ハイドンとは? わかりやすく解説

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ハイドン【Franz Joseph Haydn】

読み方:はいどん

[1732〜1809]オーストリア作曲家モーツァルトと並ぶ18世紀後期古典派音楽代表者で、ソナタ弦楽四重奏曲交響曲などの形式確立した作品に、104曲の交響曲のほか弦楽四重奏曲皇帝」、オラトリオ四季」「天地創造」など。

ハイドンの画像
アイゼルシュタットにある生家(右)/撮影・deejayqueue http://goo.gl/m9ewJJ
ハイドンの画像
ハンガリーエステルハージ宮殿のハイドン像/撮影・Romano http://goo.gl/mQ6hFG

ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)


ハイドン

【英】:Haydn, Franz Joseph
[オーストリア]  1732~1809

執筆者: 大崎 滋生

生涯と鍵盤楽器
ハイドンとピアノ・ソナタ その名称と楽器について
ハイドン:クラヴィーア・ソナタ編纂の歴史
合奏曲の編曲?同一の異稿?他人の作品?未発見?
コンチェルト1.生涯鍵盤音楽

 フランツ[この名を自身通常記さなかった]・ヨーゼフ・ハイドン1732年3月31日に、現在の国境区分でいうとオーストリアの東のはずれ、ハーラッハ伯爵城下町、ローラウで生まれた。声の良さ見出されて、8歳にして彼は少年聖歌隊員としてウィーン寄宿舎預けられた。




2.ハイドンとピアノ・ソナタ その名称と楽器について

 ハイドンの創作期は、西欧の高級音楽宮廷社会その周辺において受容されていた時代から市民レヴェル楽しまれるようになっていく時代のちょう転換期にあたる。シンフォニーにしても鍵盤音楽にしてもその様変遷受容層変化創作目的異化切り離して純音楽的に論じることは意味がない。そして「ピアノ・ソナタ」というジャンル場合は、そのような社会的変化沿って対象となる鍵盤楽器チェンバロからピアノ・フォルテへと転換していく時期と、またパルティータソナタ変じていく時期重なる。モーツァルト場合その拡がりせいぜい十数年のことであったが、ハイドンにあっては四十年に及ぶ。
 ハイドンが「(クラヴィ)チェンバロ」のために最初鍵盤楽器(クラヴィーア)ソナタ書いたことはまちがいない最初期ソナタに関して信頼に足る資料乏しく、また最初期作品特定すること自体困難が伴う。それでも、かなり初期であることが確実なHob.XVI: 6の自筆譜や、初期ソナタ見なしうる諸作品群の最も遡りうる(といって創作20年上後のものと思われる)筆写譜のどれもが「チェンバロのため per il (Clavi)cembalo」としているし、また当時慣習からいっても、これに疑い差し挟む余地はない。また同時に指摘しなければならないのは、それらが「ソナタSonata」とは呼ばれていなかったことである。彼がこの名称のもとにクラヴィーア・ソナタを書くのは、確実なところではHob.XVI: 20(これはおおざっぱに言えば中期の作品)の1771年付けスケッチにおいてだが、しかしその後つねに「ソナタ」と題されというわけでもない。そのころ、あるいはそれ以前、彼は一般にチェンバロのためのディヴェルティメント Divertimento per il(Clavi)cembalo」という表題付けていた。「ディヴェルティメント」はかつて「嬉遊曲」と訳されてしまったために誤解生まれたのだが、「嬉しく遊ぶ」といった音楽的性格をこの言葉意味しているわけではない全体対す理解未だという状況のなかで、西洋語極力日本語化しようとし、その言葉限定的に捉えて訳語生まれた18世紀中頃ヴィーン周辺において「ディヴェルティメント」は「曲」といった程度の意味しかなく、独奏曲にも、また弦楽四重奏曲等の合奏曲にも、付されタイトルであった
 しかるに最初期1750年代書かれたと思われるHob.XVI: 6の自筆譜においてはタイトルは「チェンバロのためのパルティータPartita per il Cembaloとなっており、同じく最初期ソナタであろう思われる一部作品の、後代筆写譜にも「パルティータ」という表示がまま見られる。ハイドンが1765年頃から作成し始めた自作目録(EK=エントヴルフ・カタログ)にHob.XVI: 6はタイトル名が「ディヴェルティメント」に変更されているので、クラヴィーア・ソナタの呼び名は、「パルティータ」から「ディヴェルティメント」へ、やがて1770年代中ごろに「ソナタ」へと変転していったのではないか考えられる。こうしてみると器楽独奏曲付されるソナタ」という名称の慣習的定着それ自体がハイドンの創作期起こったとも言えるように思われるのだが、しかしこのことはヴィーン周辺を含む南ドイツ地域限定される話で、北ドイツ中部ドイツ、あるいはイタリアフランスイングランドなどではまた別の展開となる。
 ところで楽器名の違いは、実際に響き音色表現奏法等々違い必然的に内包するので、「ソナタのような抽象概念の名称化の場合とは分けて考えなければならない。ハイドンがクラヴィーア・ソナタをチェンバロのためのものとして書き始めピアノのためのものとして書き終えたということは確実だが、どのようなチェンバロか、そしてピアノフォルテといってどのような楽器であったかは、その時代の一般論のなかでしか論じることができない。またその転換がいつ起ったということ断定できる確実な資料欠けている。ハイドンがピアノについて言及するのは、1788年の手紙においてが初めてだが(それ以後創られたクラヴィーア・ソナタは最後の5曲のみ)、ロンドン旅行に出るまで(60歳直前)のハイドンの書簡というものがそもそもごくわずかしか残存していないので、それを持ち出してもあまり意味はない。一方、ハイドンが奉職していたエステルハージ宮廷には少なくとも1780年まではチェンバロしかなかったし、1770年代にこの若い楽器ピアノウィーン周辺で強い影響をもっていたと推測できる証拠もないので、1784年出版されたHob.XVI: 4042の3曲あたりがその分岐点かもしれない
 しかしハイドンのクラヴィーア・ソナタを、単純にチェンバロ時代」と「ピアノ時代」に峻別して、この作品まではチェンバロ弾かれるべきだが次の作品からは現代ピアノ弾いてさしつかえない、などと考えたら、これは大変な誤解である。第一にこの時代ピアノ現代ピアノとはまた違う楽器だと考えるべきであって同一原理に基づき同一の名称を引き継いでいるという点で楽器の変遷史上直接的なつながり持っているということにすぎない第二に、「チェンバロまたはピアノ・フォルテのための」という表示印刷においてはきわめて一般的であったように(それは単に楽譜売れ行き促進のためばかりではなく楽器相互互換性社会的に示す事実)、当時実際演奏では、作品楽器の対応が現代私たち考えるような厳格なものではなかったことも、考慮入れなければならない。またこのジャンルが「ピアノ」に限定されるわけではないことを含んで、「クラヴィーア・ソナタ」と総称することが無難であろう





3.ハイドン:クラヴィーア・ソナタ編纂歴史
 ハイドンのクラヴィーア・ソナタの全曲思われるものに通し番号初め付けたのは、1908年に始まる史上初のブライトコップ・ウント・ヘルテル社による「ハイドン全集」(1933年挫折)の一環として当該巻を担当したカール・ペスラー(1918年出版)であった。彼はそのときそれまで一世紀上のあいだ、34曲、あるいは1895年フーゴー・リーマン新たに5曲を加えて以来39曲、と考えられていたハイドンのクラヴィーア・ソナタを一挙に52曲へ拡大した。これはハイドン全集作ろうとする意気支えられ資料再検討結果であった。彼はこの52曲のソナタ創作年代順に並べることを意図した。しかし第1~17番作曲順に並べるにはその判断助けとなる資料がまったく欠けていたし、ハイドンが有名になってから、1780年代以後に、かなり前に書かれたと思われるソナタ初出版される(第4347番)などという事情によって、ペスラーが想定した年代順にはいくつかの大きな修正が必要である。そうではあっても、その後半世紀この配列順序変更されかったばかりか、ホーボーケンによって作成された「ハイドン作品目録」(1957年)にも受け入れられた。もっともホーボーケンは、すでに整理されているジャンルについてはできるだけそれを尊重するという方針が採られてのことであった
 それを全面的に打ち破ったのはヴィーン原典版におけるクリスタ・ランドンである。彼女は新たに13曲を加え(うち6曲は実体がない)、3曲を排除して62曲とし、さらに大胆に創作順を新たに推定して全面的に番号づけ直した。しかしこの試みそれほど根拠のあるものではなく(ことに初期ソナタ年代順に並べるための必要な資料は遺されていない)、ただでさえ把握しにくいハイドンの作品整理をいっそう複雑なものにした。一方ケルンのハイドン研究所編纂するヨーゼフ・ハイドン全集(JHW)」の当該担当フェーダー通し番号付すのをやめ、同時期に作曲されたと考えられるもの、あるいは一緒に出版されたもの、ということ基準に、全54曲を10グループ分けた何らかの順序並べなければならないわけだが、各グループ相互の、およびグループ内の各曲の、創作順関係に融通性もたせたのである
 この2つの版は、残存するわずかな自筆譜および当時重要な筆写譜と印刷譜すべてを比較検討してハイドンのオリジナルな姿の復元努めようとする、原典版(ウアテクスト)であるが、資料解釈違い見せている。それは、部分的にはハイドンの作品か否かというような点にまで達しているし、また作品の成立年代創作順序といったことに至ってはその違い小さくない
 それらが鋭く対立するのは、初期作品あり得るかもしれない十数曲のクラヴィーア・ソナタについてであり、1760年代末頃以降成立した思われる作品については見解の相違はない。20世紀初以来広く使用されてきたブライトコップ&ヘルテル(B & H)版を含めて、各版の所収作品違い一覧表で示す。

ホーボーケン番号B & H
(ペスラー版)
ヘンレ
(フェーダー版)
ヴィーン原典版
(クリスタ・ランドン版)
Hob. XIV: 5
 = Hob.XVI: 5 bis
×
Hob.XVI: 11×
Hob.XVI: 15××
Hob.XVI: 16×
Hob.XVI: 17××
Hob.XVI: 47×
Hob.XVI: 47 bis×
Hob.XVI: G 1×
Hob.XVI: D 1×
Hob.XVI: Es 2×
Hob.XVI: Es 3×
Hob.XVI: 2a××
Hob.XVI: 2b××
Hob.XVI: 2c××
Hob.XVI: 2d××
Hob.XVI: 2e××
Hob.XVI: 2g××
全曲525462
ペスラー版との比較6-413-3


合奏曲の編曲?
 Hob.XIV: 5(ホーボーケン番号) =Hob.XVI: 5 bis(同新番号)は、クラヴィーア2つヴァイオリンチェロ加わったクラヴィーアディヴェルティメント考えられて、そのジャンル番号(Hob. XIV)のもとに整理されていたが、1961年にクラヴィーア・ソナタとしての自筆譜一部思われるものが発見された。ただしその部分以外は伝承されていないので、編曲版参考に補わなければならない
 Hob.XVI: 15は、合奏ディヴェルティメントHob.II: 11の第1・3・4楽章クラヴィーア用あるいはクラヴィーアヴァイオリン用に編曲したもの。このような編曲版当時印刷譜としてしか存在せず真正のクラヴィーア・ソナタとは考えられない

同一曲の異稿?
 Hob.XVI: 47には2つ異なる稿があり、へ調稿(Hob.XVI: 47)の第2・3楽章とホ調稿(Hob.XVI: 47bis)の第1・2楽章一致している。このどちらの稿がオリジナルか。へ調稿が全楽章一致して現われる最初現存資料1788年アルタリア出版譜であること、ホ調稿はそれ以前思われる2つ筆写譜で伝わっていることからいって、ホ調稿に一分の利があるが、さらにそれを飛び超えて第3可能性もある。すなわち、クラヴィーア・ソナタとしてはホ調稿が原曲であっても彼の他のクラヴィーア・ソナタに例をみない、その特異な楽章配列(緩-急-急)からいって、ホ調稿自体ほかのジャンル作品(たとえば弦楽三重奏曲はこれと同じ楽章配列を、またバリトン・トリオは緩一急一メヌエットというこれとよく似た楽章構造をとることがよくある)の編曲であるかもしれない。ただしこれは仮説にとどまる。
 Hob.XVI: 11とHob.XVI: G 1もまた、同一曲の異稿という関係にある。ぺスラー前者採用し、それにしたがったホーボーケン後者疑問作品としての番号与えたが、のちの研究により、XVI: 11が、XVI: G 1のフィナーレ冒頭楽章置いた合成作品であることが判明した。なおXVI: 11の第2・3楽章信憑性については、納得のいく検証行なわれていない

他人作品?
 Hob.XVI: 16評価について見解対立している。ドイツハールブルクの城に遺されているこの作品唯一の筆写譜は、一見したところ資料としてかなり質の良いのであるようにも思われるが、ハイドンを作曲者として裏付ける資料がまったく欠けている。
 Hob.XVI: 17は、すでに1932年にシュテグリッヒによってこの作品作者がヨハン・ゴットフリート・シュヴァネンベルガーJohann Gottfried Schwanenberger(またはSchwanbergerまたはSchwanberg)であることが指摘された。
 Hob.XVI: Es 2およびEs 3は、1961年フェーダースロヴァキアブルノ新発見し、翌年彼が学会報告し、それ以後ハイドン作品としてほぼ定着した。ところが1974年C.ハッティンクがブダペストEs 3のもうひとつの、しかもより完全と思われる3楽章構成書かれている筆写譜を発見し、その作曲者としてマリアーノ・ロマーノ・カイザーという無名作曲家の名を報告してから、にわかにこの2曲の信憑性疑われる至ったフェーダー発見したのはハイドンのクラヴィーア・ソナタ5曲をまとめた筆写譜集で、そのうち3曲は既知のもの、そしてこの2曲がまったく未知のものであった。この筆写譜集は、既知の3曲を他の資料比較してみると、書きまちがいの多い、きわめて雑に筆写されたものであり、これを唯一の根拠信憑性ポジティヴ論じられない。むしろ、ヘンレ版にも偽作入り込んでいる可能性に対して警鐘鳴らされるべきであろう

未発見?
 Hob.XVI: 2a2e, 2g は、エントヴルフ・カタログに冒頭テーマ記載されているが、その楽譜伝承されていない6曲のソナタである。C.ランドンはその未発見作品に「市民権」を与えそのことは彼女の番号62曲に膨らんだ主因となっている。





4.コンチェルト
 ホーボーケン・カタログには作品群XVIIIのもとに、その当時真作思われていた(行方不明のものも含めて)11曲のクラヴィーア・コンチェルトが挙げられている。うち1曲(Hob.XVIII: 6[ヘ長調])はヴァイオリンチェンバロのための二重コンチェルトである。エントヴルフ・カタログには譜例なしでタイトルだけが記入されているのだが、珍しい編成なので同定間違いないだろう。その他同カタログ記載されている4曲(Hob.XVIII: 1[ハ長調]、2[ニ長調]、3[ヘ長調]、4[ト長調])と、ハイドンがパリ出版者やりとりした出版交渉の手紙が遺されている1曲(Hob.XVIII: 11[ニ長調])はハイドン作品であることは疑いない。第1番については自筆譜残存しており、そこには1756年という年号が、1750年代作品として唯一付され、「オルガンのためのコンチェルト」と題されている。しかしエントヴルフ・カタログには「クラヴィチェンバロのため」とされているので、教会ではオルガンで、そして宮廷内ではチェンバロ演奏されたのだろう。同じ時期作品ではないか考えられる第2番も、同様に、もともとはオルガン用に書かれ可能性がある。第34番1760年代後半書かれ可能性が強いが、いずれも後年に、パリ有名になった第11番引き続いてパリ出版され印刷楽譜においてはクラヴサン(チェンバロ)またはピアノフォルテのため」とされている。その他、Hob.XVIII: 5、7-10の5曲は真作としての証明が十分ではない上にハイドンの名前以外でも伝承されている。
 真作の6曲はいずれも急-緩-急の3楽章構成で、Hob.XVIII: 3と6は弦楽器群だけの伴奏、その他は標準シンフォニーとおなじ8声部(弦4部オーボエ2、ホルン2)のオーケストラ伴奏だが、Hob.XVIII: 1はホルン2に代えてトランペット2が装備されており、その点でも教会でのオルガン独奏による作品で本来はあったことが偲ばれる
 このジャンルはハイドンの初期においてはクラヴィーア独奏楽器としヴァイオリン2とバスを伴う四重奏ディヴェルティメント(Hob.XIV)と境界があいまいで、すなわち弦楽器重複されればHob.XVIII: 3のケース区別するのが難しくなるし、逆にHob.XVIII: 3が各パート1名の奏者演奏されればHob.XIVに区分されるべき楽曲ともなる。しかし、本項には、その他、量産され当時人気高かったクラヴィーア・トリオ(Hob.XV)を含む、室内楽曲取り上げないということなので、これ以外のジャンル作品については触れない

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

室内楽

管弦楽ピアノ


ハイドン

名前 HaydenHaydn

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

(ハイドン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 05:53 UTC 版)

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年3月31日 - 1809年5月31日)は、現在のオーストリア出身の音楽家であり、古典派を代表する作曲家。また、弟ミヒャエル・ハイドンも作曲家として名を残している。


注釈

  1. ^ アンタル・ドラティ(指揮)、フィルハーモニア・フンガリカ(演奏)、録音は1969年-1972年、全曲の演奏時間が総計37時間を超える大作(CD:ハイドン交響曲全集 (初回生産限定盤)、デッカ、2009年の合計収録時間は37時間10分19秒)
  2. ^ ハイドンの鍵盤楽器のための協奏曲は元々はオルガン用またはチェンバロ協奏曲が大半だが、『チェンバロまたはピアノのための協奏曲 ニ長調(Hob. XVIII:11)』はピアノ協奏曲として演奏・録音される場合が多い。
  3. ^ 現在のところ、『ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調(Hob. VIIa:1)』は紛失しており、さらに偽作(カール・シュターミツミヒャエル・ハイドンなど)も5曲ある

出典

  1. ^ a b 大宮(1981) pp.12-14
  2. ^ Schindler, Anton (1840). Biographie von Ludwig van Beethoven. Münster. p. 79. https://archive.org/details/biographievonlud00schi/page/78/mode/2up. "Sieh lieber Hummel das Geburthaus von Haydn; heute hab' ich's zum Geschenk erhalten, und es macht mir eine grosse Freude. Eine schlechte Bauernhütte, in der ein so grosser Mann geboren wurde!" 
  3. ^ 大宮(1981) pp.14-16
  4. ^ Webster (2001) p.173
  5. ^ 大宮(1981) p.30
  6. ^ 大宮(1981) p.33
  7. ^ 大宮(1981) p.35
  8. ^ 大宮(1981) pp.39-41
  9. ^ 大宮(1981) pp.36-37
  10. ^ 大宮(1981) pp.45-46
  11. ^ 大宮(1981) pp.31-32
  12. ^ 大宮(1981) p.39
  13. ^ 大宮(1981) pp.43-44
  14. ^ 大宮(1981) p.47
  15. ^ Weber (2001) p.174
  16. ^ a b c d Webster (2001) p.175
  17. ^ 大宮(1981) p.49, 173
  18. ^ ノイマイヤー(1992) p.43
  19. ^ 大宮(1981) p.59
  20. ^ 大宮(1981) p.70
  21. ^ 大宮(1981) pp.83-84
  22. ^ 大宮(1981) pp.73-76
  23. ^ 大宮(1981) pp.77-82
  24. ^ フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Revues étrangères - A propos du centenaire de la mort de Joseph Haydn
  25. ^ Mark Evan Bonds (1998). “Haydn's 'Cours complet de la composition' and the Sturm und Drang”. In W. Dean Sutcliffe. Haydn Studies. Cambridge University Press. pp. 152-176. ISBN 0521580528  ただしシュトゥルム・ウント・ドラングの語はヴィゼヴァがすでに使用している
  26. ^ 大宮(1981) pp.105-106
  27. ^ 大宮(1981) pp.102-103
  28. ^ a b ロックウッド 2010, pp. 110.
  29. ^ 大宮(1981) pp.110-115
  30. ^ 大宮(1981) pp.118
  31. ^ 大宮(1981) pp.128-129
  32. ^ 「時計の社会史」p158-159 角山榮 吉川弘文館 2014年3月1日第1刷
  33. ^ 大宮(1981) pp.142-143
  34. ^ a b ロックウッド 2010, pp. 65.
  35. ^ 大宮(1981) pp.144-145
  36. ^ The Haydn House in Vienna, Visiting Vienna, http://www.visitingvienna.com/footsteps/haydns-house-haydnhaus/ 
  37. ^ 大宮(1981) p.146
  38. ^ 大宮(1981) p.152
  39. ^ 大宮(1981) pp.155
  40. ^ 大宮(1981) pp.156-157
  41. ^ 大宮(1981) pp.163-164
  42. ^ a b 大宮(1981) pp.164
  43. ^ ノイマイヤー(1992) pp.114-122
  44. ^ 大宮(1981) pp.166-167
  45. ^ 大宮(1981) pp.167
  46. ^ Joseph Haydn Werke (JHW), Joseph Haydn-Institut • Köln, http://www.haydn-institut.de/index.php/gesamtausgabe 
  47. ^ ヨーゼフ・ハイドンの交響曲として出版されている。Kindersymphonie, Hob. ll:47, C major(Toy Symphony, Sinfonia Berchtoldensis)
  48. ^ 交響曲全集 エルンスト・メルツェンドルファー&ウィーン室内管弦楽団(33CD) - HMV
  49. ^ 原曲は管弦楽曲(Hob.XX:1A)だが、オラトリオ版のほかにもハイドン自身による弦楽四重奏曲版(Hob. XX:1B、作品51)やクラヴィーア版(Hob. XX:1C)が残されている。
  50. ^ 大宮(1981) p.234
  51. ^ Folksong Arrangements by Haydn and Beethoven” (2007年). 2015年7月8日閲覧。
  52. ^ Larsen & Feder (1982) p.64
  53. ^ Latcham, Michael (1997). "Mozart and the Pianos of Gabriel Anton Walter". Early Music. 25 (3): 383–400. doi:10.1093/earlyj/XXV.3.383. ISSN 0306-1078. JSTOR 3128423
  54. ^ Badura-Skoda, Eva (2000). "Mozart's Walter fortepiano". Early Music. XXVIII (4): 686. doi:10.1093/earlyj/xxviii.4.686. ISSN 1741-7260.
  55. ^ George Benjamin, Meditation on Haydn's Name, Faber Music, https://www.fabermusic.com/music/meditation-on-haydns-name-1097 
  56. ^ (3941) Haydn = 1973 UU5 = 1978 TQ2”. MPC. 2021年9月23日閲覧。


「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」の続きの解説一覧

ハイドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 16:24 UTC 版)

ルードウィヒ・B」の記事における「ハイドン」の解説

ウィーン音楽家ベートーヴェンウィーン留学して彼に師事することになる。連載末期作者病状悪化していたこともあってか、作中のエピソード少ない。

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ハイドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:56 UTC 版)

有鍵トランペット」の記事における「ハイドン」の解説

詳細は「トランペット協奏曲 (ハイドン)」を参照 1796年ヨーゼフ・ハイドンはアントン・ヴァイディンガーのためにトランペット協奏曲作曲し1800年3月22日ウィーン帝立・王立宮廷劇場初演された。曲は(おそらくこの刺激的な新しい楽器を見ることになる聴衆へのからかいとして)当時トランペット曲に共通する分散三和音とファンファーレモチーフで始まるが、バルブ持たないナチュラルトランペットでは不可能な半音階全音階旋律が続く。 ハイドンのトランペット協奏曲の最高音はハイコンチェルトD♭、またはB♭トランペットでのハイE♭、またはE{{music|flat}トランペットでのハイB♭である(協奏曲はE♭トランペットのために書かれた)。

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ハイドン

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千年前の魔物」の記事における「ハイドン」の解説

ズラーイの本(ビビット・レッド・パープル)の持ち主

※この「ハイドン」の解説は、「千年前の魔物」の解説の一部です。
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