一式戦闘機
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キ43 一式戦闘機「隼」
注釈
- ^ 二型の量産時点から立川でも生産されており、さらに三型の全ては立川で移管生産された。陸軍航空工廠では少数の一型が生産されている。
- ^ 総生産機数日本軍第3位、陸軍機第2位は大戦後期の主力機である四式戦。
- ^ 半年後に出された『陸軍航空本部兵器研究方針』「軽単座戦闘機」の項では「300kmを標準として余裕飛行時間30分。できるだけ行動半径600kmに近づける」となっている。
- ^ 制式制定前に新鋭機の実戦テストも兼ね、開戦と共に増加試作機装備の1個独立飛行中隊(独立飛行第47中隊)が参戦。
- ^ パレンバンの大油田は東アジア屈指の産油量を誇り、同油田での1年間の産油量は当時の日本の年間石油消費量を上回るほどであった。
- ^ ニューギニア・フィリピンは第4航空軍担当。第4航空軍はニューギニアおよびフィリピンの事実上の陥落を受け1945年2月に廃止
- ^ 異説あり、大日本絵画 ビルマ航空戦 上巻 梅本弘 :スロットルレバーの操作について64戦隊で戦った安田義人は1943年2月に隼一型から二型へ機種改変した際、「スロットルレバーが引きから押しに変わった事で戸惑ったものの大きな事故はなかった」(P242)と語り、また一型と二型が混在していた50戦隊においても、「スロットルレバーの操作が逆である事に困惑していた、特に緊急始動の際は両型の違いを見極めている暇がないため、どちらの型であっても一発で始動できるようスロットルレバーはいつも中間の位置に入れられていた」(P318)という。そして1943年7月頃には残存していた一型機もスロットルレバーを二型同様に改修され、操作法の差異に戸惑っていた操縦者や整備兵を喜ばせた。(P365)とある。
- ^ 今村均陸軍大将の長男。湯川秀樹教授に師事して大阪帝国大学理学部物理学科を卒業したのち、技術部見習士官制度を経て陸軍航技中尉に任官し、航空技術将校となる。1941年6月に航技研第2部へ配属され、1943年半ばには航空審査部飛行機部への転属を経て最終階級は陸軍技術少佐。戦後は鉄道技術研究所技師を経て防衛庁技官、防衛大学校教官[43]。
- ^ 「飛一号」は最大通信距離約1,000kmの遠距離用で重爆撃機や一〇〇式司偵三型等が装備、「飛二号」は最大通信距離約500kmの中距離用で軽爆撃機や一〇〇式司偵二型・二式複戦等が装備している。このほか爆撃機編隊内用の「飛四号」(最大通信距離約50km)と、爆撃機指揮官機用の「飛五号」(最大通信距離約500km)がある。
- ^ のちに少佐となり第64戦隊長として1943年2月25日戦死。
- ^ 日本軍は「ブレニム(Blenheim)」をドイツ語読みし「ブレンハイム」と呼称している。
- ^ 雲が多く視界の悪い荒天下の空戦のため、撃墜は対空砲火による可能性もある。
- ^ ちなみに、加藤は航本部員時代に寺内元帥の随員として欧米を訪問している。シンポールの南方軍総司令部にて加藤戦死の一報を聞いた寺内元帥は「あの加藤が……」と天を仰ぎ嘆息したという。檜 (2016), p.378
- ^ P-51Aの攻撃を受け機上負傷した檜中尉はマフラーを巻き止血し飛行場まで帰還したものの、後送され手術を受け右足下腿部を切断。義足となるもリハビリにより戦闘機操縦者に復帰し明野教導飛行師団(旧明野飛校)教官を経て任飛行第111戦隊第2大隊長、キ100(五式戦闘機)をもって日本本土防空戦を戦い1945年7月16日にはP-51D(第506戦闘航空群ベンボウ大尉機)を撃墜し「義足のエース」となる。
- ^ 黒江大尉機に救われたこの二式複戦は第21戦隊長牟田弘國少佐機であった。かつて牟田少佐は一式戦をもって第64戦隊とともに南方作戦で活躍した第59戦隊の飛行隊長である。
- ^ 実際は白線5本。
- ^ マクミラン少尉は不時着後捕虜となり日本で捕虜生活を送ったが、終戦後に釈放されアメリカ本国へ帰国している。
- ^ リンドバーグ少佐機には第5爆撃航空団指揮官ウォーカー准将が搭乗しており、ウォーカー准将は落下傘降下し捕虜となったとされている。
- ^ このほか一式戦1機が行方不明となっているが、これは戦闘前の巡航中に理由不明の編隊離脱を行った機体であり被撃墜ではない。
出典
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- ^ 復元された一式戦闘機「隼」
[続きの解説]
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