柳宗悦
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朝鮮との関わり
1916年(大正5年)、朝鮮を訪問した際に朝鮮文化に魅了された柳は、1919年(大正8年)3月1日に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と批判、朝鮮側に同情を寄せる論陣をはった[注 4]。このとき、日本人識者で日本側の方針を批判したのは、他に石橋湛山、吉野作造など極めて少数であったという[40]。1920年6月『改造』に「朝鮮の友に贈る書」を発表、総督政治の不正を詫びた。
当時ほとんどの日本の文化人が朝鮮文化に興味を示さない中、朝鮮美術(とりわけ陶磁器など)に注目し、朝鮮の陶磁器や古美術を収集した。
1921年、2歳下の妹である千枝子が朝鮮総督府に勤務する今村武志に嫁ぎ夫と5人の子と朝鮮・京城にいたが、6人目の子供を出産しその産褥熱で30歳で他界。その千枝子の葬式の朝、彼女の4番目の子供が急死した。葬儀後、宗悦は現地から東京に戻るが、このことが宗悦の朝鮮への思いを強めたともいわれる[41]。
1924年(大正13年)4月、京城(現ソウル)の景福宮緝敬堂に「朝鮮民族美術館」[21]を設立した[42]。李朝時代の無名の職人によって作られた民衆の日用雑器を常設展示、それらの美の評価を促した。
朝鮮民画など朝鮮半島の美術文化にも深い理解を寄せた。1920年代、京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮光化門が取り壊されそうになると、これに反対抗議する評論『失はれんとする一朝鮮建築のために』を朝鮮の新聞『東亜日報』に寄稿、1922年8月24~28日、同紙第1面に5回にわたって掲載された(なお、検閲によって削除された内容は、後日日本の雑誌『改造』に掲載された)[43]。これが多大な反響を呼び、1926年、光化門は景福宮の東側の建春門の北側に移築保存された[44]。
1922年(大正11年)、『朝鮮とその藝術』(叢文閣)と、『朝鮮の美術』(私家版・和装本)を、他に柳の編著で『今も続く朝鮮の工藝』(限定版1930年、新版・日本民藝協会)を出版した。
『選集 第4巻 朝鮮とその藝術』(春秋社、1954年)は、2014年に電子書籍版『朝鮮とその芸術』(新字新かな表記、グーテンベルク21[45])で再刊。集大成は『全集 第6巻 朝鮮とその藝術』(全57篇、筑摩書房、1981年)である。
1984年9月、韓国政府から宝冠文化勲章[37]を没後授与された[46]。
2013年には、韓国ソウルの徳寿宮美術館(国立現代美術館 徳寿宮館)で開催された「柳宗悦」展に対しては、柳の歴史的評価を明確にしていないという非難も起きた。「朝鮮を愛した日本人」と捉えるか、「植民地イデオロギーの一助」を担ったとして否定するか韓国での捉え方は未だに分かれている[47]。
注釈
- ^ 「宗悦」の読みは「むねよし」が正しいが、「そうえつ」と音読みされることが多く、本人自身、英文の解説ではYanagi Soetsuとクレジットしていた。公式サイトの英文表記も Soetsu となっている[2]。
- ^ 柳の誕生当時、父楢悦は海軍少将で退役、元老院議官であった[5]。
- ^ 逝去後に勤行が行われ、一旦病理解剖のために飯田橋警察病院に運ばれ、その日のうちに日本民藝館に戻った[39]。
- ^ 1919年5月11日に執筆され読売新聞に掲載された「朝鮮人を想ふ」が日本側による朝鮮弾圧を批判する柳の最初の言及(『柳宗悦全集』第六巻収録)である。これは、英訳されて英字新聞にも掲載され、翌1920年4月には韓国語に訳されて「京城東亜日報」にも載った。
- ^ 柳宗悦から鈴木大拙へ先生は、絶えず希望を持ち計画を立て、いつも何か新しい仕事を企てられているが、九十歳の老齢で、この旺盛な意欲を持たれ前進して行かれるのは驚くほかはない。恐らくこれがまた、先生をして長寿を保たせているその秘訣かと思われるが、嘗てブライスが私に言ったように全くirreplacable-man(かけがえのない人)という評が大いに当たっていよう。 — 柳宗悦、「かけがえのない人」<コレクション1>ちくま学芸文庫、2010年12月 ISBN 9784480093318
- ^ 鈴木大拙から柳宗悦へ(弔辞)君は天才の人であった。独創の見に富んでいた。それはこの民藝館の形の上でのみ見るべきでない。日本は大なる東洋的「美の法門」の開拓者を失った。これは日本だけの損失でない、実に世界的なものがある。まだまだ生きていて、大成されることを期待したのであったが、世の中は、そう思うようには行かぬ。大きな思想家、大きな愛で包まれている人、このような人格は、普通に死んだといっても、実は死んでいないと、自分はいつも今日のような場合に感ずるのである。不生不死ということは、寞寞寂寂ということではない。無限の創造力がそこに潜在し、現成しつつあるとの義である。これを忘れてはならぬ。これは逝けるものを弔うの言葉でなくて、実は参会の方々と共に自分を励ます言葉である。 — 鈴木大拙、「柳君を憶ふ」『民藝』1961年6月号。2013年10月号で再掲
- ^ p367「1938年12月27日~1939年 1月13日」p369「1939(昭和 14)年3月~4月、同年12月~1940(昭和15)年1月、同年7月~8月」並松信久2016『柳宗悦と沖縄文化』京都産業大学論集人文科学系列第49号
- ^ 初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。刊行書目は、第1篇 柳の「民藝とは何か」、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶器」、第5篇 本山桂川「満洲の民藝」、第6篇 外村吉之介「岡山県の民藝」(戦後刊)
- ^ 単行判表記は「南無阿彌陀佛」。特製版(限定千部)も刊行。
出典
- ^ "柳宗悦". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年1月21日閲覧。
- ^ “About the Museum”. 日本民藝館. 2019年6月11日閲覧。
- ^ 水尾 2004, p. 13.
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- ^ a b 中見 2013, p. 16-17.
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- ^ 中見 2013, pp. 19–20.
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- ^ “官報. 1910年04月05日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月21日閲覧。
- ^ 中見 2013, pp. 21–22.
- ^ 東京国立近代美術館編 2021, p. 246.
- ^ a b c d e 中見 2013, p. 21.
- ^ a b c d 増田穂 (2017年2月10日). “「直観」で見る「美」――『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展、日本民藝館学芸員・月森俊文氏インタビューの”. シノドス. 2017年2月10日閲覧。
- ^ a b 水尾 2004, p. 54.
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- ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日、p.312
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- ^ “白樺文学館の沿革、我孫子市白樺文学館”. 我孫子市ホームページ. 2017年2月10日閲覧。
- ^ a b c d “柳宗悦と日本民藝館”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
- ^ 水尾 2004, p. 87.
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- ^ a b c 柳宗悦 - 東文研アーカイブデータベース
- ^ 同志社人物誌 94 柳宗悦
- ^ “沿革”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
- ^ “民藝(民芸)とは”. 美しい暮らしの良品 yaora(やおら). 株式会社カチップ. 2024年6月4日閲覧。
- ^ “民藝協会のあゆみ 昭和20年〜昭和39年(1945年~1964年)”. 日本民藝協会サイト. 2023年9月30日閲覧。
- ^ a b 中見 2013, p. 40.
- ^ 水尾 2004, pp. 462–465.
- ^ 水尾 2004, p. 465.
- ^ “三・一独立運動”. 世界史の窓. Y-History 教材工房. 2024年6月4日閲覧。
- ^ “柳宗悦”. NPO法人 国際留学生協会/向学新聞. NPO法人 国際留学生協会. 2024年6月4日閲覧。
- ^ 東京国立近代美術館編 2021, p. 250.
- ^ 日本植民地下、光化門撤去を止めた日本人の直筆原稿を発見 朝日新聞(東亜日報)2020.06.13
- ^ “日本植民地下、光化門撤去を止めた日本人の直筆原稿を発見”. 朝日新聞GLOBE+. 朝日新聞社. 2024年6月4日閲覧。
- ^ 他の電子出版は「工芸の道」「手仕事の日本」「工芸文化」「沖縄の人文」。
- ^ 故柳宗悦に韓国文化勲章 - 東京文化財研究所、2021年1月30日閲覧。
- ^ 日本人民藝運動家の『柳宗悦』展が韓国で…工芸運動の観点から再解釈 中央日報日本語版 2013.06.06
- ^ 『民藝』第102号(1961年6月)「柳君を憶ふ / 鈴木大拙」 p4
- ^ 『季刊 新沖縄文学 80号 特集 沖縄と柳宗悦』(沖縄タイムス社、1989年)に詳しい[要文献特定詳細情報]
- ^ 1997年に榕樹社から榕樹書林に社名変更。
- ^ 没後半世紀経て版権が切れ、大半の刊行著作がAmazon Kindle版(全16作品、新字新かな表記)で電子出版。
- ^ 英文版「JAPANESE FOLK CRAFTS 柳宗悦コレクション」(マイケル・ブレーズ英訳、出版文化産業振興財団、2020年)が出版
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