上總ノ海路とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 上總ノ海路の意味・解説 

かずさのかいじ〔かづさのカイぢ〕【上総ノ海路】

読み方:かずさのかいじ

葛飾北斎による風景版画シリーズ富嶽三十六景」の作品の一。江戸木更津間を結ぶ弁才船描かれ、風をはらんだ帆と綱の間に小さく富士山見える。


上總ノ海路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/20 12:09 UTC 版)

上總ノ海路」(かずさのうなじ[1]、かずさのかいじ[2][3]、かずさのかいろ[4])は、葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』全46図の内の一図。1831-34年(天保2-5年[注釈 1][注釈 2])頃刊行。大判[注釈 3]錦絵落款は「前北斎為一筆(ぜん・ほくさい・いいつ・ひつ)」。版元は永寿堂西村屋与八


注釈

  1. ^ 天保二年正月、三十六景の版元となる永寿堂から刊行された柳亭種彦『正本製』(しょうほんじたて)巻末に三十六景の刊行予告がある。「富岳三十六景 前北斎為一翁画 藍摺一枚 一枚ニ一景ツゝ 追々出版 此絵ハ富士の形ちのその所によりて異なる事を示す 或ハ七里ヶ浜にて見るかたち又ハ佃島より眺る景など総て一やうならざるを著し 山水を習ふ者に便す 此ことく追々彫刻すれバ 猶百にもあまるべし 三十六に限るにあらず 」[5]
  2. ^ 曲亭馬琴書簡、天保七年三月二十八日付「板元にし村屋 身上不如意ニて 久しく彫刻不出来 去年ハ既に戸を建(=店を閉める)候様子の処 やうやう借財ヲ年賦いたし 商売とりつゞき居候(以下略)」 [6]
  3. ^ 約39cm×約26.5cm。大奉書紙を縦二つ断ちしたもの。この時期の浮世絵は大判が標準サイズになる[7]
  4. ^ 船舶史研究家の石井は、江戸湾で用いられていたのが五大力船であることを承知の上で、この描写では、徳川期に最もポピュラーだった海船「弁才船[11][12]にしか見えないとし、五大力船として誤った描写、16点を挙げている[13]
  5. ^ 『墨水桜花輝耀の景』(府中市美術館蔵)、『芝浦夕陽』(香川金刀比羅宮蔵)など[14]

出典



「上總ノ海路」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  上總ノ海路のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「上總ノ海路」の関連用語

上總ノ海路のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



上總ノ海路のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの上總ノ海路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS