理化学的手法による亜硫酸ガス処理の完成とは? わかりやすく解説

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理化学的手法による亜硫酸ガス処理の完成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:50 UTC 版)

日立鉱山の大煙突」の記事における「理化学的手法による亜硫酸ガス処理の完成」の解説

戦後になると排煙中に含まれる亜硫酸ガス除去について、長足の進歩なされるうになる。まず1951年昭和26年)には高濃度亜硫酸ガス発生源であった製錬転炉ガス焼結ガス利用した、ルルギ式接触法による硫酸工場完成する。この硫酸工場稼動開始によって日立鉱山排出する亜硫酸ガスはほぼ半減し煙害激減した。この煙害激減受けて、大煙突制限溶鉱による煙害防止策支えてきた日立鉱山充実した気象観測網はその役目終え1952年昭和27年2月廃止されることになった。しかし神峰山観測所についてはこれまでの気象観測実績茨城県北部における重要な気象観測点であるため、気象庁など気象関係者から廃止反対する意見出され1952年昭和27年6月日立市営の日立市天気相談所発足併せて日立市神峰山観測所機能引き継がれることになった。なお、神峰山気象観測1973年昭和48年以降無人機械観となっている。 1951年昭和26年)の硫酸工場では、溶鉱炉から排出される濃度の低い亜硫酸ガス硫酸製造工程に乗らなかったためにそのまま排出され続けた。この残り約半分亜硫酸ガスの処理が続いて課題となった。この課題製錬法の革新によって乗り越えられた。これまでの溶鉱炉使用する製錬法から、溶鉱炉省略していきなり転炉から工程始め酸素製錬法が実用化したため転炉発生する高濃度亜硫酸ガスから硫酸製造するようになったのである1958年昭和33年)に稼動開始された後、亜硫酸ガスは約7割前除去されるようになった。 そして1972年昭和47年12月製錬発生する亜硫酸ガス98パーセントという、ほぼ全量硫酸製造使用する自溶炉法の製錬所完成した。こうして日立鉱山亜硫酸ガスによる煙害問題はようやく終結迎えたこの頃高度経済成長に伴い日本全国各地公害問題極めて大きな社会問題としてクローズアップされていた。このような時代背景もあって、日立鉱山の大煙突思いもかけない形で脚光を浴びることになる。

※この「理化学的手法による亜硫酸ガス処理の完成」の解説は、「日立鉱山の大煙突」の解説の一部です。
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