての番組の終了時にTBSのロゴムービーと同年夏に導入されたTBSホールディングスのグループ各社共同で使われる「ブランドサウンド」および「From TBS」というコールが入った5秒映像が挿入された(関東地方のみ、系列局では番宣スポット等に差し替え)。
- 2023年(令和5年)7月5日:「TBS GAMES」のブランド名でコンピュータゲーム事業への参入を発表[154]。
- 2024年(令和6年)3月30日:『日立 世界・ふしぎ発見!』放送終了。
- 補足
TBSテレビジョン(東京放送)の新聞ラ・テ等番組表における表記は、ラジオ東京時代(1955年4月1日-1960年11月28日)は「KRテレビ」(←JOKR-TV)や「ラジオ東京テレビ」、東京放送に商号変更後の1960年11月29日から1961年11月30日までは「東京テレビ」(東京放送テレビ)としていたが、「TBS」に対外呼称を統一した1961年12月1日以降は「TBSテレビ」となっている。
開局当日の編成
- 10:30 - 開局式典実況(足立正ラジオ東京社長から開局メッセージ)
- 11:00 - 舞踊『二人三番叟(ふたりさんばそう)』
- 12:25 - 祝賀舞踊
- 13:00 - 映画①『ウッカリ夫人チャッカリ夫人』②シネマ案内(これで一旦放送休止)
- 19:00 - 東京テレニュース
- 19:20 - スポーツ・タイム(スポーツニュース)
- 19:30 - グランド・パレード[注 34]
- 21:00 - 座談『テレビよもやま話』
- 21:30 - 朝日テレビニュース
- 21:40 - お笑い三人衆(これで放送終了)
注釈
- ^ 各TBS制作番組宛の郵便番号はラジオ・テレビ共通で「107-8066」。
- ^ このためTBSラジオの新サイトでTBSテレビは「TBS TV」と表記されている。
- ^ 試験電波は、この開始日から、日曜日を除き毎日2時間半発射された(開局日前まで)。
- ^ 日本選手権フェザー級 大川寛 対 赤沼明由 ほか
- ^ 同番組の第1回は、舞踏劇「戻橋」だった。
- ^ 前年(1957年)4月1日にテレビ開局。
- ^ この年(1958年)の3月1日にテレビ開局。
- ^ 放送は13時15分からの45分間で、番組の収録は2日前に、浅草松竹演芸場のデン助劇団の21時からの公演を収録したという。
- ^ ただし、当時のビデオ・テープは米3M社製の輸入品のみで、1時間しか録画ができず、当時の日本円レートで1本約100万円(1958年当時の大卒初任給は約1万3,500円、かけそばは1杯25円、家電でも最高額が電気冷蔵庫の10万円という時代だった。なお、テレビは14インチで7万円。)もする余りにも高額な物で、さらに、著作権法の絡みで長期保存することもできず、当該録画映像の放送後は消去して使い回しというやり方だったために、同年に製作されたドラマ『私は貝になりたい』以前のビデオ・テープは同局では残されていないという。
- ^ 当初は、毎日の午後の時間帯に、30分間のカラーフィルムの放映によるものだった。ちなみに、同実験放送に於ける初日(最初)の番組は、東映の短編映画「夢見童子」だった。
- ^ 同関連番組は、前日の1時間半とこの日の全ての放送が、当時の松下電器(現:パナソニック)の1社提供のみで放送された。
- ^ 尚増力許可は、10日前の同年1月7日に、郵政省から下りている。
- ^ この日は他にも、東京・大阪のNHK総合・教育両テレビ、日本テレビ、朝日放送テレビ、読売テレビも同免許を取得した。
- ^ この放送日の新聞朝刊のテレビ欄では、読売新聞(5ページ)が当番組がカラー放送で尚且つ番組紹介記事を僅かに設けていたのに対し、朝日新聞(5ページ)及び毎日新聞の番組表はカラー表記は一切なく、番組紹介もない。
- ^ この本放送開始時点でのカラーのレギュラー番組は、毎週金曜日の「奥様これはいかが」、「季節の手帳」(いずれも15分の番組)だけだった。(朝日新聞1960年9月8日朝刊5ページテレビ欄「カラー番組ご案内 10日からいよいよ本放送」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧) 及び 読売新聞 1960年9月10日朝刊 P.15 特集記事『カラー本放送を迎えたテレビ局の表情』内の「NHKとKR」(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)に記載。)
- ^ 2023年2月2日にTBSラジオ『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』内の「ラジオTOKYO リメイク」のコーナーで同歌が取り上げられ、ラジオのみではあるものの、久々に放送された。
- ^ 1965年東京放送発行の『東京放送のあゆみ』では、307ページに、これらの3台は1964年10月初めに導入され、内の1台は局初のカラー録再対応VTRで、翌年(1965年)までには、もう1台もカラー録再対応となった、と記されているのに対し、2002年同社発行の『TBSの50年』の219~220ページでは、1964年9月にこれらの3台が増設されたことを述べた後に、「尚、従来のアンペックス社製VR-1000の1号機に加え、2号機にも新型カラーアダプターが装着され、カラー機は2式となり、新規3台と合わせてオリンピックへの準備が整った。」と記されている。その事実を裏付ける記事として、読売新聞 1960年9月10日朝刊 P.15 特集記事『カラー本放送を迎えたテレビ局の表情』内の「NHKとKR」には、「白黒用のVTRをカラーで使える様にカラー付加器(アタッチメント)をアンペックス社に注文、同年(1960年)10月頃に入荷する」という記載がある。
- ^ 関東地区では当初はNETテレビにネットされていたが、NETテレビの編成方針で打ち切りとなり、東京12チャンネル(現:テレビ東京)にネットが移行されネットチェンジ直前までネットされた。TBS系列の中国放送(RCC)とRKB毎日放送(RKB)は腸捻転時代から既に番組販売扱いでネットされていた。
- ^ TBS系移行時は『仮面ライダーストロンガー』から。『平成・令和仮面ライダーシリーズ』は毎日放送のかつてのキー局であるテレビ朝日が制作・放送。
- ^ 同センターには、1インチVTR3台とその編集機1台、3/4インチVTR3台とそれらから1インチVTRへの編集機1台の計2式の編集システムが導入された。
- ^ この日には他に、東京と大阪のNHK総合テレビ、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、東京12チャンネル、讀賣テレビ放送にも同予備免許が付与された。
- ^ 大分放送、RKB毎日放送との共同制作。熊本放送の技術協力も得て放送。
- ^ 4月4日は22時半から1時間の前夜祭スペシャル、翌5日は、17時から24時に渡り、『ウルトラマン』、『まんが日本絵巻』、『ミラクルTV』、『ナッキーはつむじ風』(以上各30分)、『水戸黄門』(1時間)、『8時だョ!全員集合 ギャグ集』、『サウンド・イン・S』(以上各30分)、『Gメン'75』(1時間)、『美をもとめて』(30分)が各々英語吹き替え版にて放送され、その後『ニュース』、『スポーツスペシャル』が各々15分、英語での衛星中継にて放送された。尚、この番組のタイトル・テロップ写真は、モノクロではあるものの、書籍「TBS50年史」(株式会社東京放送:2002年1月刊)の401ページに掲載されている。
- ^ 副音声は、番組冒頭の天気予報の詳しいデータを5分間にまとめ、それを3回繰り返して放送。
- ^ 「クイズ100人に聞きました」(月)、「ぴったしカン・カン」(火)、「ザ・チャンス!」(水)、「クイズ天国と地獄」(木)、「野生の王国」(金,毎日放送制作)が各々40分へ拡大された。
- ^ 全固体化に伴い、送信機の出力段がユニット化されており、映像が1.5kW×40、音声が1.5kW×10となっている。
- ^ 民放ではフジテレビジョンと同時で初。ただしフジは未明の30分-1時間程度、メンテナンスのために放送を中断し、カラーバー(試験電波)を放送していたため完全な24時間放送ではなかった。TBSはこのようなカラーバーなどの中断を挟まず完全に24時間番組を配信していた。(但し、日曜日深夜約3時間にメンテナンスの為休止)
- ^ 2000年代になってから同局番組『ドリーム・プレス社』は番組ロゴの一部として筆記体マークを使用していた。
- ^ 製作著作クレジットでは、従来の「TBS」のローマン体ロゴの後にシンボルマークの「ジ〜ン」を付けている事も多かった。又、『JNNニュース』番組での表示は一部を除きなし。なお後にTBS制作の一部の全国ネット番組のクレジットタイプで表示されなくなった。
- ^ 現ロゴ制定初期のデザインに近いが当時はアナログ放送のみであったため放送局アイコンはなかった。
- ^ なお、BS-TBSとCS放送のTBSチャンネル・TBSニュースバードではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。
- ^ 開局以来、日本電気(NEC)製のマスターシステムを採用してきたが、初のメーカー変更となった。
- ^ アニメ自体は2021年4月から2022年3月まで放送局をテレビ東京に移管して第2シリーズを放送。
- ^ ラジオでも、同日21:10~21:35に同名の番組を放送した。
- ^ 2位はフジテレビの12年連続(1982年 - 1993年)である。
- ^ 1984年度、1987年度の下期視聴率は、ゴールデンはTBSがトップだった。
- ^ TBSテレビの2131億72百万円に対しテレビ朝日は2176億62百万円となり、TBSは開局以来初めて単体売上高でテレビ朝日(日本教育テレビ・NETテレビ時代も含む)に抜かれた。
- ^ 現在の上場会社はフジ・メディア・ホールディングス。
- ^ 2009年3月31日までは東京放送、2009年4月1日から2020年9月30日は東京放送が商号変更した東京放送ホールディングス、2020年10月1日以降は東京放送ホールディングスが商号変更したTBSホールディングスが上場会社である。
- ^ 現在の上場会社は日本テレビホールディングス。
- ^ 毎日放送(MBSテレビ)制作。
- ^ 『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の1コーナー。
- ^ 日本国外では『ニンジャ・ウォリアー』のタイトルで放映。
- ^ かつて放送されていた『うたばん』ではこれを逆手に取り、トークやゲストの歌唱中に照明が落ちる演出が使われていた。
- ^ 東京放送は月給制で年功序列給であり、TBSテレビは年俸制で成果主義給だった。
- ^ HBC・TBS・CBC・MBS・RKBの5局。1975年3月まではMBSの代わりにABCが参画していた。
- ^ 1987年10月〜1989年9月は報道番組のため枠を一旦廃止。代替枠としてこの期間は水曜21時枠で放送
- ^ 本作品は、以前にフジテレビで放送されていた『インスタントヒストリー』の局を変えた続編という位置付けであり、スタッフも共通していた。同時に、『キリンものしりシリーズ』の第1弾でもあったが、次回作の『ものしり大学 明日のカレンダー』からは制作局がMBSに移行し、関西ローカルでの放送となった。
- ^ 前作に当たる『七つの大罪』も第2期まではTBS系列で放送されていたが、こちらはMBSの製作で「日5」や「アニメサタデー630」で放送された。
- ^ 全日帯でのCBC制作テレビアニメは『星のカービィ』が最終作品であった。なお、CBCは分社化後テレビアニメ自体を制作していなかったが、2021年に『やくならマグカップも』を(CBCテレビ・ラジオ両社が製作委員会に入る形で)制作した。ただし、本作品は関東地方ではTOKYO MXにて放送されたため、分社化以降にTBSテレビで放送されたCBC制作のアニメは存在していない。
- ^ TBSテレビで第1期を、BS-TBSで第2期を放送。
- ^ JNN系列局としてはチューリップテレビや大分放送と同じ物理チャンネルであり、系列外でリモコンキーIDを6に採用した局でも名古屋テレビ放送と同じ物理チャンネルである。
- ^ 同系列で岩手県のIBC岩手放送、石川県の北陸放送もアナログからチャンネル番号を継承しデジタルも「6」が使われる。
- ^ 朝日放送テレビは「腸捻転」が原因で1975年3月までTBS系列だった。
- ^ a b c アナアナ変換前は23ch
- ^ a b アナアナ変換前は55ch
- ^ アナアナ変換前は24ch
- ^ 本来は、琉球放送の放送エリア。
- ^ 本来は、テレビ山梨の放送エリア。
- ^ 本来は、信越放送の放送エリア。
- ^ a b 本来は、静岡放送の放送エリア。
- ^ 当時系列局だった福島テレビ(現:フジテレビ系列)でも1982年3月まで使用(「FTVはもうひとつの家族です」の表記)
- ^ 東北放送でも使用(「TBS」部分を「TBC」に変更)。
- ^ 東北放送でも使用(「6チャンネル」部分を「TBC」に変更)。
- ^ テレビユー福島でも使用(「TBS」部分を「TUF」に変更)。
- ^ テレビユー山形でも使用(「TBS」部分を「TUY」に変更)。
- ^ 中部日本放送でも使用(「TBS」部分を「CBC」に変更)。
- ^ イメージキャラクターは326が担当した。青森テレビでも使用(「TBS」部分を「ATV」に変更)。
- ^ “チャンネル・ロック!!”は「6チャンネル」と「チャンネルはそのまま」をかけており、番組の最後に流れる「クロスプログラム」(次の番組の告知)でも右上に「チャンネル・ロック」と表示された。2005年以降は、デジタル放送のリモコンIDがTBSと同じ「6」となる系列地方局でも、当該地域向けにTBSが用意する宣伝映像の中で、密かに「チャンネル・ロック」のフレーズが出てくることがある(愛媛県のあいテレビなど)。
- ^ つじあやのが歌唱したCMソング(サウンドロゴ)は2006年発売のCD『つじベスト』収録の「CMソングメドレー」に収録された。Discography つじベスト、つじあやのオフィシャルサイト - 2024年5月20日閲覧。
- ^ 「テレビが無くてもTBSはある」の意。 稀に全国向けにフレーズを差し替えた“No TV? but JNN”が登場することもある。また、同じキャンペーンCMでJNNロゴと各地方局のロゴを並べたものに差し替えた地方局用のバージョンも存在する。一部番組の制作クレジット表記では「TBS(ジ〜ン)」の代わりにこのキャッチコピーを使用している。
- ^ 亀田の深刻な反則行為についてテレビでは「亀田、若さが出てしまいました」であったのに対し、ラジオの実況は「亀田、最低の試合!」と非難していた。
- ^ 1998年から打ち切りまでKONAMIが大口メインスポンサーだった関係でゲーム版に留まらず、グループ企業である頃のタカラを含んだ同社グループのみでメディアミックスが行われた作品の一つ。この一環のため、ニューギンから販売されたパチンコ版の演出もグループ企業のKPEがTBSに提案する形で開発を担当していた。
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