葛飾北斎 代表的な作品

葛飾北斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 09:44 UTC 版)

代表的な作品

北斎は浮世絵師として役者絵美人画名所絵花鳥画春画等、多岐にわたる浮世絵を描いている他、絵手本肉筆画読本挿絵などさまざまなジャンルで足跡を残した。描いた作品総数は分かっていないが、永田生慈『葛飾北斎年譜』での「版木・版画作品目録」では、1,385点[108] で、これは2冊本も1点と数えており、実際には更に摺物と肉筆画が加わる。数え方にもよるが、挿絵なども1図と数えれば、3万点を越えるという意見もある[184]

『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏
「神奈川沖浪裏」がデザインされた2024年発行予定の千円紙幣裏面。

錦絵

冨嶽三十六景

『冨嶽三十六景』は文政13年(1830年)ごろより順次刊行[注釈 22]された大判錦絵揃物で、「北斎改為一筆」他で落款されている[5]。富士山を題材とした揃物錦絵で、当初三十六図を想定されていたが、人気が高かったためか、続編として十図が追加され、全四十六図が1830年から1834年にかけて刊行された[186]。追加の十図は「裏不二」と呼ばれた[187]。富士の表現や構図に関しては河村岷雪が出した『百富士』の影響が指摘されている[185]。『冨嶽三十六景』は大いに人気を博し、青葱堂冬圃の随筆『真佐喜のかつら』は、大変な売れ行きだったことを伝えている[188]。その継続的な人気から版木が摩耗するほど摺り続けたと見られ、年代を経るごとに線が掠れ、版面の荒れた状態の商品が散見されるようになっている[189]

個別の図案も良く知られているが、中でも赤富士を描いた「凱風快晴」は北斎の代表作のひとつとされている[190]。富士が大きく描かれた「凱風快晴」と「山下白雨」は、ともに最初に刊行された図案と考えられており[191]、版元の西村屋与八は広告文に「藍摺一枚、一枚に一景づつ追々出板、此絵は富士の形ちのその所によりて異なる事を示す」と掲載した[192]。「藍摺」とは「ベロ藍」「ベルリン・ブルー」「ベルリアン・ブルー」などとも呼称される輸入化学染料紺青を多用した色摺のことであり、1829年に初めて浮世絵に用いられた[193][194]。北斎はベロ藍を活用した最初期の日本人画家のひとりであった[193]。水に馴染みやすく、ぼかしが可能な鮮烈な青の色合いは、洋風の遠近法を活用した風景表現に必要不可欠なものとなった[192]

国際浮世絵学会会長の小林忠は、『冨嶽三十六景』の図案のひとつである「神奈川沖波裏」について、日本の絵の中でもっともよく知られた作品であり、世界中の人々から愛されているとしている[193]クロード・ドビュッシーが交響詩『』の着想をこの絵から得たとする主張[195] は俗説であるものの、初版スコアの表紙には神奈川沖浪裏から写した波が描かれている[196]。また、カミーユ・クローデルの彫刻作品『波』についても「神奈川沖波裏」の影響があるとされる[178]。その他、小林はポール・セザンヌサント・ヴィクトワール山の連作や、アンリ・リヴィエールの『エッフェル塔三十六景』などに北斎の『冨嶽三十六景』の影響が見られると指摘している[197]。一方で大阪教育大学の田中久和は、ヨーロッパの近代芸術に『冨嶽三十六景』が影響を与えたとする論考に疑義を呈しており[198]、ジャポニスムという歴史的事実を論拠としてその影響を近代画家の個別事例に当てはめることは速断であり、誤解や混乱を招くと指摘し、こうした風潮を批判している[199]

現代日本においては2019年よりパスポートのデザインに『冨嶽三十六景』から24図が採用されたり[175][注釈 23]神奈川沖浪裏のデザインが2024年に発行予定の千円紙幣に取り込まれたりと、アイコンとしての受容が定着しつつある[192]

『冨嶽三十六景 山下白雨
『冨嶽三十六景 常州牛堀
『冨嶽三十六景 甲州石班澤
和州吉野義経馬洗滝

諸国瀧廻り

大判錦絵揃物である『諸国瀧廻り』は、天保4年(1833年)ごろの作品で、「前北斎為一筆」落款が見られる[5]。全八図から成る揃物[201]。江戸の版元西村屋与八から刊行されたと見られ、それぞれ「和州吉野義経馬洗滝」「下野黒髪山きりふきの滝」「木曽海道小野ノ瀑布」「木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧」「相州大山ろうべんの滝」「東海道坂ノ下清滝くわんおん」「東都葵ヶ岡の滝」「美濃ノ国養老の滝」と題され、水の落下する条件の違いによる変化を描き認めた[202]。民間信仰の対象となっている地を作画対象に選定しており、広く知られた名瀑のみを対象としていない点が、他の名所絵と異なる特徴であると言える[202]。各錦絵は東京国立博物館や葛飾北斎美術館などに分蔵されている[202]

その他の錦絵作品

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

  • 『四代目岩井半四郎 かしく』
細判錦絵、安永8年(1779年)、「勝川春朗画」落款、永田コレクション[203]中村座の『敵討仇名かしく』をもとにした役者錦絵で、『三代目瀬川菊之丞 正宗娘おれん』とともに、北斎の処女作とされる[204]
『三代目瀬川菊之丞 正宗娘おれん』
勝川春朗画
  • 『三代目瀬川菊之丞 正宗娘おれん』
細判錦絵、安永8年(1779年)、「勝川春朗画」落款、永田コレクション[204]東京国立博物館所蔵[205]市村座の『新薄雪物語』をもとにした役者錦絵[204]
  • 『中村里好 ふく清女ぼう』
細判錦絵、安永8年(1779年)、「勝川春朗画」落款、東京国立博物館所蔵[206]
  • 『四代目岩井半四郎 おかる』
細判錦絵、安永9年(1780年)、「勝川春朗画」落款。
  • 『五代目市川団十郎 あげまきのすけ六』
細判錦絵、天明2年(1782年)、「勝春朗画」落款、日本浮世絵博物館所蔵。
  • 『市川団十郎 悪七兵衛景清』『市川門之助 畠山重忠』
細判錦絵、天明4年(1784年)、無款。
  • 『花くらへ 弥生の雛形』
大判錦絵、天明4年~5年(1784年~1785年)、無款、永田コレクション[207]礒田湖龍斎の影響が見られる春朗期唯一の大判錦絵[207]。制作年代は描かれた遊女からの推察[207]
  • 『三代目大谷廣次 濡髪の長五郎』
細判錦絵、寛政元年(1789年)、「春朗画」落款。
  • 『五代目市川団十郎 かげきよ』
細判錦絵、寛政元年(1789年)、「春朗画」落款。
  • 『五代目市川団十郎 ともへ御ぜん』
細判錦絵、寛政2年(1790年)、「春朗画」落款。
  • 『新板おどりゑづくし』
細判錦絵、寛政2年(1790年)ごろ、「春朗画」落款、永田コレクション[208]。主題に沿った絵を纏めてひとつの作品とする「もの尽くし絵」と呼ばれるジャンルの錦絵[208]。本作は16種の舞踊を纏めたもので、北斎作のもの尽くし絵は極めて珍しい[208]
『市川蝦蔵の山賊実は文覚上人』
春朗画。山賊に扮する文覚を演じる市川蝦蔵を描いた細判錦絵。
  • 『市川蝦蔵の山賊実は文覚上人』『三代目坂田半五郎の旅僧実は鎮西八郎為朝』
細判錦絵二枚続、寛政3年(1791年)、「春朗画」落款、東京国立博物館所蔵。
  • 『市川鰕蔵 かげきよ』
細判錦絵、寛政4年(1792年)、「春朗画」落款、永田コレクション[209]。春朗期終盤の作品で、これ以降1806年まで錦絵は見られなくなる[209]
  • 『仮名手本忠臣蔵』
大判錦絵、文化3年(1806年)、無款、東京国立博物館所蔵。
  • 『三国妖狐伝』
大判錦絵二枚続、文化4年(1807年)、「北斎画」落款、中右コレクション、東京国立博物館所蔵。
  • 『吉原遊廓の景』
大判錦絵五枚続、文化8年(1811年)ごろ、「かつしか北斎画」落款。
  • 『総房海陸勝景奇覧』
大々判錦絵、文政元年(1818年)ごろ、「葛飾前北斎改戴斗画」落款、永田コレクション[210]。北斎が最初に発表した大々判錦絵作品[210]。鳥瞰した風景構図は鍬形蕙斎の影響が見られる[210]
  • 『東海道名所一覧』
大々判錦絵、文政元年(1818年)、「葛飾前北斎戴斗筆」落款、永田コレクション[211]。江戸の日本橋から京都までの東海道宿場や名所を鳥瞰作画した作品[211]。宿場が双六のような構成になっている他、豆粒大の人像まで精緻に描かれている[211]
  • 『麦藁細工見世物』
大判錦絵四枚続、文政3年(1820年)、無款、東京国立博物館所蔵。
  • 『新板大道図彙』
四つ切判錦絵、文政8年(1825年)、無款[注釈 24]、東京国立博物館所蔵。
『芥子』天保初期の花鳥画
  • 『芥子』
大判錦絵、天保元年から天保2年(1830年から1831年)ごろ、ミネアポリス美術館所蔵[212]。中国清代の絵手本『芥子園画伝』からの影響が強く見られる作品[212]。強い風にあおられた芥子の花が撓んだ瞬間の様子が描かれている、北斎の花鳥画の中でも評価の高い作品のひとつとされる[213]
  • 『杜若にきりぎりす』
大判錦絵、天保元年から天保2年(1830年から1831年)ごろ、ミネアポリス美術館所蔵[214]カキツバタとしているが、実際に描かれているのはハナショウブと見られる[214]
  • 『牡丹に蝶』
大判錦絵、天保元年から天保2年(1830年から1831年)ごろ、ミネアポリス美術館所蔵[212]。中国の長寿を願う伝統的な画題富貴耄耋に端を発する寓意図[212]
  • 『朝顔に蛙』
大判錦絵、天保元年から天保2年(1830年から1831年)ごろ、ミネアポリス美術館所蔵[214]。薬用植物として中国より渡来したアサガオは18世紀後半に鉢植えが一般化し、文化・文政年間と嘉永・安政年間に大ブームとなったとされ、表題として選定されたと見られる[214]
  • 『菊に虻』
大判錦絵、天保元年から天保2年(1830年から1831年)ごろ、ミネアポリス美術館所蔵[214]
  • 『鎌倉 江ノ嶋 大山 新板往来双六』
大々判錦絵、天保2年(1831年)、「柳亭種彦撰・前北斎為一図」落款、新庄コレクション[215]。北斎唯一の道中双六作品[215]。双六をしまう袋については初版が北斎画、再版が歌川国芳画と考えられている[215]島根県立美術館所蔵。相模の52か所の景勝地を柳亭種彦が選定し、北斎が景観やその地の風俗を描いた玩具絵の一種[216]
中判錦絵揃物『百物語 さらやしき』皿屋敷を題材とした北斎の錦絵。
中判錦絵揃物、天保2年(1831年)ごろ、「前北斎筆」落款。江戸時代に流行した怪談『百物語』を題材とした錦絵で、「お岩さん」「皿屋敷」「笑ひはんにや」「しうねん」「小はだ小平二」の五図が確認されている[217]
  • 『奥州塩竈松蔦之畧図』
大々判錦絵、天保2年(1831年)ごろ、「前北斎為一筆」落款。
大判錦絵、天保3年(1832年)ごろ、「前北斎為一筆」落款。琉球使節が天保3年に江戸へ参府するということを当て込んで制作されたと見られる作品で、地誌『琉球国志略』を種本に北斎の想像で描かれた全八図から成る揃物の風景錦絵である[218]。葛飾北斎美術館などが所蔵している[218]
中判錦絵揃物、天保3年(1832年)ごろ、「前北斎為一筆」落款[219]。葛飾北斎美術館などが所蔵[220]。全十図から成る揃物で、関東地方の海や川での漁労風景を収めた錦絵[219]。それぞれ「総州銚子」「総州登戸」「総州利根川」「相州浦賀」「甲州火振」「絹川はちふせ」「宮戸川長縄」「五島鯨突」「蚊針流」「待チ網」と題される[219]
  • 『詩哥写真鏡』
長大判錦絵揃物、天保4年(1833年)ごろ、「前北斎為一筆」落款。版元は森屋治兵衛[221]。和漢の歌人と関連故事を題材とした錦絵で十図が知られている[222]。例えば「春道のつらき」は『古今和歌集』の「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」の詩が題材となっており、「少年行」は唐の詩人催国輔の『長楽少年行』内の一節を絵画化したものである[221]
  • 『狆』
団扇絵判錦絵、天保4年(1833年)、「前北斎為一筆」落款、太田記念美術館所蔵。
『諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし』
  • 『諸国名橋奇覧』
大判錦絵揃物、天保5年(1834年)ごろ、「前北斎為一筆」落款。東京国立美術館が所蔵する「飛越の堺つりはし」など、全国の橋を構図に捉えた全十一図の錦絵[223]。実在しない言い伝えのみが残されている橋も含まれている[220]。『諸国瀧廻り』などと同様、版元は西村屋与八である[220]
  • 『桜に鷹』
長大判錦絵、天保5年(1834年)、「前北斎為一筆」落款、すみだ北斎美術館所蔵。橋梁に佇む端正な鷹の姿と満開の桜を組み合わせた華やかな印象のある花鳥画[224]
  • 『鷽 垂桜』
中判錦絵、天保5年(1834年)ごろ、東京国立博物館所蔵[212]。桜と桜の蕾を好物とするウソが描かれた花鳥画[212]
  • 『文鳥 辛夷花』
中判錦絵、天保5年(1834年)ごろ、東京国立博物館所蔵[212]。元禄時代に日本へ渡ってきたとされる文鳥コブシが描かれた花鳥図[212]。画賛に中国の文人陳淳の五言詩が記されている[212]
『芍薬 カナアリ』描かれている鳥はカナリアだが、画内には「カナアリ」と表記されている。
  • 『芍薬 カナアリ』
中判錦絵、天保5年(1834年)ごろ、東京国立博物館所蔵[212]。江戸時代、園芸品種としてボタンとともに人気を集めたシャクヤクと天明年間にヨーロッパから渡来したとされるカナリアが描かれた花鳥画[212]
  • 『鵙 翠雀 虎耳草 蛇苺』
中判錦絵、天保5年(1834年)ごろ、東京国立博物館所蔵[212]。薬草とされたユキノシタ、蛇が好んで食べるとされ、毒があるとされた[注釈 25]ヘビイチゴを組み合わせ、荒々しい性格とされるモズと美しい羽毛を持つルリをコントラスト豊かに組み合わせた花鳥図[212]
  • 『翡翠 鳶尾艸 瞿麦』
中判錦絵、天保5年(1834年)ごろ、東京国立博物館所蔵[214]カワセミシャガナデシコが描かれた花鳥画[214]
  • 『鶺鴒 藤』
中判錦絵、天保5年(1834年)ごろ、東京国立博物館所蔵[214]フジの変種クチベニフジとセキレイが描かれた花鳥画[214]
  • 『百人一首うばがゑとき』
大判錦絵揃物、天保6年(1835年)ごろ、「前北斎卍」落款。版元は伊勢屋三次郎[225]。北斎が手掛けたとされる最後の揃物大判錦絵で、百人一首の歌意を題材として刊行を予定していたが、二十七図を刊行して中断された[226]。残りの未刊行六三図は版下絵が遺存している[226]フリーア美術館大英博物館などに分蔵されている[227]
  • 『群鶏』
団扇絵判錦絵、天保6年(1835年)ごろ、「前北斎為一筆」落款、東京国立博物館所蔵。
  • 『唐土名所之絵』
大々判錦絵、天保11年(1840年)ごろ、「総房旅客 画狂老人卍齢八十一」落款。現在六図が知られる大々判鳥瞰図のうち、もっとも晩年に発表されたもの[228]。中国大陸全土の各名所を俯瞰で精緻に描いており、万里の長城などが確認できる[228]
  • 『地方測量之図』
大々判錦絵、嘉永元年(1848年)、「応需 齢八十九歳卍老人筆」落款。確認されている北斎最後の錦絵であり、盛岡藩士だった梅村重得の依頼によって描かれた作品で、測量器具を用いた作業の様子が描かれている[229]

絵手本

北斎漫画

『北斎漫画』 八編(1818年出版)15丁より、座頭瞽女(ごぜ)
視力に障害を持って渡世する人々のさまざまな顔模様を描いてみせた。

『北斎漫画』は『冨嶽三十六景』と共に北斎の代表作のひとつとされる摺刷版本[230]。葛飾北斎美術館所蔵[231]。文化11年(1814年)に初編が刊行され、以降北斎の死後も含めて明治11年(1878年)まで全15編が刊行された[231]。文化9年(1812年)に関西方面へ旅した北斎は名古屋の門人牧墨僊宅に逗留し、300余の版下絵を制作した[230]。これらが1冊にまとめられ、絵手本『北斎漫画』初編として版元永楽屋東四郎から出版された[230]。当初はこの1冊で完結予定であったが、予想以上に人気となり版元角丸屋甚助なども絡み文政2年(1819年)までに10編が刊行され、北斎没後も刊行が続いた[230]。人物、動植物、建造物、日用品、風俗、神話、宗教など森羅万象がアトランダムに収載された図案の総数は3900余にも上り、欧州でもフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが持ち込んで以降、『ホクサイ・スケッチ』の名で広く親しまれた[232]

その他の絵手本作品

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

  • 『己痴羣夢多字画尽』
文化7年(1810年)、「葛飾北斎戯画」落款。版元二代目蔦屋重三郎から刊行された、北斎初作と見られる絵手本である[233]。人物や物品の描線に文字を組み込む「文字絵」と呼ばれる分野に関しての教本となっている[233]。流伝部数が少なく、稀覯書としても知られている[233]
『略画早指南』(1812年ごろ出版)さまざまな略画の描法について図解されている。すみだ北斎美術館
  • 『略画早指南』
文化9年(1812年)ごろ、「北斎老人」落款。生物などの略画の描法について図解した絵手本である[234]。桶定規やぶんまわしを用いて骨格を捉える手法について解説されている[234]。前後編構成となっており、後編は文字絵の描法に関する教本となっている[234]
  • 『北斎写真画譜』
文化11年(1814年)ごろ、無款。全十五図から成る動物、鳥、草花、山水、観音などを題材とした絵手本で、いずれも見開き一図で描かれている[235]私家版と見られていたが、文化10年の割印帳に「版元売出」の記載があり、江戸の刊行物と改められた[235]
  • 『三体画譜』
文化13年(1816年)、「北斎改葛飾戴斗画」落款。版元角丸屋甚助刊行、菱屋久兵衛後摺[236]真行草の概念を取り入れた絵手本で、様々な主題を全て三種の描法で描き分けて図解している[236]
  • 『画本早引』
文化14年(1817年)前編、文政2年(1819年)後編、前編は「葛飾戴斗老人筆」落款、後編は「前北斎戴斗筆」落款。いろは48文字ごとに各文字から始まる物品や心情などについて描いた略図を1300図以上掲載した絵手本[237]
  • 『北斎画鏡』
文政元年(1818年)、「葛飾北斎筆」落款。名古屋の版元菱屋久兵衛が刊行した絵手本で、後に『秀画一覧』と改題されて色摺本として再版された[238]
  • 『北斎画式』
文政2年(1819年)、「葛飾戴斗筆」落款。関西の版元から刊行された絵手本で、恵比須、羅漢、角力、花鳥などの主題が見開きで彫り摺りされている[239]
  • 『一筆画譜』
『今様櫛きん雛形』(1823年出版)さまざまな櫛の図案が掲載されている。すみだ北斎美術館
文政6年(1823年)、「武蔵北斎載斗先生嗣意」落款。一筆書きの描法を集めた絵手本で、丹羽嘉言の一筆書きに触発されて出版されたと見られる[240]。本書は好評し、後年『一筆絵本』と改題して縮小模刻本が刊行された[240]
  • 『今様櫛きん雛形』(きんは手辺に竹冠に金)
文政6年(1823年)、「前北斎為一先生図」落款。櫛や煙管を制作する職人向けに刊行された絵手本で上中下の三冊に分かれている[241]。櫛の文様図案250、煙管の文様図案160が収められており、本書を用いて制作されたと見られる煙管が遺存している[241]
『画本彩色通』(1848年出版)北斎最後の絵手本となった。
  • 『新形小紋帳』
文政7年(1824年)、「前ほくさゐ為一筆」落款。
  • 『諸職絵本 新鄙形』
天保7年(1836年)、「齢七十七 前北斎為一改画狂老人卍筆」落款。
  • 『絵本早引 名頭武者部類』
天保12年(1841年)、「北斎改葛飾為一筆」落款。
  • 『画本彩色通』
弘化5年(1848年)、「画狂老人卍筆」落款。北斎が没したため、二編で刊行が中断された北斎最後の絵手本[242]。筆や刷毛の使用方法や絵の具の種類や調合方法などが細かに記載されており、絵画技法書と呼べるものとなっている[242]

肉筆画

肉筆画帖

天保6年(1835年)から天保15年(1844年)ごろにかけて刊行されたと見られる[243]。「前北斎為一改画狂老人卍筆」落款。花鳥虫魚等を描いた十図から成る[243]。『葛飾北斎伝』では、天保の大飢饉時に絵草紙屋で売らせたと紹介されている[243]。しかしながら、当時複数の画帖を販売していたことが確認されており、『肉筆画帖』が該当するかどうかについては明らかになっていない[244]。全図に共通して鮮やかな彩色とモダンな構図が採用され、晩年を代表する佳作と評価されている[244]

それぞれ「塩鮭と鼠」[243]福寿草と扇」[245]「鷹」[246]「はさみと雀」[247]「ほととぎす」[248]「鮎と紅葉」[249]「蛙とゆきのした」[250]「蛇と小鳥」[251]「鰈と撫子」[252]「桜花と包み」[253]と題される。現在当初の並び順を知るのは不可能であるが、最初は「福寿草と扇面」、最後は「桜花と包み」だと考えられる[254]

塩鮭』『と紅葉』
ゆきのした』『撫子

日新除魔図

毎朝の日課として描いた『日新除魔図』

天保13年(1842年)から天保14年(1843年)にかけて北斎は「日を新たに魔を除く」として、毎朝獅子や獅子に関連する絵を描くことを日課としていた[255]。依頼によって描いた他作とは異なり、厄除けのために本人が描いたプライベートな性質を持つ作品である[255]。毎朝除魔を願った理由としては長寿を願ったとするものや、放蕩の孫を追い払うためという説などがあり、毎朝獅子を描いては丸めて家の外に捨てていたという[256]

平成9年(1997年クリスティーズカタログに掲載されオークションにかけられそうになるが、文化庁は本作は重要美術品で海外流出禁止なことをクリスティーズに伝え、オークション1日前に販売中止となる事件があった[257]。その後、東京の古物商の手に渡り、平成30年(2018年)九州国立博物館に寄贈された。九州国立博物館はもっともまとまった219枚の「日新除魔図」を保有している[255]。「日新除魔図」は他に、松代藩家老・小山田壱岐旧蔵の1帖10図(現在は法人蔵)、北斎晩年の門人・本間北曜旧蔵の12点(内10点は北斎館蔵、1点は個人蔵、1点は所在不明)[258]など、国内外に所蔵されている[255]

信州小布施の作品

信州小布施 東町祭屋台天井絵 『龍図』(桐板着色肉筆画)
岩松院 『八方睨み鳳凰図』(はっぽうにらみ ほうおうず)下絵

高井鴻山は古くは小田原北条氏の臣としての来歴を持つ、信州小布施村の豪家高井家の嫡男として天保3年(1832年)に生まれた[259]。鴻山は十五歳の折に京都へ遊学し、梁川星巌に漢学を、岸駒に絵画を、貫名菘翁に書道を師事した[259]。北斎と鴻山の接触については諸説があり、飯島虚心が『葛飾北斎伝』で古老より伝え書いたものが中心とされるが、遺存する作品との矛盾点や疑義も多く呈されている[260]。一般的には『北斎道中画譜』に描かれた古書店頭の絵の中に登場する帯刀した袴姿の武人と、横に並ぶ老人が鴻山と北斎の出会いを描出したものとされる[260]。しかしながら美術史家の由良哲次は、『北斎道中画譜』が刊行されたのは天保元年(1830年)であり、鴻山が星巌に従って江戸に来たのは天保3年(1832年)であることから時系列が合致しないことを指摘しており、浦賀潜居の後に江戸へ戻った天保6年(1835年)以降に出合ったのではないかとしている[260]。この縁によって北斎は天保12年(1841年)または天保13年(1842年)に小布施の地へ旅立ったと考えられている[260][注釈 26]。鴻山は北斎を賓客として丁重に持成し、「碧軒(へきいけん)」と名付けたアトリエをあてがうとともに、往年焼失した高井家菩提寺の再建にあたって、天井絵などの絵画制作を依願した[261]。北斎はこれを了承するも大がかりな仕事であるとして、娘の栄を助手として連れてくる旨を告げ、江戸へ戻った[260]。北斎は江戸で残した仕事を片付けたり、孫の厄介事を処理するなど多忙を極めながら鴻山と手紙のやり取りをして作品構想を練りつつ、天保15年(1844年)春に再び小布施へと向かった[262]。江戸と小布施の往復は少なくとも4回または5回は行われたとされており[263]、北斎は小布施の地で東町祭屋台天井絵『龍図』『鳳凰図』(天保15年(1844年))、上町祭屋台天井絵『男浪図』『女浪図』(弘化2年(1845年))、岩松院本堂大間天井絵『八方睨み鳳凰図』などの傑作を残した[264]

しかしながらこうした小布施での活動は、飯島の『葛飾北斎伝』にほとんど言及がないこともあり、戦前までは軽視される傾向にあった[265]。実際の美術史家の各書では、昭和19年楢崎宗重の『北斎論』「衰退が隠せない時代で絵手本や肉筆画に勤しみ、夢多き余生を送った」、昭和28年近藤市太郎の『北斎』「70歳前後で彼の芸術的生命は終わっていた」、昭和32年織田一磨の『北斎』「天保の頃の北斎は、もはや内容の脱落した形骸ばかりになっていた」といった論調が並んでいる[266]。こうした傾向は1966年のソビエト連邦で開催される「北斎展」準備のために小布施の作品調査が行われるまで続いた[267]。実地調査を行った研究者の一人である尾崎周道は、「晩年の小布施時代は北斎の凋落期とするこれまでの定説は、書き換えねばならないだろう」とつづった[268]。また、『北斎論』で批判していた楢崎宗重も、小布施の北斎館開館に寄せた挨拶で「私の北斎研究は今日から始まると皆様の前で申し上げます」と認識を改めたことを表明した[268]

『朱描鍾馗図』(1846年)メトロポリタン美術館所蔵。

その他の肉筆画作品

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

  • 『婦女風俗図』
寛政5年(1793年)ごろ、無款。島根県立美術館所蔵。
  • 『鍾馗図』
寛政5年(1793年)ごろ、「叢春朗画」落款。島根県立美術館所蔵。
  • 『夜鷹図』
寛政8年(1796年)ごろ、「北斎宗理画」落款。細見美術館所蔵。
  • 『瑞亀図』
寛政8年(1796年)ごろ、「北斎宗理画」落款。奈良県立美術館所蔵。
  • 『玉巵弾琴図』
寛政8年(1796年)ごろ、「北斎宗理画」落款。個人所蔵。
  • 『小野小町図』
寛政10年(1798年)ごろ、「北斎画」落款。島根県立美術館所蔵。六歌仙のひとり小野小町を宗理風の瓜実顔で描いた肉筆画[269]
  • 『人を待つ美人図』
寛政10年(1798年)ごろ、「北斎画」落款。島根県立美術館所蔵。秋田県の旧家に遺存した美人図で、江戸の俳人白寿坊の画賛「弾き倦て 月よりも人 待宵か」が記されている[270]
  • 『大仏詣図』
寛政10年(1798年)ごろ、「北斎画」落款。島根県立美術館所蔵。霞越しに朱塗りの大仏が描かれた図で、版元須原屋茂兵衛の愛蔵品であったとされ、大田南畝の画賛が記されている[271]
  • 『振袖新造図』
享和3年(1803年)ごろ、「画狂人北斎画」落款。若い遊女を宗理風の画風で描いた佳作で、狂歌師鹿津部真顔の画賛が記されている[272]
  • 『旭日山水図』
享和3年(1803年)ごろ、「画狂人北斎画」落款。
隅田川両岸景色図巻』(1805年)
  • 『東方朔と美人図』
文化元年(1804年)ごろ、「画狂人北斎画」落款。
文化2年(1805年)ごろ、「九々蜃北斎席画」落款。すみだ北斎美術館所蔵。
  • 『円窓の美人図』
文化2年(1805年)ごろ、「九々蜃北斎席画」落款。シンシナティ美術館所蔵。
  • 『中国武人図』
文化2年(1805年)ごろ、「狂老人北斎画」落款。島根県立美術館所蔵。『水滸伝』の黒旋風李逵を描いたとされる図[273]
  • 『富士の巻狩図』(木更津日枝神社奉納絵馬)
文化3年(1806年)、「画狂人北斎旅中画」落款。
  • 『二美人図』
文化3年から文化10年(1806年から1813年)ごろ、MOA美術館所蔵[23]。重要文化財[23]。吉原遊郭の花魁と芸者が描かれている作品で、小林忠は北斎美人画の分野における最高傑作と評している[23]
  • 『美人夏姿図』
文化3年から文化10年(1806年から1813年)ごろ、個人蔵[23]
  • 『七夕図』
文化3年から文化10年(1806年から1813年)ごろ、晴明会館所蔵[23]。懐紙に花草を乗せて立つ女性を描写しており、「穂に出よ こよひねかいの いとすすき」という賛が添えられている[23]。これは『黒塚』の章句「穂に出づる秋の糸薄月に夜をや待ちぬらん」を受けたものと見られる[23]
  • 『新年の行事図 初夢』
文化3年から文化10年(1806年から1813年)ごろ、掛軸二幅、フリーア美術館所蔵[23]。新春の家庭内風俗を描いた作品で、蒔絵の箱枕に髪油除けの紙を巻く女性と、朝のしつらえをする女性がそれぞれ描かれている[23]
  • 『酔余美人図』
文化4年(1807年)ごろ、「葛飾北斎画」落款。鎌倉国宝館所蔵。若い芸者の女性が黒い三味線箱にもたれかかり、酔いを醒ましている図[274]
『五美人図』(1808年ごろ)
『鯉図』(1813年)左端の添え書きは北斎直筆で、弟子の葛飾北明印顆と共に与えた作。埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵[275]
  • 『五美人図』(正月品定め図)
文化5年(1808年)ごろ、「葛飾北斎画」落款。細見美術館所蔵[276]。母親の前で着物の柄を選ぶ娘を描いた風俗画で、能舞亭三毬なる人物による「画中の群女は顔に靨を催し、画外の一夫は口に涎を出す、君がため目に正月はしたれ共、こころに起す盆々煩悩」という狂歌が記されている[274]。一方シアトル美術館所蔵の『五美人図』では武家の奥方、町娘、御殿女中、花魁、町人の女房が描かれている[277]
  • 『七福神の図』
文化7年(1810年)、「北斎筆」落款。キヨッソーネ東洋美術館所蔵。
  • 『鎮西八郎為朝図』
文化8年(1811年)、「葛飾北斎戴斗画」落款。大英博物館所蔵。
  • 『鯉図』
文化10年(1813年)、「北斎」落款。埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵。
  • 『潮干狩図』
文化10年(1813年)ごろ、「葛飾北斎」落款。大阪市立美術館所蔵。江戸湾の遠浅の浜にて貝を拾い、魚を捕る町民の様子が描かれた作品で、重要文化財に指定されている[278]。俯瞰図法が取り入れられ、広々とした眺望の向こうにかすかに富士山も垣間見える[278]
  • 『鵜飼図』
文政2年(1819年)ごろ、「葛飾戴斗筆」落款。MOA美術館所蔵。
『遊女と禿』(1826年)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの注文で描いた作品。
  • 『遊女と禿』
文政9年(1826年)、ライデン国立民族学博物館所蔵[277]。ドイツの医学・博物学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの注文を受けて描いた作品とされ、洋風画法を強く意識して制作された[277]。陰影を表現するキアロスクーロが導入されている[277]
  • 『歌占図』
文政10年(1827年)、「北斎為一敬画」落款。大英博物館所蔵。
西瓜図』(1839年)
天保10年(1839年)、「画狂老人卍筆 齢八十」落款。三の丸尚蔵館所蔵。
  • 『貴人と官女図』
天保10年(1839年)、「画狂老人卍筆 齢八十歳」落款。すみだ北斎美術館所蔵。
  • 『春秋山水図』
天保10年(1839年)、「画狂老人卍筆 齢八十」落款。出光美術館所蔵。
  • 『春日山鹿図』
天保10年(1839年)、「画狂老人卍筆 齢八十歳」落款。鎌倉国宝館所蔵。
  • 『若衆図』
天保11年(1840年)、「画狂老人卍筆 齢八十一」落款。大英博物館所蔵。
  • 『若衆文案図』
天保11年(1840年)、「画狂老人卍筆 齢八十一」落款。鎌倉国宝館所蔵。
  • 『雲龍図』
天保12年(1841年)、「試筆八十二翁卍」落款。島根県立美術館所蔵。黒い雲間から除く龍の姿を墨一色のみで描いた図[279]
  • 『桜に鷲図』
天保14年(1843年)、「八十四老卍筆」落款。鎌倉国宝館所蔵。
  • 『雪中張飛図』
天保14年(1843年)、「齢八十四歳 画狂老人卍筆」落款。鎌倉国宝館所蔵。
  • 『文昌星図』(魁星図)
天保14年(1843年)、「八十四老卍筆」落款。島根県立美術館所蔵。北斗七星の第一星(魁星)の字より鬼が升(斗)を持つようすを描いており、浮世絵師河鍋暁斎が所蔵していた[280]
  • 『田植図』
天保14年(1843年)、「八十四老卍筆」落款。佐野美術館所蔵。
  • 『南瓜花群虫図』
天保14年(1843年)、「八十四老卍筆」落款。すみだ北斎美術館所蔵。
  • 『鍾馗騎獅図』
天保15年(1844年)、「画狂老人卍筆 齢八十五歳」落款。出光美術館所蔵。
  • 『月みる虎図』
天保15年(1844年)、「八十五老卍筆」落款。島根県立美術館所蔵。雲間に覗く月を眺める穏やかな表情の虎を描いた図[281]
  • 『鼠と小槌図』
天保15年(1844年)、「画狂老人卍筆 齢八十五歳」落款。島根県立美術館所蔵。大黒天の使いである鼠と、大黒天の所持品である袋と小槌を描いた縁起物[282]
『須佐之男命厄神退治之図』(1845年)
  • 『狐の嫁入図』
天保15年(1844年)、「画狂老人卍筆 齢八十五歳」落款。島根県立美術館所蔵。怪異伝承の狐の嫁入りを絵画化したもの[283]
  • 『朱描鍾馗図』(画稿)
天保15年(1844年)ごろ、無款。島根県立美術館所蔵。魔除けの神鍾馗を描いた下図で、版元松井栄吉が愛蔵したとされる[284]
  • 『須佐之男命厄神退治之図』
弘化2年(1845年)、「前北斎卍筆 齢八十六歳」落款。関東大震災で焼失したが、残された白黒写真を基にすみだ北斎美術館開館に合わせて推定復元された[285]
  • 『羅漢図』
弘化3年(1846年)、「八十七老卍筆」落款。太田記念美術館所蔵。
  • 『朱描鍾馗図』
弘化3年(1846年)、「八十七老卍筆」落款。メトロポリタン美術館所蔵。
  • 『朱描鍾馗図』
弘化3年(1846年)、「所随老人卍筆 齢八十七歳」落款。すみだ北斎美術館所蔵。
  • 『双鶴図』
弘化3年(1846年)、「画狂老人卍筆齢 八十七歳」落款。島根県立美術館所蔵。大岡雲峰とともに合筆した作品で、右の鶴を北斎が描いている[286]
  • 『向日葵図』
弘化4年(1847年)、「八十八老卍筆」落款。シンシナティ美術館所蔵。
『雷神図』(1847年)
  • 『雷神図』
弘化4年(1847年)、「八十八老卍筆」落款。フリーア美術館所蔵。
  • 『柳に燕図』
弘化4年(1847年)、「八十八老卍筆」落款。すみだ北斎美術館所蔵。
  • 『流水に鴨図』
弘化4年(1847年)、「齢八十八卍」落款。大英博物館所蔵。
  • 『赤壁の曹操図』
弘化4年(1847年)、「八十八老卍筆」落款。『三国志赤壁の戦い前夜の曹操を描いた図[287]
  • 『鬼図』
嘉永元年(1848年)、「齢八十九歳画狂老人卍筆」落款。佐野美術館所蔵。
  • 『狐狸図』
嘉永元年(1848年)、「卍老人筆 齢八十九歳」落款。個人所蔵。
『雪中虎図』(1849年)
  • 『扇面散図』
嘉永2年(1849年)、「九十老人卍筆」落款。東京国立博物館所蔵。
  • 『雪中虎図』
嘉永2年(1849年)、「嘉永二己酉寅の月 画狂老人卍老人筆 齢九十歳」落款。個人所蔵[288]。炯々と眼を光らせた虎が獰猛な足の爪を虚空に浮かせ、雪夜を立ち去ろうとしている描写をとらえており、辻惟雄はこの虎が北斎自身を表現しているのではないかと考察している[289]
  • 『雨中の虎図』
嘉永2年(1849年)、「九十老人卍筆」落款。太田記念美術館所蔵。
  • 『雲龍図』
嘉永2年(1849年)、「九十老人卍筆」落款。ギメ美術館所蔵。
嘉永2年(1849年)、「宝暦十庚辰ノ年出生 九十老人卍筆」落款。北斎館所蔵。

読本

『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月 前編』(1808年)、源為朝が自身の強靭さを誇示するために己の剛弓を蛮族に引かせる場面。

椿説弓張月

『椿説弓張月』は文化4年(1807年)に前編、文化5年(1808年)に後編、続編、文化7年(1810年)に拾遺、文化8年(1811年)に残編が刊行された曲亭馬琴作の読本である[290]。全28巻29冊に渡って北斎が挿絵を担当した[291]。馬琴と共作した初の作品であり、両者の代表作となった[292]源為朝を主役とした史実とは異なる英雄流転譚[注釈 27]で、大衆の判官贔屓心理に訴えかける人気作となった[290]。北斎の挿絵も主題に違わない勇壮なものが多く見られた[292]

新編水滸画伝

『新編水滸画伝』は中国の白話小説『水滸伝』を曲亭馬琴が訳出したもので、初編が文化2年(1805年)に刊行された[293]。後編の挿絵を巡って馬琴と北斎が衝突し、刊行中断の危機に陥ったが、版元の仲裁もあって、訳出者を馬琴から高井蘭山に変更することで文化4年(1807年)に二編以降が刊行された[292]。九編全九十一冊が刊行され、「画伝」のタイトルの通り多くの挿絵が描き込まれている[294]。彩色に制約がある中で多くの迫力ある場面を描き上げた[293]

その他の読本作品

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

『古今奇譚 蜑捨草』(1803年)確認されている北斎の読本挿絵で最も古い作品。
  • 『古今奇譚 蜑捨草』
享和3年(1803年)、流霞窓広住作、「画狂人北斎画」落款。確認されている北斎の読本挿絵で最も古い作品とされている[295]
  • 『復讐奇話 絵本東嫩錦』
文化2年(1805年)、小枝繁作、「画狂老人北斎」落款。江戸で人気を博した戯作者小枝繁の処女作であり、山東京伝の『復讐奇談安積沼』の影響が見られる作品[296][297]。北斎が手掛けた読本挿絵で頻繁に登場する幽霊図の初例とされる[298]
  • 『そののゆき 前編』
文化4年(1807年)、曲亭馬琴作、「葛飾北斎画」落款。版元は角丸屋甚助だったが、出版後に版木が京都の版元に売り出されるなどのトラブルに見舞われ、後編は出版されずじまいとなった[297]
  • 『墨田川梅柳新書』
文化4年(1807年)、曲亭馬琴作、「葛飾北斎筆」落款。
  • 『近世怪談 霜夜星』
文化5年(1808年)、柳亭種彦作、「かつしか北斎画」落款。
  • 『國字鵺物語』
文化5年(1808年)、芍薬亭長根作、「葛飾北斎」落款。
  • 『阿波之鳴門』
文化5年(1808年)、柳亭種彦作、「葛飾北斎画」落款。近松半二浄瑠璃傾城阿波鳴門』をベースに創作された柳亭種彦の初期作品[299]
  • 『三七全伝南柯夢』
文化5年(1808年)、曲亭馬琴作、「葛飾北斎画」落款。宮戸川艶容女舞衣などで知られるお花半七の心中事件を題材とした馬琴の代表作[300]
  • 『山桝太夫栄枯物語』
文化6年(1809年)、梅暮里谷峨作、「葛飾北斎」落款。
  • 『忠孝潮来府志』
文化6年(1809年)、談洲楼焉馬作、「葛飾北斎画」落款。
  • 『飛驒匠物語』
文化6年(1809年)、六樹園飯盛作、「画匠葛飾北斎画」落款。飛騨国の職人を主人公とする伝奇小説[301]。著者の六樹園飯盛こと石川雅望は、本書の序文で出版の経緯について北斎の勧めであった旨を記している[301]
前編の挿絵を北斎が担当した『於陸幸助 恋夢艋』(1809年)の表題絵部分。
  • 『於陸幸助 恋夢艋』
文化6年(1809年)、楽々庵桃英作、「葛飾北斎」落款。前編三冊は北斎が挿絵を担当し、後編五冊は門人の馬円が担当した[302]
  • 『勢田橋竜女本地』
文化8年(1811年)、柳亭種彦作、「葛飾北斎」落款。
  • 『寒燈夜話 小栗外伝 初編』
文化10年(1813年)、小枝繁作、「葛飾北斎」落款。
  • 『釈迦御一代記図会』
弘化2年(1845年)、山田意斎作、「前北斎卍老人繍像」落款。最晩年の数少ない読本作品で、釈迦の一生について書かれたもの[303]。優れた構図や表現技法が好評し、明治時代に銅版で模刻された[304]
  • 『源氏一統志』
弘化3年(1846年)、松亭中村源八郎保定輯作、「前北斎為一老人八右衛門画」落款。

絵本

富嶽百景

『富嶽百景 海上の不二』
75歳北斎の未来に向けた決意が記された『富嶽百景』初編の跋文。

半紙本全三冊百二図からなり、初編1834年(天保5年)刊行、二編は1835年(天保6年)、三編は刊行年不明[305]。初編は「七十五齢前北斎為一改画狂老人卍筆」落款、二編は「七十六齢前北斎為一改画狂老人卍筆」落款。河村岷雪の『百富士』に倣い、様々な富士の山容を描き上げた作品で、『北斎漫画』と並び、版本分野における北斎の最高傑作と評価されている[306]。この作品を受けて晩年の歌川広重は、『富士見百図』序文に北斎に対する評価と自身の作品との違いについて記している[197]

しかし、これらの作品よりも多く取り上げられるのは、尋常ならざる図画への意欲を著した、初編での跋文である[305]

己六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より数々画図を顕すといへども
七十年前描く所は実に取るに足ものなし
七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十歳にしてハ益ゝ進み九十歳にて猶其奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならん歟
百有十歳にしてハ一点一格にして生るがごとくならん
願くハ長寿の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし — 『富嶽百景』初編跋文[305]

「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」[305]

その他の絵本作品

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

『画本東都遊』(1802年)
  • 『画本東都遊』
享和2年(1802年)、「画工北斉」落款。
  • 『潮来絶句集』
享和2年(1802年)ごろ、富士唐麿詩、柳亭陳人編、無款。遊女の慕情を謳いあげた富士唐麿の狂詩に合わせた女性像を描いた全十六図の絵本[307]。美人画中心の絵本は北斎唯一の作例とされている[307]。豪華な彩色摺が原因で発禁処分となったと作詩した富士唐麿が後年記している[308]
  • 『絵本 浄瑠璃絶句』
文化12年(1815年)、「葛飾北斎筆」落款。浄瑠璃の主要な台詞を抽出し、その場面作画を行った絵本[309]。薄墨本、墨摺本、色摺本などが存在し、様々な摺刷が試みられたと考えられる[309]
『踊独稽古』(1815年)
  • 『踊独稽古』
文化12年(1815年)、「葛飾北斎画」落款、藤間新三郎補正。踊りの稽古を行うために「登り夜舟」、「気やぼうすどん」、「悪玉おどり」、「団十郎冷水売」の4曲の踊り所作の振り付けがコマ撮りのように描かれている[310]。1835年に『おとり獨稽古』と改題されて再版した[310]
  • 『絵本庭訓往来 初編』
文政11年(1828年)、「前北斎為一写」落款。室町時代に寺子屋などで習字用に用いられた玄恵の作とも言われている『庭訓往来』に挿図した作品[311]
  • 『忠義水滸伝画本』
文政12年(1829年)、「葛飾前北斎為一老人画」落款。
  • 『新編水滸画伝 二編前帙』
文政12年(1829年)、高井蘭山作、「北斎戴斗老人画」落款。
  • 『唐詩選画本 五言律』
天保4年(1833年)、高井蘭山作、「前北斎為一画」落款。
  • 『絵本忠経』
天保5年(1834年)、高井蘭山作、「葛飾前北斎為一老人画」落款。『孝経』を擬した中国の経典『忠経』に挿図したもの[311]
  • 『諸職絵本 新鄙形』
天保7年(1836年)、「齢七十七 前北斎為一改画狂老人卍筆」落款。
『和漢絵本魁』(1836年)
  • 『和漢絵本魁』
天保7年(1836年)、「齢七十六前北斎為一改画狂老人卍筆」落款。
  • 『絵本武蔵鎧』
天保7年(1836年)、「齢七十七前北斎画狂老人卍筆」落款。日本武尊上杉謙信武田信玄などといった日本の武者を描いた絵本[312]。柱刻に「画本魁 二編」の記述が認められ、同年の『和漢絵本魁』二編として出版されたものと見られている[312]
  • 『唐詩選画本 七言律』
天保7年(1836年)、高井蘭山作、「画狂老人卍翁筆」落款。
  • 『絵本早引 名頭武者部類』
天保12年(1841年)、「北斎改葛飾為一筆」落款。
  • 『絵本孝経』
嘉永2年(1849年)、高井蘭山作、「東都葛飾前北斎為一翁画図」落款。中国の思想家孔子が門人の曾子に述べた孝道をまとめた『孝経』に挿図したもの[311]

狂歌本

四大風景集

『画本狂歌 山満多山』(1804年)

北斎が手掛けた狂歌本の中において『東遊』『東都名所一覧』『画本狂歌 山満多山』『絵本隅田川 両岸一覧』の4作は、四大風景集と位置付けられ、当該分野における北斎の代表作とされている[313]

『東遊』は寛政11年(1799年)に版元蔦屋重三郎より刊行された浅草庵市人の撰集した狂歌本で、「画工北斉」の落款がある[5]。全ての挿絵を北斎が担当している[314]。『東都名所一覧』は寛政12年(1800年)に同じく版元蔦屋重三郎より刊行された浅草庵市人の狂歌本で、「北斎辰政」落款がある[5]。初春の品川の景色など、江戸の名所が狂歌とともに描かれており、文化12年(1815年)に『東都勝景一覧』と改題され、再版された[315]。『画本狂歌 山満多山』は文化元年(1804年)に刊行された大原亭主人撰集の狂歌本で、「北斎画」の落款がある[5]朱楽菅江の七回忌を追善するために出版されたという説もあり、豪華な色摺の三十二図が収載されている[316]。『絵本隅田川 両岸一覧』は刊行年、作者不詳の全3冊二十四図の狂歌本で、隅田川両岸に広がる風俗景観を四季の変化とともに描いている[317]。刊行年については享和元年(1801年)、文化3年(1806年)など諸説があり、刊行年と画稿成立時期に時間差がある可能性も指摘されている[318]。版元についても大阪の前川善兵衛などの伝存が確認されている他、版摺の違いも多々見られることから、刊行当時より大きな人気を博していたと考えられている[318]

その他の狂歌本作品

『柳の絲』(1797年)に寄せた洋風表現の試みが見られる「江島春望」の図。

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

  • 『狂歌歳旦 江戸紫』
寛政7年(1795年)、万亀亭花の江戸住撰、「宗理画」落款。
  • 『帰化種』
寛政8年(1796年)、清涼亭菅伎撰、「百琳宗理画」落款、シカゴ美術館所蔵。
  • 『四方の巴流』
寛政8年(1796年)ごろ、狂歌堂真顔撰、「北斎宗理画」落款。
  • 『柳の絲』
寛政9年(1797年)、浅草庵市人撰、「北斎宗理画」落款。堤等琳鳥文斎栄之北尾重政らと共に、狂歌に合わせた江島春望の絵図を一図描いた[319]。全体構図や山、波の描写などから洋風表現の試行が見られ、司馬江漢の影響が確認できる[320]
  • 『さんたら霞』
寛政9年(1797年)、三陀羅法師撰、「北斎宗理画」落款、大英博物館所蔵。
  • 『春興帖』
寛政10年(1798年)、森羅亭万象撰とされる、「北斎宗理画」落款。
  • 『男踏歌』
寛政10年(1798年)、浅草庵市人撰、「北斎宗理画」落款、大英博物館所蔵。
『みやことり』(1802年)
  • 『みやことり』
享和2年(1802年)、「画狂人北斎」落款。隅田川両岸の浅草、本所に暮らす庶民の様子を描いた全二十三図の狂歌本[321]。『絵本隅田川 両岸一覧』と並び、北斎狂歌本分野の傑作とされる[321]
  • 『五拾人一首 五十鈴川狂歌車』
享和2年(1802年)、千秋庵三陀羅法師撰、「北斎辰政」落款。五十人の狂歌師と「巫女の舞」一図が収められた狂歌本で、伊勢神宮への奉納を目論んでいたことが序文に記されている[322]
  • 『画本忠臣蔵』
享和2年(1802年)、桜川慈悲成作、「北斎辰政」落款。歌舞伎の演目などで知られる『忠臣蔵』を題材とし、挿絵と狂歌が収められている[323]
  • 『夷歌 月微妙』
享和3年(1803年)、樵歌亭校合作、「画狂人北斎画」落款。
  • 『百囀』
文化2年(1805年)、二世桑楊庵撰、「画狂人北斎画」落款。
  • 『蓮華台』
文政9年(1826年)、六樹園撰、「為一筆」落款。
  • 『花鳥画賛歌合』
文政11年(1828年)ごろ、春秋庵永女、錦鳳堂永雄らによると見られる撰、「月癡老人為一筆」落款。表題に合わせた風情ある花鳥画を数図寄せている[324]
  • 『女一代栄花集』
天保2年(1831年)、秋長堂老師、春秋庵婦人らによる撰、「応需七十二翁前北斎為一筆」落款。花見の宴で酔った婦人図など3図を北斎が描いた[325]

摺物

『馬尽 駒下駄』(1822年)
『元禄歌仙貝合』(1821年)

馬尽

『馬尽』は文政5年(1822年)に刊行された二十八図[注釈 28]が知られている中判の揃物で「不染居為一筆」の落款がある作品[327]。前年に制作した『元禄歌仙貝合』と同じく四方側に属する狂歌師鹿津部真顔の依頼によって制作されたものと見られる[328]。文政5年が午年であることに因んで馬に関連する歌を詠み、挿図した作品である[329]。右図はその中のひとつ「駒下駄」といい、水引で結んだ駒下駄とお多福の面、三升を染め出した手ぬぐい、扇、注連飾りをつけた擂粉木と一緒に暴れ馬の凧が描かれている[329]。上部には狂月亭真晴と四方歌垣真顔(鹿津部真顔)の狂歌が添えられている[329]。二十八図のうち、二十六図が静物を主題としており、残りの二図は風俗、風景を主題としている[326]。狂歌を寄せた狂歌師は秋長堂物簗、森羅亭万象など55名に上った[326]。浅野は本作について発想や絵組の独自性が際立っており、狂歌師たちの独創と北斎の構成力が上手く嚙み合った完成度の高い摺物であると評価している[330]

その他の摺物作品

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

  • 『五代目市川団十郎の暫』
天明7年(1787年)、「春朗画」落款。ケルン東洋美術館所蔵。
  • 『十六むさしで遊ぶ子供』
寛政元年(1789年)、「春朗画」落款。十六むさしで遊戯する童子を描いた摺物で、遊戯盤上には月の大小が判る暦が添えられている[331]
  • 『寛政三弓始(弓矢と的)』
寛政3年(1791年)、「葛飾住 春朗画」落款。
  • 『冷水売り』
寛政5年(1793年)ごろ、「叢春朗画」落款。冷えた砂糖水に白玉を入れた「冷水」を売る少年が木陰で休息する様子を描いた作品[332]。フランスの作家エドモン・ド・ゴンクールが1896年に上梓した『北斎』にその存在が言及されていたが、永らく存在が確認できなかった作品である[332]
  • 『大筒』
寛政7年(1795年)、「宗理写」落款。
  • 『座敷万歳』
寛政7年(1795年)、「宗理画」落款。
  • 『懐通辰己楼』
寛政8年(1796年)、「百琳宗理画」落款。ベルリン東洋美術館所蔵。
  • 『元結作り』
寛政8年(1796年)、「宗理画」落款。
  • 『花卉』
寛政8年(1796年)、「北斎宗理画」落款。俳句が添えられた珍しい摺物作品[333]。「北斎」の号が見られるもっとも古い作品[334]
  • 『曙艸(吉野山花見)』
寛政9年(1797年)、「北斎宗理画」落款。津和野藩藩主の亀井家に伝わっていた宗理様式時代の摺物作品のひとつ[335]
1797年の摺物『巳待の御札』。「宗理風」と呼ばれる独自の様式を確立させた。
  • 『巳待の御札』
寛政9年(1797年)、「宗理画」落款。
  • 『石なご遊び』
寛政10年(1798年)、「北斎宗理校合」落款。
  • 『亀』
寛政10年(1798年)、「北斎辰政画」落款。宗理から北斎辰政へ改号した際に知人へ配ったとされる摺物[336]。書家の稲葉華溪によって「宗理ぬしの改名に北辰の光りいよいよましなん事を 莟む花こや衆生のもてはやし」という賛が寄せられている[337]
  • 『風呂上がりの母子図』
寛政11年(1799年)、無款。
  • 『屠蘇を飲む福禄寿』
寛政11年(1799年)、「宗理改北斎画」落款。
  • 『宮詣の官女図』
寛政12年(1800年)、「先ノ宗理北斎画」落款。
  • 『女刀鍛冶』
寛政12年(1800年)、「先ノ宗理北斎画」落款。
  • 『玉虫と子安貝』
寛政12年(1800年)、「先ノ宗理北斎画」落款。タマムシコヤスガイともに当時の安産祈願品であり、縁起の良い二物を描いた作品[338]
  • 『笠に蔬菜図』
寛政13年(1801年)、「画狂人北斎写」落款。太田記念美術館所蔵。
  • 『大晦日掛取り』
享和2年(1802年)、「画狂人北斎」落款。
『春興五十三駄之内 關』(1804年)坂の下ヘ一リ半。
  • 『春興五十三駄之内』
享和4年(1804年)、「画狂人北斎画」落款。全五十九図からなる摺物揃物で、複数の狂歌連が出資したと見られ、絵図の中に狂歌がおさめられている[339]
  • 『見立芝居看板』
享和4年(1804年)、「北斎画」落款。
  • 『美人爪切り図』
享和4年(1804年)ごろ、「ほくさゐのふで」落款。
  • 『盆踊り』
享和4年(1804年)ごろ、「画狂老人北斎画」落款。
  • 『菅原の上』
文化2年(1805年)、「九々蜃北斎画」落款。
  • 『山吹と桜』
文化2年(1805年)、「九々蜃北斎画」落款。
  • 『西王母図』
文化3年(1806年)、無款。
  • 『子供の遊び』
文化4年(1807年)ごろ、「葛飾北斎画」落款。
  • 『還城楽』
文化6年(1809年)、「葛飾北斎写」落款。
  • 『七福神』
文化6年(1809年)、「かつしか北斎画」落款。
  • 『山姥と金太郎』
文化11年(1814年)ごろ、「北斎改戴斗筆」落款。
  • 『おし鳥』
文化11年(1814年)ごろ、「北斎改戴斗」落款。
  • 『寿老人』
文化13年(1816年)、「前北斎戴斗筆」落款。
『空満屋連和漢武勇合三番之内』(1820年)に描かれた伍子胥巴御前
  • 『空満屋連和漢武勇合三番之内』
文政3年(1820年)、「北斎戴斗改葛飾為一筆」落款。東京国立博物館所蔵。
  • 『楉垣連五番之内和漢画兄弟』
文政4年(1821年)、摺物揃物、「月癡老人為一筆」落款。
  • 『元禄歌仙貝合』
文政4年(1821年)、摺物揃物、「月癡老人為一筆」落款。
  • 『美人カルタ』
文政6年(1823年)、「真行草之筆意北斎改為一画」落款。
  • 『七代目市川団十郎 二代目岩井粂三郎』
文政7年(1824年)、「かつしかの親父為一筆」落款。
  • 『汐汲み図』
文政13年(1830年)、「北斎改為一筆」落款。太田記念美術館所蔵。
  • 『宝船』
天保4年(1833年)、「前北斎為一筆」落款。

黄表紙

『前々太平記』(1786年)
『しわみうせ薬』(1795年)

本節、特に断りのない文章は島根県立美術館が公開する永田生慈『葛飾北斎年譜』を元に作成された北斎年譜[5]を出典としている。

  • 『白井権八幡随長兵衛 驪山比異(翼)塚』
安永9年(1780年)、作者不詳、「勝川春朗画」落款。東京都立図書館(加賀文庫)所蔵。安永8年(1779年)に肥前座で興行された新作人形浄瑠璃『驪山比翼塚』を要約した作品[340]
  • 『はなし〈柱題〉』
天明2年(1782年)、自惚門人皆山五郎治作、「勝春朗画」落款。正式な表題は不明で、柱に「はなし」と題されていることから、このように仮称される5話の小咄が収められた咄本黄表紙である[341]
  • 『親譲鼻高名』
天明5年(1785年)、可笑門人雀声作、「春朗改群馬亭画」落款。
  • 『我家楽之鎌倉山』
天明6年(1786年)、作者不詳、「群馬亭画」落款。
  • 『前々太平記』
天明6年(1786年)、自惚山人作、「勝春朗画」落款。平住専安が著した軍記物語前々太平記』を元にした黄表紙で、多くの武者絵が収蔵されている作品である[342]
  • 『二一天作二進一十』
天明6年(1786年)、通笑門人道笑作、「群馬亭画」落款。
  • 『昔々桃太郎発端説話』
寛政4年(1792年)、山東京伝作、「春朗画」落款。
  • 『貧福両道中之記』
寛政5年(1793年)、山東京伝作、「春朗画」落款。裕福な家の子が零落し、貧乏な家の子が大成する様を描いた道中記[343]
  • 『福寿海无量品玉』
寛政6年(1794年)、曲亭馬琴作、無款。
  • 『しわみうせ薬』
寛政7年(1795年)、本膳坪比良作、「勝川春朗画」落款[344]。いつの時代であっても金には苦労するという教訓が描かれた黄表紙である[344]
  • 『化物和本草』
寛政10年(1798年)、山東京伝作、「可候画」落款。1792年に上梓された森島中良の『画本纂怪興』をもとにした怪談が収められた黄表紙である[345]
  • 『児童文殊稚教訓』
寛政13年(1801年)、「画作時太郎可候」落款。
  • 『三国昔噺 和漢蘭雑話』
享和3年(1803年)、曼亭鬼武作、「可候画」落款。
  • 『真柴久吉 武地光秀 御伽山崎合戦』
享和4年(1804年)、作者不詳、「勝春朗画」落款。本作は豊臣秀吉を称揚する内容であったため、幕府より絶版処分または出版自粛を申し渡されたと見られ、1804年に絶版処分となった黄表紙で、永らくの間記録上のみの作品であった[346]

春画

『喜能會之故眞通 蛸と海女

春画については基本的に署名が無く、北斎がどの程度春画に携わっていたのかについては判明しておらず、研究者間での統一された見解も無い[347]。『葛飾北斎・春画の世界』を著した美術史研究家の浅野秀剛は、私見であることを断りつつ、『笑本股庫嘉里嫁志』『間女畑』『甲の小松』『富久寿楚宇』『万福和合神』の五作は北斎作であるとしている[348]。浮世絵研究者の林美一リチャード・レインは『絵本春の色』『会本色の嫩』などを北斎の作として取り上げている[349]

喜能会之故真通

『喜能会之故真通』[注釈 29]は、文化11年(1814年)に刊行された春画[350]。林美一や辻惟雄は、筆致が異なるとして北斎作ではなく、三女のお栄か門人の作であろうという立場を取っている[351]。一方で浅野秀剛は画の緩みや弟子任せの箇所があったとしても部分的であり、北斎構想による高い完成度を示した作品であるとしている[352]。この作品のなかで、2匹の蛸に若い海女が襲われている様子を描いた「蛸と海女」が良く知られており、ポルノグラフィにおける「触手もの」の先駆けとも言われている[353]。ほとんど全部が画中の登場人物の台詞で構成されているほか、オノマトペが書き入れられているのが本作の特徴で、喜悦の声や局所から出る音がカタカナで記述されている[352]。後の作品である『万福和合神』の主人公「おつび」「おさね」が一部登場している[354][注釈 30]

富久寿楚宇

『富久寿楚宇』第10図、海女と漁師の交わり。

『富久寿楚宇』は刊行年については不明だが、様式などから文化12年(1815年)から文政前期ごろの作品と推定されている[355]。きわめて高い完成度を誇り、北斎作品とされる春画のうちで、唯一研究者間での見識が一致している作品である[355]。横大判錦絵十二図から成る作品で、鳥居清長の春画『袖の巻』および喜多川歌麿の春画『歌まくら』への崇敬と対抗意識が垣間見える絵作りがなされている[356]。被せ彫りによって作られた『会本佐勢毛が露』『波千鳥』という再版本が存在するが、こちらに北斎自身が関与したかどうかについては判っていない[357]

その他の春画作品

  • 『笑本股庫嘉里嫁志』
天明2年(1782年)の作品とみられ、春画分野における初作とされる[358][359]。序文に「寅の初春 闇雲山人著」、扉絵に「勝春朗画」の隠し落款がある[360]。林美一は闇雲山人は北斎の隠号であるとしている[361]
  • 『絵本春の色』
寛政初期の作品とされ、リチャード・レインは1977年に上梓した自著『北斎の秘画』にて、「勝川春朗」の署名があると言及している[349]
  • 『間女畑』
寛政4年(1792年)ごろの作品と見られる[358]。序文に「鉄棒ぬらぬら」の花押があり、本文中に北斎の俗称である鉄蔵をもじった「隣の鉄ぼう」という人物が登場する[362]尾崎久彌は『北斎肖像の研究』の中で天明元年(1781年)ごろの作品と推定しており、同作に登場する机に伏して寝ている丁髷男が、もっとも古い北斎の肖像画であるとしている[363]
  • 『会本松の内』
浮世絵研究者の林美一は、寛政6年(1794年)ごろ刊行されたとしている[349]。「紫色雁高」落款[349]。付文に「かやば丁のゑいせう」とあることから、鳥高斎栄昌の作ではないかとする説もある[349]
  • 『会本色の嫩』
寛政中期の作品とされ、リチャード・レインは1977年に上梓した自著『北斎の秘画』にて、「紫色雁高」の署名があると言及している[349]
  • 『好色堂中』
寛政12年(1800年)刊行[364]。若い男女の大首絵など八図が描かれた春画で、表題は無く、序文に「好色堂中に序す」とあることから、この名で呼ばれている[364]。図様より、浅野秀剛は本作品の作者について礫川亭永理ではないかと指摘している[365]
  • 『艶本婦他美賀多』
文政2年(1805年)ごろの作品とされ、林美一は北斎の作品としているが、この見解に浅野秀剛は疑義を呈しており、刊行は享和年間(1801年から1804年)ごろとし、文化中期の北斎の作風を先取りするような画から、『好色堂中』と同じく永理の手によるものではないかと指摘している[366]
『つひの雛形』
  • 『つひの雛形』
文化9年(1812年)刊行[367]。北斎の作品かどうかについては見解が分かれている[368]。浅野秀剛は明確に北斎様式を示しており、なんらかの形で北斎が関与しているだろうと指摘している[369]
  • 『東にしき』
文化9年(1812年)ごろの作品と見られ、北斎様式を踏襲しているが、北斎の作品かどうかについては見解が分かれている[368]
  • 『誉おのこ』
文化9年(1812年)ごろ刊行[370]。『欠題組物』と呼称される場合もある[371]。各絵には狂歌が組み込まれており、第1図には小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」を本歌取した「花のいろはうつりにけりなよそ言にうきことかさむ我が恋めかも」という歌が詠まれている[370]。北斎様式に限らず菊川英山などの諸様式が混在した作品となっており、作者の同定は困難を極める[372]
  • 『万福和合神』
文政4年(1821年)刊行[373]。三冊の全図と三つの付文が同一設定のもとで構成され、「おつび」「おさね」という人物を主人公とした長編物語の様相を呈しているのが特徴と言える[374]
  • 『津満嘉佐根』
刊行年不明だが文政前期(1818年から1821年ごろ)ごろと見られている[375]。北斎の作品かどうかについては見解が分かれている[368]
  • 『多満佳津良』
刊行年不明だが文政前期(1818年から1821年ごろ)ごろと見られている[376]。北斎様式を踏襲しているが、北斎の作品かどうかについては見解が分かれている[368]
  • 『偶定連夜好』
文政5年(1822年)刊行の中判錦絵[376]。『縁結出雲杉』と呼称される場合もある[376]。北斎様式を踏襲しているが、北斎の作品かどうかについては見解が分かれている[368]
  • 『陰陽淫蕩の巻』
刊行年不明[377]

注釈

  1. ^ 曲亭馬琴の『曲亭来簡集』には、中島伊勢の養子となったのは壮年期のこととしている[5]
  2. ^ 『画狂北斎』の著者安田剛蔵は、『曲亭来簡集』の記述を精査し、北斎は叔父の中島家にいったん養子に入った後、ほどなく川村家に戻ったと推測している[7]
  3. ^ 割下水とは、田畑の用水路として使用されていた溝を改修した掘割を指す[8]
  4. ^ 林美一は最初の妻を娶ったのは天明2年(1782年)か天明3年(1783年)ごろではないかと想定している[14]
  5. ^ お栄は生没年不詳の人物であり、その誕生年については諸説ある[15]
  6. ^ 画姓の「叢」の読みについては諸説あり、通説では「くさむら」とされるが、飯島虚心は「むぐら」、安田剛蔵は「むら」を支持している[17]
  7. ^ 一般的には『浮世絵類考』や『増補浮世絵類考』で式亭三馬が書き入れた内容を根拠として、春章存命時に勝川派を破門となったとする説が有力視されている[17]
  8. ^ ただし、「九十老人卍筆」の落款がある作品だけでも、現在15点ほども確認されている。当時は数え年なため、正月から死ぬまでの5ヶ月弱でこれだけの作品を描いたことになる。北斎の生命力が尽きかけていること、年紀がない作品や現在失われた作品もあるだろうことを考慮すると、これらの中に贋作が含まれていることを指摘する見解もある[86]
  9. ^ この画号を用いた作品は確認されていない[93]
  10. ^ 北斎の宗理使用期に菱川姓の使用は見られず、飯島の誤認ではないかと指摘されている[99]
  11. ^ この画号を用いた作品は確認されていない[93]
  12. ^ この画号を用いた作品は確認されていない[93]
  13. ^ 門人である北為の画号であり、北斎の画号ではないとの校注あり[100]
  14. ^ この百庵は『続俳家奇人談』に載り、嘉永6年版『俳林小伝』にも見える人物で、転居百回の後、下谷七軒町で亡くなったという[109]
  15. ^ 『葛飾北斎伝』では、後妻との間の子は一男一女とし、一説に一男二女としている[116]
  16. ^ 北斎の叔父にあたるという説もある[121]
  17. ^ この名称は説のひとつであり、確定はしていない[117]
  18. ^ この名称は説のひとつであり、確定はしていない[117]
  19. ^ この名称は説のひとつであり、確定はしていない[117]
  20. ^ 落款には「北斎娘辰女筆」とある[129]
  21. ^ これらの作品はライデン国立民族学博物館に29点、フランス国立図書館に25点が分蔵されている[173]
  22. ^ 柳亭種彦が出版した『正本製』に掲載された広告を根拠とする天保2年(1831年)刊行説、エドモン・ド・ゴンクールの著した『北斎』の記述を根拠とする文政6年(1823年)から文政12年(1829年)に刊行したとする説などがある[185]
  23. ^ 10年用パスポートが24作品、5年用パスポートが16作品採用[200]
  24. ^ 永寿堂の広告に「前北斎為一筆」の記述あり。
  25. ^ 実際は無毒である[212]
  26. ^ これは、この年の年紀ある北斎作品が小布施に遺存していること、この頃に描かれた『日新除魔図』が小布施に保存されていることなどを根拠としている[260]
  27. ^ 題名の「椿説」は「珍説」の意[292]
  28. ^ 三枚続の図が一図あるため、三十図としている書籍もある[326]
  29. ^ 読みは「きのえのこまつ」で『甲の小松』と書かれている書籍もある[348]
  30. ^ 「おつび」「おさね」は『富久寿楚宇』にも登場する[354]

出典

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  2. ^ a b 葛飾北斎』 - コトバンク
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