因幡の源左とは? わかりやすく解説

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因幡の源左

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 03:19 UTC 版)

因幡の源左(いなばのげんざ、1842年(天保13年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月20日)は、浄土真宗の教えを日常に体現した妙好人の一人とされ、鳥取県因幡国青谷町(現在は鳥取市に編入)に在住した農民である。幼名は源左衛門、明治の苗字許可令以降は足利源左(本籍名は足利喜三郎)と名乗った。

略歴

江戸時代後期の天保に生まれ、18歳の頃、父親と死別する際に、遺言で「おらが死んだら、親様をたのめ」といわれ、寺に参り法話を聴聞し始める。ある日、山へ牛とともに草刈に出かけ、五束の草を刈り取って、四束を牛に担がせて一束を自分で担いで帰ろうとしていたが、重くなってその一束も牛に担がせたとき、阿弥陀仏にすべてを任せると良いのだということに気づき、信心をいただいたという。

その人生は父親が亡くなった後も苦難が多く、息子二人が精神的に弱かったり、火災にあったりしたが、それらを苦にすることもなく、飄々とした人生を歩んだ。源左が著名になったのは、強盗が集金した金を盗ろうとした時、延々と諭しながら歩き、ついに盗れなかったことを警察で話した、その話題が新聞に載ったことからであった。後年納税の推進や祖父母の養育などで緑綬褒章を受けている。その言行は、浄土真宗の法味に富み、のちに聞書が多数出版されていった。

ある日、突然の雨にあって帰り、住職に「えらいめにあったのお」と言われて、「鼻が下に向いて付いているでありがたい」と言ったと言う。

源左の口癖は「ようこそようこそ さてもさても」というものであったという。その意味は、この私をたすけるとよくぞ誓ってくださった、さてもありがたい、というほどのもの。手次の寺(真宗での檀家寺)は、鳥取市青谷町の浄土真宗本願寺派願正寺。

1930年(昭和5年)2月20日没、享年89。

関連項目

参考文献

  • 柳宗悦「妙好人―因幡の源左」(衣笠一省編)百華苑, 1960、改訂増補1989、2014
  • 藤木てるみ「妙好人源左さん―仏教マンガ」 探究社(上下), 1989
  • 長谷川富三郎「妙好人因幡の源左 語録板画集」 法蔵館, 復刊1985

外部リンク




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