柳宗悦 柳宗悦の概要

柳宗悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:01 UTC 版)

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柳 宗悦
(やなぎ むねよし)
柳宗悦
誕生 (1889-03-21) 1889年3月21日
東京府麻布区市兵衛町二丁目
(現:東京都港区六本木
死没 (1961-05-03) 1961年5月3日(72歳没)
飯田橋の東京警察病院(現中野)
墓地 東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園27区13側2番
職業 思想家
美学
宗教哲学
最終学歴 東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修卒業
ジャンル 美学
工芸
民芸
主題 英米文学
日本民芸
アイヌ沖縄朝鮮台湾の文化
文学活動 白樺派
民藝運動
主な受賞歴 文化功労者(1957年)
配偶者 柳兼子(旧姓:中島)
子供 柳宗理(長男)
柳宗玄(次男)
柳宗民(三男)
親族 柳楢悦(父)
勝子(母)
嘉納治五郎(叔父、勝子の弟)
柳悦孝(甥)
石丸重治(甥)
今村成和(甥)
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来歴・人物

東京府麻布区市兵衛町二丁目において、海軍少将柳楢悦の三男として生まれた[2]旧制学習院高等科を卒業[3]ごろから同人雑誌白樺』に参加する。東京帝国大学文科大学に進学した宗悦は、宗教哲学者として執筆していたが、西洋近代美術を紹介する記事も担当しており、やがて美術の世界へと関わっていく[4]

1913年(大正2年)、東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修卒業[5]。このころからウォルト・ホイットマンの「直観」を重視する思想に影響を受け、これが芸術と宗教に立脚する独特な柳思想の基礎となった[6]

1914年(大正3年)、声楽家の中島兼子(柳兼子)と結婚。母・勝子の弟の嘉納治五郎千葉我孫子に別荘を構えており、宗悦も我孫子へ転居した。やがて我孫子には志賀直哉武者小路実篤白樺派の面々が移住し、旺盛な創作活動を行った[7]。陶芸家の濱田庄司との交友もこの地ではじまる[8]

当時、白樺派の中では、西洋美術を紹介する美術館を建設しようとする動きがあり、宗悦たちはそのための作品蒐集をしていた。彼らはフランスの彫刻家ロダンと文通して、日本の浮世絵と交換でロダンの彫刻を入手する。

宗悦が自宅で保管していたところ、朝鮮の小学校で教鞭をとっていた浅川伯教が、その彫刻を見に宗悦の家を訪ねてくる。浅川が手土産に持参した「染付秋草文面取壺」を見て宗悦は朝鮮の工芸品に心魅かれる[4]1916年(大正5年)以降、たびたび朝鮮半島を訪ね、朝鮮の仏像や陶磁器などの工芸品に魅了された[6] [8]1924年(大正13年)にはソウルに「朝鮮民族美術館」を設立、李朝時代の無名の職人によって作られた民衆の日用雑器を展示し、その中の美を評価した[6]

1919年(大正8年)に東洋大学教授となり[9]1921年(大正10年)からは明治大学予科にも出講した[9]

1923年(大正12年)の関東大震災を機に京都へ転居し、同志社大学同志社女学校専門学部[10]関西学院の講師となる[9]木喰仏に注目し、1924年から全国の木喰仏調査を行う[4][8]。民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界を紹介するため、1925年(大正14年)から「民藝」の言葉を用い[6]、翌年、陶芸家の富本憲吉濱田庄司河井寛次郎の四人の連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表した[11]。『工藝の道』(1928年刊)では「用と美が結ばれるものが工芸である」など工芸美、民藝美について説いた[8][6]1931年(昭和6年)には、雑誌『工藝』を創刊、民芸運動の機関紙として共鳴者を増やした。1934年(昭和9年)、民藝運動の活動母体となる日本民藝協会が設立される。1936年(昭和11年)に実業家の大原孫三郎の支援によって、東京駒場に日本民藝館が開設、宗悦が初代館長となった[6]。また沖縄台湾などの文化の保護を訴えた[4]

1957年(昭和32年)、文化功労者に選定。

晩年はリウマチ心臓発作との闘病を余儀なくされたが、なおも執筆活動を続けた。 1961年(昭和36年)春、脳出血により日本民藝館で倒れ、数日後に逝去した。 享年72歳。

家族

1914年大正3年)、中島兼子と結婚、兼子は近代日本を代表するアルト声楽家だった。インダストリアルデザイナー柳宗理は長男、美術史家柳宗玄は二男、園芸家の柳宗民は三男。甥に染織家の柳悦孝、美術史家の石丸重治、法学者の今村成和がいる。


注釈

  1. ^ 1919年5月11日に執筆され読売新聞に掲載された「朝鮮人を想ふ」が最初の朝鮮に関する言及(『柳宗悦全集』第六巻収録)
  2. ^ 柳宗悦から鈴木大拙へ
    先生は、絶えず希望を持ち計画を立て、いつも何か新しい仕事を企てられているが、九十歳の老齢で、この旺盛な意欲を持たれ前進して行かれるのは驚くほかはない。恐らくこれがまた、先生をして長寿を保たせているその秘訣かと思われるが、嘗てブライスが私に言ったように全くirreplacable-man(かけがえのない人)という評が大いに当たっていよう。 — 柳宗悦、柳宗悦コレクション「かけがえのない人」筑摩書房 2010.12 ISBN 9784480093318
  3. ^ 鈴木大拙から柳宗悦へ(弔辞)
    君は天才の人であった。独創の見に富んでいた。それはこの民藝館の形の上でのみ見るべきでない。日本は大なる東洋的「美の法門」の開拓者を失った。これは日本だけの損失でない、実に世界的なものがある。まだまだ生きていて、大成されることを期待したのであったが、世の中は、そう思うようには行かぬ。大きな思想家、大きな愛で包まれている人、このような人格は、普通に死んだといっても、実は死んでいないと、自分はいつも今日のような場合に感ずるのである。不生不死ということは、寞寞寂寂ということではない。無限の創造力がそこに潜在し、現成しつつあるとの義である。これを忘れてはならぬ。これは逝けるものを弔うの言葉でなくて、実は参会の方々と共に自分を励ます言葉である。 — 鈴木大拙、「柳君を憶ふ」『民藝』2013年10月号
  4. ^ p367「1938年12月27日~1939年 1月13日」p369「1939(昭和 14)年3月~4月、同年12月~1940(昭和15)年1月、同年7月~8月」並松信久2016『柳宗悦と沖縄文化』京都産業大学論集人文科学系列第49号
  5. ^ 初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。書目は、第1篇「民藝とは何か」(柳の著書)、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶磁」、第5篇「満洲の民藝」(本山桂川著)、戦後刊で第6篇「岡山県の民藝」(外村吉之介著)。
  6. ^ 初刊は『民藝図(圖)鑑』全3巻、日本民藝協会編、宝(寶)文館、1960-63年。
  7. ^ 表記は「南無阿彌陀佛」。特製版(限定千部)も刊行。
  8. ^ 第2章は、柳宗悦『芭蕉布物語』(榕樹書林、2016年)解題を改訂
  9. ^ 他に選書で、丸山茂樹「柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司の民芸なくらし」(社会評論社 2015年)がある。

出典

  1. ^ About the Museum”. 日本民藝館. 2019年6月11日閲覧。
  2. ^ 思想家紹介 柳宗悦”. 京都大学大学院文学研究科・文学部. 2019年6月11日閲覧。
  3. ^ 『官報』第8032号、明治43年4月5日、p.111
  4. ^ a b c d 増田穂 (2017年2月10日). “「直観」で見る「美」――『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展 日本民藝館職員、月森俊文氏インタビュー”. シノドス. 2017年2月10日閲覧。
  5. ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日、p.312
  6. ^ a b c d e f 民藝運動の父、柳宗悦”. 日本民藝協会. 2017年2月10日閲覧。
  7. ^ 白樺文学館の沿革、我孫子市白樺文学館”. 我孫子市ホームページ. 2017年2月10日閲覧。
  8. ^ a b c d 柳宗悦と日本民藝館”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  9. ^ a b c 柳宗悦 - 東文研アーカイブデータベース
  10. ^ 同志社人物誌 94 柳宗悦
  11. ^ 沿革”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  12. ^ 故柳宗悦に韓国文化勲章 - 東京文化財研究所、2021年1月30日閲覧。
  13. ^ 日本人民芸運動家の『柳宗悦』展が韓国で…工芸運動の観点から再解釈 中央日報日本語版 2013.06.06
  14. ^ 『民藝』 102号(1961-06)「柳君を憶ふ / 鈴木大拙」 p4
  15. ^ 『季刊 新沖縄文学 80』特集:沖縄と柳宗悦(沖縄タイムス社刊、1989年)に詳しい[要文献特定詳細情報]
  16. ^ 琉球の陶器 復刻版 沖縄学古典叢書3 柳宗悦 編 平良邦夫 解題 榕樹社 ISBN:4947667281
  17. ^ 英文版「JAPANESE FOLK CRAFTS 柳宗悦コレクション」(マイケル・ブレーズ英訳、出版文化産業振興財団、2020年)がある。






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