柳宗悦 柳宗悦の概要

柳宗悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 22:57 UTC 版)

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柳 宗悦
(やなぎ むねよし)
柳宗悦
誕生 (1889-03-21) 1889年3月21日
東京府麻布区市兵衛町二丁目
(現:東京都港区六本木
死没 (1961-05-03) 1961年5月3日(72歳没)
職業 思想家
美学
宗教哲学
最終学歴 東京帝国大学文学部心理学科卒業
ジャンル 美学
工芸
民芸
主題 英米文学
日本民芸
アイヌ沖縄朝鮮台湾の文化
文学活動 白樺派
民藝運動
主な受賞歴 文化功労者(1957年)
配偶者 柳兼子(旧姓:中島)
子供 柳宗理(長男)
柳宗玄(次男)
柳宗民(三男)
親族 柳楢悦(父)
嘉納治五郎(叔父)
柳悦孝(甥)
石丸重治(甥)
今村成和(甥)
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来歴・人物

東京府麻布区市兵衛町二丁目において、海軍少将柳楢悦の三男として生まれた[2]旧制学習院高等科を卒業[3]ごろから同人雑誌白樺』に参加する。東京帝國大学哲学科(現在の大学院人文社会系研究科)に進学した宗悦は、宗教哲学者として執筆していたが、西洋近代美術を紹介する記事も担当しており、やがて美術の世界へと関わっていく[4]1913年(大正2年)、東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修卒業[5]。このころからウォルト・ホイットマンの「直観」を重視する思想に影響を受け、これが芸術と宗教に立脚する独特な柳思想の基礎となった[6]

1914年(大正3年)、声楽家の中島兼子(柳兼子)と結婚。母・勝子の弟の嘉納治五郎千葉我孫子に別荘を構えており、宗悦も我孫子へ転居した。やがて我孫子には志賀直哉武者小路実篤白樺派の面々が移住し、旺盛な創作活動を行った[7]。陶芸家の濱田庄司との交友もこの地ではじまる[8]

当時、白樺派の中では、西洋美術を紹介する美術館を建設しようとする動きがあり、宗悦たちはそのための作品蒐集をしていた。彼らはフランスの彫刻家ロダンと文通して、日本の浮世絵と交換でロダンの彫刻を入手する。 宗悦が自宅で保管していたところ、朝鮮の小学校で教鞭をとっていた浅川伯教が、その彫刻を見に宗悦の家を訪ねてくる。浅川が手土産に持参した「染付秋草文面取壺」を見て宗悦は朝鮮の工芸品に心魅かれる[4]1916年(大正5年)以降、たびたび朝鮮半島を訪ね、朝鮮の仏像や陶磁器などの工芸品に魅了された[6] [8]1924年(大正13年)にはソウルに「朝鮮民族美術館」を設立、李朝時代の無名の職人によって作られた民衆の日用雑器を展示し、その中の美を評価した[6]

1923年(大正12年)の関東大震災を機に、京都へ転居 。木喰仏に注目し、1924年から全国の木喰仏調査を行う[4][8]。民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界を紹介するため、1925年(大正14年)から「民藝」の言葉を用い[6]、翌年、陶芸家の富本憲吉濱田庄司河井寛次郎の四人の連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表した[9]。『工藝の道』(1928年刊)では「用と美が結ばれるものが工芸である」など工芸美、民藝美について説いた[8][6]1931年(昭和6年)には、雑誌『工藝』を創刊、民芸運動の機関紙として共鳴者を増やした。1934年(昭和9年)、民藝運動の活動母体となる日本民藝協会が設立される。1936年(昭和11年)に実業家の大原孫三郎の支援によって、東京駒場に日本民藝館が開設、宗悦が初代館長となった[6]。また沖縄台湾などの文化の保護を訴えた[4]

1957年(昭和32年)、文化功労者に選定。

晩年はリウマチ心臓発作との闘病を余儀なくされたが、なおも執筆活動を続けた。 1961年(昭和36年)春、脳出血により日本民藝館で倒れ、数日後に逝去した。 享年72歳。

家族

1914年大正3年)、中島兼子と結婚、兼子は近代日本を代表するアルト声楽家だった。インダストリアルデザイナー柳宗理は長男、美術史家柳宗玄は二男、園芸家の柳宗民は三男。甥に染織家の柳悦孝、美術史家の石丸重治、法学者の今村成和がいる。


注釈

  1. ^ 初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。書目は、第1篇「民藝とは何か」(柳の著書)、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶磁」、第5篇「満洲の民藝」(本山桂川著)、戦後刊で第6篇「岡山県の民藝」(外村吉之介著)。
  2. ^ 初刊は『民藝図(圖)鑑』全3巻、日本民藝協会編、宝(寶)文館、1960-63年。
  3. ^ 表記は「南無阿彌陀佛」。特製版(限定千部)も刊行。
  4. ^ 柳宗悦『芭蕉布物語』(榕樹書林、2016年)を解題担当。
  5. ^ 他に選書で、丸山茂樹「柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司の民芸なくらし」(社会評論社 2015年)がある。

出典

  1. ^ About the Museum”. 日本民藝館. 2019年6月11日閲覧。
  2. ^ 思想家紹介 柳宗悦”. 京都大学大学院文学研究科・文学部. 2019年6月11日閲覧。
  3. ^ 『官報』第8032号、明治43年4月5日、p.111
  4. ^ a b c d 増田穂 (2017年2月10日). “「直観」で見る「美」――『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展 日本民藝館職員、月森俊文氏インタビュー”. シノドス. 2017年2月10日閲覧。
  5. ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日、p.312
  6. ^ a b c d e f 民藝運動の父、柳宗悦”. 日本民藝協会. 2017年2月10日閲覧。
  7. ^ 白樺文学館の沿革、我孫子市白樺文学館”. 我孫子市ホームページ. 2017年2月10日閲覧。
  8. ^ a b c d 柳宗悦と日本民藝館”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  9. ^ 沿革”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  10. ^ 『沖縄と柳宗悦』(沖縄タイムス社編、1989年)に詳しい[要文献特定詳細情報]
  11. ^ 英文版「JAPANESE FOLK CRAFTS 柳宗悦コレクション」(マイケル・ブレーズ英訳、出版文化産業振興財団、2020年)がある。


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