事件および公判の批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 16:01 UTC 版)
「イディス・トンプソン」の記事における「事件および公判の批判」の解説
英語版Template:Original research sectionルネ・ウァイスは、最近および以前の、イディス・トンプソンは殺人について無実であったのではないかという提言を繰り返している。この議論の主たる基礎は、イディスが問題の夜に殺害の手はずを整えた当事者であるという証拠が無いということであるが、しかし係争点は、「第二級謀殺の正犯」("principal to murder in the second degree")(すなわち、 support支援, assist援助, instigate教唆, command指揮, agree合意, murder殺害)であるということの意味に関する彼の知覚と、イディスの真の人格に関する彼の知覚に固く結びついている。ただし彼は、彼女が女性姦通者であり、聖人でないとは認めている。 彼女の人格に関しては、公判判事シャーマン(Shearman)と彼女の弁護士ヘンリー・カーティス=ベネット(Henry Curtis-Bennett)とは、異なっていた。前者は彼女に、姦通者で、人を騙し、邪悪で、それとなくいえば、容易く殺人を犯し得るとラベルを付けた。彼女の複数の手紙は「感覚の無いばかげた愛情」("insensate silly affection")に満ちていて、また「馬鹿げたしかし同時に邪悪な愛情の流露に満ちて...」("...full of the outpourings of a silly but, at the same time, wicked affection.")いた。これは控訴院によって同意された。カーティス=ベネットは、公判で裁判官によってたえず主張される、事件は姦通者および(姦通した)妻のみに関係するということを大目に見ようと努めて、「大きな愛」("great love,")の「魅力に満ちたオーラ」("glamorous aura")という文脈において、彼女の不道徳さを、弁護し得るとして放り投げた。 事件要点および法律上の論点の説示において、彼はイディスについて以下のように言っていた: これは、ありふれた殺人事件ではありません...この女性が、あなたやわたしがかつて会ったきわめて異常なパーソナリティーの1人であると言うとしたらその点で、わたしは正しいのでしょうかそれとも間違っているのでしょううか?...あなたはかつて読んだことがありますか...これ以上美しい愛の言葉を?こういうものがペンと紙によってものされたことは極めてまれなのです。これこそがあなたが処理する女性であり、ありふれた女性ではないのです。彼女は、あの、なんやかやの理由で目立つ、ときどき出会う、人目をひくパーソナリティーの1人であります....あなたは世故に長けた人物でありますし、誰か既婚者を含む姦通があるところでは、それが、そのひとが関係を他方のパートナーには秘密にしておきたいという願望の一部であるというものだということは知っておられるに違いない。それは、生命をかけてパートナーに知らしめる種類のものではないのであります。 カーティス=ベネットは次のように言った:「彼女が彼に対して、なんでも - 殺人さえ - できる女のポーズをとっていた(posed)ということは証明されなかったでしょうか?彼女はそうしなければならなかった:バイウォーターズは彼女から逃げたかった。控訴院は、姦通者としての被告人の、裁判官による記述を裏書きしました:「さて、裁判官は、陪審への、事件要点および法律上の論点の説示において、夫を殺害した妻および姦通者の普通なあるいはありふれた咎としての咎のことを言われました。これは、真実なかつ適切な記述でした。」("Now, the learned judge, in his summing-up to the jury, spoke of the charge as a common or ordinary charge of a wife and an adulterer murdering the husband.That was a true and appropriate description.") ウァイスは、シャーマン判事のヴィクトリア朝的な道徳の、1920年代という時代にたいする不適当さと彼が見なしているものに注意を引こうとしている。しかしながら、ヤングは、公判と同時代に書きながら、これは、道徳を学ぶ必要があるあの世代の青年であったのではないかと提言している。 シャーマン裁判官は、商業的気晴らしとダンシング・ホールの、高い労働と安い快楽の倫理の教育をうけた、バイウォーターズの世代の人々にとって、姦通とは、たんに、生活のおおきなロマンチックな冒険に思われるものをあらわす、ちょっとおかしいキリスト教会の用語であるという事実をみたところ全く知らないまま、バイウォーターズをしばしば「姦通者」("adulterer")と呼びました。そういう人々にとっては姦通は、「気晴らし」("sporting")であるかもしれないしそうでないかもしれませんが、しかしその邪悪さは、ちょっとの間でも彼らを悩ませる問題ではありません。シナイは、彼らにとって、見通すことのできない雲につつまれているのです。そしてもしわれわれが、シナイの律法をナイトクラブとテ・ダンサン(the dansant)(フランス語。午後晩く、お茶の時間に催される舞踏会)の原則に適用する準備ができていないならば、わたしは、法が基礎づけられている永遠の真理の教育をわれわれの青年に再びさずけるほかに選択肢はないと考えます。 ワイスの法律的な批判は、イディスの、殺害の計画をたてることへの掛かり合いの直接的な証拠が無かった、あるいは彼女は問題の夜に実行を承諾さえしていたとして、イディスの有罪認定の公平さに異議を唱えている。直接的な手はずにかんする証拠の欠損は、控訴院によって認められた。しかしながら、これは反駁の証拠のない、目的の共有状態にある、殺害の教唆の証拠が「事前の打ち合わせの推理」("inference of preconcerted arrangement")という趣意の推論の道筋をたどった。彼女の2つめの目撃供述まで、彼女の目撃者数人に語られた殺害の夜に起こったことについて並べ立てた途方も無い嘘とあいまって、控訴院は、彼女の手紙において明らかにされた殺害への初期の長引いた扇動は、彼女が殺害の打ち合わせをしたことについて有罪とするのに十分であると考えた。 控訴院は、法廷よりも「第二級正犯」("principal in the second degree")へのより狭いアプローチを採るように思われたが、しかしそれは明白でなくて、それは「事前にしておいた打つ合わせ」("preconcerted arrangement")は、いろいろな色合いの意味を許すからである。控訴院は、たとえ殺害の、事前に打ち合わせをしておいた目的の、他のもっともらしい証拠があるとしても、殺害の単なる方法あるいはタイミングが合意されていないことに基づくあらゆる議論の機先を制しようという決心であるようにおもわれた。その狭い判断は、イディスが殺人事件それ自体で何の役割もはたしていなかったと今や主張する人々にとっては不満足である。しかしながらその判断は、それが扱っていた点までに限られ、そしてそれは、殺害の実行までの目的の連続性であった。もし殺害の手段とタイミングに関する非ー合意が認められるならば、事件は「最初から最後まで、せめてもの埋め合わせを見せていない」("exhibits from beginning to end no redeeming feature")という主張には価値があった。イディスとバイウォーターズは信用できなかったので、彼らが証人台に入る前の評判は汚されていた。彼らが自分たちの間に認めていた契約は「有責な親密さ」("culpable intimacy.")のひとつであった。両者は、警察への嘘の供述を宣誓して行ったことにおいて、偽誓を認めたとして記録されていた。すべてが、イディスが殺害そのものの日まで長期間にわたって、夫の死を願望していることを指したが、これは殺害の実行の後のバイウォーターズへの彼女のばかげた庇い方によって証拠立てられている。ちょうどバイウォーターズが彼女の夫を刺し殺しつつあった時に発せられた彼女の「やめて!やめて!」("Don't Don't!")という叫びのほかに、弁護側は、彼女の罪責を否定するために、どのような実質的な証拠を提出していただろうか?イディスは、バイウォーターズの呪文によって悪意ある魔法をかけられて或る種の半催眠状態にあったと、ひとは合理的に仮定するかもしれない。 イディスの証人としての非教化的な振る舞いとされるものを考慮すれば、ウァイスは、彼女が証言台に立たないようにという彼の助言を拒絶しなかったならば救えたはずであると主張しているけれども、彼女の有罪は不可避であることをまさに認めようとしているところである。彼女の無罪放免を確保しそこなった彼の失敗は、彼に深く影響を及ぼしていた。彼は、イディスは「自分の不道徳さに極端な罰金を支払った」("paid the extreme penalty for her immorality")と主張して、一生を通じて彼女の殺人の無実を主張するようにみえた。ヤングは、同様のアプローチを採る、カーティス=ベネットは、彼の名声と富の探求が許さなかったであろうけれども、彼女の証言台に入るとしつこく主張することで自分の信念を諦めるべきであったのではないかと提言している。カーティス=ベネットは、ジャーナリストのミスタ・スタンリー・ビショップ(Mr. Stanley Bishop)に言った。「彼女は、証言によって、そして振る舞いによって可能性を台無しにした。わたしは、もし彼女が証人でなかったならば無罪放免を勝ち取っていたと確信するすべてに完璧な答えがあった。彼女は虚栄心が強く、頑固な女性であった。彼女は、自分が陪審を感情的に動かすことができると思っていた。また彼女は、巨大な公衆の興味関心を実感し、そして証人台に入ることによってそれの助演をつとめようと決心した。彼女の想像力は高度に発達させられたが、しかしそれは、彼女が犯しつつある間違いを彼女に示しそこねた。」("She spoiled her chances by her evidence and by her demeanour.I had a perfect answer to everything which I am sure would have won an acquittal if she had not been a witness.She was a vain woman and an obstinate one.She had an idea that she could carry the jury.Also she realized the enormous public interest, and decided to play up to it by entering the witness-box. Her imagination was highly developed, but it failed to show her the mistake she was making.")イディスが犯すように見える1つの間違いは、バイウォーターズが彼女を毒物の陰謀にひきいれたことを彼女が公言する際にあった。欺瞞は、殺人事件への防御ではなかったし、そしてこれは彼女を救えるはずがない。カーティス=ベネットは、イディスが毒殺者の役を演じる、あるいはファンタジーに関わることに基づいて、より法律的に確実なしかし証拠的に破産した弁護を論じた。しかしそれにも関わらず彼女は、バイウォーターズの提言に反応する証言によってこれを無効にするように思われた。 彼女が夫との離婚か別居を絶えず求めていたことと、殺害よりもむしろそれが、彼女の手紙に示された彼女とバイウォーターズとの間の証言された五年間の約束の主な目的であったことという、彼女の弁護の幹線のひとつは、裁判官によってまやかしとして却下された。「もしあなたがこれらの手紙が本物であると考えるならば、これは彼女が詐欺の絶え間ない実行に巻き込まれているということである。バイウォーターズとの関係という事実を隠し、そして彼女の夫に彼女を解き放すように繰り返し求めているのです。 弁護側は、彼女の「大きな愛」("great love")から道徳的説明責任を脱がせ、威厳のオーラでそれをしみこませる努力に対する裁判官の反感への返事はないままであったので - それに対して声高に抗議された彼女の夫の生と死の苦しみ - 弁護側は、彼女が殺害を直接に手はずを整えなかったということを除けば、陪審に提出する実体はほとんどなかった。カーティス=ベネットの締めくくりの言葉で、イディスの無実を、バイウォーターズのそれに繋いだことは、イディスの弁護側が沈みこんでいた苦境を暴露した。 ヤングは、弁護側は間違った戦術を用いたと断言する。彼は次のように言った:「もし弁護側がミセス・トンプソンのかわりに『わたしはパーシー・トンプソンを殺さなかったし、わたしはそれに関係なかった。わたしはそのことを知らなかったし、それが起きた時わたしは仰天し怖くなったし、できるものなら検察側が、なにかその否認と両立しない証拠を導入して下さい』と言っていて、それに基礎を置くならば、英国の陪審が彼女を有罪としていたはずです」("If the defence had said on behalf of Mrs. Thompson, 'I did not murder Percy Thompson, I had nothing to do with it.I had no knowledge of it, and I was stunned and horrified when it took place, and I defy the prosecution to introduce any evidence with which that denial is not absolutely compatible,' and had rested on that, I do not think you could have found a British jury to convict her.")彼女の公判をとりまく有罪の推定の - 彼女はそれの前か最中のいずれかにひっくり返るという推定の - 空気がたしかにあった。しかしながらヤングの、立証責任は殺害の仮定に反論する弁護側ではなく、殺害を証明する検察側にあるという点は、たしかに妥当なものである。極刑の事件である場合は特に、法廷に、また控訴院にも「第二級正犯」("principal in the second degree")の定義を、批判者に、しかるべき司法行政にたいする信頼を与えるくらいに十分に厳密に行わなかったという批判はなされ得る。英語版Template:Opinion検察側の争いは広かった:「...これら二人の人物の間に、ミセス・トンプソンを取り除くという、あるいはたとえ言葉での合意が実際にはなかったとしてもミセス・トンプソンによる教唆があって、それによってバイウォーターズは彼を殺した」(...that there was an agreement between these two persons to get rid of Mr. Thompson, or that, if there was not an actual agreement in terms, there was an instigation教唆 by Mrs. Thompson to get rid of him, on which Bywaters acted so as to kill him.")これは裁判官によって反対されなかったように思われ、裁判官は以下のように断言した: 「さて、わたしは、あなたにたったひとつ質問したいのですが、それはつまり、その女とその男とのあいだで事は手はずをとられたのですか?わたしは、次のような学識ある法務次官の法を受け容れる、もしあなたが暗殺者を雇ってこう言う:『さあお金ですよ』、彼らの間に暗殺者がでてゆき、やってきた男を殺害するという取引がある、暗殺者を雇っている人物は殺害で有罪でありこれはあきらかな常識である。わたしはまた次のような仮定を受け容れる、もしある女がある男に次のように言う「わたしはこの男が殺害されてもらいたい。あなたはわたしにそれをすると約束する』そして彼はそれから彼女に約束し(彼女は、彼が機会を得られしだい約束を守ると信じている)出て行き、誰かを殺害し、それから彼女もまた殺人で有罪である。」("Now, I am going to ask you to consider only one question in your deliberations, and that is, was it an arranged thing between the woman and the man?I quite accept the law of the learned Solicitor-General that if you hire an assassin and say:I quite accept the law of the learned Solicitor-General that if you hire an assassin and say: 'Here is money,' and there is a bargain between them that the assassin shall go out and murder the man when he can, the person who hires the assassin is guilty of the murder it is plain common sense.I also accept the proposition that if a woman says to a man, 'I want this man murdered;you promise me to do it,' and he then promises her (she believing that he is going to keep his promise as soon as he gets an opportunity) and goes out and murders someone, then she also is guilty of murder.") イディスとバイウォーターズとの間の5年間にわたる契約は、殺害の日までの手紙のやりとりの全経過を通じて続いていたと示された。もしその目的のうちのたったひとつがパーシー・トンプソンの死で、それが手紙から、イディスの殺害の夜に関してつき続けた嘘から、我慢できるほどに明白であるように思われるならば、もしそうならば、目的の共有する教唆者ほどにしかすぎない上記の「第二級正犯」("principal in the second degree")の定義によって、イディスは有罪となるだろうことは、明白であった。英語版Template:Opinionである。これが、推測するところ、陪審の決定がよってたつところの基礎であった。どのようにして陪審がその他の結論に達することができたか調べることは難しい。シャーマン裁判官は、彼女の証言、特に殺害の夜に関する、彼女が犯罪の目撃を、そしてもしかしたらそれに先立つバイウォーターズとの犯意の会話をも隠す意図であったことを示唆する、彼女の警察への供述における矛盾に重きを置いたが、ただし彼女は常にそれの予知を力強く否定した。ブロードは、裁判官の、事件要点および法律上の論点の説示はその時「致命的に、絶対に彼女に不利」("deadly, absolutely against her")であると見なされたと述べているが、しかし彼は、固い決心で彼女の無実に賛成の議論をしているけれども、裁判官がより少なく公平であったとは主張していない。 弁護側は、手紙のうちの数通のあいまいな内容に対する検察側の当て推量が非現実的で間違っていることを示すことに、いくつかの点でたしかに成功した。パーシー・トンプソンの検死解剖は、彼がガラス粉あるいはなんらかの種類の検出可能な毒物を食べさせられていたという証拠を明らかにしそこねていた。彼女の手紙がいわゆる毒物の陰謀に関する彼女の行為を必ずしも反映していないことは、かなりはっきりしていた。ブロードとヤングによって彼女に有利に認められたけれども、控訴院は、毒物の陰謀は彼女に不利、そして彼に不利と考えた:「もし問題が、これらの手紙が、バイウォーターズが結局は犯した犯罪を犯すように彼への扇動の証拠であるかどうかであるならば、わたしはそうであったと考えるが、上訴人が、何か彼女がしたことを事実どおりに報告していたのかそれとも何か彼女が単にしたふりを装ったことを偽って報告していたのかは、比較上ほとんど重要ではない」( "if the question is, as I think it was, whether these letters were evidence of a protracted, continuous incitement to Bywaters to commit the crime which he did in the end commit, it really is of comparatively little importance whether the appellant was truly reporting something which she had done, or falsely reporting something which she merely pretended to do.")その上、「これらの手紙が、この上訴人とミセス・トンプソンとの間に、同一の結果に至る合意があったことを示す、あるいはとにかく示すのに役立つ、かどうかは重要でない。これらの手紙は、この行為は誰によってなされたかという問題にのみならず、意図は何であったか、それがなされた目的は何であったかということにもまた光を投げる材料であった。」("it matters not whether those letters show or, at any rate, go to show, that there was between this appellant and Mrs Thompson an agreement tending to the same end.Those letters were material as throwing light, not only upon the question by whom was this deed done, but what was the intent, what was the purpose with which it was done")と、控訴院はバイウォーターズに言った。 バイウォーターズの今にも起ころうとしている犯罪は、イディス宛ての彼の最後の複数の手紙における、病的でほとんど狂気の、所有欲の強さに見られる。これは彼女が、違う風にする資金が足りないから、ただ外見だけでも自分は「従順な妻」("dutiful wife")として夫と同居し続けざるをえないと不平を言う、彼宛てのイディスの最後の手紙とは食い違っている。バイウォーターズはさらに、パーシーがいまや常に疑っているから、バイウォーターズはイディスの生活を以前とまったく同じ程度に支配することを許されないであろうと知らされた。イディスの初期の「[彼女の夫に]大変嫉妬しているからあなたは何かいちかばちかのことをして下さい」("be jealous of [her husband] so much that you will do something desperate")という曖昧な発言と相まって、事態は、パーシーに対する憎悪によって道徳の規範に対してずっと以前に盲目にさせられた、危険なほどに不安定な心においてだけれども、事態は岐路に達したように思われる。バイウォーターズが寛大さを要求する資格は、彼がイディスに迷わされていたということであり、これは彼の無邪気の欠如と報じられているもののためにありそうにない主張であり、彼の有責性にも関わらず、当時の報道は「その女性の有罪の非難とその青年の容赦に有利な風に、彼は彼女の、より強い意志の、弱いしばしば不本意な奴隷であったから、凝り固まった」("hardened in favour of condemnation of the woman and forgiveness of the youth because he was a weak and often unwilling slave of her stronger will") 手紙の全体は後にフィルソン・ヤング(Filson Young)により、1923年のNotable British Trialsシリーズの中で刊行された。ただし手紙は、いかなる年代順にもなっていない、ルイス・ブロードを見よ(下記)。 エドガー・ラストガータン(Edgar Lustgarten)は、「トンプソンの評決はいまや無効と認識されており、それが生じたもとの公判は、或る心構えから流れ出るかもしれない邪悪さの見本として目立っている」("The Thompson verdict is now recognised as bad, and the trial from which it sprang stands out as an example of the evils that may flow from an attitude of mind.")と述べている。ここからは、彼のエッセーがちょっとしたイディスに対する謝罪であるということが合理的に推察され、彼女の有責性を彼は「彼女は、才能が挫かれた女性であった」("she was a woman of quality whose talents were frustrated")ということを基礎として減じている。また彼は「彼女は、注目に値する複雑なパーソナリティーであり、心の、そして体の、顕著な諸属性に恵まれている。彼女には知性、活力、生来の上品さと落ち着き、敏感さ、ユーモアがあり、男性を魅了するあの明るくする精髄的な女らしさがあった」("She was a remarkable and complex personality, endowed with signal attributes of body and of mind.She had intelligence, vitality, a natural grace and poise, sensitiveness, humour and illumining all these that quintessential femininity that fascinates the male.")「[彼女の手紙が無いとすれば]彼女に対して言われ得る不利なことは、ただ彼女がバイウォーターズを守り、庇おうとする無益な努力をして嘘をついたということだけであった。 それが彼女を事後共犯にしたかもしれない。それが彼女を首つり索の危険に陥らせることができたろう。これが、掛かり合っている彼女の夫(her husband)の殺害であるとして、より信頼できる見解はたしかに、彼女の嘘が、彼女がどういうわけか掛かり合いになっているのではないかという疑いをひきおこしたということである。控訴院が推論したように、事件の状況 - 二人の姦通者と一人の殺害された配偶者 - は、本質的に「平凡」("commonplace")、等々である。イディスは、殺害の直後に巡査によって家に連れ返されつつあったとき、自分は巻き込まれるであろうということを予見していたように見える、というのも、彼女は彼に次のように言っていたのだから『彼らはこのことでわたしを責めるでしょう』("they will blame me for this")」とも書いている。 ラストガータンは、法律手続における欠陥を主張していないけれども、法廷は「セックスと心理学」("sex and psychology")の諸問題とファンタジーの結果として生じ得ることを理解することはできなかったと言っている。 公判の運営と法の状態に対する批評が、ルイス・ブロードによってなされた。彼は、それが以前の罪であったとしても、イディス・トンプソンにはそれに言及されない権利があるのに対して、彼女が自分の不道徳による先入観から別れることはできないことは彼女の不運である、と主張した。彼はまた裁判官を、道徳的に先入観をもった言語を使用して陪審の先入観を刺激したと攻撃した。彼は、陪審がイディスの手紙の中の言葉が何を意味し、彼らが何を意図したのかを決めるのは規則の範囲内であると認めた。ブロード(Broad)は次に公判の全般的な運営を非難した、すなわち以下のとおり: 彼女は、彼女はバイウォーターズの横に出廷しなければならないというハンディキャップがあるから、別個の公判を与えられるべきであった。 裁判官は、陪審が、彼女の不道徳のための先入観によって興奮させられるにまかせた。 先入観にもとづく疑いが、彼女の手紙に関して意味、動機及び意図の証拠に取って代わるに任された。 ブロードはまた、公判における彼女の手紙の不公平な使用について刑事訴追に批判をあびせた、すなわち以下のとおり: a) 合計で25000語のうち1500語の抜粋が公判において使用された。手紙の多くは公判中、法廷によって検閲されたが、なぜならばそれらは、マスターベーション、オルガスムのような話題、公的な議論に適切とはその時は見なされなかった話題を扱ったからである。 b) 殺害に先立つ5ヶ月間に、たったひとつの、毒への曖昧ではない言及があった。 c) 語句の意味が検察によって推測されるに任され、そして陪審に先入観を持たせるよう決められた。 d) 殺害の背景が計画の要素を示唆しない。 e) パーシーの殺害という問題の曲がりくねった、さりげない議論にもかかわらず、手紙の中には合意に帰するものがない。 f) バイウォーターズが、自分はイディスに会い続けたくないということを示したあとの因果関係の連鎖には中断があって、これは彼女の1922年6月20日 - 9月12日の手紙から証拠立てられる。 g) これらの手紙が当事者間のファンタジーの一部であるということが、陪審に差し出されなかった。 内務省のファイルは100年間公開しないようにマークづけられたが、これは大きくなる噂の火に油を注ぎながらも、事件の批判の息を止めていない。
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