存廃論論争相関図とは? わかりやすく解説

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存廃論論争相関図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:04 UTC 版)

死刑存廃問題」の記事における「存廃論論争相関図」の解説

下記の表は双方立場から提示され様々な論争論点一部書物 から列挙したのである。この図でも判るように双方とも鋭く対立している。 論争詳細について後述死刑存廃論の論点および歴史の項目も参照 なお前述のとおりこれらの論争無数にある死刑存廃論議のほんの一部であり、このような二項対立的な議論が常になされているわけでもない。また双方の主張者がすべて同一であるわけではない論点死刑廃止論側の主張死刑存置論側の主張社会契約説 法学者であり啓蒙思想家ベッカリーアは、人が社会契約を結ぶ際、その生命対す権利まで主権者預託してはいけないとする生命あらゆる人間利益の中で最大のものであり、国民が自らの生命をあらかじめ放棄することはあり得ないとして、少なくとも国家正常な状態においては死刑廃止されなければならない廃止論者のベッカリーアは、死刑よりも終身隷役刑の方が受刑者をして全生涯奴隷態と苦しみ中に過ぎさせるので、みせしめ刑として効果的であると論じており、これは死刑以上に残虐」な刑罰考えられる社会契約説最初に確立したトマス・ホッブズジョン・ロックカントなどの啓蒙思想家は、三大人自然権)である生命権自由権財産権社会契約違反自然権侵害)に相対する懲罰応報として死刑懲役罰金提示している。死刑殺人対す社会契約説合理的な帰結である(下記の「死刑存置論の系譜参照)。 人権 近代社会において人権尊重することは、その対象犯罪者が入るとしても、悪ではない。すなわち死刑による人権制限が他刑によるそれに勝るとされるであれば、それを是正することは社会的に否定されるべきことではないのであり、それが社会与え影響凶悪犯罪増加可能性費用問題など)は別途考慮されるべきだが、それ自体社会責任帰せられるものであり国家による人権更なる尊重否定するものではない。 人権を守るために法の下に行われる懲罰行為犯罪者人権侵害するのであるがこれは法治国家必要なのであり、国連人権宣言でも法の下に行われる罰金刑禁固刑身体刑死刑否定してはいない。殺人生命権侵害に対して執行される死刑応報であり人権軽んじていることには当たらない。特に大量殺人行った犯人死刑にしないことは不条理であるだけでなく被害者生命権侮蔑するものであり法の正義精神著しく反する。 誤判可能性後述冤罪もしくは誤判参照 死刑がその「取り返しの付かなさ」を一つ理由として極刑とされるであれば寿命という人間限界無視した死刑による誤判可能性無視できない。また冤罪責任は、原則的に(つまり寿命という限界除いて)その被冤罪本人(=政府権力裁判官やけ検察警察など公務員)が負うべきであるが、死刑はその性質上本来的にその責任を負うということ放棄しているのではないかという問題がある。また、死刑長期間懲役を同じと考えるのは間違っている、後者拘束であり死とは比べ物にならない上に残り人生の自由の可能性もある。新幹線飛行機、および自動車による事故と、この問題関連付けることもまた不適切である。さらに罰金懲役冤罪は、恐喝や、監禁ではないかという存置論者意見直接生命はく奪されるという最悪人権侵害回避したかたちの人権制約結果とみなすことができるので、否定される。つまり多く人々に、あなたが冤罪有罪確定するときに、死刑確定するのと、終身刑確定するのとどちらがよいか、という世論調査をすれば、ほとんどすべての人々後者答えるのは、当然である。誤判生じるのは、なにも死刑限ったことではなく刑罰全体にその可能性存在するから、死刑存置せよという主張通じない問題は、誤判生じるのは、なにも死刑限ったことではなく刑罰全体にその可能性存在するならば、自分冤罪被害者になった場合に、最悪被害だけでも回避できるようにすべきだ、という主張である。どうせ被害があるのだから、最悪被害(=冤罪による死刑)でも良いなどとは、主張できない。 なお、認識ある過失ではないかという反論通じない。なぜなら、冤罪はなくせないということは存置論もまた認めざるを得ないことであるからである。また、手続き法律によっているのだから、そのような執行問題ないという主張については、形式的法治主義法の支配違い理解できていない虚論である。さらに、公共の福祉持ち出して正当化することはできない。なぜなら、公共の福祉において外在的人権制約認めないのは近代立憲主義では当たり前のことであり(中国北朝鮮イランでもないかぎりは)、内在的な人権制約論理による公共の福祉適用する限りにおいては最小限人権制約実行しなければならないという原理存在するために、無辜生命保護のために有罪があきらかな犯人であっても刑法体系において終身刑などにおきかえることは、無辜保護という一点のみで正当化される終身刑にしても冤罪によって刑務所生涯絶望のもとに終えるのは死刑よりもむごいと論じることは、存置の意味なくなってしまう詭弁に過ぎない長期間懲役後に冤罪となって謝罪金では失った人生寿命取り返しがつかないことと同一視することができないのは、自明である。同じだという存置論者は、確定冤罪死刑囚と同じ体験をしてみたものがいないことからも、ただの詭弁論者にすぎない最後に上の議論をもとに、存置論(特に日本において)によく見受けられる自動車交通事故死人出ているから自動車廃止しろというのか?」は、2つ理由例えになっていない。まず、民間企業生産する自動車国家主権が及ぶ領土無条件適用される刑罰作用とは異なり可能性としては自宅にいる間は自動車事故に会うことは無いようにできるが、冤罪被害にあってしまったら回避は無理である。、次に自動車事故死公権力による計画的他殺ではない。つまり、この「例え」こそが、憲法1次的には政府対す規範である趣旨近代憲法理解していない虚論にすぎないまた、冤罪」は、裁判取り調べ問題であり死刑制度刑法という法体系問題であり、二つ問題分けて考えるべきだという存置論の意見も意味をなさない刑法という法体系は、取り調べて容疑者特定や、検察による起訴、そして裁判による事実認定量刑判断といった、一連の実務作業」によって「実装可能」でなければ意味をなさない。つまり、理論的に正当性持っていても、具体的「システム」 としてだ実現できない法に、その存在価値はない。 誤判生じるのは、なにも死刑限ったことではなく刑罰全体にその可能性存在する誤判発生により、その生涯刑務所において絶望無念に苛まれながら終えるのは、「長期間に渡る精神的拷問後の死」と論じることもできる。さらに誤判起因する長期間懲役自体、後の謝罪謝罪金で回復できるとは言い切れない。例えば、60歳まで無実の罪投獄された後に「1億円」が渡されるという取引事前に合意するような一般人がいるだろうかこの影響投獄される当人のみならず本人年齢60歳ならばその親は大抵の場合他界家族離散、そしてその家族人殺し近親者というレッテル数十背負うことになるなど、本人周囲へも甚大な影響与え場合が多い。このように事情はどうであれ法制上の刑罰を受けることは、本人失われた人生寿命、またその周辺人物への名誉に程度の差こそあれ大きな損害与えるのは自明である。また、懲役刑伴わない痴漢万引きなどの軽い犯罪においても、冤罪被害受けた一般人社会的信用を完全に喪失することもある訳であるから裁判における誤判は、その多く取り返しがつかないと言えるし、最後まで冤罪判明しない判決少なからず存在する可能性すらもある。このように誤判冤罪全ての判決から無くすため、たゆまぬ努力が必要であるという主張正論であるし、死刑判決に際しては特に、その刑の重さからその判断万全尽くすのは当然である。なぜなら死刑執行は、それ自体刑罰であると同時に執行前後では、誤判冤罪被害、名誉回復致命的甚大なもしくは一切回復不可能な影響与えるためである。しかし一方でこうした誤判冤罪の可能性を完全に排除するために、死刑そのもの廃すべきだとの意見は、論の体をなさない主張である。 犯罪被害者 刑罰目的被害者家族処罰要求応えるためという論理は、全ての犯罪事例適用できない場合があり、論理として不完全で刑法刑事裁判根本的論理にはならない。なぜなら、被害者家族存在しない被害者家族存在する所在連絡先不明被害者家族存在し所在連絡先明らかだ被害者絶縁状態で関わり拒否被害者家族死刑反対論者被害者家族当該事件に関して死刑求めない被害者家族刑罰求めず赦し和解求める、加害者被害者家族前記諸事例の場合はこの論理適用できない。つまり、前記のような事例場合論理としては、不起訴、不処罰、罪や判例に対して著しく軽い罰にする必要が生じる。加害者死刑にすることが、被害者家族とってどの程度問題解決となるのか客観的な証明はない。刑法刑事裁判目的とは、個別的には、犯罪者に対して犯した罪に応じた処罰をするとともに犯罪原因矯正し改革するための教育訓練により更生求める、国や社会全体として個別的目的集合体としての社会秩序維持である。刑事裁判被害者家族の処罰感情のために行うものではないので、結果として被害者家族の処罰感情満足させることはあっても、被害者家族処罰要求を満たすための処罰刑事裁判目的反する。仮に、存置論の被害者遺族についての主張認めたとすると「死刑による冤罪被害者遺族死刑賛成派への報復」を担保なければ、法の公正を著しく損なうというべきである。殺人に対して執行される死刑応報であり人権軽んじていることには当たらないや、遺族明確に死刑望んでいる場合死刑適用しないのは被害者生命権遺族心情侮蔑するのであるなどと、存置論は主張するが、死刑による冤罪被害者遺族心情こそが最も侮辱されていることを無視している。 罪に対してあまりにも軽すぎる刑が適用され場合、その不条理被害者にとって第二トラウマになるのは周知の事実である。情状酌量余地のない殺人行った犯人終身刑生き続け不条理遺族にとっては終わりのない苦痛であり、死刑在廃の議論において殺人被害者遺族は大抵死刑賛成である。殺人に対して執行される死刑応報であり人権軽んじていることには当たらないイスラム法のように被害者遺族個人的に死刑望まない場合死刑適用されないなどの制度改正には理はあるが、遺族明確に死刑望んでいる場合死刑適用しないのは被害者生命権遺族心情侮蔑するのである応報そのもの否定することは法の公正を著しく損なう。 犯罪抑止存廃論を論じる際抑止力考慮すべきか、という議論もある。 まず現状における死刑犯罪抑止肯定論は科学的な論拠基づいたのであるとは到底言えないのである例えば、1988年国連犯罪防止犯罪統制委員会のために行なわれ2002年改訂された、死刑と殺発生率の関係についての最新調査結果報告書は「死刑もたらす脅威やその適用が、終身刑もたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人対す抑止力大きいという仮説受け入れるのは妥当ではない」と結論付けているし、ニュー・ジャージー州では「死刑抑止力があるという見解説得的とは言えない」という見地から死刑廃止一つ根拠としている。対して抑止力肯定論が科学者側から提出され場合もあるという意見もある。それ自体その通りであるのだが、そのような主張国際科学会等認められという事例はいまだ存在しないのである犯罪抑止力なるものが死刑無期刑との間にその抑止力優位性差異があるという意見があるが、現状において死刑廃止国存置国の犯罪率推移死刑廃止契機とした明らかな違い全体として特に見られない以上説得的ではない。 死刑代替としての無期刑長期懲役にしても統計的に明確な抑止効果証明されていない社会的全体での犯罪統計変化原因多く要因複雑に相関しているため、個別の刑の犯罪抑止力の統計による実証はもともと不可能である[要ページ番号]犯罪重大さに応じて刑を重くするという刑事政策は元々統計論に基づくものではなくあくまでも被害対す応報という法の正義という観点と、刑罰が厳重であれば犯罪起こす動機軽減するという「常識論」に基づくものである。よって死刑抑止力統計的に証明されていないから同じよう統計的に抑止力証明されていない無期刑替えるべきとの論そのもの根拠がない。また法哲学においては効用主義刑法適用すること自体正義反すると指摘されている。例え詐欺罪無期刑死刑にすれば社会全体詐欺犯罪数は軽減するかもしれないがこれは法の公正を損な行為である。同じよう殺人対する罰を社会的効用理由無期刑に減らすのは、法によって尊厳回復するという犯罪被害者権利著しく損なうものである社会統計理由死刑の廃止復活主張すること自体論外である。 世界趨勢すうせい自由権規約第2選択議定書死刑廃止議定書)が1989年12月国連総会採択され以後世界多く国々死刑制度廃止ないし死刑執行停止している。ここ20年(1991-2010)で死刑執行行った国が1995年41ヵ国をピーク漸減し、現在20ヶ国前後推移しているのに対し死刑制度全面廃止した国の数は、1991年48ヵ国から2010年96ヵ国まで一度減少せず推移している。即ちひとたび廃止され死刑制度再導入されることは滅多にないこうした世界的趨勢の中、2007年5月国連拷問禁止委員会日本対し死刑執行停止求め勧告行っている。これは内政干渉理由無視できるものではなく国際人権規約批准し国連人権理事会理事国をつとめる国として、日本死刑制度あり方再考すべきである。右存置論における「死刑の是非はあくまで法の正義観点からのみ論じられるべきである。」との主張も、法の正義観点からいっても反論し難いくらいに否定されいるから独裁専制国家以外の立憲主義国家においては廃止されつづけているのであることを無視している。 自由権規約第2選択議定書死刑廃止議定書)の採択における賛成国(59ヶ国)は国連加盟国当時)の37.1%にすぎず、これを国際的潮流根拠とするには疑問がある(中野 2001, p. 102)。また、当該条約戦時犯罪への死刑容認する部分的死刑存置条約であり、現状多くの国はこの点から部分的死刑存置と言うべきである(中野 2001, p. 13,50)。冷戦中先進国死刑廃止途上独裁国家死刑維持傾向存在した冷戦後民主化後もアジアアフリカ民主国家多く死刑制度維持しており、死刑廃止潮流と言われているものは、むしろ全面的廃止国の多い欧州南米地域的慣行と言ってよい(中野 2001, p. 124)。死刑反対派の国の意見、および国際機関提言には真摯に耳を傾けるべきではあるが、そもそも刑法は国の基本制度であるため、世界全体見た時の廃止国数や、それに基づいた国際潮流論にとらわれるべきではなく死刑の是非はあくまで法の正義観点からのみ論じられるべきである。 コスト金銭的人的など) 死刑囚収容する独房看守死刑執行する職員精神的負担大きい。また、死刑無期刑比べ経費安く済むという主張一概に言えない死刑関わる問題には厳格性が要求される刑法では、有罪無罪事実認定だけでなくいかなる疑いがある場合にもそれは常に被告人有利に解釈されなければならないという前提がある。この厳格性があるがゆえに死刑制度きわめて高くつくとの見方がある。厳格性のゆえに死刑高くつくということであれば存置論者は「もっと早くやってしまえばいだろう」というであろうが、無実の人が処刑される危険性を増すということになる。現行犯など明確な事案なら、時間かからないだろうという主張意味がない、全死刑囚のうち現行犯逮捕される割は極めて少数なので、結局コスト高くついてしまう。 被告人が「死刑早期執行を」などの意思を示すことにより、比較的短い期間(1年数年程度)で死刑執行されることはある。しかし、こうした例は稀であり、場合によっては収監期間がおよそ半世紀に及ぶ場合袴田事件など)もある。こうした長期に渡る強制的に自由を抑圧された生活で、死刑囚拘禁反応を示す場合見られるし、他方収監され刑事施設内で病死、または自然死する場合もある。さらに、こうした死刑囚「死刑」刑罰であり、他の懲役囚と同じ様に刑務作業を行う義務負わずその分収監のための経費累積し社会への負担高くつきがちである。

※この「存廃論論争相関図」の解説は、「死刑存廃問題」の解説の一部です。
「存廃論論争相関図」を含む「死刑存廃問題」の記事については、「死刑存廃問題」の概要を参照ください。

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