理化学研究所 理化学研究所の概要

理化学研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/14 23:00 UTC 版)

理化学研究所
Riken HQ Main Research Building.jpg
本所(埼玉県和光市)の研究本館
正式名称 理化学研究所
英語名称 RIKEN
略称 理研
組織形態 独立行政法人
所在地 日本の旗 日本
〒351-0198
埼玉県和光市広沢2-1
北緯35度46分49.37秒
東経139度36分44.96秒
予算 844億円(2013年度)[1]
人数 3390名(2013年4月1日時点)[1]
理事長 野依良治
活動領域 自然科学
設立年月日 1917年大正6年)
設立者 渋沢栄一
所管 文部科学省
下位組織 #研究拠点の節を参照
関連組織 理研グループ
ウェブサイト http://www.riken.go.jp
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概要

1917年大正6年)に創設された物理学化学工学生物学医科学など基礎研究から応用研究まで行う国内唯一の自然科学系総合研究所である。国際的に高い研究業績と知名度を持つ研究所であり、海外では"RIKEN"の名称で知られている。

鈴木梅太郎寺田寅彦中谷宇吉郎長岡半太郎嵯峨根遼吉池田菊苗本多光太郎湯川秀樹朝永振一郎仁科芳雄菊池正士など多くの優秀な科学者を輩出した。

戦前は理研コンツェルンと呼ばれる企業グループ(十五大財閥の一つ)を形成したが、太平洋戦争の終結と共にGHQに解体された。

1958年(昭和33年)に特殊法人「理化学研究所」として再出発し2003年(平成15年)10月に文部科学省所管独立行政法人「独立行政法人理化学研究所」に改組された。

設置法令

  • 独立行政法人理化学研究所設置法
  • その目的は、第四条にある。「理化学分野における、平和的かつ産業に資する活動を行うことで、わが国産業の技術革新を推進し、公共の利益に資することである」。

沿革

財団法人 理化学研究所

大正期の理化学研究所
  • 1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を東京都文京区駒込に設立。伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任。
  • 1921年(大正10年)に大河内正敏が3代目所長に就任し研究室制度を打ち出す。神奈川県藤沢市の大日本醸造株式会社内に大和醸造試験所を設立し合成酒の製造研究を開始。
  • 1922年(大正11年)、研究室制度が発足。主任研究員に大幅な自由裁量が与えられ、主任研究員は帝国大学教員との兼任を認め、研究室を帝国大学に設置することを許可した。また、主任研究員が予算、人事権を握り、研究テーマも自主的設定。この研究室制度は理化学研究所を活性化したが、湯水のごとく研究費が投入され財政難に陥った。
    ビタミンA製剤「理研ヴィタミン」の雑誌広告(1938年昭和13年))。こうした商品の収益が「科学者たちの楽園」を支えた。
    同年、鈴木梅太郎研究室所属の高橋克己が長岡半太郎や寺田寅彦の助力を得て魚のタラの肝油から世界で初めてビタミンAの分離と抽出に成功した。試作品として売り出したところ、肺結核の特効薬との噂が広まり患者の家族らが殺到する事態となった。大河内所長はその様子を見てこれを製品化することを決断し、鈴木梅太郎研究室をせきたてて4ヶ月で製品化にこぎつけた。既存の医薬品企業と提携せずに理化学研究所の自主生産で「理研ヴィタミン」を販売し財政難を乗り切った。1924年(大正13年)には理化学研究所の作業収入の8割をビタミンAが稼ぎ出す結果となった。ビタミンAの1カプセルあたりの製造原価は1,2銭だったが、理化学研究所はこれを10銭で直接販売したため利益幅は大きかった。
  • 1927年(昭和2年)に、理化学研究所の発明を製品化する事業体として理化学興業を創設し大河内所長が会長に就任した。理化学興業と理化学研究所は工作機械、マグネシウムゴム、飛行機用部品、合成酒など多数の発明品の生産会社を擁す理研産業団(理研コンツェルン)を形成してゆく。最盛期には会社数63、工場数121の大コンツェルンとなった。1939年(昭和14年)の理化学研究所の収入370万5000円のうち、特許料や配当などの形で理研産業団各社が納めた額は303万3000円を占めた。その年の理研の研究費は231万1000円だったので、理化学研究所は資金潤沢で何の束縛もない「科学者たちの楽園」だった。のちに理研コンツェルンの事業を継承した会社にはリコー理研グループと呼ばれる企業群がある。
  • 1937年(昭和12年)に仁科芳雄研究室が日本で最初のサイクロトロンを完成させた。1943年(昭和18年)に大型サイクロトロンを完成させた。
  • 1941年(昭和16年)、陸軍の要請を受け、仁科芳雄が中心となって原子爆弾開発の極秘研究(ニ号研究)を開始。
  • 1946年(昭和21年)、太平洋戦争終結とともに連合国軍最高司令官総司令部の指命により理化学研究所、理研工業(理化学興業の後身)、理研産業団は解体され、仁科研究室のサイクロトロンも海中に投棄された。公職追放された大河内所長に代わって仁科芳雄が第4代所長に就任。

株式会社 科学研究所

  • 1948年(昭和23年)、「株式会社科学研究所」(初代社長仁科芳雄)発足。財団法人理化学研究所は正式に解散した。
  • 1952年(昭和27年)、株式会社科学研究所(新社)設立。旧社は科研化学株式会社に改称し、純民間企業となる(現在の科研製薬株式会社)
  • 1956年(昭和31年)、「株式会社科学研究所法」が制定され、政府の出資を受ける。

特殊法人 理化学研究所

  • 1958年(昭和33年)に「理化学研究所法」が制定され、特殊法人「理化学研究所」として新たに発足した。
  • 1967年(昭和42年)、埼玉県北足立郡大和町(現在の和光市)に大和研究所(現:和光本所 和光研究所)を開設、本拠地を駒込からここへ移転。
  • 1984年(昭和59年)、ライフサイエンス筑波研究センター(現:筑波研究所)を筑波研究学園都市(茨城県つくば市)に開設。

独立行政法人 理化学研究所

歴代理事長

特殊法人

氏名 在任時期 備考
初代 長岡治男 1958年10月 - 1966年10月 元日本合板船社長、長岡半太郎の長男
第2代 赤堀四郎 1966年12月 - 1970年4月 大阪大学名誉教授、元大阪大学総長
第3代 星野敏雄 1970年04月 - 1975年4月 東京工業大学教授
第4代 福井伸二 1975年04月 - 1980年4月 千葉工業大学理事長
第5代 宮島龍興 1980年04月 - 1988年4月 筑波大学学長
第6代 小田稔 1988年04月 - 1993年9月 東京大学教授、元宇宙科学研究所教授
第7代 有馬朗人 1993年10月 - 1998年6月 東京大学名誉教授、元東京大学総長
第8代 小林俊一 1998年08月 - 2003年9月 東京大学名誉教授

独立行政法人化後

氏名 在任時期 備考
第9代 野依良治 2003年10月 - 現職 名古屋大学特別教授、ノーベル化学賞受賞者



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