世界日報 (日本) 世界日報事件

世界日報 (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/10 03:31 UTC 版)

世界日報事件

1983年(昭和58年)10月1日、当時の編集局長らによる、統一教会色を薄め一般紙を志向する路線を会社の乗っ取りであると反発した「国際勝共連合理事長梶栗玄太郎ら約百人が、東京都渋谷区宇田川町のワールドビル(当時)内にあった世界日報社事務所に押しかけて社内を占拠し、社員を監禁・暴行した。

この事件で追放された元編集局長(兼統一協会広報局長でもあった)副島嘉和と営業局長井上博明は連名で『文藝春秋1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」という手記を発表。統一教会の思想が“いずれ世界は統一教会により統一される、そしてその中心は世界の王たる文鮮明師である”とする韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなどを暴露した。中でも、世界各国の、やはり統一教会の幹部たちが演じる元首“代理”と共に、統一協会会長の久保木修己が“天皇の代理”として文鮮明に拝礼する秘密儀式があるという内容に、勝共連合を反共の同志と考えていた民族派右翼が激怒し反発した。

同誌発売直前の1984年(昭和59年)6月2日、副島は、帰宅途中の路上で暴漢に「韓国の空手を使ったような」(副島本人による証言)技で全身をメッタ刺しにされ、危うく命を失いかけるほどの重傷を負った(「副島襲撃事件」)。

一新聞社の元編集長が内部告発の後に殺されかけるというこの事件を「読売」、「朝日」、「毎日」の各紙が報じたが、『世界日報』は記者が病院に駆けつけていながらこの事件を一切報道しなかった。結局、犯人を特定できないまま、この事件は時効を迎えた。この影響で、それまで『世界日報』に執筆していた文化人たちの中にも距離を置く者が少なからず出た。その後は統一協会の責任役員石井光治と梶栗の二人を共同社長とした体制で再刊されたが、事件の前よりも統一教会色が強い新聞となった。




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  1. ^ 『週刊文春』1994年11月17日号[要ページ番号]参照
  2. ^ 江川紹子著『「オウム真理教」追跡2200日』文藝春秋、1995年7月、ISBN 4-16-350580-6 第三章参照
  3. ^ 社説 子宮頸がん/ワクチン接種推進を見直せ(2013年5月13日時点のアーカイブ
  4. ^ 「極めて衝撃的なスクープが『世界日報』の一面トップを飾った」『文藝春秋』昭和62年(1987年)5月号
  5. ^ 会社案内-会社概要(2007年3月13日時点のアーカイブ


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