福羽逸人
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福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん安政3年11月16日(1856年12月13日) - 大正10年(1921年)5月19日)は、日本の造園家、園芸家、官僚、農学者。位階・勲等は正三位勲一等[1]。爵位は子爵[1]。宮内省で長く宮廷園芸技師として活躍、小豆島のオリーブや「福羽いちご」として知られるイチゴなど植物栽培、花弁果樹野菜等の品種改良など園芸分野で多く貢献をしたほか、新宿御苑をはじめとする宮内省管轄の庭園等の整備、武庫離宮(須磨離宮)の庭園設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計に当たった。
注釈
出典
- ^ a b 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日
- ^ 「広報誌 緑と水のひろば」第70号 Winter 2013、公益社団法人東京都公園協会。
- ^ 『官報』第7246号、明治40年8月23日
- ^ “「昌慶宮の温室」はあの当時のまま…1909年に建てられた国内初の洋風温室”. 東亜日報 (2017年11月8日). 2017年12月6日閲覧。
- ^ 津和野の自然と歴史を守る会 つわぶき (PDF) 第46号 平成21年7月
- ^ 『官報』第1493号、大正6年7月23日。
- ^ 『くだもの・やさいの文化誌』今井 敬潤(文理閣) ISBN 4892595209
- ^ 『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。
- ^ 『官報』第6766号「叙任及辞令」1906年1月22日。
- ^ a b 『官報』第1493号「叙任及辞令」1917年7月23日。
- ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。
- ^ 『官報』第5492号「叙任及辞令」1901年10月22日。
- ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
- ^ 『官報』第2011号「叙任及辞令」1890年3月17日。
- ^ 『官報』第4030号「叙任及辞令」1896年12月3日。
- ^ 『官報』第5296号「叙任及辞令」1901年3月2日。
- ^ 『官報』第5948号「叙任及辞令」1903年5月4日。
- ^ 『官報』第7308号「叙任及辞令」1907年11月6日。
- ^ 『蔬菜栽培法・全』、1893年(明治26年)、博文館、doi:10.11501/840203。
- ^ 「野菜 蔬菜栽培法」松原茂樹(編)『明治農書全集』第6巻、農山漁村文化協会、1984年。ISBN 9784540840197。
- ^ a b c 平成新修旧華族家系大成 1996, p. 438.
- ^ “北川乙治郎”. コトバンク. 2020年8月12日閲覧。
- ^ 梅溪昇『洪庵・適塾の研究』思文閣出版、1993年、652頁。
- ^ 山中伝四郎『人事興信録』(第8版)、1928年(昭和3年)7月 。
- ^ a b “福羽逸人”. 人事興信録 (第4版 ed.). (1915年(大正4年)1月)
- ^ 大島田人「森 鴎外:人と文学のふるさと(15)」『明治大学教養論集』第232号、明治大学教養論集刊行会、1990年、199-358頁、ISSN 0389-6005、NAID 120001441111。
- 1 福羽逸人とは
- 2 福羽逸人の概要
- 3 イチゴの栽培への貢献
- 4 親族
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