理化学研究所の創設
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1913年(大正2年) 高峰譲吉、櫻井錠二らが「国民科学研究所」構想を唱え、渋沢栄一らがその構想について議論を行った。1915年(大正4年) 第36回帝国議会にて、衆議院・貴族院の本会議で「理化学研究所創立」が決議された。 1917年(大正6年) 渋沢栄一を設立者総代として皇室・政府からの補助金、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を東京都文京区駒込(現・日本医師会館・文京グリーンコート)に設立。伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任。 1921年(大正10年) 大河内正敏が3代目所長に就任し研究室制度を打ち出す。神奈川県藤沢市の大日本醸造株式会社内に大和醸造試験所を設立し、合成酒の製造研究を開始。 1922年(大正11年) 研究室制度が発足。主任研究員に大幅な自由裁量が与えられ、主任研究員は帝国大学教員との兼任を認め、研究室を帝国大学に設置することを許可した。また、主任研究員が予算、人事権を握り、研究テーマも自主的に設定。この研究室制度は理化学研究所を活性化したが、費用対効果を考えない研究費の投入はたちまち理研を財政難に陥れた。
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