ハイドンのシュトゥルム・ウント・ドラング
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「シュトゥルム・ウント・ドラング」の記事における「ハイドンのシュトゥルム・ウント・ドラング」の解説
1768年から1772年ごろのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作風についても「シュトゥルム・ウント・ドラング」という語が用いられる。この時期のハイドンは短調の多用やフーガのような対位法的技法の使用など、前後の時代と異なる作風を持つ。20世紀はじめの音楽学者であるヴィゼヴァ(Téodor de Wyzewa)が、1772年にハイドンの「ロマン的危機」があったとして、この語を使用したのが一般化したものである。 しかし、ハイドンのシュトゥルム・ウント・ドラングはクリンガーの戯曲が書かれるより古い時期のものであること、シュトゥルム・ウント・ドラングが主に1770年代後半の文学運動に対する語であること、ヴィゼヴァのいうハイドンの「ロマン的危機」なるものが根拠を持たないこと、などの批判があり、「いわゆるシュトゥルム・ウント・ドラング」のように表現されることが多い。 なお、ハイドン以外の同時期のオーストリアの作曲家にも同様の傾向が見られ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトもト短調の交響曲第25番 K.183 やニ短調の弦楽四重奏曲第13番 K.173(いずれも1773年)を作曲している。
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