大岡雲峰とは? わかりやすく解説

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大岡雲峰

読み方おおおか うんぽう

江戸後期幕臣画家。名は成寛、字は公。号は化寉、通称次兵衞四谷大番町に住したことから、四谷南蘋と称された。谷文晁高芙蓉学び山水花鳥能くした。嘉永元年(1848)歿、84才。

大岡雲峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 08:08 UTC 版)

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大岡 雲峰(おおおか うんぽう、明和2年〈1765年〉 - 嘉永元年〈1848年〉)とは、江戸時代旗本文人画家

来歴

名は成寛、通称次兵衛。は公栗。雲峰と号す。江戸の生まれで筑後柳河藩士牛田忠光の子として生まれる。のちに旗本大岡助誥の養子となり、天明8年(1788年)24歳のとき家督を継ぐ。寛政3年(1791年)には表右筆に任じられる。

絵では鈴木芙蓉の高弟で、のちにふたつ年上の谷文晁の門人となった。山水画花鳥画を得意とし、二宮尊徳とその娘の画の師にもなった。四谷大番町に住み、画風を南蘋派に転じると四谷南蘋と称され[1]文化年間には文晁や酒井抱一などと並称された[2]

本草学にも興味を持ち、増田繁亭編『草木奇品家雅見』(そうもくきひんかがみ、文政7年〈1824年〉)や水野忠暁『草木錦葉集』(文政12年〈1829年〉)などに弟子の関根雲停、石川碩峰とともに挿絵を描いている。天保7年(1836年)6月21日に雲峰主催の尚歯会大窪詩仏の詩聖堂で開催され、村井東洋(82歳)、谷文晁(75歳)、春木南湖(78歳)、大窪詩仏(70歳)など11人が参加した。雲峰はこのとき73歳、江戸画檀の長老として敬われた。享年84。

作品

版本
  • 『狂歌雅友集][3]
  • 『漢画石譜[4]』 ※文政4年の序文あり。明治13年(1880年)刊
本画
作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
関羽 斉田記念館 1809年(文化6年) 己巳仲冬上澣雲峯大岡成寛拜圖
三十六歌仙 須賀神社 1836年天保7年) 書は千種有功。新宿区指定有形文化財
日金山富嶽眺望図[5] 布地墨画着色 1幅 67.5x131.7 静岡県立美術館 1839年(天保10年)
林和靖畜鶴図 絹本著色 3幅対 世田谷区立郷土資料館
蘐園諸彦会讌図 紙本著色   京都大学総合博物館 朝川善庵讃
近江八景図 立花家史料館

門人

脚注

  1. ^ 「精妙迫真」と評される。浅野梅堂漱芳閣書画銘心録
  2. ^ 武江年表
  3. ^ Digitalisierte Sammlungen der Staatsbibliothek zu Berlin Werkansicht_ 狂歌雅友集(PPN335519834X - PHYS_0001 - Übersicht mit Inhaltsverzeichnis)
  4. ^ 漢画石譜 _ 雲峯泰化隺 著 - 古典籍総合データベース
  5. ^ 静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:大岡雲峰】

参考文献

  • 「大岡雲峰」(市古貞次ほか編 『国書人名辞典』(第一巻) 岩波書店、1996年)
  • 渥美国泰 『写山楼谷文晁のすべて 今、晩期乱筆の文晁が面白い』 里文出版、2001年、ISBN 4898061729
  • 佐々木英理子編「画家略伝」(『谷文晁とその一門』 板橋区立美術館、2007年、p.110)


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