ニュースステーション 所沢ダイオキシン問題

ニュースステーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 16:45 UTC 版)

所沢ダイオキシン問題

1999年2月1日[27]に「汚染地の苦悩 農作物は安全か?」と題した特集で、民間の環境測定コンサルティング企業である株式会社環境総合研究所(1986年設立、本社・品川区、青山貞一社長)が1998年に独自に計測したデータから、『所沢市の“ホウレンソウをメインとする野菜”/“葉っぱものの野菜”から1グラム当たり3.8ピコグラムダイオキシン濃度が検出された』と、青山社長がコメンテーターとして久米と対談のうえセンセーショナルに報道した。予てから埼玉県所沢市東部の関越自動車道沿いに広がる「くぬぎ山」と称する雑木林周辺で産業廃棄物の小型焼却炉や中間処分場が1990年以降多数立地するようになり、排煙や焼却に含まれるダイオキシンによる大気汚染環境問題が懸念されていた[27]。1997年に厚生省が全国の野菜に含まれるダイオキシン濃度を検査したことを受け、JA所沢(現:JAいるま野)は地元産のホウレンソウや白菜など野菜5品目を測定するも公表しなかった。そこで番組はこれら周辺の状況を絡めて報じたのである。

この結果、ホウレンソウを始めとする所沢産の野菜がダイオキシンに汚染されていると食品スーパーなど小売業各社が認識し、翌2日より所沢・入間郡産はもとより、一部で県北部深谷ネギなど埼玉県産の農作物全般で自主的に販売停止措置を講じて締め出されるという騒動に発展[27]。農作物の出荷は継続されるも青果市場で埼玉県産農作物の卸価格が半値以下に下落する被害が出た。

当時、全国朝日放送(通称:テレビ朝日)は『ザ・スクープ』で1995年から1998年にかけて所沢市の産業廃棄物処理場とダイオキシン汚染による健康被害など環境問題を7回取り上げており(判例より)、初回放送直後の放送回でコメンテーターの菅沼は「この報道をやめて(ダイオキシン問題を)救えるかってんだ!」と生放送の番組内で大声で啖呵を切るなどして誤りを認めなかった。

これを受け、同月5日に埼玉県が事実確認を行う旨公表し、テレビ朝日以外のキー局は番組名を伏せて情報番組などで騒動を取り上げるようになった。同月6日にJA所沢(現:JAいるま野)が検査結果を公表する動きを見せ、同月8日にJAと地元農家がテレビ朝日を訪問し抗議。同月9日にJAは野菜のダイオキシン濃度はきわめて低いとする詳細な検査結果を公表し、安全宣言[27]。同月18日に埼玉県が報道の最高値は煎茶であったと発表し、全国朝日放送は番組内で不手際があった事を認めた。煎茶は乾燥しているため本体重量が軽く、生鮮野菜と同量のダイオキシンが見かけの上で多く計算されることによるもので、飲用では健康に悪影響はないものだった。なお、ホウレンソウも同時に計測されており、1グラム中最高0.75ピコグラムであったことが後日公表されており、青山や久米が“ホウレンソウをメインとする葉っぱものの野菜”と抽象的で曖昧な表現に歪曲して批評したことから報道被害を招いたとされている。

同月12日に中川昭一農水相が全国朝日放送(テレビ朝日)報道局長宛に調査を行うよう申し入れを行い、翌2月13日、久米が番組内で農家に謝罪。「検査対象が茶だとは知らなかった」と弁明したが、その後、批判対象は環境汚染の元凶である産廃施設とそれを管轄する行政(所沢市・埼玉県)にあるとする動きを見せた。

全国朝日放送は同年6月21日付で郵政省(現:総務省)から「農業生産者に迷惑をかけ、視聴者に混乱を生じさせる不正確な表現が行われたことは、放送法の趣旨に照らし遺憾」として厳重注意の行政指導を受けた[41]

所沢市周辺の食品スーパーでは徐々に野菜の販売が再開されたが、それ以外の埼玉県内を含む首都圏の食品スーパー・百貨店では農作物の販売再開に慎重な動きを示した。また逆に狭山茶など埼玉産の煎茶が販売自粛に追いやられ、鹿児島県や静岡県は煎茶のダイオキシン濃度を自主的に検査する動きを見せた。後に中川農水相や小渕恵三首相が所沢産野菜を食して安全宣言を出すパフォーマンスを行う事態になった。

農家側は同年に風評損害を受けたとして、同年9月に当初376人の原告団を結成して全国朝日放送(ANB)[注 36]と環境総合研究所に対して謝罪広告の要求を兼ねた損害賠償請求の集団訴訟を提訴し(浦和地裁 平成11年(ワ)1647号)、民事事件へと発展した。この一連の騒動は販売停止の解消と提訴が行われるまで地元紙の埼玉新聞でほぼ連日報道されていたが、同時期に桶川ストーカー殺人事件本庄保険金殺人事件など皮肉にも埼玉県を事件現場とする凶悪事件が立て続けに発生し、前者は日本におけるストーカー問題提起のきっかけとなる程社会に衝撃を与えた事件であり後者は被疑者が繰り返しメディアに会見を行うというその行動の特異性からこぞって各マスコミがこの2つの事件の取材に人員を回したことから各マスコミでの報道は急速に縮小した。

訴訟では2001年判決の1審と2002年判決の2審(東京高裁平成13年(ネ)第3301号)がテレビ朝日側が勝訴[27]最高裁で2審の判決を破棄し、東京高裁に差し戻された((一小)平成14年(受)第846号)[27]。番組終了後の2004年6月16日に、テレビ朝日が農家側に謝罪して和解金1000万円を支払うことで和解が成立。原告団は900万円を三宅島噴火被害による農業振興に役立てて欲しいと三宅村に、100万円を食育活動へ役立てて欲しいと所沢市に寄付した。環境総合研究所に対しては測定内容が事実であったことから1審・2審ともに敗訴が確定している[27]

『ザ・スクープ』の報道後の1997年に所沢市は「ダイオキシンを少なくし所沢にきれいな空気を取り戻すための条例」など幾つかの条例を施行していたが、この騒動を受けて埼玉県は野焼きの自粛要請・産業廃棄物排出事業者の公表を、政府レベルでは「ダイオキシン類対策特別措置法」・「循環型社会形成推進基本法」が施行され、廃棄物や焼却炉に対する規制が強化された。また、くぬぎ山に所在する産業廃棄物の焼却炉は不燃物を粉砕する中間処理施設への転換が相次いだ[注 37]

久米はゲスト出演した2014年2月23日放送の『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ系)の中で「地域的にも、所沢の方とか、いろんな所に迷惑をかけた。裁判所に呼ばれそうになるし」といった発言をしている[42]


注釈

  1. ^ 1993年4月19日から2004年3月26日まで実施。それ以前はモノラル放送を実施していた。
  2. ^ 表向きには、久米と筑紫哲也の2人がメインキャスターの有力候補と公表していたことがあった[2]
  3. ^ その『おしゃれ』も1987年4月に終了し、以後久米は最終回まで仕事はほぼ本番組に絞っていた。
  4. ^ 一時期、放送時間移動に伴いザ・タイムリーとした時期があるが詳細時期が明確でない。
  5. ^ しかし、この1985年10月改編で、平日夜22時台に放送されていた番組を中心に放送時間が変更され、これに伴う視聴者離れで『特捜最前線』が終了。『必殺シリーズ』も1987年10月改編で終了に追い込まれた。加えて、1980年代後半から1990年代はテレビ朝日はヒット番組に恵まれず視聴率において(民放キー局の中で)終始4位だった。
  6. ^ これを見ていた当時NHK記者の池上彰がこれを応用し、1994年4月に『週刊こどもニュース』をスタートさせた。
  7. ^ テレビ朝日は1978年まで報道部門を自社ではなく朝日テレビニュース社に委託していた。
  8. ^ 既に『クイズタイムショック』で導入されていた。但し、『報道ステーション』スポーツコーナーのネットスポンサーは扱いが異なる。
  9. ^ 但し初回の後クレは何故か「ここまでの放送は、スポンサー会社名の提供でお送りしました」だった。
  10. ^ しかし、実際に当番組をハイビジョンで放送していたのは当時地上デジタル放送が開始されたばかりだったテレビ朝日と朝日放送(ABCテレビ)・名古屋テレビ(メーテレ)だけだった。
  11. ^ 1985年6月14日の朝日新聞他4紙に掲載された全面広告ならびにテレビCMで番組名と久米のキャスター起用を伏せた上で募集広告を出したところ、問い合わせが1万件、5762名(内訳は、男性1811人、女性3547人、プロダクションなどの推薦404人。)の応募があった。半数は関東在住だが全都道府県から応募があり、海外からも5名の応募者がいた。中には夫婦で応募したものも3組いた。男性応募者の最高齢は当時79歳。女性応募者の最高齢は当時74歳だった[13]
  12. ^ 2009年1月 - 6月、金曜21時に『必殺仕事人2009』として放送。
  13. ^ 久米曰く「3Kトリオ」。
  14. ^ 中国で起きた高知学芸高等学校の修学旅行生を載せた列車が脱線した事故に関するニュースが中心。この日はゲストは呼ばず、Nスタジオから久米・小宮のみ、さらに放送時間が繰り下げられて23:30 - 24:15の45分枠(当時大相撲春場所の開催期間・「大相撲ダイジェスト」の放送と重なったため)での放送になった。
  15. ^ 正確には老眼鏡である(当時の久米は48歳)。
  16. ^ なお、小宮は降板後も当番組をベースとした国政選挙の開票特別番組『選挙ステーション』で、2003年11月の第43回衆議院議員総選挙の際まで久米と共に第1部のメインキャスターを務めた。
  17. ^ 堀越むつ子のみ、1998年4月3日金曜版にも出演。
  18. ^ また、リニューアル初日の前座番組『ビートたけしのTVタックル』の本編終了直後に流れたクロスプログラムでも真理がテレビ朝日局内の廊下を歩く映像を流した。
  19. ^ 2001年2月1日から2014年1月31日まで。
  20. ^ ただし、BS朝日・番組のネット局であった朝日放送テレビへは出演歴あり。
  21. ^ 降板後に出演した『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ、関西ローカル)では「ニュースステーションで久米さんに嫌われた若林さん」とネタにされていた。
  22. ^ ただ、2018年10月1日から2019年9月26日までは月曜から木曜に限り5分拡大し23:15まで放送していた。
  23. ^ 1982年の第1回熱闘甲子園のみ21時開始。1983年の第2回以降1989年まで22時開始がずっと定着していた。
  24. ^ 局内では、20時台の『ビートたけしのスポーツ大将』と『さすらい刑事 - 』の2番組を全面差し替えする案も出ていたという。
  25. ^ この年、ジャイアンツは近鉄バファローズに第1戦から3連敗しながらも、第4戦以降4連勝して日本一に輝いた。
  26. ^ それから25年後の2020年1月17日、サンテレビで放送された震災関連の特番に小宮がゲスト出演し、当番組放送以来の同局出演を果たした[26]。また、久米も同日に朝日放送テレビのローカル報道番組『キャスト』の特番『キャスト特別企画 久米宏が語る震災25年』にゲスト出演した。
  27. ^ 1995年頃から事ある毎に週刊誌で「久米降板」説が取り沙汰された。冒頭に述べた降板発表後にも「病気で目が見えなくなった」などという憶測の記事が書かれたが、久米はこの10月6日の放送できっぱりと否定した。
  28. ^ この様子を収めたVTRの前に久米は「僕はあの、この人のことはそれほど苦手ではありません」とコメントした。また、このVTRが終わったところでCM入りしたため、CM前には画面右下に「最終回 快調に放送中!」とテロップを表示していた。
  29. ^ 放送では商品名が映らないようにラベルをカメラに見えない方に隠していたが、実際このときのビール瓶には美術スタッフに発注して用意した『NEWS STATION BEER 全4795回』というオリジナルラベルが貼られており、王冠にも番組ロゴが貼り付けられていたとされている。
  30. ^ 1995年から1998年までの金曜版はサブキャスターの2人で交互に伝えていた。
  31. ^ 番組前半で伝えたものも含めてニュース項目は原則、時系列順に並べていた。また80年代は円相場もこの中で伝えていた(ニュース項目の一番下段に為替を表示)。
  32. ^ この台詞は最終回のエンディングで流れた予告編「久米的電視台」(前述)でも使われた(久米と中国人女性の2人でこの台詞をコール)。
  33. ^ 荻野目洋子『湾岸太陽族』、B'z『LOVE & CHAIN』など。
  34. ^ 機甲戦記ドラグナー」OP『夢色チェイサー』、「からくり剣豪伝ムサシロード」ED『てなもんだ人生』など。
  35. ^ コメンテーターは基本的に映ることはないが、3人のうち1人が不在の場合は、コメンテーターも背にして進行を行うこともある。
  36. ^ 1977年から2003年までのテレビ朝日の正式社名。
  37. ^ 具体的な事例としては石坂産業を参照のこと。
  38. ^ 但し、石川県以外の北陸山陰四国九州などごく一部の地域ではフルネットを未だに開局できていない地域がある。また沖縄県の琉球朝日放送も、この番組の放送当時は沖縄本島久米島にしか中継局がなく、先島諸島宮古島石垣島)と大東諸島北大東島南大東島)ではケーブルテレビを含め視聴できなかった。
  39. ^ 実際は9月24日のサービス放送開始日から(出典:1991年9月24日以降の東奥日報テレビ欄)
  40. ^ なお、翌日朝のローカル情報番組『おはようコールABC』や『おはよう朝日です』において、ニュースコーナーやスポーツコーナーで当番組の映像素材を流用することがあった。

出典

  1. ^ a b 2007年4月5日スポーツニッポン「小宮悦子、2度目の離婚 10歳“姉さん婚”から12年--「女性セブン」報じる」
  2. ^ a b 週刊TVガイド 1985年7月12日号 28頁「レポート・『特捜最前線』などテレビ朝日の人気番組が枠移動」
  3. ^ 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』1995年4月講談社 ISBN 4062076284[要ページ番号]
  4. ^ 読売新聞夕刊 1985年10月16日。
  5. ^ ウェザーニューズ 報道気象の歴史』 株式会社ウェザーニューズ (PDF)
  6. ^ 朝日新聞縮刷版にて、テレビ欄の当番組に初めて「ステレオ放送」マークが表示された日である[要文献特定詳細情報]
  7. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、138頁。
  8. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、141・148頁。
  9. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、141~149頁。
  10. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、156・157頁。
  11. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、157・158頁。
  12. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、162・163頁。
  13. ^ 『朝日新聞』、1985年7月28日朝刊、23面。
  14. ^ a b 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、12・13頁。
  15. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、159頁。
  16. ^ 第27回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
  17. ^ 第30回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
  18. ^ 広瀬道貞社長 定例社長会見要旨(2003年9月30日)
  19. ^ 古舘伊知郎が懺悔告白“テレビはウソしか伝えていない”,LITERA,2014年7月15日
  20. ^ 『久米宏と1日まるごと有楽町放送局』での公開記者会見にて発言
  21. ^ 久米宏過激に復帰 渡辺前オーナー口撃,Sponichi Annex,2004年9月21日
  22. ^ [1],スポーツニッポン,2016年4月23日
  23. ^ a b c 『企業と広告』第23巻第10号、チャネル、1997年10月1日、42頁、NDLJP:2853175/24 
  24. ^ a b テレビ朝日では1985年10月7日から1987年5月29日までは『ニューヨーク情報』、1987年6月1日から2001年9月28日までは『世界の車窓から』。なお、『世界の車窓から』は2001年10月1日より23:10 - 23:15に移動。
  25. ^ 8人埋まった現場で叫んだ商店主 取材したフリーアナ久米宏さんと再会”. 神戸新聞(2020年1月6日作成). 2020年1月19日閲覧。
  26. ^ 小宮悦子がサンテレビの震災特番「バトン1.17~あなたへ~」に出演 17日放送”. デイリースポーツ(2020年1月10日作成). 2020年1月19日閲覧。
  27. ^ a b c d e f g h “農家「ツケ負わされた」 産廃施設、報道後に激減”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 18(夕刊・社会). (2003年10月16日) 
  28. ^ 久米宏Nステ休業「14年間に疲れ」 - ウェイバックマシン(2000年5月27日アーカイブ分)
  29. ^ やっぱり…久米宏Nステ降板の舞台裏 - ウェイバックマシン(2000年4月13日アーカイブ分)
  30. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、306頁
  31. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、305 - 307頁
  32. ^ 久米Nステ復帰も降板問題再燃? - ウェイバックマシン(2000年3月2日アーカイブ分)
  33. ^ 『朝日新聞』、2000年1月4日付朝刊、36面。
  34. ^ 久米宏、今晩Nステ復帰 - ウェイバックマシン(2000年3月1日アーカイブ分)
  35. ^ 久米宏、Nステに緊急復帰 - ウェイバックマシン(2001年10月31日アーカイブ分)
  36. ^ 「さようならN.S」(アーカイブ)
  37. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、288頁。
  38. ^ a b 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、286頁。
  39. ^ 『鹿児島放送30年のあゆみ』鹿児島放送、2013年 p.15, p.36
  40. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、181頁。
  41. ^ 鈴木秀美・山田健太・砂川浩慶 編『放送法を読みとく』p.86 2009年 商事法務
  42. ^ 「所沢の方には迷惑かけた(笑)」 久米宏が「ダイオキシン騒動」振り返る J-castニュース
  43. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、186~188頁。
  44. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、190・191頁。
  45. ^ a b テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.8-9。
  46. ^ a b c d テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.11。
  47. ^ 番組ホームページ内の初代~3代目の紹介ページ(アーカイブ)
  48. ^ テレビ朝日ホームページ内の3代目セット紹介(アーカイブ)
  49. ^ 番組ホームページ内の4代目セットの紹介(アーカイブ)
  50. ^ 作品リストー舞台・他ーニュースステーション - 大澤製作所
  51. ^ a b c d テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.9。
  52. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、189・190頁。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニュースステーション」の関連用語

ニュースステーションのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニュースステーションのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニュースステーション (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS