寺內正毅とは? わかりやすく解説

てらうち‐まさたけ【寺内正毅】

読み方:てらうちまさたけ

[1852〜1919軍人政治家元帥陸軍大将山口生まれ教育総監陸相初代朝鮮総督歴任ののち、大正5年1916首相となったが、同7年米騒動総辞職

[補説] 容姿似ていたことと、立憲政治行わない非立憲(ヒリッケン)内閣揶揄(やゆ)されたことから、ビリケン宰相呼ばれた。→ビリケン

寺内正毅の画像

寺内正毅

寺内正毅
総理在職期間
     大 5.10. 9~大 7. 9.29721日
総理就任時年齢:64歳

寺内正毅 てらうち まさたけ

寺内正毅の肖像 その1

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

寺内正毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 04:28 UTC 版)

寺内 正毅(てらうち まさたけ[注釈 1]旧字体寺內 正毅1852年2月24日嘉永5年2月5日〉- 1919年大正8年〉11月3日)は、明治大正期の日本陸軍軍人政治家[1]。軍人としての階級元帥陸軍大将[1]位階従一位勲等大勲位功級功一級爵位伯爵


注釈

  1. ^ 読みは「まさたけ」が一般的だが、「まさたか」(「陸海軍将官人事総覧 陸軍篇」)、「まさかた」(「歴代陸軍大将全覧(明治編)」)など異なる読み方がある。
  2. ^ 渡辺淳一直木賞受賞作『光と影』は、寺内の生涯をモデルとしたとされる。

出典

  1. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)「寺内正毅」(コトバンク)
  2. ^ 山口県が生んだ 七人の宰相展 - 萩博物館。
  3. ^ 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 56-57.
  4. ^ a b c d e 井竿 2011, pp. 157–163.
  5. ^ a b c 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 3.
  6. ^ a b 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 4.
  7. ^ a b 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 5.
  8. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)189頁
  9. ^ 寺内文庫 - 山口県立大学日本史研究室
  10. ^ 宮野の宰相、寺内正毅ゆかりの地をめぐる徒歩ツアー企画 - 山口県立大学
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 元帥陸軍大将伯爵寺内正毅ヲ大勲位ニ叙シ菊花大綬章授賜ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
  12. ^ 『官報』第473号「賞勲叙任」1885年1月31日。
  13. ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
  14. ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
  15. ^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
  16. ^ 『官報』第5628号「叙任及辞令」1902年4月12日。
  17. ^ 『官報』第6239号「叙任及辞令」1904年4月21日。
  18. ^ 『官報』第7157号「叙任及辞令」1907年5月11日。
  19. ^ 『官報』第8684号「叙任及辞令」1912年6月1日。
  20. ^ 『官報』第2164号「叙任及辞令」1919年10月21日。
  21. ^ 『官報』第1933号「叙任及辞令」1889年12月6日。
  22. ^ 『官報』第2828号「叙任及辞令」1892年11月30日。
  23. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  24. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  25. ^ 『官報』第4754号「叙任及辞令」1899年5月10日。
  26. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  27. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  28. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  29. ^ 『官報』第8347号「授爵・叙任及辞令」1911年4月22日。
  30. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  31. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  32. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  33. ^ 『官報』第1170号「叙任及辞令」1916年6月26日。
  34. ^ 中野文庫 - 大勲位菊花章頸飾・大勲位菊花大綬章受章者一覧
  35. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』大正3年7月1日調
  36. ^ 『官報』第779号「叙任及辞令」1886年2月9日。
  37. ^ 『官報』第2485号「叙任及辞令」1891年10月9日。
  38. ^ 『官報』第3395号「叙任及辞令」1894年10月20日。
  39. ^ 『官報』第3852号「叙任及辞令」1896年5月5日。
  40. ^ a b c 『官報』第4192号「叙任及辞令」1897年6月24日。
  41. ^ 井竿 2011, pp. 166–172.
  42. ^ 濱本『東京風俗三十帖』(1998)p.35
  43. ^ 新城道彦 2023, p. 210-211.
  44. ^ 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 55.
  45. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 121.
  46. ^ https://www.townnews.co.jp/0606/2019/03/08/472510.html
  47. ^ 平瀬礼太、「非難浴びた寺内正毅像の後釜「平和の群像」」(銅像はつらいよ十選 6)、日本経済新聞、2013年12月20日



寺内正毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「寺内正毅」の解説

1882年明治15年)に駐仏公使館付武官としてフランス留学する。後に元帥陸軍大将内閣総理大臣

※この「寺内正毅」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
「寺内正毅」を含む「駐在武官」の記事については、「駐在武官」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「寺內正毅」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寺內正毅」の関連用語

寺內正毅のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寺內正毅のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
防府市教育委員会防府市教育委員会
Copyright 2024,Hofu Virtual Site Museum,Japan
国立公文書館 アジア歴史資料センター国立公文書館 アジア歴史資料センター
All rights reserved/Copyright(c) Japan Center for Asian Historical Records
首相官邸首相官邸
Copyright (C) 2024 首相官邸 All rights reserved.
内閣制度と歴代内閣
国立国会図書館国立国会図書館
Copyright (C) 2024 National Diet Library, Japan. All Rights Reserved.
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの寺内正毅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの駐在武官 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS