八木治郎ショーとは? わかりやすく解説

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八木治郎ショー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 21:32 UTC 版)

八木治郎ショー』(やぎじろうショー)は、1970年1月3日から1980年9月27日まで毎日放送を制作局として、NETテレビ(現・テレビ朝日系列局TBS系列局生放送されていたトーク中心のワイドショー。放送時間は毎週土曜日 8:30 - 9:30(JST)。


  1. ^ a b c d e 「制作ノートから(101) 毎日放送『すてきな出逢い・いい朝8時』 「番組は人なり」の基本姿勢で / 本多隆朗」『月刊民放』第21巻第2号、日本民間放送連盟、1991年2月1日、31 - 33頁、NDLJP:3471062/16 
  2. ^ 但し、NET系列番組時代でネットし、TBS系列番組になった後もネットした一部局は腸捻転解消後も『モーニングショー』のネットを継続した。
  3. ^ 『田辺製薬三百五年史』田辺製薬、1983年10月、292頁。NDLJP:11956313/194 
  4. ^ 尚、福郎は1975年4月より平日昼のワイドショー番組『スタジオ2時』のメイン司会(開始当初は月・火・木・金曜。水曜のみ藤本永治アナウンサーがメイン司会を担当)も兼務。1977年秋の改編で『スタジオ2時』の番組リニューアルが敢行され、これに併せて福郎が金曜放送分を含め全曜日のメイン司会を務めることになり、スケジュール調整の必要が生じた事(『スタジオ2時』の開始以降、福郎は両番組に併せて、日曜昼の関西テレビ競馬中継』、平日朝のラジオワイド番組『お早うキンキ、ハイハイ福郎です』(近畿放送、現・KBS京都)とほぼ年中無休状態で複数の生放送番組の司会を掛け持ちする多忙ぶりを極めていた)を理由として1977年9月末をもって同番組を降板した。
  5. ^ 番組開始当初から若手の女性モデル・タレント(高見リサなど)が短期間交替でインフォマーシャル担当(番組内生CM・プレゼント企画等における宛先告知など)のアシスタントとして起用されていたが、本格的に女性タレントがサブ司会者という位置づけで番組本編の進行にも関わるようになったのはあかはが(「八木治郎ショー」に番組名が改称されて以降では)最初のケースであった(前身の「ウィークエンドモーニングショー」時代は八木と女性タレント(浪花千栄子加藤登紀子)の男女ペアが司会進行を担当)。尚、このトリオ司会体制移行時に「爽やかな土曜の朝の8時半、八木治郎ショーでご一緒に」という番組独自のキャッチフレーズを新たに制定。このフレーズを番組冒頭で八木とサブ司会者が一緒に述べた後で番組本編の進行を始めるというパターンが定着した。
  6. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1970年(昭和45年)1月 - 1971年(昭和46年)8月、テレビ欄。
  7. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)9月 - 1975年(昭和50年)3月、テレビ欄。
  8. ^ モーニングショー』は1971年4月に青森テレビへ移行。
  9. ^ 『モーニングショー』は1970年2月に福島中央テレビへ移行。
  10. ^ 出典、中国新聞テレビ・ラジオ欄、(1971年9月30日)下部の広島ホームテレビ出稿広告。「おなじみの八木治郎ショーです。10月2日からホームテレビが放送します」と告知。
  11. ^ 移行までは本番組の枠で再放送や外部配給番組などを編成。1971年7月時点では当該枠でドラマ『ポーラ名作劇場湖笛』の再放送を編成していた(出典、中国新聞テレビ・ラジオ欄、(1971年6月27日)下部の広島ホームテレビ出稿広告。本放送は中国放送で実施されていた模様)。
  12. ^ 『モーニングショー』は1971年4月に瀬戸内海放送へ放映権が移行したものの、本番組は腸捻転解消まで西日本放送で放送された。なお瀬戸内海放送でのこの枠は自主制作の「土曜8時半です」→「栗原玲児の土曜8時半です」を放送。
  13. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1975年(昭和50年)4月 - 1980年(昭和55年)9月、テレビ欄。
  14. ^ 新潟県では当時フジテレビ系・テレビ朝日系とのクロスネットだった新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ)が1981年3月をもってメイン系列の番組である『ハイ!土曜日です』(関西テレビ)を打ち切って『おはようワイド・土曜の朝に』(朝日放送、1983年10月に新潟テレビ21へ放映権移行)のネットを開始した他、長野・静岡・石川・愛媛・熊本・大分の7県でもテレビ朝日新局開局に伴いテレビ朝日系列土曜朝のワイドショー放送を再開している。
  15. ^ 宮崎放送は2009年3月をもって、北日本放送・四国放送は2011年3月をもって、それぞれテレビ朝日系列平日朝のワイドショーのネットを打ち切った。
  16. ^ 長崎放送・南日本放送・琉球放送のTBS系3局は『八木治郎ショー・いい朝8時』で当該枠のネットを再開した他、テレビ山口は1989年4月に、山形県では1989年10月のテレビユー山形開局により『すてきな出逢い いい朝8時』で当該枠のネットを再開している。


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