竹田五郎とは? わかりやすく解説

竹田五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 18:37 UTC 版)

竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年大正10年〉10月24日[1] -  2020年令和2年〉2月12日[1])は、日本陸軍軍人航空自衛官、軍事評論家最終階級は陸軍では陸軍大尉航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長[2]


注釈

  1. ^ 衆議院予算委員会で、竹田五郎を懲戒免職にするように要求していた社会党の大出俊に対し、当時防衛庁人事教育局長であった佐々淳行は以下のように応酬した。(佐々淳行『私を通りすぎた政治家たち』(文藝春秋、2014年)より、原文のまま)
    私は「大出先生、学徒動員の陸軍少尉でいらっしゃいますよね。たしか高射砲隊にいらしたとうかがっていますが」と切り出した。

    「そうだ。オレは帝都防衛の高射砲隊にいた」 大出氏は、何を言い出すんだと怪訝な顔をしている。 「一生懸命B29を落とそうとして戦っておられたと承知しておりますけれど」 「そうだよ。首都防衛でB29を撃ち落そうとしていたんだ」 「先生が懲戒免職にせよとおっしゃっている竹田五郎さんは、実は陸軍航空隊の大尉でございまして、四式戦の疾風に乗っておりました」 疾風は大戦後半に投入された陸軍の最新鋭戦闘機で、最優秀とも評価される高性能機である。 「竹田さんは疾風の搭乗員として、東京でB29の邀撃戦をやって一機撃墜してるんですよ。でも自分も被弾して、三鷹あたりの桑畑に不時着して助かってるんです」 「ああ、そうか」 「大出先生、一機でも落としました?」

    「いや、当たらないもんなんだよな、あれは。一機も落としていない」

    その後、社会党は、竹田を退職金や年金が受け取れない懲戒免職ではなく、防衛庁長官からの厳重戒告を受けた依願免職という形で決着させることを約束した。

出典

  1. ^ a b 会員等の訃報 つばさ会
  2. ^ a b c d インタビュー 元陸軍大尉 竹田五郎、菊池征男、歴史群像 2006年6月号、学習研究社
  3. ^ a b c d オーラル・ヒストリー四次防までの防衛力整備計画と日米安保体制の形成(防衛省防衛研究所戦史研究センター 編)
  4. ^ a b c 朝雲新聞(昭和53年4月13日)「この人と10分間」
  5. ^ 第094回国会 予算委員会 第2号 昭和五十六年二月二日(月曜日)
  6. ^ 『官報』本紙第8025号(1953年10月03日)
  7. ^ 『官報』本紙第8353号(1954年11月04日)
  8. ^ 『官報』号外第160号(平成3年11月5日)
  9. ^ 『官報』本紙第210号(令和2年3月16日)


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