理化学興業の創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:40 UTC 版)
1927年(昭和2年)に、理研の発明を製品化する事業体として理化学興業を創設し、大河内が自ら会長に就任した。理化学興業と理化学研究所は工作機械、マグネシウム、ゴム、飛行機用部品、合成酒など多数の発明品の生産企業を擁する理研産業団(理研コンツェルン)を形成してゆく。最盛期には会社数63、工場数121の大コンツェルンとなった。1939年(昭和14年)の理研の収入370万5000円のうち、特許料や配当などの形で理研産業団各社が納めた額は303万3000円を占めた。その年の理研の研究費は231万1000円だったので、理研は資金潤沢で何の束縛もない「科学者たちの楽園」だった。のちに理研コンツェルンの事業を継承した会社にはリコー、リケン、理研計器、理研電線、理研ビタミンなどがある。
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